会誌あかね

あかね
平成16年度 第51回同窓会総会と懇親会
 日 時 平成16年12月4日(日)
       午後3時30分  受付
      ◆午後4時〜    総会
      ◆午後5時〜    講演
      ◆午後6時〜    懇親会
 会 場  京都タワーホテル(JR京都駅正面)
                         電話(075)−361−3222
  懇親会費   5,000円(当日受付徴収)
 プログラム
   ☆総 会
   ☆講 演
     「中高一貫一期生の8ヶ月」
     勝間 喜一郎氏(洛北高等学校 校長)
                                    (洛北高等学校付属中学校 校長)
 本年4月下鴨校舎に附属中学校1期生が姿を現した。昭和21年京一中最後の1年生以来
58年ぶり。
 彼らはどう学校生活を送っているのか? 年の離れた洛北生はどう迎えたのか?
 中学校長も兼ねる母校校長が温かいまなざしで語ります。
       出欠のご返事は同封ハガキにて11月末日までに。
     年に1度の総会ですので、同窓生方々お誘いの上、是非ご出席ください。
お願い 住所変更などの情報は、総会案内や会誌あかね発送原簿に重要ですので
     是非お知らせください。
  ご注意 母校卒業生を対象に、新聞広告・週間誌掲載広告申し込み、または業者に
     よる同窓会開催など、さまざまな勧誘がありますが、充分ご注意下さい。
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あかね第42号 平成16年(2004年)の主な記事
目次
 自然と人間  -------------------------------------------- 会長  西島 安則 2
 洛北改革元年  --------------------------------- 特別顧問(校長)勝間 喜一郎 3
 第50回「講演」 京都人と独創性
        -----------------------------------東京大学名誉教授 近藤 次郎 4
 高松宮杯特別競輪最年長記録を更新 ------------------ 松本  整(洛北28期)10
 世界のサカタに新たな栄誉 -------------------------- 坂田 好弘(洛北10期)12
 アテネ五輪で輝く金字塔 --------------------------- 藤田 信之(洛北 8期)14
 世界のひのき舞台で競技 ---------------------------- 中田 有紀(洛北44期)17
 新撰組と私 --------------------------------------- 栗塚  旭(洛北 6期)18
 クラス会だより(目次) ---------------------------------------------------- 32
 OB会だより -------------------------------------------------------------- 32
 支部だより --------------------------------------------------------------- 36
 附属中学校第一期生入学 ---------------------------------- 教頭 桐村 幸雄 40
 学校だより --------------------------------------------------------------- 41
 平成15年度会計報告 ------------------------------------------------------ 44
 本部だより ---------------------------------------------------------------- 46
  編集室から -------------------------------------------------------------- 47

   「1中の柳」に銘版
   理事会だより
   ◎寄贈本のご紹介
   ◎「あかね」第42号発行にあたり
題字「あかね」は表千家 久田宗也宗匠(昭和17年卒)揮毫です。
表紙 『それでも道はできる』
                        洛北高校教諭 小野 啓亘

  洛北高校の教壇に初めて立ったのは、まだ大学で勉強中の25歳の時だった。美術
 の非常勤講師として2年間、定時制と全日制の生徒を受け持った。当時は校舎改築の
 時期で古い木造校舎、プレハブ校舎、増築された北館とめまぐるしく移動していた。
  私服姿の生徒たちを相手に、授業の進め方は勿論のこと、接し方や指導上の留意点、
 その他言葉の使い方までいろいろなことを学ばせてもらった。私の教科、指導上の原
 点は洛北高校にあると言ってもよい。
  その後、15年間前任校で勤務した後、洛北高校に戻ってきた。15年前の記憶が
 鮮明に残っていた私はその外観の変貌ぶりに圧倒されたが、それぞれの課題や悩みを
 抱えつつも、前向きに考え、自主的に活動する生徒達の気質は変わってはいなかった。
  表紙の作品は、本校へ赴任した年の日展(第34回展)に出品した作品で、立ち止
 まらずに動いてみれば結果的に道はできていく、という自分自身への叱咤区を込めた
 作品です。

             あかね42号本文
自然と人間
   ―「科学」について考える― --------------- 会長 西島 安則(昭和19年卒) 2

  「光の本性」は何か?これは自然科学の極くはじめから、最も重要な課題の一つで
 した。事実、この問題を中心の軸として、近代物理学は成熟してきたともいえます。
 ニュートン(1643〜1727)が29歳のときに書いた「光と色とについての新
 しい理論」(1672)はm、その後の論議の大事な発端となりました。
  それから200年近くを経て、物理学ですばらしい功績を残したマクスウェル(1
 831〜1879)は、彼の電磁場の理論から導いた電磁波の伝わる速度が真空中の
 光速度に一致することから、光は電磁波であると結論しました。(1867)
  これは自然科学における重要な理論ですが、マクスウェルがその後、ケンブリッジ
 大学の教授となった最初の講義で学生達に、まず、次のように語りかけています。「
 我々人間のする学問は、本来すべて人間についての学問である。理科系の学生がもし
 哲学、文学などの分野に現れる人間の素晴らしい感性というものから距離をおいたの
 では、とても自然の真理の探究などということはできないだろうし、また、文科系の
 学生が歴史について研究する時にも、人間が自然観のその時代への反映を抜きにして
 人間の歴史は学べないだろう」
 いつの時代にも、科学さらに文化の根底にあるのは、人間が自然をどういう風にみて
 いるかという自然観であります。そこには自然の真理と深い人間の感性が内包されて
 います。
  そして自然から人間が学び得てきたことから、こんなことができるというよりも、
 未来のために何をなすべきかという知識、知恵、情熱が重要です。それを問い、実行
 する責任をもたねばならないのが現代の人間のおかれた立場であろうとおもいます。

  新たに中高一貫教育制度を導入し、新しい時代を拓く人材が、これまでの京一中・
 洛北高校の輝かしい伝統の上に、さらに、重厚な人間の学問を成熟させることを心か
 ら期待しています。

洛北改革元年
           特別顧問 勝間 喜一郎------------------------------------- 2

  同窓会の皆様方には、日頃から本校の教育活動に多大なご理解とご支援をいただい
  ておりますことに、心が感謝申し上げます。
   さて、本年4月8日、洛北高等学校附属中学校開校式並びに入学式を挙行し、中
 高一貫校としての歴史的な第一歩を踏み出しました。式典には、同窓会会長の西島安
 則様のご臨席を賜り、新入生に対してお祝いの言葉をいただきましたことに改めてお
 礼申し上げます。
  中高一貫教育開始に加え、今年度、本校は文部科学省から「スーパーサイエンスハ
 イスクール(略称SSH)の、指定を受け、理数科教育充実を目指す国家事業として
 の3年間の研究推進を図ることとなりました。
  SSHは、数学、理科に重点を置いた教育過程の開発、大学や研究機関等との効果
 的な連携方策の研究等を推進するもので、平成14年度から始まりました。15年度
 までに全国で52校が指定され、今年度新たに20校が指定を受けました。本校SS
 Hは、「公立高校普通科及び中高一貫校における理数教育についての研究開発」を研
 究主題として、自然科学深い造詣を持ち、将来基礎科学等の研究に取組み、科学技術
 創造立国のリーダーとして活躍できる人材育成を目指します。本年度入学生から3年
 間の年次進行で第U類理数系を主たる対象としておりますが、学校としての指定であ
 りますので、他学年及び中学生にも拡大した取組も推進し、本校教育の一層の充実発
 展を図りたいと考えております。
  平成16年7月1日、京都大学百周年時計台記念館を会場に洛北SSHの最初の取
 組を実施いたしました。「サイエンスの先駆けを目指して〜洛北SSH発信〜」をテ
 ーマに、記念講演の講師は、本校の大先輩の東京大学名誉教授で国際科学技術財団理
 事長の近藤次郎先生にお願いしました。近藤先生は、大変お忙しい中、「後輩たちの
 ために」快くお引き受けくださり、「数学の勉強法」と題して、理数系全学年と附属
 中学生併せて320人にご講演くださいました。
  この事業を皮切りに、様々な高大連携事業も含め、洛北SSHを推進してまいりま
 すが、本校SSHの最大の特徴は、数学と理科の垣根を取り払った学校独自教科とし
 ての「洛北サイエンス」の設定です。ご承知のように、本来、数学と理科は密接な関
 係があります。「洛北サイエンス」では、数学や理科の内容を融合するとともに、再
 構成することによって、数学と理科が互いに関連しあっていることの理解を深め、学
 習効果を高めることをねらいとしております。教育課程をお示しできなくて残念です
 が、中学校の「洛北サイエンス」は数学・理科の科目の外に置いております。一方、
 高校では数学と理科そのものを取り込んだ学校設定教科「洛北サイエンス」で、それ
 ぞれ数学領域、理科領域として従来の科目構成、内容を編成し直すとともに、境界領
 域の融合によって、効果的な指導を図りたいと考えております。
  中高一貫教育とSSHの同時発信。更に、今年度から二学期制の導入、基準服から
 制服への移行。また、他の京都府立学校に先駆けて「学校評価」の先行実施等、この
 平成16年度は伝統を誇る本校の長い歴史の中でも特筆すべき年度であり、「洛北改
 革元年」と位置付け、京一中からの良き伝統を引き継ぐとともに、京都はもとより日
 本の教育改革の先駆けとして新たな歴史を刻んでまいります。同窓会の皆様方におか
 れましては、今後とも格別のご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
第50回 同窓会総会【講演】
 京都人と独創性 ---------------------------------------------------------- 4
      東京大学名誉教授  近藤 次郎(昭9卒)

 T京一中の歴史
 本日は京一中洛北高校50周年記念講演でお話させていただけますことを大変光栄
 に存じます。
  当初、京一中の歴史を中心にお話させていただこうと思っていたのですが、それは
 「あかね」41号に西島安則同窓会会長(昭19卒)が非常に詳しく紹介されている
 ので私の出る幕はないと思い、題を急遽「京都人と独創性」に変更いたしました。
  年表を作って参りましたので、これを見ながら進めたいと思います。皆さんもご存
 知のように京都一中は1870年(明治3年)12月に開校しました。廃藩置県が1
 871年ですから歴史の深さがわかります。
 1870年 明治 3年12月 京都府中学開校             1871年 廃藩置県
   71年   10年 2月 明治天皇行幸              1877年 西南戦争
   80年   10年 4月 第1回卒業生8名 城北同窓会創立
   87年   20年 2月 明治天皇行幸 京都府尋常中学校と改称
1885年 内閣制度が成立
   99年   32年 4月 京都府第一中学校と改称
 1908年   41年 3月 分校を独立し、府立五中を設立(後の京都三中)
   18年 大正 7年 3月 京都府立京都第一中学校と改称      1904年 日露戦争
   27年 昭和 2年10月 下鴨校舎着工              1914年 第一次世界大戦
   29年    4年    下鴨校舎へ移転             1923年 関東大震災
   30年    5年 5月 創立60周年記念祝賀会
   38年   13年 4月 夜間中学校併設(後の加茂川中学校)   1931年 満州事変
   40年   15年10月 創立70周年記念祝賀会         1936年 2.26事件
   47年   22年 4月 京一中を府立洛北高校(旧)と改称
   50年   25年 4月 府立洛北高校(新)誕生、男女共学となる。
   60年   35年11月 京一中90周年、洛北高校10周年同窓会総会
                                    1951年 日米安全保障条約調印
                                    1969年 アポロ11号月面着陸
   70年   45年11月 京一中100周年、洛北高校20周年祝典
   99年 平成11年 4月 旧校舎本館解体
 2000年 平成12年11月 京一中130周年、洛北高校50周年祝典

  それから1899年(明治32年)に京都府第一中学校と改称され、1918年
 (大正7年)に京都府京都第一中学校と改称されました。下鴨校舎に移転したのが
 1929年(昭和4年)です。そして1950年(昭和25年)に男女共学となり
 2000年(平成12年)には京一中から数えて130年、洛北から数えて50年
 になりました。
  私は京一中には転校して参りました。徳島の中学の1年生の夏休みに転入試験を
 受け、二学期の始めから入学しました。私の母は今の言葉で言うと”教育ママ”で
 ありまして(笑い)徳島の中学校を出たのではとても上級の1高とか2高、3高に
 は入れない。そのためには早く京都に出てきた方が良いということで転校すること
 になった次第であります。

 U 校舎

  当時の校舎は鉄筋コンリート三階建てのモダンな建築物でした。先ほど勝間校長
 先生からもお話がございましたが、とにかく立派で、よくあの時代にあのような立
 派な建造物を中学校校舎として建てることができたものだなあと思うぐらいであり
 ました。何より莫大な費用が随分かかっているという感じがしました。
  学校の正面玄関は特に立派でしたが、学生はここから出入りさせてもらえません
 でした(笑い)。玄関を入ると講堂まで続く大階段があり、講堂の中はいつも綺麗
 に保たれていました。教室の掃除は生徒が行っていたように記憶しています。この
 写真は”下鴨校舎70年の軌跡”から引用したものです。
  正門の左手には門衛あり、その北側に本館に囲まれて諄信館が見える。そのあた
 りには吉田校舎から移植した樹木が植えられていた。
 V 恩師 ------------------------------------------------------------ 5
  私たちの時代は金井千仭先生が教頭をされていました。博物・地理がご専門でし
 たが、各クラス毎に毎週1回ずつ修身も担当されていました。あだ名は”ホロホロ”
 で、いつも教室に入ってこられては勅語というのを皆で朗読をする、それから修身
 の授業に入っておりました。1年生は全部で5組ございまして、1年から5年まで
 いつもそういうスタイルで講義をなさる。その頃は「ホロホロの講義の半分は勅語
 の朗読で楽なもんや」と我々は悪口を言っていたのですが、考えてみますと25時
 間、毎週修身をやり、その他教頭先生の仕事もあるのでそれほど楽ではなかったは
 ずです。先生は学校の西側の官舎に住んでおられたと記憶しています。
  この写真の方は日立の会長の金井務さんです。ある会合でご一緒させていただき
 まして、あいうえお順で着席したら偶然隣になりました。その時にいろいろ話をし
 ていると「近藤先生はどちらを卒業されたのですか」と尋ねられたので、「京都一
 中です」と答えると、「そうですか、私も一中の卒業生です。実は私は一中の中で
 生まれました」という話を伺いました。一中の中で生まれたというのはどういうこ
 とかと考えていると、「私の父親は一中の教頭をしていた」とおっしゃるのです。
 「ああ、千仭先生だ」とすぐにわかりました。それでいろいろ伺ってみると、先生
 は明治12年にお生まれになって、京都一中に明治40年に奉職なさった。昭和2
 1年に一中を退職なされて、その翌年にはお亡くなりになられてます。ですからほ
 とんどその一生を一中にささげて下さった先生であります。この写真千仭先生では
 なくて、日立製作所の会長をしているご子息の務さんです、千仭先生は70歳でお
 亡くなりになりました。私は今86歳ですから先生よりも随分長生きをしました。

 金井千仭先生 明治12年10月12日 生まれ
        明治40年10月 京都一中へ奉職
        昭和21年10月 京都一中を退職
        昭和22年10月6日 逝去(享年70歳)

 W イートン・スクール -------------------------------------------------- 5
  皆さんご存知のようにイートン・スクールは英国の有名なエリート校です。私ど
 も一中へ入学した時、この学校のことは散々聞かされました。この学校はイングラ
 ンドのテムズ川左岸の都市でロンドンから西へ35kmほどのところにあります。
 1440年にヘンリー6世が創設した学校で、1年後の1441年にはケンブリッ
 ジ大学のキングスカレッジが設立されイートンの卒業生がここへ送られました。

