冷え切った身体
冷え切った心
冷たくなった全てに
貴方の温もりは
どこまでも染み込んでいく
【06.あなたの温もり】
遠く遠く輝く月を見上げる。
青白い淡い光は穏やかに全てを照らす。
淡く、優しい光で包み込んでくれる。
開け放たれた窓から流れ込んでくる風は、春先と言ってもまだ涼しい。
でもその涼しさが、この青白い淡い光と異常に調和している気がして、酷く心地良い。
窓辺に立ち目を閉じて、その光をその冷たい風を感じて、漸く少しだけ呼吸が出来る気がした。
「こんばんは、名探偵。月光浴にはまだ少し涼し過ぎるんじゃないか?」
「―――!?」
夜の気配を存分に肺に吸い込んだ所で、全く予想外の声がかかり、コナンは閉じていた目を見開いた。
目の前のベランダには、声の主である真っ白な怪盗の姿。
その姿に余りにも驚いて、声が出ないコナンに、ポンッという煙幕と共に、キッドは一輪の薔薇を差し出した。
差し出されたのは『青い薔薇』。
余りにも鮮や過ぎる青い色に、どうせ造花か、若しくは着色を施した物だろうと受け取って、花びらに触れ再度固まった。
滑らかな感触。
それは、ベルベットにも例えられる事のある薔薇の花びらの感触、その物だった。
「なあ、名探偵。『青い薔薇』の花言葉、知ってるか?」
コナンの考えた事など全てお見通しだったのだろう。
些か不服気にその感触を何度も確かめるコナンにキッドはそう尋ねる。
「『不可能』だろ?」
そう、青い薔薇を作ろうと、幾多の人々が挫折して。
実現されないモノ、不可能の代名詞と言われた『青い薔薇』。
余りにも有名な話だと思えば、キッドは厭味ったらしくチッチッチ、と人差し指を左右に振って見せた。
「古いな、名探偵。時代は日々進んでるんだよ」
「どういう意味だよ…」
「青い薔薇が『不可能』だったのはもう昔の話だ」
言われて、ああ…とコナンは何年か前の話を思い出した。
日本のある企業と、オーストラリアの企業が『青い薔薇』を開発したというニュースがあった。
多分その事を言いたいのだろう。
「確かに、開発はされたけど…花言葉は……」
「『不可能』じゃなくなったんだ。それなら、新しい花言葉も必要だろ?」
幾ら新一が『探偵』である為に様々な知識を仕入れていると言っても、全部を全部知っている訳ではない。
特に花言葉のしかもそんな細かい所まで知っている必要性がない。
でも、この目の前の怪盗はそういうロマンチックな事が大好きな奴で…。
「全く、お前そういうの大好きだよな」
「怪盗は気障でロマンチックじゃないとねv」
「……で、何なんだよ」
「ん?」
「この花の花言葉」
呆れた顔をしながらも、そうやってその先を促してやれば……いきなり視界が真っ白になって、そうして冷え切っていた身体が優しい温もりに包まれた。
数秒費やして、漸く自分の状況を理解して。
コナンはキッドの腕の中に抱き上げられ包み込まれたのだと知った。
「おい! 何す…」
「冷た過ぎる。風邪ひくよ? 名探偵」
「別に風邪ぐらい…」
「止めとけよ。あんまり自虐的過ぎるのは見てて痛々しいだけだ」
「っ……」
噛みしめた唇を痛ましそうに怪盗が見詰めたのがコナンにも分ったが、それでも堪える事は出来なかった。
こんな弱みを見せる様な真似したくなかったのに、酷く子供染みた自分を見せてしまう。
もうどのぐらいこの小さな身体で居るのだろう。
あとどのぐらいこの小さな身体で居ればいいのだろう。
もしかしたら、もう二度と自分は元の身体に戻れないのではないだろうか。
『工藤新一』に戻るのは―――――もう叶わない夢なのではないだろうか。
終わりが見えない暗闇に、時々こうして怖くなる。
終わりの見えない暗闇に、時々こうして苦しくなる。
切なくなって。
苦しくなって。
時々息の仕方が分らなくなって。
冷たい風と、青白い月の光が…違う何かを連想させて、それに包まれて漸く呼吸が出来る気がする。
でも、冷たそうだといつも見詰めていた彼は――――酷く温かかった。
「なあ、名探偵」
「…何だよ」
本当は嬉しいのに。
本当は酷く安堵しているのに。
拗ねた様な口調になってしまう自分の天邪鬼っぷりに自分でも内心で呆れたが、キッドはさして気にした様子もなく、コナンが持っていた薔薇にそっと触れた。
「この花の花言葉はね、『神の祝福』『奇跡』それから――――『夢かなう』……だよ」
『不可能』の代名詞とされた、青い薔薇。
けれど、不可能とされていたその薔薇は、長い長い時間をかけてこの世に生まれ落ちた。
誰かはそれを『奇跡』だと言った。
誰かはそれを『神の祝福』だと言った。
そして――――『不可能』と言われていた『夢はかなった』と、誰かが言った。
「だからさ、名探偵……」
――――コレは、お守り。俺からの願いを込めたお守りだよ。
怪盗から探偵にかけられるには余りにも甘い言葉と、そして降りて来たのは優しい口付け。
何もかも見透かされているのをいつもは悔しいと思うのに、今日だけはそれが酷く優しく甘く心に落ちた。
―――――身も心も、全てが貴方の優しさでじんわりと温まっていくようだった……。
END.