  イートン校は地元の寺院などから基金が提供されて建てられた学校で、制服は淡
 青(イートン・ブルー)で、尾部の長布のない燕尾服のスタイルで、お尻のところ
 からステールが切ってあるのが特徴です。学生は13歳から18歳で入学試験合格
 者から採用され、総数約1290人です。
  例えば有名なケインズ(1883−1946)の父親はケンブリッジ大学の論理
 学及び経済政策学の講師でした。母はフローレンス・アダブラウンで著述家として
 成功した女性であり、政治的には社会改革の偉大な先駆者でもありました。ケイン
 ズはイートン・スクールの入学試験でトップの成績を収め、数学は常に一番でした。
 このエリート校で非常に良い成績を収めるとともに楽しく過ごしました。
  彼はこの学校ですばらしい友人に出会い、すぐにこれらの人と親しくなりました。
 そしてよく勉強して、1899年に上級数学賞を得たのです。しかし数学だけでな
 く、彼は何でも良くできた生徒で、例えば1901年では数学で一位、歴史でも一
 位、また英作文でも一位を取りました。1902年にはキングスカレッジの数学及
 び古典の奨学金を受けたのです。
  2003年の日経新聞によるとトヨタ自動車、中部電力、東海旅客鉄道(JR東
 海)はイートン校をモデルとした学校を開校すると発表した。初代校長には開成中
 学・高校の元校長の伊豆山健夫東大名誉教授が就任し、2006年4月に開校する
 予定とのことです。
  やはり学校の重みというのはこのように400年ぐらいの歴史を重ねて始めてつ
 いてくるものであります。ですから、京一中・洛北高校130年と申しておりまし
 てもまだまだ英国の伝統から較べると若いものであります。
X 島津源蔵と島津記念館 -------------------------------------------------- 6
  18世紀後期、リヨンに近いアノネイに住むモンゴルフェイ兄弟が製糸工場から
 立ち上がる煙をヒントに、暖炉から出る煙を紙袋に入れて実験したところ、見事に
 天井まで上昇したそうです。
  1783年6月5日、アノネイでの公開実験で、容積7,200立方メートルの
 巨大な気球は、藁を燃やした煙を一杯に孕んでゆっくりと上昇し、1,950メー
 トルの高度に達し、約10分で2,316メートルを飛んだとされています。
  アノネイでの実験から約半年後の11月21日、「ピラトール・ド・ロジェ」と
 「マルキ・ダルランド公爵」の二人を乗せた気球はブローニュの森から浮上し、約
 90メートルの高度で25分間滞空して8.8キロを飛び、人類初の有人飛行が実
 現したのです。

  ところで本日の話の本題は、”京都人と独創性”です。島津製作所の初代島津源
 蔵氏(1839−1894)は京都醒ヶ井(現在の堀川六条付近)の仏具職の家に
 島津兵衛の二男として生まれました。36歳の時、家業を離れ、独立。科学立国の
 理想に燃え、木屋町二条で理化学器械の製造を始めました。

  そして1877年12月6日、京都仙洞御所の広場から我が国初の有人気球の上
 昇に成功させたのです。
  当時でも水素ガスは鉄屑に硫酸を注げばできることはわかっていたのですが、問
 題は水素ガスをつめる球体の材料でした。ガスが漏れても、重すぎても、また弱く
 てもいけない。研究を重ねた結果、樹脂ゴム任胡麻油でとかして塗ったもの(ダン
 マー)が機密性もよく、堅牢であり、なによりも軽量であることに着目したのです。
  そしてついに12月6日午前9時前、京都仙洞御所の広場から我が国初の有人気
 球が浮かび上り、36メートルの高さまで上昇することに成功したのです。
  実は洛北高校の生徒は日比野先生の指導の下、1978年10月に自分達で気球
 を作り、飛翔させたのです。この話は10月8日の京一中洛北高校の京浜同窓会で
 若い同窓生がこの時の映像を見せてくれました。このような快挙を高校生だけで行
 ったことはめずらしく、ABCテレビで広く放映されたとのことです。
 乗鞍高原で飛翔した気球(1978年10月)


Y 田中耕一さんとノーベル賞 -------------------------------------------- 7

  2002年10月10日に島津製作所の41歳の若い技師、田中耕一氏がノーベ
 ル賞を受賞されて新聞に大きく報道されたことは記憶に新しい。ノーベル賞の授賞
 式はアルフレッド・ノーベル(1833−1896)の命日を記念して行われてい
 ます。田中さんは京都大学の教授でもなければ大企業の研究所の所員でもなく、京
 都の町の民間企業の技術者でした。こういった方がノーベル賞を受賞されたという
 ことは、京都の町の大きな誇りです。

  この写真は同年11月3日の文化の日に天皇陛下から文化勲章の親授式の時に正
 殿を背景に写真を撮りました。
  当初、文化勲章をいただくのは5人の予定でしたが、田中さんがノーベル賞を受
 賞されたので急遽6名となりました。私の隣に小泉さんが座っておられますが、受
 章者ではありません(笑い)
 2002年12月10日 田中耕一氏ノーベル賞受賞
  受賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための「脱離イオン化法」の開
 発を評価され、日本人で12人目の受賞者となった。
 カール16世グスタフ国王からメダルを授与
文化勲章親授式
 なぜノーベル賞を受賞すると文化勲章ももらえるのかと言いますと、ノーベル賞は
 国王をはじめ参加者は礼服を着ていくのですが、勲章を付けて行かなければなりま
 せん。日本人の場合、なかなか生きている間に勲章はもらえません。ノーベル賞授
 章式や祝宴に行く時に勲章がないとみっともないのです。そういう理由からノーベ
 ル賞に合わせて文化勲章を11月3日にいただくことになっていると聞いたことが
 あります。
  田中さんは残念ながら一中の卒業生ではなかったのですが、京都で島津というと
 ころに勤めて、長い間京都の水を飲んでいたということがノーベル賞に結びつく発
 見をすることになったのだと理解して私自身納得している次第であります。(笑)

Z 古都からの発想 ----------------------------------------------------- 8
  京都は794年、桓武天皇の時に都となり、明治天皇の東京遷都(1869年)
 までの1200年以上の歴史を有する古い都です。その歴史の面影は今も多く残っ
 ています。例えば四条通の東山山麓には八坂神社があります。この辺いったいは祇
 園町と呼ばれて舞妓さんが町を行き交っているのが見られます。このようなところ
 から古い伝統を打ち破って新しい発想ができるということが言いたかったのです。
 特にこの女性たちと馴染みであるというわけではありません(笑)。
  そういうバックグランドが京都の水を飲んでいると自然に身につくということが
 言いたかったのです。これがと”京都人と独創性”という今日の演題です。多少の
 無理があるゆおです(笑)
  また円山公園には坂本龍馬、(1835−1867)の銅像があります。このよ
 うな明治維新の舞台にもなったところ、それが京都です。
  坂本竜馬や中岡慎太郎(1838−1867)は京都に住んでいたわけではあり
 せんが。つまり京都から新しい日本というものが始まったのです。フランス革命を
 日本の明治維新とを対比してみますと非常に面白いです。フランス革命というのは
 アンシャン・レジームといって古い僧侶と王族がいばっていた身分制度がありまし
 た。日本も同じで士農工商という身分がありました。日本では下級武士が立ち上が
 りましたが、ヨーロッパで市民が立ち上がりました。つまり第三身分と呼ばれてい
 る人たちです。この第三身分が上の階級を打ち破ってフランス革命を成し遂げたの
 です。それと同じような改革を坂本竜馬や中岡慎太郎という人たちが京都で築いた
 ということは何かよく似ています。アンシャン・レジームというのは300年続い
 ていました。徳川時代も300年の歴史を破って明治維新を行ったというのは京都
 の町から始まったということがいえるのだと思います。

[ 諸先輩方の功績 ---------------------------------------------------- 8
  我々の京都一中の先輩としては湯川先生や朝永先生がいらっしゃいます。私たち
 一中の時には数学の先生で後に京大に移られました小堀 憲先生という先生が教え
 てくださったのですが、小堀さんからよく湯川先生や朝永先生は数学がよくできた
 という話を聞かされたものであります。
  湯川先生は中間子論を発表しました。中間子というものがないと原子核とその周
 りを周回する電子とがバラバラになってしまう。その粒子を固めて原子核というの
 をまとめているのは電気を持っていない中間子であるということを考え付きました。
 この方は実験もせずにぱっと思いついたということであります。この理論で1949
 年にノーベル物理学賞を受賞されたのであります。

  湯川 秀樹(1907−1981)

  朝永振一郎(1905−1979)

  1949年といえば終戦の4年後です。まだアメリカ軍のジープが走り回り、何
 もかも無くなってしまった時代でした。これから日本はどうなるのだろうと思って
 いた時に湯川先生がノーベル賞を受賞されたということは京都だけでなく、日本人
 にどれほどの強いインパクトを与えたかということは口では言えないぐらいであり
 ます。湯川先生は物理の先生でありましたが講義は伺ったことがございます。京都
 に長く住んでおられた湯川先生は西田哲学と通じるところがあるという人が居るく
 らいであります。
  朝永先生はくりこみ理論という物理学の理論を造られ、1965年にノーベル賞
 を受賞されました。

\ 修学旅行 ------------------------------------------------------------ 9

  私は1932年、一中の4年生の春に修学旅行に行きました。第1日目が京都を
 夜、夜行列車で発って、夜が明けた頃でもまだ北陸を走っているような状況でした。
 そして新潟を経由して、鉱山を見て、和井内という十和田湖の湖畔で泊まるという
 非常に長い旅でした。
  この写真は北海道帝国大学の植物園に行ったときの集合写真です。250名の生
 徒全員で撮りました。本日、出席している中西君や川崎君というのはこの右側の辺
 りに写っているはずですが、どこにいるのかわかりません(笑)。これら250人
 の元気あふれる一中卒業生が今何人残っているかご存知でしょうか。40人しかお
 りません。もちろんこの期は兵隊に取られており、特に京都師団は十六師団といい
 まして、インパール作戦など厳しい戦争であったため、現在僅か40名となってし
 まいました。同級生の情報は中西君がいつ、どこで戦死や戦傷したか、ということ
 を綿密に調べて名簿を作ってくれたお陰でこのような結果が申し上げられる次第で
 ございます。
  私達はこのような時代を生きて参りましたが、これからの日本はもう戦争はしな
 いと思います。どうか皆さん、私達の分まで長生きをして平和な時代を楽しんで下
 さい。
  ご清聴ありがとうございました。
  京一中4年生の時の北海道修学旅行

高松宮杯特別競輪 最年長記録を更新
 劇的優勝果たし電撃引退 ---------------------------------------------- 10

  本年6月9日付のスポーツ専門各紙に松本選手の大きな見出しが躍った。「G1
 高松宮杯記念競輪で劇的優勝「自己の持つ最年長記録をさらに更新」「美学貫き電
 撃引退」いずれも松本整選手(洛北28期)の記録を賞賛。競技界からの引退を惜
 しみつつ報道する記事である。また一般紙もその引退を伝え、今後の去就を注目す
 る記事を掲載、松本さんのこれまでの存在の大きさがうかがわれた。

 ==洛北時代はラグビー 競輪界には京一中先輩も==
  松本さんは28回卒だが「入学は27期)で、同期生より1年多く、洛北に在学
 しました」「部の顧問が池田実先生で、在学中はもっぱらラグビーが中心でした。
 小学校、中学校時代はサッカーボールを蹴っていたのですが・・・。教室での時間
 が足りず、一年留年し、池田先生には心配をかけ、お世話になりました」と、恩師
 をなつかしそうに語る。松本さんの選手生活を支えたバックボーンは洛北高校時代
 の恩師、友人との出会いから形成されたと強調。因みに当時の洛北ラグビー部は伏
 見工、花園、同志社など共に京都で4強の一角を占めていたという。「しかし一方
 いつも準決勝までだったともいえます」とライバル校との試合を振り返る。
  27期入学生が28期生として洛北高校を卒業、進路について決めあぐねていた
 が、母の知り合いに会って勧められたのが競輪への途。そして日本競輪学校45期
 生として入学、厳しい訓練が始まる。
 競輪界には既に第一線で活躍中の京一中の先輩がおられた。松本勝明選手(昭和
 22年卒)がその人で、新しく入った競輪の生活で出会った同姓の先輩に京一中・
 洛北という繋がりを感じ、また決意を固めた松本さんであった。松本勝明氏は現在
 も競輪学校の名誉教官として、また日本名輪会の会長として競輪界の取りまとめに
 と忙しい毎日である。このほか多くの先達、指導者、フアント出会った松本整さん
 だが、折々の思い出を語る中に人と人の繋がりを大切にする松本さんを見る。

 ==記録塗りかえ、頂点に立つ== -------------------------------------- 10
  在学中は天性の才能と持ち前の努力、練習量でめきめきと上昇、25勝をあげた
 松本整さんはいよいよ、1980年4月選手として門司でデビュー。
  その後、数々の記録を塗りかえ、記録男の異名もとるに至る。20歳代の終わり
 には、競輪界でその人ありといわれた中野浩一選手(アテネオリンピックの自転車
 競技実況の解説でも活躍、現在も競技の普及につくす)と共同合宿を始める。「2
 7歳の時、学校で中野さんの合宿に参加させてもらったのです」松本さんは語る。
 中野選手との合同練習で松本選手は本来の素質にさらに磨きをかけ、成績は飛躍、
 また競技内容にも円熟味が増し、名選手としての評価が高まる。

 ==ケイリンの国際化にも大きな役割== ------------------------------- 11
  国内各地での競技の他、30歳代の終わりにはフランス、ボルドーオープンに招
 待選手として参加、ギリシャでのワールドカップにも日本代表として出場し、日本
 選手のレベルを世界に認知させる。また中野選手と共に日本のケイリン競技方式を
 自転車競技先進国の欧州にも理解、普及させ、「ケイリン」種目の国際化を果した
 役割は大きい。
  今回のオリンピックの自転車競技でロードレースのような耐久力を競う長距離と
 は別にチームスプリントのようなバンク(室内競技場)での競技の複雑さ、面白さ
 も広く理解されるに至ったが、「近代競輪の面白さは、他のスポーツと比べても決
 して引けを取りません。競技相手の力量を読みつつ、全体の流れを把握しながら、
 瞬時のシュミレーションを行うなど、集中力の要る競技です」と語る松本さん。そ
 のタフなスポーツを45歳まで現役として続けて来た松本さんに中野浩一氏は舌を
 巻いているが、お互い認め合っている。

 ==競技選手引退から運動能力研究所設立へ== ------------------------ 11
  松本さんは協議選手としてバンクを舞台に活躍する一方、順天堂大学に通学し研
 究生としてスポーツ健康科学を専攻、人間の能力、健康の維持などを研究してきた。
  また自己の構築する運動生理学の実践の場としてスポーツジム「クラブコング」
 を開き自ら指導にあたっている。長岡京市にあるジムを訪れると、真剣な眼差しで
 トレーニングにはげむプロのスポーツ選手やゆったりと汗をかき、さわやかに帰途
 につく近隣の中高年者など幅広い受講生の姿が目につく。
  2002年43歳のとき38年ぶりに最年長記録を塗りかえる、特別競輪優勝を
 果たし、2004年さらに自己記録を本人が更新する45歳での優勝を達成。
  松本さんが追求し、衰えに抗していかに一流でありつづけるか、のテーマを他の
 スポーツ選手や一般人にも伝えようとするのが、このスポーツジム「クラブコング」
 である。経済紙の全国版にも速さ極める「オジサンの星」として、紹介された松本
 整選手、日夜仕事に疲れるサラリーマン企業戦士の希望の星でもあった。
  現役時代から松本運動学の実践の場として、スポーツジムを運営して来た松本さ
 んだが、引退を機にさらに高齢者のための保健、介護のあり方を発展させるため研
 究の場を立ち上げることを決意、現在NPO法人「日本運動能力研究所」設立を準
 備中。
  この分野では本年8月、三島市にオープンした老人福祉センターは、専門医らの
 予防医学に基づき高齢者向けのトレーニングを指導するため、安全性に配慮したト
 レーニングマシーンが設置され、松本さんはスポーツ医の協力も得ながらこれらの
 特別設計に尽力した。

 ==更なる展開へ抱負表明== ---------------------------------------- 11

  10月3日京都駅のホテルは、全国にその顔を知られた各スポーツの選手やジャ
 ーナりスト、大学関係者などでにぎわった。松本整選手の「記念杯優勝祝賀並びに
 選手引退パーティ」である。青木純一郎順大副学長や中野浩一氏ら大勢が出席、こ
 もごもお祝いのことばや、力強い激励の辞が寄せられた。これに対してこれからの
 取り組みへの所信表明があり、松本さんの新しい展開が始まった。

世界のサカタに新たな栄誉 ---------------------------------------------- 12
 国際ラグビー・オールスターに選出さる
 2007年W杯フランス大会の親善大使 ----------------- 坂田好弘(洛北十期)

  ラグビーの世界一を決める次回のワールドカップ(W杯)は2007年フランス
 で行われるが、開催国フランスのラグビー協会W杯組織委員会は、大会の広報活動
 のため世界ラグビーのオールスターメンバー「ラグビースターズ」16名を各国の
 伝説的なトップ選手から選出、日本からは元日本代表の坂田好弘監督(洛北10期)
 がひとり選ばれた。

 =名選手が並ぶ「スターズ」= ----------------------------------------- 12
  ラグビー・スターズとして今回選ばれたのは、ウェールズ黄金時代のジェラルド
 ・デービス氏、豪州代表の首相をつとめ史上最多の55試合出場記録を持ち、第4
 回W杯優勝時の中心選手ジョン・イールズ氏、フランスの名フランカー、ジャン・
 ピエール・リーヴ氏、南米アルゼンチンのウーゴ・ポルタ氏ら、まさに歴史に残る
 伝統的名選手ばかり。
  その中に日本から坂田好弘さんが選ばれたのは、伝統を重んじるラグビー界だけ
 に日本のラグビー界にとっても快挙。
  坂田監督は洛北を卒業して同大に進み、全国大学ラグビー関東の強豪を連破、同
 志社の黄金時代を築く原動力となった。同大2年で早くも日本代表入り、近鉄入社
 後は社会人ラグビーで今度は近鉄を強豪チームに押し上げる推進力になった。

=ニュージーランドで活躍 NZ年間最優秀選手にも= --------------------- 12
  近鉄時代の1969年にはニュージーランドに留学。同大時代の1966年に既
 に同国を訪れ、親善試合でのプレーに関心をもたれていた坂田選手は、留学前年6
 8年のオールジャパンの遠征時にもいかんなくその華麗な姿を先進国のファンに焼
 き付けてきたが、NZのラグビー生活早々、関係者の注目を浴び、68年度のニュ
 ージーランド年間最優秀選手として表彰される。さらに、同国に滞在中NZのカン
 タベリー州代表やニュージーランド大学選抜にえらばれるなど、その天性の才能は
 世界のラグビー界で耳目を集めるに至った。
  ニュージーランドの誇る同国の代表選手になった坂田さんとNZ留学中に培った
 交遊関係はその後も続き、世界に広がるラグビー人脈は貴重なものとなっている。

=ラグビー人生の原点は洛北= ------------------------------------------- 12
  坂田さんがラグビーを初めて目にしたのは洛北の合格発表日のグラウンド。体育
 館に張り出された合格者番号を確認して、ふとグラウンドに目をやると卵型のボー
 ルで選手が走り廻っているのを見て面白そうなスポーツと思い、部室に顧問の池田
 実先生を訪ねる。中学時代もっぱら柔道をしていた坂田さんにとりラグビーとの最
 初の出会いの日のことであった。
  世界のサカタも、「ラグビー人生の原点は洛北高校。洛北でラグビーと池田先生
 に出会うことがなければ私の人生は違ったものになっていた」と述懐している。
  坂田選手は同大、近鉄、全日本、またニュージーランドで何人もの指導者に出会
 ったが、洛北に入って最初の試合、対同大二軍戦を前にして池田先生に言われた「
 ボールを持ったら真っ直ぐ走れ、ボールを持っている者がいれば倒せ」という言葉
 こそ、その後の指導者としての坂田監督の大きな命題になった。世界に通用した坂
 田理論のチェンジオブペーストイン・アンド・アウトの技術もこの池田先生のこと
 ばから生まれたという。
  第5回W杯決勝を翌日に控えた昨年11月21日、オーストラリア・シドニーの
 ホテルで盛大なパーティーが開かれ、フランス協会から前述の発表があった。世界
 を代表する16名のラグビー・スターズはいわば2007年世界大会をを成功させ
 るための「親善大使」。第6回大会へ向け、イベントのプロモーションや広報活動
 協力、参加することになる。具体的な活動はこれから決まっていくが、世界のサカ
 タが今度は親善大使として世界を舞台に国際ラグビーの発展のために活躍すること
 になる。

=フランスも「空飛ぶ」坂田に期待= ------------------------------------ 13
  坂田監督の名声は世界的なものだが、かつて滞在したニュージーランド、そして
 好ライバルのオーストラリアさらに両国と関係の深い英国に加え、今回これらラグ
 ビー国に対するもう一方の雄、フランス協会から選任された意味は大きい。発表会
 会の行われたシドニーのラグビー関係者は「フランスはイングランド、ウェールズ、
 スコットランド、アイルランドと並ぶ伝統の5ヶ国対抗戦のメンバー国で、歴史と
 由緒を重んじるラグビー国で、世界でも最高レベルにある欧州大陸の雄フランスが
 坂田を国際的名選手としてアジアから選んだのは意義深い。フランスも日本のラグ
 ビーを坂田選手を通して認め、重視しているということだ。アジア・太平洋地域の
 一員として喜んでいる」と祝意を表した。現役時代「空飛ぶウィング」として知ら
 れた坂田さん、大阪体育大学教授として多忙な学務や後進の指導にあたる一方、次
 回2007年ラグビーフランス大会の成功に向けて果たす役割は大きい。
  ニュージーランド代表の上着、全日本代表の上着 の各イラスト


アテネ五輪で輝く金字塔
 ―歴史に残る偉業達成―
  女子マラソン優勝 野口みずき選手監督 藤田 信之(洛北8期)--------------- 14

  アテネ五輪10日目の8月22日(日本時間23日未明)マラソンゆかりの聖地
 で行われた女子マラソン。過酷な条件のもと世界から参加の有力選手を制し、ゴー
 ルのパナシナイコ競技場に走り込んで来たのは日本代表野口みずき選手。トップで
 ゴールした野口選手は感激の涙のもと「幸せです。先ずは監督にありがとうござい
 ました、と言いたい」と監督への感謝のことば。また「レースは監督の指示通り走
 しりました」と監督への信頼が歴史的なアテネオリンピックでの優勝につながった
 ことを強調。スタート地点のマラトンで野口選手を送り出し、ゴール地点のパナシ
 ナイコ競技場で待ち構えていた監督も感慨無量の面持ち。女子陸上の指導者として、
 多くの選手を育ててきた藤田信之監督(洛北8回卒)の指導がアテネオリンピック
 という世界のひのき舞台で結実した。

―洛北時代は中距離 耐寒マラソンで驚異の走り― ------------------------- 14
  藤田信之さんは洛北入学が昭和31年の8期生。部活ではグラウンドを走り、跳
 ぶ上級生の姿を見て、スポーツの原点である陸上競技部に入部、塩尻安吉先生の指
 導を受けることになった。「先生にはその後も陸上競技人生の節目で、ご相談にの
 っていただき、本当にお世話になった」と自身が陸上競技の指導者となった今も親
 しく指導を受けた塩尻先生を偲び、陸上競技人生の始点となった洛北時代を懐かし
 む。
  洛北時代はもっぱら中距離を走っていたという藤田さんだが、冬の風物、校内耐
 寒マラソンでは驚異の走りを披露していたという。「藤田君と伊藤浩敬君はスター
 ト直後は、皆と付き合って集団の中でなごやかに走っていたのが、いつの間にか姿
 が消え、あっという間のゴールイン」「おかげでわれわれの走りがいかにも遅く見
 え、先生には尻をたたかれ、脅威の走りでした」と同期生は思い出のマラソンを語
 る。
  伊藤さんも陸上競技部で、藤田さんとともに練習に励んだ同期生だが、このとき
 の洛北は顧問の先生の熱心な指導のもと、先輩の親身なコーチ、仲間同士の励まし
 合いで、陸上各種目に好成績をあげ常勝洛北の名をほしいままにした。スパートの
 タイミングの絶妙さ、選手に密着した指導と、現在の藤田監督の礎は洛北時代にあ
 ったという関係者のことばもうなずける。

―実業団駅伝に急遽出場 競技選手の指導者の途に― ----------------------- 15
  洛北卒業後は京都市役所に就職し、公務員となったが陸上競技の指導者を目指す
 ため退職し、トレーニングをしながら受験勉強をしていたがここで転機が訪れる。
  いつものように黙々と走っていた藤田さんに、ある日声をかけて来たのが日本レ
 イヨンの陸上競技部。近づく全日本実業団駅伝を控え、有力な補強選手を探してい
 たのだ。急遽、日レ・チーム入りし陸上競技部の一員として試合に臨む。ぶっつけ
 本番の駅伝では藤田選手の目ざましい走りもあり、日レ・チームは全日本5位の好
 成績を出した。藤田さんはそのまま宇治工場勤務となり、仕事と競技を両立させ、
 選手として数々の成績をもたらす。
  日本レイヨンはその後、大日本紡績と合併し、ユニチカとなるが、それを機に、
 27歳となった藤田さんは現役を引退し、コーチ業専任となる。合併により女子選
 手の比率の高まったユニチカ陸上競技部で、指導者としての生活が始まり、実地に
 則したきめ細やかな指導を続ける。
  やがて同陸上競技部の監督となり、選手の指導だけでなく、部の運営などすべて
 をまかされるが、選手ひとりひとりに合わせた親身の指導、育成をする姿勢はゆる
 がせにせず、ユニチカ時代には指導した選手が4種目に23回の日本記録を樹立し
 中距離界に一時代を築くに至る。

―欧州で科学的トレーニングに接す 陸連研修コーチとして派遣さる― -------- 15
  さらにユニチカ時代の昭和49年には日本陸連より研修コーチとしてヨーロッパ
 に派遣され、40日間にわたり各国を訪問、ヨーロッパ流科学トレーニング法をつ
 ぶさに視察、研修した。「カルチャーショックでその後の指導方法に影響を受けた」
 という藤田さんだが、同時に各国で競技会も視察し、ヨーロッパでいかに陸上競技
 が一般市民の中に溶け込み受け入れられているか、その日常生活に密着した様子を
 見て感銘を受けたという。渡欧前に挨拶に訪れた母校の恩師、塩尻先生から激励と
 共に色紙をもらったと語る。色紙には墨痕あざやかに「執念」の二文字。藤田さん
 のその後の座右の銘となる。指導者として折にふれ、このことばをかみしめる藤田
 さんである。
  この頃、藤田監督の脳裏には、陸上競技のひのき舞台としてのオリンピックがは
 っきりした形で目標として刻まれてきた。しかし、1972年のミュンヘンオリン
 ピックは出場を目指して指導してきた選手が、残念ながら今一歩のところで代表の
 座を逃した。このため、藤田さんは前述の欧州派遣の経験をいかし、さらに指導方
 法の研究をしていた。
  ユニチカ時代は河野信子選手(400・800・1500m)を筆頭にアジア陸
 上日本代表の三田孝子選手やマラソンの柏木千恵美選手などを育てた藤田監督だが
 昭和61年ユニチカからワコールに移る。同年6月に陸上競技部を創部したワコー
 ルは地元京都から全国へ、世界へ、女子陸上の旗を挙げるという意欲的な運営を進
 めており、塚本幸一社長(当時)の積極的な要請に応えた藤田さんは初代監督に就
 任し、チームづくりに奔走する。

―都道府県駅伝で4連覇達成 実業団対抗女子はV5― -------------------- 15
  昭和62年4月からワコール初代監督として藤田さんはいよいよ本格的活動を始
 める。選手の個性を重んじ、得意の分野を見出し、その才能を発揮させる藤田監督
 の指導はヨーロッパ研修以降も続けてきた科学的分析法の研究、追求のもと開花し、
 真木和選手が92年バルセロナ一万米、96年アトランタマラソンと、両オリンピ
 ック出場を果たす。さらに真木選手は91年・93年の世界選手権一万米日本代表、
 また石橋美穂選手が90年北京アジア大会日本代表、池田真理子選手が94年広島
 アジア大会で日本代表に選考されるなど、藤田監督指導の選手から次々と日本代表
 が送り出された。記録面でも真木選手の二万米元世界記録(現在アジア記録保持)
 をはじめ、指導の各選手が次々と日本記録、アジア記録を塗りかえるなど女子陸上
 競技部の指導者としての藤田監督の評価は高まった。
  また、ワコール塚本社長の期待に応え、全国都道府県対抗女子駅伝では京都府チ
 ーム監督として1988年の第6階に地元京都に優勝をもたらし、その後第9回ま
 で連続4回の優勝を達成した。
  さらに全日本実業団対抗女子駅伝でも、史上初の4連覇(1989年から92年)
 を含む5回の優勝を果たすなどチーム競技でも選手の持ち味を生かした藤田式采配
 が広く耳目を集めた。

―世界を舞台に挑戦続く 選手と共に藤田流指導― ------------------------ 16
  このように藤田監督は中長距離15種目にわたり競技選手を指導、各選手は国内
 主要大会や国際大会で活躍し記録の更新も果たすなど大きな実績をあげてきた。ま
 たチームとしても駅伝のほか全日本実業団対抗では女子総合優勝を2回果たすなど
 赫々たる成績を収めたが、その後ワコールを離れ、平成11年には、新しくグロー
 バリー女子陸上競技部を二名の選手で創部、企業チームとしての基礎確立まで、藤
 田監督を信じ苦労を共にしながら、その指導を受け続けたのが、田村育子、野口み
 ずきの両選手。
  田村選手は2000年から02年まで日本選手権女子1500mで3連覇を果た
 し、1500mの日本記録と共に1マイルのアジア記録をも保持している。
  野口みずき選手は2002年の名古屋国際、03年の大阪国際と優勝、昨年のパ
 リの世界選手権でヌデレバ選手に次いで二位、そして遂に晴れの舞台で栄冠を勝ち
 取った。

  平成12年度秩父宮章、今年はスポーツ功労者顕彰など数々の受賞に輝く藤田さ
 んだが「まだまだ達成したい目標は多い。陸上競技の純粋さを追及したい」と意欲
   的。指導者としての挑戦は続く。

世界のひのき舞台で競技
 アテネオリンピック陸上女子七種競技 40年ぶりの日本代表
 ―洛北卒初のオリンピック出場― -------------- 中田 有紀(洛北44期) 17

  女子七種競技日本記録保持者の中田有紀選手(洛44)は40年ぶりに女子混成
 競技の日本代表として出場、八日目、九日目両日にわたり、メインスタジアム満員
 の大観衆の中、競技を行った。前半の100m障害走、走り高跳は昨年6月の自己
 記録を上回る成績で進んだが、後半の走り幅跳で痛恨のファウル。それでも最後の
 800m走では2分18秒46の自己最高となる好記録を出すなど力を出し切り万
 雷の拍手をあびた。中田有紀さんのオリンピック出場は洛北卒で初めて、京一中洛
 北の歴史では1936年のベルリンオリンピックに出場の、藤江(原田)正夫選手
 (一中昭5)以来。
  今回の中田有紀さんのオリンピック出場に、京都陸協の関係者は世界で最高の舞
 台で競技した中田選手の快挙を喜び、得意の走り幅跳で通常得点をあげていれば、
 自己最高得点になっていたと残念がりつつ、直後の800m走で自己最高を出し、
 28位の正式記録を残した同選手の気迫を称えた。

 私のオリンピック 中田 有紀 ------------------------------------------------ 17
  私の競技人生での目標であったオリンピックが8月29日で幕を閉じました。
  私にとってオリンピックは、世界に出る初めての大会となりました。どこまで通
 用するか、それしかありませんでした。4年に一回の真剣勝負の場ですから、それ
 まで費やしてきた全てのものを爆発させるべきところでした。それをあの舞台です
 るためにできる限りの準備を行ってきました。期待と興奮の中、試合を迎えられた
 幸せはおそらく忘れることはないと思います
  オリンピック創始者のクーベルタンは、「オリンピックは勝ことではなく参加す
 ることに意義がある。努力の過程が大切なんだ」と言っています。私にとってはと
 ても深い言葉です。あの場に行かなければわからなかった世界の競技者に触れ、集
 中力、粘り強さ、興奮、美しさ----、真剣勝負をしないと味わえない競技の深さ。
 七種の魅力を衝動的に感じてきました。「ああこれが私の目指していた場所なんだ」
 と知らされました。自分の目標としていた世界のレベルを知り、これから何をすれ
 ばあそこまで行けるのか、今は整理をしている最中です。
  多くの方々に応援していただき、励まし、激励をしていただく中で競技できるこ
 とは本当に幸せであります。しかしながら、それに見合った人間でなければいろん
 なものを犠牲にすることにもなります。そういった自覚も含め、これからも精進し
 ていきたいと思っております。
  最後になりましたが、地元からたくさんの声援を送っていただき本当にありがと
 うございました。これからも洛北高校の後輩のみなさんが自分の夢に向かっていき
 いきと進んでいくことを心から願っております。本当にありがとうございました。

新撰組と私 ------------------------------------------------------------- 18
 くるみ座から土方歳三役へ そして今取り組んでいること 栗塚 旭(洛北6期)

  今年のNHK大河ドラマは「新撰組」。わが母校所在地の京都のここかしこが舞
 台となり、なつかしさで視聴の向きも多い。「新撰組」といえば往時の映画時代は
 時代劇の人気俳優が主演。そしてテレビ時代に入り、司馬遼太郎原作の「新撰組血
 風録」「燃えよ剣」のテレビ映画が直接全国の視聴者に届き、大ヒット作となった
 が、このシリーズで主役の土方歳三を演じ、今も根強いファンを持つのが栗塚旭さ
 ん洛北6回卒である。
  栗塚さんは今度のドラマでは土方歳三の兄役でその姿を全国の新撰組ファンに見
 せた。栗塚さんが洛北高校時代の思い出から新撰組のこと、さらに最近取り組んで
 いることなどを語った。

―洛北高校時代は放送部に所属― --------------------------------------- 18
  私は昭和12年5月9日に北海道の札幌で生まれ、15歳まで北海道で育ちまし
 た。学校も音楽や絵を描く授業は楽しかったのですが、身体が虚弱でしたから学校
 の体育の授業もほとんど見学していましたし、学芸会で何かやれと言われると泣き
 べそをかいてしまうような子でした。中学3年の時に両親とも亡くなり、葬式のあ
 と、京都で働いていた兄が声をかけてくれ、昭和28年の4月から京都に住むこと
 になり、洛北高校へ入りました。
  当時は区域制でしたし、私の場合、編入というかたちでしたから定時制へ1年間
 通いました。北白川に住んでいましたが、昼の時間が空くものですから、法然院な
 どで行われていた映画ロケをよく見に行きました。次の年に全日制へ移りましたが、
 そのころ府立高校ではいちばん若い校長といわれた青柳先生はじめ、さまざまな名
 物教師がおられ、音楽の今井春子先生に可愛がっていただき「ピアノびらき」のと
 き「我が太陽」を独唱しました。ですから高校の時は学校がわりに楽しかったです
 ね。
  洛北高校では放送部に所属していました。これは自分の声を録音機を通して聞く
 ことができることに興味があったという単純な動機からです。放送部の新人生はY
 MCAで行われていた「正しい日本語の講座」を受講することが義務づけられてい
 ました。そこで、講師としてお見えになっていた毛利菊枝という女優との出会いが
 生まれたわけです。
  3年生の文化祭では、三島由起夫の「邯鄲」という戯曲を上演しました。昭和3
 2年春、なんとか卒業したものの同志社を受験して失敗したこともあり、友達と塾
 に通いました。今のような塾ではありませんでしたが、これがどうも性に合わなく
 て悶々としていた時に思い出したのが、先の「正しい日本語の講座」の毛利先生の
 ことでした。

―「劇団くるみ座」へ入団― ------------------------------------------- 18
  当時、先生は左京区の養正小学校の近くで「劇団くるみ座」を主宰し、「毛利菊
 枝演劇研究所」を設けておられましたので、梅雨の時期にその研究所を訪ねてみま
 した。近づくと、建物の中から発生訓練の声、床をトントンと叩くリズム体操の音
 が耳に入ってきます。大勢の若者たちが玉の汗を流して肉体訓練をしていました。
 同じ青春であればこちらの方が楽しそうだと思って研究所に入所を申込みました。
  当時の研究所は1月から12月までの1年制でしたから、しばらくは見学という
 かたちでしたが、途中から仲間に加えていただきました。ですから午後6時から9
 時くらいまでのリズム体操が終わってから10時過ぎまで一人練習して必死で遅れ
 を取り戻し翌年なんとか入団することができました。
  新劇ブームの良き時代でしたから、「くるみ座」も団員数は多く、演劇を目指す
 若い人たちの熱気に満ちていました。当時、500円の「劇団維持費」を払いなが
 ら全員で維持していました。パンも牛乳も卵も1個10円の時代です。テレビや映
 画撮影の仕事が入ればその収入の中から一部を劇団に納めるというシステムでした。
 大きい芝居が2本、小さい芝居が2本、年に4回、3ヶ月に1本の割で公演活動に
 取り組んでいました。

―毛利先生の付き人として撮影所へ― ----------------------------------- 19
  私は最初から毛利菊枝を師と仰いで門を叩いたわけですから、毛利菊枝が撮影所
 の仕事に入ると、必ず私が付き人としてついていくのが慣わしでした。後から思う
 とそれが、私にとってすごくプラスになりました。
  劇団の場合、月に500円の維持費を払うわけですが、アルバイトはご法度でし
 た。これは劇団活動に支障をきたすというのが理由です。「くるみ座」は朝9時に
 に集まって活動する。お昼はありあわせのもので一つの鍋をみんなで囲んで食べま
 した。みんな俳優志望ですから役者として撮影所には行きたい。しかし付き人は敬
 遠します。ですが私は付き人の仕事は好きでした。堂々と撮影所に入れますし、付
 き人として行くと手当てももらえます。そして食事も付きます。
  大映は勝さん、雷蔵さん、東映ですと錦之助さん、橋蔵さん、松竹ですと高田浩
 吉さんなど、ほとんど時代劇でしたが、京都の三撮影所が競い合って実にたくさん
 の映画を撮っていた頃です。
  毛利先生はよく「私たちは自由業だから」と言い、「自由というものほど責任の
 重いものはない」と言われ、「役者というのは世の中を冷静に見極めなければ本当
 の人間を演じられないのよ。簡単に人間が人間を演じることをやってはいけません」
 と話してくれました。私は毛利先生のその精神を見習うようにして生きてきたつも
 りです。劇場映画が下火になり、各撮影所でもテレビ映画が盛んになってきました。

―土方歳三役としてテレビ映画出演― ----------------------------------- 19

  昭和39年に「東映テレビプロダクション」第一回作品の村山知義原作、品川隆
 二主演「忍びの者」で、劇団に「栗塚旭を明智光秀役で使いたい」と東映から連絡
 が入ったわけです。
  この明智光秀が大変好評で、その後テレビ映画に何本か出演し、昭和40年に、
 司馬遼太郎先生の「新撰組血風録」の主役が回ってきました。書店に立ち寄って、
 「新撰組血風録」と「燃えよ剣」を購入して読むと、いままでの新撰組のイメージ
 とまったく違う男の夢、ロマンが見事に描かれていて「自分のような軟弱な人間が
 このような土方を演じられるだろうか」と考え込みましたが役者としてこのような
 大役を逃すわけにはいきませんから、無我夢中で演らせていただきました。
  昨年10月にNHKの「新撰組!」の収録で近藤勇役の香取慎吾君、土方役の山
 本耕史君とお会いしたとき、「いくつなの?」と聞きますと二人とも27歳という
 ことでした。私が「新撰組血風録」を撮った年代です。「何も恐れることはないし
 堂々と演じたらいい」と励ましのエールを送りました。いままでの新撰組は千恵蔵
 さんなどの大スターが演じてきたイメージがありますから、一見、若い人が演じる
 ことに「えっ」と思われるかも知れませんが、実際の近藤、土方も28歳で京都に
 来て、近藤は33、土方も翌年に34歳で函館の五稜郭で戦死、新撰組は夢まぼろ
 しの5年余りの人生だったのです。それがいま、賊軍だった人たちがヒーローとし
 て語りつがれているのは、やはり人間の生き方の問題でしょうね。
  1970年、大阪万博が開催された年に、「燃えよ剣」で再び土方役を演じさせ
 ていただくことになります。みなさんからさまざまなご意見をちょうだいしました
 が、私として文句なく満足できたのは「燃えよ剣」の土方役です。以来足かけ40
 年も経つのに未だにそのイメージが多くの方々の心の中に焼きついていることは役
 者冥利につきると思います。
  ちょうど松竹映画の「おはなはん」「女の一生」「春日和」などで岩下志麻さん
 とコンビで共演させていただき本当に多忙を極めていた時期です。ですが、テレビ
 ではヒットしても映画館には足を運んでくれません。私も自分の作品が封切り上映
 されている新京極の映画館に何回か足を運びましたが、観客の数はほんの僅かでし
 た。

―映画館で観る映画の意味― ------------------------------------------- 20

  映画はやはり映画館で観ないとだめなのです。テレビと映画は似て非なるもので
 す。映画は映画館の暗闇のなかで目は覚めていても夢が見られる世界です。その夢
 はただの幻ではありません。現実の脳細胞で受け止められる夢です。映画はそれだ
 けの力を持っているからこそ、ヒットラーでさえ利用したわけです。映画、演劇は
 人間の主張の手段として使われ、戦前の日本だって政党や軍事運動に利用され、戦
 後も演劇や映画で何かを主張したいと思う人たちが弾圧されています。
  地球上に人間が存在する限り人は一人では生きられません。人間と人間が好きに
 ならなければ共存できないと思います。人間を理解する手段としては日常で触れあ
 うことがいちばんです。自分のいちばん身近な人を大切にするのは人間の原点です。
 私は社会が個人を幸せにするのではなく、個々の思いが良い社会をつくると考えて
 います。
  核家族化の中で理解し合うことは至難の業ですが、1時間半から2時間の映画や
 演劇は自分以外の人の人生を一瞬にして切り取って見せてくれるわけです。映画や
 演劇はどんなにリアルであっても現実ではありませんが、目の前で展開され自分の
 五感で受け止められます。確実に人間を育てる意味でこのようにすばらしいメディ
 アはないと思います。百万辺の説教よりも1本の映画に接することで、ものの見方
 考え方が身に付くことが必ずあります。
  私の場合、幼い日に観た「哀愁」という映画もその一つです。ロバート・テーラ
 ーとビビアン・リーの主演でしたが、戦争によって人間は何という悲しい運命をた
 どらなければならないのか、戦争はこういうことを引き起こすのだと歳を経るたび
 に理解できてくるわけです。
  親が七五三用に軍服を着せて写真を撮ってくれたのですが、写っている私は泣き
 べそをかいています。小さい頃から私は戦争ごっこやチャンバラごっこが嫌いでし
 た。棒を持って斬ったり叩いたりすればどちらかが痛いじゃないですか。私は何も
 意識して「哀愁」を観ていたわけではありませんが、1本の映画のメッセージを三
 つ子の魂が受け止めていたんだなと思います。

―京都の人と町で「ターンオーバー」完成― ----------------------------- 21


  スタッフ・キャスト、音楽も監督もすべて京都の人と町でという映画「Turn
 Over(ターンオーバー)天使は自転車に乗って」が完成しましたが、その映画
 に藤村志保さんと夫婦役で出演しました。「ターンオーバー」は9月の映画祭でプ
 レビューですが、野村恵一監督が「京都の映画界は低迷しているから、いま取り組
 まないと映画人の伝統が消えてしまう」とおっしゃいました。映画は総合芸術の最
 たるものです。その伝統を絶やさないためにも、京都を撮影所があるだけのまちに
 してはいけません。京都は私のあこがれだった日本のハリウッドです。いままで6、
 7年生きてきて、この思いを込めた映画に出演できたうれしさと責任をかみしめて
 います。いまは全て東京が中心ですが、私は京都に撮影所がある限り京都で仕事を
 続けたいと思っています。
  4月5月と撮影をやりましたが、もう楽しかったですね。私が昭和40年にデビ
 ューしたときにアシスタントをしていた撮影さん、証明さん、衣装さんの人たちが
 親方になっていました。いままで時代劇の栗塚というイメージでしたが、初心に返
 って自分の素で伝統の装束師の夫婦愛に没頭することができました。私だけでなく、
 スタッフ一同がこれを起点にもういちど京都で映画の灯を燃えたぎらせたいという
 思いが強くあります。
  実はこの映画でグサっときた台詞があります。身体の弱った奥さんの闘病生活の
 最期を看取る主人公の装束師が店をたたみ、知り合いの青年に「自分はこの仕事が
 好きだったことはいっぺんもおへん」という台詞です。私は好きで芝居をしてきま
 したから、どんな苦労も乗り越えられましたが、これは京都で何代も続く装束師の
 台詞です。悩みながら撮影の日が来て、そのときは抵抗なく台詞が言えました。
  考えてみたら本当に好きな仕事をしている人は僅かです。映画や演劇、音楽など
 で魂を豊かにしていただかないとそういった人たちは挫折するのではないでしょう
 か。

―良い映画・観劇に触れる行動を― -------------------------------------- 21

  最近のテレビで人と人とのコミュニケーションで脳が活性化するという報告がさ
 れていましたが、映画や芝居を観て喜び、哀しむことで人間の細胞が活性化するそ
 うです。今の子どもたちは、小さい頃に「三つ子の魂」を授かる機会が不足してい
 ますから、大人になっても人生の楽しみ方が分からない面があると思います。
  今からでも子どもたちに良い映画、良い音楽、良い演劇などに触れさせてほしい
 ですね。ですから行動を起こしてほしいと思います。お金がないと一歩も前に進め
 ない時代であることは皆さんよくご存じです。ですから私は口を開くより、まずガ
 マ口を開くことを訴えたいですね(笑)。お金は人生をエンジョイするために使う
 べきです。エンジョイは楽しいだけでなく、生きる魂の肥やしなのです。
  今年のNHKの大河ドラマは幕末から明治を迎える時代の狭間で翻弄された新撰
 組という集団ですが、その人たちの生き様から平成に生きる私たちはなにを為すべ
 きかを考えることができるはずです。私たちはただ世の中を否定したり、目をつぶ
 るのではなく、目を見開き目の前のものを受け止めて、半歩でも一歩でも自分の夢
 に向かって前進する気持ちを持ちたいものです。

クラス会だより --------------------------------------------- 22

 目次
 あかね会(昭和9年卒) ----------------------------------------- 22
 昭十会(昭和10年卒) ----------------------------------------- 24
 二〇四会(昭和20年四卒)-------------------------------------- 24
 二十一の会(昭和21年卒)-------------------------------------- 25
 洛一会(洛北一期)
 洛二同窓会(洛北二期)------------------------------------------ 26
 洛三会(洛北三期)
 洛四近畿会(洛北四期)
 洛五会(洛北五期)---------------------------------------------- 27
 みのり会(洛北六期)
 洛北十二期同窓会 ---------------------------------------------- 28
 洛北十四期(洛歳会)
 洛北十七期同窓会
 積木の会(洛北二十三期)---------------------------------------- 29
 洛北二十七期同窓会
 洛北二十八期同窓会 --------------------------------------------- 30
 洛北二十九期同窓会
 洛北三十三期同窓会

閉会した「あかね会」
------------------------------------------------------ 22
 昭和9年卒「京一中あかね会」悼尾の会
 卒業70周年記念追悼会
 2004年米寿祝典総会
 閉会による最後の晩餐会
  例年通り本年の総会も4月10日、ホテルプリンセス京都で次の次第により開催した。

◎(1)卒業70周年記念物故会員追悼会
  今回は今までの当会運営に特に貢献された旧友物故者ご遺族有志3名にも参加を
 頂き、パレストリーナ作曲[法王マルチェルスのミサ曲」をBGMに、物故184
 名の名前を一人一人丁寧に呼んで故人を偲び、祭壇中央には京一中の校旗を掲げ、
 参加者全員が、渋谷合唱団のテープ「み仏に抱かれて」の流れるなか、粛々と献花
 すると言う当会特有の形で最後の追悼会を厳かに挙行した。

◎(2)2004年米寿祝典総会
 ★1. 会計報告、会務報告、新物故者報告、

 ★2. 2004年版「新名簿」の発行配布
   故人も含めた入学卒業者の学歴や職歴も記載した当会会員の「新名簿」の本年
   版を出席者と欠席者でも希望があれば配布した。
    その名簿を基に当日の出欠状況を見れば
     名簿掲載会員総数  246名
      内 物故者    184名
        不明者      4名
     現在通信可能者    58名
      内 出席会員    18名
       (付き添い)    1名
     出席予定で緊急欠席   3名
     欠席返信回答者    22名
     無回答者       15名となり結局確定出席者は次の22名だった。
 (会員) 19名(付き添い1名含む)伊吹良太郎、植西吉雄、岡部正、岡本正夫、
小川 清、加藤正信、神谷彰二、川崎元雄、小林芳三、篠崎 驕@辻辰三郎
     中西 浩、浜田 哲、古川謙三(付添・古川田鶴子)、政田秀一、松居祥二、
     村山和雄、森本教明の諸君
 (遺族)3名・渋谷有教君ご令室 笑子殿
       ・成宮宗一君ご令室 好子殿
       ・広瀬重雄君ご令室 文代殿

 ★3.「あかね会の歩み」総括報告
   高齢を迎えたわれわれが今後どのように「あかね会」を運営するかを計るために
  は、今までの「あかね会の歩み」を総括しておく必要があるとして、出席会員には
  膨大な資料が渡され、世話人は詳しくそれを説明したが、欠席者らに対しては本誌
  にその要旨を記述させて戴いた。
  「京一中あかね会」の発足は、終戦直後の昭和21年12月25日、渋谷有教・伊
  吹良太郎・藤田二朗・中西 浩の諸君が世話人となり、仏光寺婦人会館に21名が
  参集して始まった。当時は敗戦後の荒廃で物資は欠乏し、参加者は会食用に米一合
  と、暖房用に炭一握りを持参しての会合であった。京一中校歌「比叡の峰にあかね
  さす」の一節から渋谷君の提唱で「京一中あかね会」と命名しての発足であったが、
  大東亜戦争のため、多数の戦没者や中国・満州・ソ連・南方などの未帰還者も居て
  同期会の消息もまだまだ不明確で、年一回の総会もしばらくは25名程がやっと集
  まる程度であったが、それは祖国再建と自らの家族の生活のためにも、懸命に働い
  ていた最中でもあったからであろう。
   それが昭和33年(1958年)の聖護院の追悼会では62名の出席に変わって
  総会参加者も毎年漸増に転じた。
   その後、当会も30周年・35周年・40周年・45周年と5年毎の節目の年に
  は追悼会を催すことが定着した。
   そしてまた、40周年と50周年には、会員執筆の記念文集1・2輯も発刊した。

 ☆昭和60年(1985年)の50周年には、仏光寺本廟で追悼会をした後に、東山
  粟田口「楠荘」の別館「吉水庵」に当時ご健在だった恩師・秦乾太郎(体操)吉原
  好人(西洋史)の両先生を夕食会にお招きして、全国から集まった81名の会員の
  大部分も一泊、翌日は貸切りバスで吉田校舎・洛北校舎などを巡った。
   また50周年以降は追悼会のない毎年の総会にも、会員の講話やスピーチ、会員
  相互のフリートーキングを実施した。

 ☆55周年は仏光寺東山別院での追悼会と参加者45名の「楠荘」一泊の懇親会。翌
  日は同期岡部正君が社長の川島織物や三十三間堂などの見学で京都の伝統文化に触
  れる一方、会員の趣味による絵画・書道・陶芸・デザイン・写真などの展示「枯淡
  の夢」展を「ふじたアート」(故藤田二朗君令室経営)で、総会日の前後の一週間
  開催した。
   当会の渋谷有教君が「京一中洛北高校同窓会」の理事長として、北海道支部や京
  浜支部などを創設したことも、当会の出席の激増に追い風になったとも思えるが、
  この時期会員自身もしかるべき地位についていて、既に師弟の子離れも終わり、母
  校や同期生などにも関心を持つようになっていて、同窓会などとも最良の環境を保
  つようになっていたと思われる。

 ☆60周年は、宝ヶ池国際会館105室の祭壇に故人の遺影を掲げ、多数のご遺族の
  参加も得て、盛大な追悼会を開催した。
  本回からは物故者118名の名前を一人ずつ読み上げて故人を偲ぶ、当会独特の方
  式で実施した。会員講演は会田雄次君の「未来社会と日本」であった。

 ☆65周年になると、会員も喜寿を迎え急激に高齢化が顕彰して行き、総会への参加
  も回ごとに減少して行った。
  「楠荘」での追悼会は、この年から祭壇の中央に京一中の「校旗」を掲げることに
  なり、東京海上火災役員塚本友次郎君が、趣味の彫金作品を東京から持参されての
  スピーチであったが、出席者は28名に停まった。
  そして本年「卒業70周年記念追悼会」と会員諸君の「米寿祝典総会」を迎えた
  のである。
   この間、私たちの「あかね会」には特別部会として「悠々会」(多少贅沢に夕食
  を共にするグルメの会)「ハラッパクラブ」(安直な昼食会)[阪神あかね会」(
  京都での年1回の総会が待ちきれず、阪神在住者が別に設けたビヤパーティ)など
  が造られ概ね二ヶ月ごとに夫々の世話人により開かれ、総会の盛り上がりにも貢献
  していたが、これらの部会も徐々に開催維持が不可能になり、平成12年、相前後
  して閉会した。

 ★4.「京一中あかね会」閉会提唱・可決
   殆どの会員も世話役も、本年88歳の米寿を迎え、気力体力共に、そろそろ限界
  に達して、これからの総会参加者も漸次減少して行くに違いないと世話役の間では
  本年の総会を以って閉会にしたいと意向のあることを伝えて、今後をどうするかを
  諮った。
   その結果、当然最後の一兵までの観念論も出たが、それなら世話人を誰が引き受
  けるかとなると、誰も手を挙げない。体力・気力に自信がないからであろう。
   しかし「あかね」には、落日の西ぞらのあかねもある。それなら、卒業70周年
  に当たる本年の総会を、組織としての最後の「あかね会」として飾り、組織がボロ
  ボロになって自然死を待つより、今日の悼尾の総会の参加を自ら余光のあかねと、
  賛美して「あかね会」を終結しようと言う世話人からの提唱は、断腸の思いながら
  も出席会員の全員に了承された。

 ◎(3)あかね会「最後の懇親晩餐会」
   当会としての最後の晩餐会になったが食事をしながらの会員フリートーキングで
  各自の持ち時間をオーバーして、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の熱弁が披露され
  た後、懐かしくも流れる京一中の校歌や応援歌のテープに静かに唱和して、全ての
  幕を閉じた。

   わが「あかね会」が米寿の今日まで続けられたのは山本安之助校長時代の京一中
  に我々が誇りと尊敬を抱いて来たからだろう。
   残念だが、我々は校歌にある比叡の峰の「あかね」を、もう揃って見ることはな
  い。精がないが仕方のないことだ。(中西 浩記)

 京一中 昭十会 -------------------------------------------------------- 24
    平成16年5月10日 於 京都新阪急ホテル


   当日は雨天となったが、13時から15時までの会合の間は雨は小止みであった。
   幹事の山村君が急病のため、福田(建)が昨年に続いて司会を勤めた。山村君が
  万端の準備を整えて下さっていたので、何の支障もなく開会することができた。
   開会に当り、当日まで1年間の物故者5名(伊吹、猪飼、大槻、松風、西村(義)
  の諸君)に黙祷し、来年の幹事を井垣、大塚、宮本の三君に依頼した。70回を迎え
  る昭十会と来年開催される三高会を連接して、遠来の級友が一人でも多く参加できる
  ように配慮して下さることをお願いした。
   出席者は写真、前列左から、宮本、玉木、石崎、辻、大塚、後列井垣、喜田村、渡
  辺(源)、福田(建)、前川の10名である。
     東京から喜田村君、久し振りの宮本、渡辺の両君を迎えて互いに近況を語り合った。
   宝塚へ転居しても、なお、エージ・ランナーの練習を続ける渡辺君の話に一同、感
  銘した。
   亀屋清永の会長、前川君から厚志の銘菓を家苞に頂き、予定どおり散会した。
    (福田(建)記)

京一中二〇四会 総会 ---------------------------------------------------- 24
   激動の終戦時(昭和20年)4年卒業の同期会総会は平成15年11月15日
   午前11時、京都駅前の京都タワーホテルにて、恩師の菅泰男先生をお迎えして
  参加者総数64名(家族を含む)が参集開催された。過去毎年の総会には多士済々、
  各界で活躍した同輩諸兄の卓話を拝聴し、多くの感銘をあたえてきた。

   今年は少し趣向を替え、会員鳥居一郎君のご息女西松甫味子さんのご厚意により、
  ソプラノ独唱会の開催を企画。ご本人は今や日本のみならず、チェコをはじめ国際的
  に音楽文化使節として活躍されている本格的なプロのソプラノ歌手である。ピアノ伴
  奏も会員鎌田浩二君のご息女小高玲子さんにお願いして、日本の名曲を中心のすばら
  しい歌声は満場を魅了した一時間であった。後半は懇親の宴となり、共通の青春の思
  い出話はつきず、時間切れにて校歌斉唱、その後は二次会へ移動、夕刻解散となった。
   次回(平成16年)、総会の幹事役は会員深海浩君へバトンタッチ。今度はめでた
  く喜寿を迎えるので盛大に11月20日、嵐山の渡月橋にて開催予定(高塚裕三記)

京一中二十一の会 ---------------------------------------------------------- 25
   昭和21年春に京一中・府一に入学して以来、午前・午後の二部制授業から男女共
  学へと波乱の時代を基に過ごしてから50有余年、私達は古稀を祝う年頃に達して、
  尚意気益々盛んなことはご同慶至極です・・・・との合同同窓会の案内状に誘われて
  今年は東京・有楽町プレスクラブに6月13日総勢73名(府一31名・一中42名)
  が集いました。
   京阪神からも又、関東地区ほか仙台からも多数参加。官民財界の錚々たるメンバー
  も会が始まれば、たちまちタイムスリップして京都時代の童心に帰り、皆和やかに笑
  顔で一杯。小学校や中学校、高校で一緒の者も多く、久し振りの再会を喜んだ。また
  来年の京都での第三回合同同窓会までお互いの健康を祈って盛会裏に有楽町プレスク
  ラブで散会しました。
   近くのビヤホールでの二次会も夫々のグループが夕刻まで賑やかなものでした。
    (源田 雅之 記)

第10回洛一会”古稀の集い”を開催しました -------------------------------- 25
   洛一会は、2002年の卒業50周年記念総会に続いて、2003年11月30日
  (日)に特別例会として”古稀の集い”を開催しました。

    同級生71名が、東山の麓の由緒深い料亭「左阿彌」に会し、晩秋の味わいを風
   情のなかで堪能しながら旧交を更に温めることができました。
    11時30分に受付を開始し、まず全員集合して132畳の大広間一杯に並んで
   記念写真を撮りました。この写真は直ぐに処理され、お土産として配りました。
    「この会を毎年やろう」という意見で洛一会の毎年開催が決まり、本年10月1
   3〜14日に東京・京都の中間地点の浜名湖畔の舘山寺温泉一泊2日の小旅行をし
   ます。 (中村 淳 記)

 関西洛二会 新年会開催 --------------------------------------------------- 26
    恒例の洛二新年会を、平成16年1月17日(土)リーガロイヤルホテル京都で
   開催いたしました。女性23名、男性60名、計83名の出席で和気藹々と、楽し
   く昔話や近況を語り合い、大いに盛り上がりました。
    実は、平成15年度が卒業50周年に当たり、先生方6名と生徒総数176名の
   出席を得て記念同窓会が盛大に行われたのですが、洛二会を結成して丁度20周年
   でもあった年でした。洛二会が東京と京都で延々と中断することなく行われている
   ことを大変誇りに感じています。
    今年もパーティ終了後、寒冷の京都の街へ夫々徒党を組んで二次会へ急ぎました。
    来年からは厳寒の1月を避けて春先にやろうということで全員の賛同を得て、平
   成17年度は同じリーガロイヤルホテル京都で、3月26日(土)を当日予約いた
   しました。また名杯も従来は、関西洛二新年会・関東洛二忘年会とそれぞれであっ
   たのを改め、全体に広げて「洛二同窓会」とすることにいたしました。(鈴木聡顕記)

 洛三会・卒業50周年記念 ----------------------------------------------- 26
    洛北高校第三回卒業生(洛三会)の卒業50周年記念の会合は、平成16年4月
   16日午後5時から京都センチュリー・ホテルで開かれました。

    当日は50周年を記念して、母校の勝間校長先生にお願いし、今年から始められ
   た「中高6年一貫教育」のスライド付き説明を伺ったほか、卒業時のクラス別テー
   ブルに簡易カメラを配備するなど、一人でも多くの仲間が顔を出されるよう工夫を
   こらしました。そのせいもあってか、存命者の4割近い百数十名が集まって、開会
   から物故者への黙祷・乾杯・校歌斉唱・閉会までの3時間余に”半世紀”の想いを
   込めて語り明かしたのちも、旧交をさらに温めるべく三三五五に夜の京の街へ繰り
   出していきました。
    それにしても、遠くは鹿児島から駆け参じた友人、卒業以来まさに半世紀ぶりに
   再会した旧友など、同窓の良さ、有り難さを、それぞれに噛みしめ合った「生涯忘
   れ難い邂逅の一刻」となりました。 (安藤 仁介記)

洛四近畿会(昭和30年度卒業) -------------------------------------------- 26
    洛四近畿会が平成16年4月18日に京都全日空ホテルで催されました。出席者
   83名、この会としては過去最多の出席数でした。近畿会は5年毎の同窓会以外の
   の年に、1987年から毎年京都で催されております。今回近畿会に初めて出席と
   いう方は4人で、恒例通り初参加組は舞台で紹介され、一言ずつ挨拶されました。
    開会挨拶に立った糸井氏は、今日は何の日ですかと問い掛けました。「ヨイハノ
   日」が正解だそうです。高齢化につれ、物を「自分の歯で噛んで」食べる事が精神
   的にも肉体の健康にもとても大切であると例を挙げながら話されました。もちろん
   彼は歯科医師さんです。

    同じホテル内での二次会は9割近い人が出席する盛況でした。最後に全員が手を
   つないで部屋一杯の輪となり、「星影のワルツ」を大合唱してお開きとなりました。
   お世話を頂いた方々、誠にありがとうございました。
    洛四卒業50周年記念同窓会予告
    洛北高校第四回卒業(在籍者を含む)記念同窓会を次の通り催します。
     日時 平成17年4月10日(日)16時より
     場所 ホテルグランヴィア京都
    予告案内状を11月末頃発送の予定で、「あかね」と前後してお手元に届くはず
   ですから何卒ご覧ください。全国からお集まりいただくため、交通の便がよい京都
   駅ビル内「ホテルグランヴィア京都」が会場です。
    洛四の同級生は、すでに一割余の方々を失っています。来る50周年の記念同窓
   会は多くの同窓生が揃って祝い、今後の人生の大きな糧と致したく思います。お誘
   いの上是非ご出席ください。(高木 収記)

洛五会 --------------------------------------------------------------------- 27
    平成15年10月25日(土)午後4時〜7時
    京都全日空ホテル
  恩 師 臼井照代、大島武子、木村高満、小泉五郎、田代幸子、吉江久弥、
  卒業生 103名(男69名、女34名)

  平成11年熱海還暦記念旅行以来、5年ぶりということもあり、恩師も入れて109
  名が一堂に会しました。老いて尚益々お元気な恩師方と久し振りに高校時代に戻り、
  秋の一夜を楽しみました。例の如く、同ホテルでの二次会の後も、流れ流れ朝帰りの
  方もおられたようです。(野田 治記)

みのり会総会 -------------------------------------------------------------- 27
   小畠先生、小泉先生、田代先生、本永先生、吉江先生の恩師5名のご臨席をいただ
  き、会員108名、総員113名で、平成16年6月5日(土)京都タワーホテルに
  おきまして<みのり会総会>を行いました。
   今年のNHK大河ドラマ『新撰組』にちなみ、午前中は新撰組ゆかりの地、山南敬
  助などの墓がある光縁寺、近藤勇等が宿泊所にした旧前川邸、新撰組の本拠地になっ
  た八木屯所跡、清河八郎が着いたばかりの浪士に真意を表明した新徳寺、新撰組の兵
  法調練場になった壬生寺、新撰組大ファンの青木館長の新撰組記念館、最後に新撰組
  がよく利用し江戸時代の揚屋建築として重要文化財に指定されています島原角屋を巡
  りました。
   総会に先立ち、『新撰組血風録』『燃えよ剣』の土方歳三役で大活躍され、今日の
  新撰組ブームの立役者の一人であります栗塚旭君から<私と新撰組>と題して講演し
  ていただきました。
   田代先生の乾杯のご発声で開演しました。今年は、初参加もしくは数年ぶりに参加
  された方が12名もあり、皆様から近況などを交えたメッセージをいただき、会は盛
  り上がってゆきました。
   全員とクラス別の写真撮影、校歌斉唱のあと、元気になられた阪西さんの挨拶で中
  締めとなりました。
   二次会も同ホテル内で行いカラオケに興じながら、次回を期して散会しました。
  さらに元気な方は、河原町へ祇園へと夜の町に出かけて行きました。(平岡猛男記)

洛北十二期・同窓会 ------------------------------------------------------- 28

   平成15年11月8日、卒業40周年記念同窓会として、恒例の新都ホテルで93
  名の参加者を得て開催いたしました。5年に一度の同窓会ですが、開催ごとに増えて
  いく物故者に、まず始めに全員で黙祷を捧げた後、開宴いたしました。
   いつもとは違って、今回は来年に還暦を迎える者が多く、定年の話や年金の話、明
  るい話題では阪神優勝の話、諏訪さんのご子息が吉本で活躍されていること等、も出
  て、和やかなひとときを過ごしました。同会場で引き続き開いた二次会もほぼ全員が
  残り、時間も一次、二次会を含めて1時間半もオーバーしても、まだまだ去り難しの
  雰囲気でした。
   最後に、世話人の方々に心よりお礼申し上げます。(出身中学1校につき、一人は
  世話人として、お手伝いしていただきました。)
   追伸 全員で合唱した校歌の歌詞の裏面に、連絡先不明の同窓生の名前を記載して
  ありますので、一人でも消息が判れば、同窓会本部までご一報下さい。(宮本郁男記)

洛歳会ゴルフ(洛北14期同期会) ----------------------------------------- 28

   5月9日(日)滋賀ゴルフにて4組のゴルフコンペを行なった。小雨まじりでした
  が気持ちのいい日だった。今回で26回目、毎年、春秋2回続けている。私は万年ビ
  ギナーでもハンディCを程よくもらって、大いに楽しんでいる。ゴルフの自己解説は
  特に面白い。ティショットOBを出せば、今のは腕の振りのここがあれこれ、パット
  をはずせば芝がああだのこうだの、これがまた非常に面白い。ゴルファーとはミスプ
  レーの解説者なり。近年、ゴルフ料金の下落は著しい。日曜料金でも1万円余りで出
  来る。今日も一日、皆でやいやい楽しくプレーができた。夕食会は岡崎天王町の牛・
  太田(太田健二君の店)にて騒いだ。尚、昭和40年に卒業の皆さん、参加希望の方
  があれば、同窓会事務室にご連絡下さい。(三島康之記)

洛北17期・同窓会 ----------------------------------------------------- 28

   洛北17期卒業生はゴールデンウィークの真っ只中の5月2日に、京都市下京区の
  烏丸京都ホテルで同窓会を開催しました。先生方はご高齢を考慮して生徒だけで行い
  ました。参加者は遠方から駆けつけていただいた方など70名でした。
   同窓会は元気はつらつの方々が集まり、先生方や高校時代を語り合いながら、思い
  出の人とツーショット写真を撮るなど盛り上がりました。今回は、前第一回の約半分
  の出席でした。「あの人がくるなら行こう。来ないなら・・・・」との意見を開いて
  いますので、次回の同窓会はその辺に重点をおいて魅力ある同窓会にする予定ですの
  で、ご期待ください。(幹事より)



 積木の会 卒業30周年記念同窓会 ------------------------------------- 29
   平成16年8月14日(土)
   京都タワーホテル

   昭和49年3月に卒業して30年になるのを記念して、アテネオリンピック開催の
  日である8月14日に学年同窓会を開催しました。遠方からの里帰りにあわせての出
  席を期待して、お盆の時期に開催を計画したものの、なかなか出席の返事が集まらず
  幹事一同やきもきしていましたが、当日は海外からの里帰り組も合流し、二次会も含
  めて90名の参加がありました。
   宴会場の壁一面にクラスごとに拡大コピーした卒業アルバムを掲示しただけで、特
  にイベントも企画していませんでしたが、旧友と会った瞬間から気持ちは30年前に
  タイムスリップ、心も身体も歳相応に疲れていても、この時間だけは気持ちは10代
  でした。
   会場を隣の部屋に変えただけの二次会でもテンションは下らず、本当に話が尽きな
  い同窓会となりましたが、次回は4年後の北京オリンピック開催の年に再会すること
  を誓って漸く散会となりました。(河原敏明記)
   写真・30周年記念の同窓会をエールで締めくくってくれた幹事の田中嘉一君(旧
  8組)。最後まで盛り上げてくれました。

 洛北27期 第一回同窓会(昭和53年卒) ----------------------------- 29
   卒業後、早や40代半ばとなり、各方面で活躍中の同窓生が卒業以来久し振りに集
  まりました。2004年6月19日、京都駅前マリアージュグランデにて、135名
  もの多数の参加者のなか盛大に行われました。

   寺石先生、尾崎先生の両恩師にもご出席いただき、なつかしい顔が揃い、気分は一
  気に華の高校生となりました。同級生4名の物故者へ黙祷のあと、恩師による乾杯、
  そして今だから話せる楽しいスピーチ、花束贈呈らが行われ、なごやかな雰囲気の中
  旧友との歓談で大いに盛り上がりました。
   各クラスごとの記念撮影も行い、同窓会の有意義さ、楽しさ、人との繋がりの大切
  さを全員で改めて認識した一日でした。話が尽きず二次会から延々5次会までみんな
  楽しんでいました。
   次回の第2回同窓会ではさらに参加者が増え、より充実した会を目指します。
   最後に同窓会事務局の方を始め、各クラス担当幹事スタッフの方々の多大なるご協
  力によってこの会が開催できましたことに深く感謝いたします。(西村佳哲記)

第28期学年同窓会開催 ------------------------------------------------ 30
   去る5月2日、昭和54年(第28期)卒業生の同窓会を京都ロイヤルホテルに於
  いて開催いたしました。
   当日は松根先生、中邨先生、金子先生、金森先生もご出席いただき、卒業後25年
  経った154名の同級生が、自主自立の中で過ごした洛北高校時代に戻り、歓談に花
  を咲かせました。
   また、壇上では、有志による卒業後のエピソードを盛り込んだスピーチが行われ、
  最後は現役で音楽活動に携わっている者のリードで校歌を斉唱し、盛況のうちにお開
  きとなりました。
   本期の同窓会は各クラスの幹事が連絡を密にし、学年全体の同窓会として5年毎の
  開催を続けており、次回は卒業30周年の記念同窓会として卒業生全員が参加してい
  ただけるよう企画しておりますので、連絡先等の変更があった方は各クラス幹事もし
  くは同窓会事務局に連絡をしていただくようよろしくお願いいたします。(森久順子記)

第29期卒業生「卒業25周年記念同窓会」 ------------------------------ 30
   去る8月14日(土)宝ヶ池プリンスホテルで卒業25周年記念同窓会を開催しま
  した。参加者は105名。先生方は山本博司先生、岩崎精治先生、和田正雄先生、渡
  部修三先生、伊達一郎先生、日比野日出雄先生、長谷川昌次先生、丸尾宣弘先生と寺
  石嘉久先生の9名。5年前に「20周年記念」で行った時より参加者はやや少なくな
  りましたが、その分多くの人とゆっくり話す機会も増え、参加者は大いに楽しみまし
  た。参加者の中には遠くスイスやオーストラリア、また関東地方等からの参加者もい
  て、久し振りの再会に時の経つのも忘れ話し込みました。途中、音楽研究会のメンバ
  ーによるミニステージもあり、懐かしいサウンドに酔いしれました。

   二次会も同じ宝ヶ池プリンス内で行われ、70名程の参加でした。伊達先生と寺石
  先生も参加され、日比野先生提供の「乗鞍高原合宿(手作り熱気球を上げた修学旅行)
  」を取材した朝日テレビの番組のビデオ鑑賞会も行われ、昔にタイムスリップしまし
  た。あっという間の時間でしたが、皆楽しいひとときを過ごし、次回の再会を約束し
  て解散となりました。
   「次回は5年後?」と言いながらも、「もっと早くやろうよ!」いう声も多々あり、
  スタッフもうれしい悲鳴をあげています。
   今回不参加だった『あなた』、次回はぜひ出席して、楽しいひとときを共に過ごし
  ましょう。<幹事 長坂寿哉・小堀康司・高田直紀>

洛北33期学年同窓会 ------------------------------------------------- 30
   平成16年2月15日(日)宝ヶ池プリンスホテルにて、卒業20周年を迎えての
  開催となりました。

 出席者 恩師、松根敬子、西村元一、西村光博、冨田良一、高田吉郎、藤林富郎の6名
   の先生と生徒総数111名。
   坂本文二郎君の司会により、元生徒会長・外山雅章君の開会挨拶に続き、元副会長
  ・入江太津治君の乾杯で開宴いたしました。途中、先生方全員に熱いスピーチもいた
  だき、立食いということもあり、自由に賑やかな、あっという間の3時間でした。
   最後は田口博巳君の校歌斉唱で全員拍手喝采の中、終宴となりました。今回の同窓
  会開催にあたり電話連絡など、そして当日受付のお手伝いをしていただいた方々には
  心から感謝いたします。

訃報 ---------------------------------------------------------------- 31
  高橋 貞一先生
   平成15年3月14日 ご逝去
   昭和16年1月から昭和23年10月まで在任、京一中旧職

  小寺 熊三郎先生 ご逝去 京一中旧職

  寺林 達夫先生
   平成13年1月 ご逝去
   昭和27年10月から昭和33年3月まで在任(数学担当)

  村高 懐先生

   平成15年4月 ご逝去
   昭和25年4月から昭和33年3月まで在任(英語担当)

  北風 清一先生

   平成15年8月15日 ご逝去
   昭和25年4月から昭和33年3月まで在任(数学担当)

  辻 貞子先生

   平成15年12月1日 ご逝去
   昭和25年4月から昭和43年3月まで在任(理科担当)

OB会だより ------------------------------------------------------ 32
  名門洛北陸上部活躍にわく
  会友2名がアテネオリンピックへ
  ―現役生の高校総体出場も激励―


   洛北陸友会の例会は今年も2名の現役生の高校総体出場、会友2名のアテネオリン
  ピック参加という快挙のもと、7月29日御所蛤御門前のガーデンパレスで開かれた。
   定刻前には練習を終ったばかりの陸上競技部員が先ず会場に到着、真夏の静かなロ
  ビーも急に活気に満ちた様子。
   やがて、京都陸上競技協会の幹部も含む先輩が次々と姿を現し、久し振りの再会に
  消息をたしかめある輪があちこちに出来る。洛北高校陸上競技部顧問の田川さなえ先
  生もにこやかに登場、総勢64名の現役生、卒業生参加のもと、激励会が始まった。
   司会進行の辻彰彦OB(洛34期)より今年の陸友会例会は洛北陸上部史上初の卒
  業生のオリンピック参加をうけて「アテネオリンピックならびに全国インターハイ出
  場激励会」として開いた旨開会のl言葉があり、今回の意義を強調。
   参加会友で最新入会の林星子さん(洛北53期)の乾杯発声のあと例年通り高校総
  体出場の選手の紹介があり、松原美華選手(3年・100m・200m)と
  荒川志穂選手(2年走高飛び)が壇上で今年の開催地島根での検討を誓った

オリンピック参加 ---------------------------------------------------------- 32
  藤田信之監督(洛8期・陸連コーチ)
  中田有紀選手(洛44期・女子七種)

   次いで洛北高校史上初のオリンピック参加となった卒業生2名については、藤田信
  之会友(洛8期)が女子マラソン野口みずき選手と共に、日本陸上競技連盟代表コー
  チとして、また中田有紀会友(洛44期)は女子七種競技に出場となった旨報告と紹
  介あり、両会友より寄せられたメッセージに出席者一同アテネの地に思いを馳せ聞き
  入り、満場の拍手で激励の意をあらわした。
   懇談が進む中、陸友会恒例の出席者による「ひとこと」があり、各卒業年度毎、正
  面に登壇、陸上競技ならではの現役時代の種目に言及しながら、現役時代のエピソー
  ドや近況を披露した。
   京都陸協の役員を務める岶田正義会友(洛4期)および青木克之会友(洛11期)
  からは、アテネまで行くとの意向表明あり、皆拍手喝采。
   最先輩の和田一義会友(洛2期)の洛北高校陸上部創設時の思い出や陸友会発足時
  のエピソードなどの話、京一中時代のオリンピック出場の歴史(1936年ベルリン
  オリンピック出場の原田正夫選手(昭5)が三段跳で準優勝)の紹介などもあり、予
  定の時刻を過ぎても、まだ話しは尽きず、司会者中締めの後、参加者は会場のホテル
  内の喫茶室や近くの店に移り、さらに夏の一夕、京一中・洛北高の陸上の歴史と活躍
  を語り合った。

叡水会(洛北高校水泳部OB) ---------------------------------------------- 33

   8月8日2時、母校プールにて集合。毎年、夏になるとボウフラの如く水辺に集ま
  りたくなる。今年の夏は非常にむし暑い、この日は晴天の真夏日ながら、やはりむし
  暑かった。新築3年の青いプール。キラキラ水にコースロープ。足腰の痛みもフッ飛
  び壮快だ。だが、昔のザラザラプールサイドも懐かしい。5月の冷たい雨の中極限の
  寒さについ机を焚火して、(コラー又やっとる)と、それを見つけた用務員(現技術
  職員)のおやじさん、学校には内緒で、ありがとう。
   さて、今の水泳部の在り方は以前とは異なる。全員一同に集まり、毎日の練習計画
  を遂行して行くというのが、かつてのやり方だったが、今は各自の都合に合わせた自
  主トレが基本になっている。それぞれスイミングスクール所属等々がその理由である
  が、自主トレはとても難しい。強い精神力がいる。青春期の部活とは何かなどと考え
  させられる。
   二次会は下鴨東華菜館にて大いに飲み、懐古談を楽しんだ。

京一中洛北高校野球部OB会 ----------------------------------------------- 33

   会報の「題字」をOB会のご長老、横地恒夫氏(京一中昭4卒)大先輩にお願いい
  たしましたところ、快く『球魂』と毛筆での書と、会の発展の為にと金一封に添えて
  頂戴いたしましたことを平成16年3月21日開催の総会で報告させていただきまし
  た。横地大先輩は法曹界でご活躍、法律事務所は高齢のためご引退とお聞きしました。
   尚、一筆戴きましたのでまとめてご紹介致します。
   会報(京一中洛北高野球部OB会)の前号に掲載の「発足の歴史について」を読ま
  れ、その経過をご理解いただきました。ただ横地先輩が京都一中在学当時の大正末期
  頃には、先輩と現役の会として[近衛倶楽部]があり京都二中、京都一商、同志社中と
  のOB戦として戦ったとのこと、これが発展して園正造京大教授を会長とした「野球
  部後援会」が結成されたようです。
   当時の吉田校舎グランドは京都隋一のもので、アメリカの球団と京都チームの有料
  試合も行われ、その際アメリカが守備につき”get no 1”(第一打者を打ち取れ!)
  の掛け声を叫んでいたのを見て、我が京都一中もこの意気を見習ってきたと昔を思い
  出しておられました。

白球にかけた青春!いまひとたび・・・・・京都五百歳野球
   参加資格は「50歳以上で、試合に出場する9名の合計年齢が500歳以上である
  こと」との定めがあるもので、京一中洛北高校チームは第1回(昭63・3)より参
  加しており、現在までに4回の優勝を果たしております。毎年若年層(50歳)が登
  録され、技術のレベルもますます向上し活発化して参りまして平成16年度の参加校
  は19校になりました。

京一中洛北高校サッカーOB会 ------------------------------------------- 34

  35年目の対戦ついに決着

   第46回全国高校サッカー選手権の決勝は1968年1月7日 洛北高校と広島県
  の山陽高が対戦し、2時間の攻防の末、結局0−0で引き分け2チーム優勝になった。
  激戦から30年が過ぎた1998年10月、広島市で再決戦、結果は再び0−0。
   試合直後「再々試合で決着を」の約束で、5年後の2003年10月13日午前1
  1時半、宝ヶ池球技場で再々決戦が行われた。
   実行委員会を組織し、春から左京区内のグランドで練習も始め、準備して臨んだ洛
  北高イレブンはメンバーの多くが今もサッカーを続けていて体力的に自信があった。
  開始早々、当時の洛北高キャプテンの竹谷氏がゴールを決め今回は点の取り合いにな
  ったが、結果は洛北高が9−2で勝った。試合後両イレブンは「頂点を目指して戦っ
  た同士の友好がこんなに長い年月が経っても生きている。試合ができることは夢のよ
  うである」と話していた。

試合後も元気なOBの声 ---------------------------------------------- 34

  「僕らの2年前から強くなって、周辺の中学校から身体能力の高い生徒がどっと入り
  当時バリバリの40代だった藤川先生のもとみんな頑張り優勝できた」
  「実業団や大学で続ける道はあったが、いずれにせよ仕事、就職との考えがあった。
  練習時間も短く、身体鍛錬もだけど頭を使って試合を組み立てていった」
  「今だったらプロからオファーが来てたでしょうね!」
  「勿論来てたでしょう。でもプロで続けることはなかなか難しいことは分かっていた。
  「今のJリーグ。幼少時代から身体的な闘争本能を育ててないので劣るところがある。
  やはり我々と同じように頭を使って作戦を組み立てる方法しかないだろう」
  「サッカー界の自分たちの時代と現在のプロリーグについて話していた。

猛暑の中サッカー部OB会
      母校グランドでプレーを楽しむ -------------- 34


   猛暑の中、いっとき薄曇りの8月15日に、恒例になっているサッカー部OB会の
  ゲームが洛北高校グランドで開かれた。10時頃から三々五々メンバーが集まりだし、
  久しぶりに珍しい顔を見つけしばし歓談。
   全国優勝した洛北17期前後が多く、50代後半、40代前半、若手と総勢30数
  名の参加となった。やがてお互いに声をかけながら、ユニホームに着替えOBだけの
  20分ハーフゲーム。
   北嶺シニアに所属している方が4人もおり、身体も軽く動き、観戦者も感心しきり。
  その後また現役高校生と若手中心のゲーム、さすがスピードの違いがあったが、ゴー
  ルキーパーのハッスルセーブ、スライディングアタックに観戦のOBからかけ声とと
  もに拍手喝采。日傘をさした藤川義人先生もにこやかに観戦していた。
   仲間と350gの重いボールを蹴り蹴れる走り走れる楽しさが観戦していた家族ま
  で伝わってきた。
   「ただ好きなだけや」のOBの一言に皆の気持ちがあらわれ、お昼すぎまでボール
  を追って楽しいひとときを過ごした。
   次回の予定はお正月1日、清々しくスポーツをゆったり楽しんでいた。

洛北高校新聞
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局友会総会開く --------------------------------------------------------- 35

   洛北高校新聞(現在休刊中)は昭和25年新制府立洛北高校発足の年に創刊号を発
  行し、以来半世紀余が過ぎたが、新聞局の発足当時のメンバーなど往年の新聞局員が
  一堂に会する「局友の集い」が昨年11月末京都駅前のホテルで開かれた。これまで
  新聞局の卒業年次による同期会はあったが、縦断的な集まりは初めてとあって会場の
  京都タワーホテル飛雲の間には、定刻に第1回卒から15回卒までのOB・OG30
  名が全国から勢ぞろい。出席者の中には現役の全国紙本社幹部も顔を見せるなか、当
  時の取材活動や広告への協力依頼さらには御池通りにあった夕刊専門紙の新聞社での
  印刷の思い出など、ここかしこで話ははずんだ。
   洛北高校新聞は全国でもその記事内容、編集レベルは高く、高校新聞コンクールで
  も入賞した実績もあり、伝統を誇るが、現在は休刊中で残念がる声もしきり。
   しかし、引き続き洛北高校生徒自治会直属の部局として放送部と共に新聞局は組織
  上存在しており、学校当局発行の学校要覧最新版でもその名を留めており、近い将来
  の復刊を期待する声も聞かれた。
   今回の集いの参加者は1期から15期までとなったが、世話人によると次回はさら
  に拡大を目指しており在局者は世話人まで連絡するよう呼びかけている。
   なお次回の新聞局友の集いは2005年9月19日(敬老の日)を予定。
伊佐世話人の話
   同窓会事務局に存在する昭和56年(30回卒)までのリスト(約190名)をベ
  ースに企画しました。簡単に引き受けたものの30年の歴史の重みを痛感しました。
  当日作成した名簿、残部ありご希望の方は連絡ください。
  連絡先は 京都市左京区----------   伊佐xx

洛北高校新聞号外発行さる ------------------------------------------------- 35

   京都駅前のホテルで開かれた新聞局友の集いに合わせ2003年11月30日付の
  号外が配布され、出席者も思わぬ紙面に驚きながら読みふけった。
   本紙は新聞局OBの青木敬之氏(11期)の編集によるもので、各局友もその記事
  の内容、割り付けの妙に感じ入りながら往年の洛北高校新聞本紙を懐かしんだ。
   本号外は新聞局卒業生の洛北高校新聞に寄せる思いが紙面にあらわれている。

青木特別号発行人の話 ----------------------------------------------------- 35
   私の青春の思い出は洛北高校新聞と病気といえるでしょう。なにしろ、断続的な病
  気休学で中学を5年掛かってやっと卒業、そして洛北高校へ。3年間はなんとか寝込
  まずに過ごせたと思ったとたん、大学受験の身体検査でX線写真を一目見た医師、「
  「あんたの行く先は大学やのうてこっちや」と療養所送りに。小学校卒業後は全く病
  気の合間に勉強していたというと聞こえは良いが、実際は講義に出るためか、新聞を
  作るためかどうも判然としない3年間を下鴨で過ごしたような次第で・・・。その「
  持病」が再発してこんなもの(号外)を作って自己満足に耽っているわけです。

支部だより ------------------------------------------------------------ 36
北海道支部 ------------------------------------------------------------- 36
 ―支部結成40周年記念総会開催―

   7月5日(土)支部総会が札幌パークホテルで支部会員14人、本部から西村淳暉
  理事長と倉知輝雄常任理事を迎え計16人が参加して和やかに開かれました。今年は
  支部結成40周年とあって、出来るだけ参加者を多く、また「若手の参加を!」との
  願いで働きかけた結果、人数も例年より増え、またこの春、酪農学園大(北海道江別
  市 =札幌の隣町)に入学したばかりの中林雄太君(洛53)も参加してにぎやかな総
  会となりました。
   冒頭、安田泰次支部長から40年を振り返るとともに、「今後とも会員に積極的に
  働きかけ、支部の一層の発展を目指したい」と挨拶がありました。続いて西村理事長
  倉知常任理事から最近の洛北高校の動きなどについて、報告と挨拶をして頂きました。

ー美瑛町の動物クリニックー --------------------------------------------- 36

   今年のゲストスピーカーは、丘のマチ美瑛町在住の木村眞さん(洛27)。7年間
  の会社勤めの後、再度大学に入学し獣医師の資格を取ってから、会社定年後に関西に
  在住していた父親の木村三朗さん(洛1)夫妻を呼び寄せ、当地で動物クリニックを
  営むまでのいろいろな出来事や、ペットを中心とした動物たちの興味深い話題を、美
  瑛町の模様を交えながら約1時間にわたって解りやすく話していただき、参加者に感
  銘を与えていました。木村さんのお父さんも参加され、40周年に花を添えていただ
  きました。

ー盛会のなか交流を深めるー --------------------------------------------- 36
   続いて参加者全員で近況報告をして交流を深めるとともに、最後は一番北(道北・
  豊富町)から参加の水谷愃一さん(昭和22卒)の締めの乾杯で楽しいひと時が終わ
  りました。
   なお、初参加の中林君は酪農学園大でラグビー部員として活躍中のほか、他にもあ
  と二人がこの春、道内の大学に入学されており、来年の総会では、これら若い方々に
  積極的に参加を働きかけたいと考えています。

ー駒大苫小牧高校・初の全国制覇ー --------------------------------------- 36
   夏の甲子園では駒大苫小牧高校が北海道として初の全国優勝を果たし、暑い夏を一
  層沸き立たせました。テレビの視聴率は地元では85%を超すなどオリンピックを上
  回るものでした。長引く不況にさいなまれる北海道ですが「やればできる」という自
  信を与えてくれました。甲子園での決勝では判官びいきか、一般の方の声援が相手高
  校より多かったようです。全国の校友の皆様本当にありがとうございました。
   (丸谷和豊 洛8記)

京浜支部 --------------------------------------------------------------- 37
   平成15年度京浜支部総会は爽やかな秋の日の11月日(土)5時からアルカディ
  ア市ヶ谷で行われた。

   今回は開催を土曜日の夕刻に、場所をJRや地下鉄などの接続が至便な市ヶ谷にし
  たこともあり、参加者は161名を数えるにぎわいぶり。金井務支部長の開会の挨拶
  に続き、恒例により出席者中最年長の近藤次郎会員(一中昭9)最年少の石井保之会
  員(洛31)の発声で、参加者一同乾杯。このあと懇談に移ったが、幹事団の予想を
  上回る出席者に会場は熱気がただよい、夏がもどったかのよう。ここかしこに、人の
  集まりが出来旧交をあたため合う姿が見られた。懇親の進む中、「あのときのエピソ
  ード」として先ず小穴雄康会員(一中特二)から京一中加過渡期の貴重な思い出話が
  あった。「あのときのエピソード」洛北編は29期生が修学企画として気球を自主制
  作し、乗鞍で上げたときの経緯が、当時の映像で紹介され、一中の伝統を受け継いだ
  洛北生の進取の気性をあらわす格好の事例として、参加の一中先輩も目をほそめ聞き
  入っていた。気球プロジェクトの思い出には、当時の伊藤先生(数学)日比野先生(
  英語)も京都から駆けつけて参加、今は社会人として団体、企業の幹部として活躍の
  当時の教え子たちに囲まれて記念写真に忙しいひとときを過ごされていた。
   またビデオレター「懐かしの校舎、恩師」は年度幹事団が京都の母校にて取材編集
  したもの。皆しばし会場の大スクリーンを見上げ、なつかしい恩師のメッセージに聴
  き入った。
   中締めの前に京一中校歌、洛北高校歌を全員で斉唱、そのあともファイナルイベン
  ト「再びの青春」として黒田康介(24期)とア・ミーゴによるボサノバの演奏が続
  き、参加者一同秋の夜長をそれぞれ市ヶ谷で友人として過ごした。
 《開催予告》
 平成16年度京浜支部総会
   日時 11月20日(土)午後5時〜7時
   場所 都市センターホテル(地下鉄・永田町 又は赤坂見付より徒歩4〜8分)
   会費 7000円(但し卒業5年以内は5000円)
   今年も土曜日の開催とし、多数のご参加を期待しております。今年度、洛北25期
   担当幹事団は母校周辺のなつかしい場所の今の姿をビデオ撮影するなど取材中です。
    総会当日は本部からもご出席賜り皆様で青春時代の話に花を咲かせたいと考えて
   おります。

東海支部総会 ---------------------------------------------------------- 38
=和田文男氏が講演ラグビー談義にも花が咲く=

   2004年度支部総会はアテネオリンピック最終日の8月29日(日)名鉄グラン
  ドホテル内のレストランで例年通り開催されました。本部から西村理事長、平岡理事
  をお迎えし、また、講師には住友商事(株)常勤特別顧問の和田文男氏(洛北5)を
  お招きして支部会員ともども総勢28名で開かれました。野口支部長の挨拶に続き、
  居島監事より会計報告があり承認されました。
   懇親会に先立ち和田氏より国際社会の中での日本商社の在り方、将来への展望、今
  抱えている弱点など、興味のつきない貴重な話題をとりまぜ、講演いただきました。
  特に、日本経済がアメリカ資本主義に追従にならざるを得ないのは、金融や商社が財
  務内容をオープンにすることによって格付けられる。この格付けを基準に金利が設定
  されるため莫大な資金運用を必要とする商社、金融等の業界では致し方のないことで
  す。
   また、同氏は日本ラグビーフットボール協会評議員をされている関係で出席者から
  日本のラグビーが今後どのように強化されていくのかとの質問があり、OBの居島氏
  を交え、ラグビー談義に花が咲きました。

=行事の継続に誇り= -------------------------------------------------- 38
   この後岸田先輩の乾杯の音頭で会食に移り、西村理事長が本部から持参の洛北中学
  校のパンフレットを出席者に配布、中高一貫教育への期待や、同窓会にはタテ型、ヨ
  コ型、その他近頃は趣味を通したナナメ型の集まりが盛んになっていると報告があり、
  東海支部では20年にわたりゴルフ会を年2回開催している点を話題に、継続は花と
  のエールをいただきました。
   宴たけなわになって平岡理事より次のような暑い熱いお話がありました。昨年「あ
  かね」で紹介された中田有紀さん(東海支部)が、洛北高校のOB・OGを通して初
  めてオリンピックの舞台に立たれました。
   藤田監督(洛北8期)もワコールから野口みずき選手と共にグローバリー(名古屋)
  へと移籍、万博も大阪から愛知へ、野球もタイガースからドラゴンズへとこの地方に
  大きな風が吹いているとのことです。
   (名古屋では、ちょうどこの総会の時期、3日間にわたり、第6回「にっぽんど真
  ん中祭り」を開催、全国から150組の踊り子を招き、見物客144万人。街中活気
  にみちていました。)

   最後に森副支部長より、両理事と和田氏への感謝の念を述べると共にこの会に今後
  少しでも若い方の参加が増えますようにとのメッセージを頂き、来年の再会を約束し
  て散会となりました。(岡崎 逸夫記)

=「東海京一中洛北クラブ」盛況= ---------------------------------------------- 38
   東海支部では30年間にわたって、毎年春秋2回、名鉄グランドホテルで懇親会が
  開かれている。この長期継続は、会員同志の同窓生としての熱い想いによるものであ
  る。野口支部長はじめ、毎回十数人、国際問題から個々の趣味にいたるまで、年齢も
  隔てず、実に楽しい情報交流の場になっているようだ。毎回最後には、中部日本の発
  展と夢を語ってお開きとか。二次会につづくことも。

第4回長岡京地域会開く ------------------------------------------------- 39
  =初秋の洛西タウンで講演と懇談=
   第4回を迎えた長岡京市地域会は、猛暑だった夏の余熱をうかがわせる初秋の9月
  12日(日)京都市西京区洛西ニュータウンの京都エミナース「金閣の間」で開かれ
  た。本地域会は、第1回長岡京市の錦水亭以来近隣地の会場で開いているが、幹事の
  工夫で毎回、会食に趣向を凝らし、また居住地に近い場所での昼の集まりのため、一
  中卒会員の出席比率が高いのが特徴。
   この日も日下義則会長(一中昭12年卒)はじめ元気な一中卒会員がずらり。最若
  手は25期の城真由美会員が向日市から参加。


=特別講演は 園 隆会員(一中昭23) 「立石一真さんのこと」= -------------- 39
   日下会長からの挨拶があり、在学当時の山本校長のエピソードを交えた話に、当時
  の一中卒生はうなずくことしきり。つづいて園会員(一中昭23)が登壇し、日下会
  長の話に関連しつつ、ご自身の一中時代の学校生活の想い出をひとつひとつ紹介。
   勤労動員と共に農作業動員のエピソードに皆戦時中の厳しい歴史に思いを至す。さ
  らに終戦前夜の社会状況、学校の様子とさながら現代史の講義が続き、混乱期におけ
  る学業復帰と、貴重な体験者の歴史に一同耳を傾けた。やがて学業を終え社会人とな
  った園会員が地元夕刊紙のジャーナリストから立石電機へ移り、創業者初代会長の立
  石一真氏の側に常にいる取締役秘書室長として、京都のベンチャー企業が世界のオム
  ロンとしてハイテク企業の雄になるまでのエピソードを立石一真氏の折々のことばと
  共に語り、皆、地元の親しい企業だけに熱心に聞き入った。

=乙訓地区の会へ拡充の方向 同好会も活発な活動= ----------------------------- 39
   このあと、本部から参加の西村理事長の挨拶などあり、幹事団からは今回は従来の
  長岡京市居住の会員に加え、隣接の向日市、大山崎町居住の京一中洛北卒業生にも案
  内を出した旨報告があった。
   二市一町で総数四百余名の京一中・洛北卒業生が居住との数字披露に皆感心。
   幹事団の案内により、今回は長岡京市の会員に加え、向日市から京一中卒の石田吉
  雄会員(昭11)、加藤裕彦会員(昭20・4)洛北卒の中山健会員(洛7)が参加、
  大山崎町からの田中建夫会員(洛10)と共に歓迎の拍手を受けていた。
   かかる状況のもと幹事団では長岡京地域会を拡大し、会員居住地域を従来の乙訓郡
  地区二市一町にする方針を発表、地区会の名称など詳細検討中。
   一方本部、他支部に先駆け活動の同好会は囲碁(藤井成卓幹事洛5)、山歩き(田
  畑正夫幹事洛5)、カメラ(一澤宗弘幹事洛11)それぞれ活発な活動をしており、
  囲碁は昨年の発足以来、月1回の月例会。山歩きはポンポン山への山歩き以来近場の
  5回行事、大文字山行の案内があった。カメラ同好会も一澤幹事中心に着実な歩みを
  つづけ、作品の発表など実績をあげている。
   このあと参加者は昼食を共にし、本部から、出席の理事長、平岡理事などと懇談。
  地域に密着した当地域会は同窓会活動の一つのモデルであり原点でもある、引き続き
  発展を祈っているとのコメントも寄せられた。
   同好会の常連で域外からの参加者も含め、午後のひとときをゆったりと過ごした。

附属中学校第一期生入学中高一貫教育の先駆けとして 教頭 桐村幸雄 -------- 40

1.洛北中高一貫教育のねらい
 -------------------------------------- 40
   本校中高一貫教育においては、自然科学の基本的な素養が将来への大きな力になる
  と考え、基本コンセプトを「サイエンス」としました。6年間の一貫した教育を通じ
  て洞察力、論理的思考力、想像力の育成を目指しております。

2.志高い第一期生
 ------------------------------------------------ 40
   新入生は、入学して7ヵ月間しっかり勉学、そして心身共にずいぶん逞しくなって
  まいりました。この間、日々の授業をはじめ週3回の7時限授業(アフタースクール
  サポート)、土曜学習(オフタイムサポート)、「私のしごと館」でのしごと体験、
  オクラホマ青年訪問団の方々との英語会話による異文化交流など、貴重な体験を積み
  重ねてきました。また、下鴨神社を訪ねて、世界文化遺産についての調べ学習も行い
  ました。

3.教育内容等 --------------------------------------------------------- 40
   中高一貫教育は、6年間を3段階に大きく区分し、効率的に履修させることとして
  います。
   基礎期 小学校の学習を基に、少人数授業で各教科の基礎を固め、学習する
  態度や意欲を形成すると共に、6年間の学習に備えて基礎・基本の徹底した習得を図
  ります。
   充実期 中学校・高等学校の授業内容を再構成して、中学校の内容の関連部
  分を合理的に履修することによって、より確かな学力の定着を目指します。
   発展期 興味・関心、進路希望等に応じて、科目を選択し、希望進路の実現
  に備えます。文系志望、理系志望いずれにも対応できる教育内容を実施します。

   <洛北サイエンス> ---------------------------------------------- 40
   6年間を通じて、学校独自の教科である[洛北サイエンス]を履修します。
    必修教科の数学や理科、科学史や数学史で学問の流れを学習、仮説、実験、検証
   など体験的な学習を通して課題解決に当たっての科学的手法を身に付けます。大学
   や企業等と連携して最先端の科学に接し、自然科学への理解を深め、幅を広げてい
   きます。
    本年度は、「Atomへの亜プローチ」「生命の神秘に挑むj「波を科学する」のテ
   −マの下に学習しています。
「Atomへのアプローチ」 京都大学化学研究所先端ビームナノ科学センターにお
   いて、世界で11台、その内日本に9台あり、第一番に導入された電子顕微鏡で酸
  化マグネシュウムの結晶を見せていだだきました。また、原子力間顕微鏡でCDや
  DVDの表面を観察しました。

「生命の神秘に挑む」 ------------------------------------------------- 40
   (株)タキイ種苗様のご協力を得て、滋賀県湖南市にあります研究農場で花の構造
  等、種による相違の観察、雌雄異花植物の交配実習などを行いました。

「波を科学する」 ----------------------------------------------------- 40
   オムロン、関西電力様のご協力を得て、光の基本原理の理解、最先端技術のデモン
  ストレーション(液晶パネル、ミュウレンズ)、波の特性について説明を聞いたり、
  実施観察等を行いました。

<総合的な学習の時間> ---------------------------------------------- 40
   総合的な学習のテーマは「発見・思考・表現」。現地調査、文献、インターネット
  などで収集した情報をコンピュータで整理し、グラフ化や統計処理によって分析し、
  まとめて発表。国語科や社会科とともに総合的に学習します。本年度のテーマは、前
  期は「世界文化遺産」、後期は「環境」です。

<学校生活> --------------------------------------------------------- 40
   行事については、文化祭や体育祭など、中高同じ学び舎で学ぶという利点を生かし
  て合同で行います。
   修学旅行は、研修として、6年間で1回、中学3年生の12月上旬にオーストラリ
  アへ行く計画をしています。洛北サイエンス、総合的な学習の時間、英語などの教科
  学習等の集大成として語学研修も兼ねて実施します。
   学期は、2学期です。
   部活動は、体育系(陸上競技、水泳、弓道、硬式テニス、女子バレーボール)、文
  化系(吹奏楽、美術、書道、囲碁、ESS、サイエンス)合わせて11部です。

<指導体制> ---------------------------------------------------------------- 41
   教科等の指導体制についてですが、中学校教員だけでなく、高校からの兼務、また
  中学校教員の高校兼務も行います。このことによって、充実した6年一貫教育の推進
  が図られると考えております。

<学術顧問> --------------------------------------------------------- 41
   中高一貫教育について、専門的な見地から様々な助言やご指導をいただきたく、次
  の先生方に学術顧問をお願いしております。
  元京都大学総長・本校同窓会会長 西島 安則 先生
  京都教育大学名誉教授      松井 榮一 先生
  京都大学教授          上野 健爾 先生
  京都大学教授          山際 寿一 先生
  京都教育大学教授        丹後 弘司 先生

学校だより ----------------------------------------------------------- 41

 第53回卒業生350名巣立つ --------------------------------------- 41
   平成15年度(第53回生)卒業式は2月28日(土)母校体育館で行われ、350名
  が学業修了を認定され、卒業証書が手渡された。卒業式には府関係者のほか、京一中洛北
  高校同窓会から理事長などが出席、母校を巣立つ卒業生に祝意を表した。

同窓会入会式も挙行学年幹事も委嘱 ------------------------------------- 41
   卒業式に先立ち前日の2月27日(金)同じく母校体育館で同窓会入会式が行われ、
  卒業者350名に対し、西村淳暉理事長より京一中洛北高校同窓会の歴史、概要を説明、
  伝統ある母校同窓会へ加わる新会員に歓迎の辞を述べた。同時に第53回学年幹事とし
  て次の諸氏に委嘱状を手渡した。
  1組 山際 海嗣  西村 由希
  2組 木村雄一郎  桧垣 佳奈
  3組 山本景太郎  田中 晶子
  4組 阪本真太郎  田家 有希子
  5組 島田 宗臣  ヒルド玲音
  6組 清水 裕也  西村 佳純
  7組 平井 清司  中江 理恵
  8組 田口 朋美  谷口 清華
  9組 三嶋 琢也  守岡 昌子

 第53回学年幹事会開く -------------------------------------------- 41
   平成15年度卒業の学年幹事の初の顔合わせが5月9日(日)下鴨の母校近くの東華
  菜館で開催、始めに自己紹介の後、出席の理事長や同窓会本部関係者が同窓会活動につ
  いての説明会も聞き、さらに同期生軸とするヨコの活動、また同窓会の一員としてのタ
  テの繋がりなどにつき相互に意見交換を行った。

 平成16年度入学式行なわる附属中学校開校式も ----------------------- 41
   平成16年度入学式は4月8日(木)母校体育館で行われ、各中学校から入学を許可
  された324名が入閣式に臨み、晴れて洛北高校生となった。
   勝間校長、来賓の祝辞などを緊張して聞いていた新入生も、あらたに洛北高生として
  の自負と責任を深めた。
   入学生の主な出身中学は、下鴨(82)修学院(43)高野(34)洛北(9)近衛
  (15)音羽(10)岡崎(9)安祥寺(8)花山(6)加茂川(6)旭丘(5)他
   また高校の入学式に併せて、同日附属中学校の開校式も行われ、府関係者の出席のも
  と開校が宣言され洛北高等学校附属中学校が正式に発足し、新入生男子31名、女子
  49名を迎えました。両式典には同窓会より西島会長が出席、祝意を表した。

平成16年度 教職員異動 ------------------------------------------------ 42
                       (右は前任校又は新任校)
  転入(高等学校)
     京崎 秀樹先生(教頭)   宮津高校
     四辻 正寛先生(社会)   鳥羽高校
     野村 康隆先生(数学)   教育センター
     太田 恵一先生(数学)   南陽高校
     佐久間良幸先生(保健体育) 農芸高校
     山口 泰史先生(英語)   鳥羽高校
     上部 佐親子さん(事務)  福知山高校
     西本 知絵さん(事務理科) 新採用
    (附属中学校)
     桐村 幸雄先生(教頭)   洛北高校
     山口 和明先生(国語)   木津中学校
     柳沢 彰紀先生(社会)   男山中学校
     沖田 悟傳先生(数学)   洛北高校
     西村 勝利先生(理科)   洛北高校
     岡田 幸也先生(保健体育) 新採用
     杉浦 律子先生(英語)   男山第三中学校
     上堀 裕巳さん(事務)   府教育庁
  転出(高等学校)
     竹田 保雄先生(教頭)   南陽高校L
     桐村 幸雄先生(教頭)   洛北附属中学校
     川北 美春先生(国語)   北稜高校
     村瀬 立志先生(社会)   山城高校
     村山 秀樹先生(数学)   山城高校
     永井 正人先生(数学)   府教育庁
     沖田 悟傳先生(数学)   洛北附属中学校
     西村 勝利先生(理科)   洛北附属中学校
     市川真美子先生(英語)   北稜高校
     石浦  貢さん(事務)   亀岡高校
     下村 恵子さん(事務)   北稜高校
     近藤 喜昭さん(図書司書) 鴨沂高校(定)
  退任(高等学校)
     鈴木 茂子先生(英語)

《体育部》
 ---------------------------------------------------------------- 42
 平成16年度主な成績
 ◆ 陸上部------------------------------------------------------------- 42
  全国高校総体
 京都府予選会(近畿地区予選会出場者)
  女子100m   松原 美華  2位 12秒16
    200m   松原 美華  3位 25秒13
   4x100m 山崎 萌 岸田尚子 岡島咲希 松原 美華 5位
    走幅跳    岸田 尚子  4位 5m32
    走高跳    荒川 志穂  1位 1m69
 近畿地区予選(全国大会出場者)
  女子100m   松原 美華  2位 11秒98
    200m   松原 美華  2位 24秒78
    走高跳    荒川 志穂  2位 1m66
 全国高校総体(インターはい・鳥取)
  女子200m   松原 美華  7位 25秒21
    走高跳    荒川 志穂  7位 1m66
 ◆ 野球部------------------------------------------------------------- 42
 全国高校野球京都府予選(太陽が丘)
  2回戦・洛北 4−3 桂
  3回戦・洛北 1−10福知山成美

 ◆ サッカー部 ------------------------------------------------------- 42
  京都新人大会 8年ぶりに優勝
     洛北 2ー1 城陽

  全国高校総体・京都府予選
   洛北3年ぶりに優勝   全国高校総体(インターハイ・鳥取)
   1回戦 洛北 1−2 作陽(岡山)
  プリンスリーグ関西Uー18 2004
   最終成績4勝3分け0敗)
   最終順位 洛北勝ち点15 2位
  決勝トーナメント 3位 入賞
 3回戦 洛北 5−3(滝川第2(兵庫)
   大江勇詞(FW)選手がU−18の日本代表に選出されました。

  ◆ ラグビー部
------------------------------------------------- 42
   全国高校総体・京都府予選
    Åブロック決勝 ベスト8
       洛北 0 − 45 京都成章

  女子バレーボール部 ------------------------------------------------- 42
   全国高校総体・京都予選 ベスト8位
   近畿大会 ベスト16位

  ハンドボール部 ----------------------------------------------------- 43
   全国高校総体・京都府予選
    男子3位
    女子優勝(14年連続優勝)
   全国高校総体(インターハイ・鳥取)
    女子1回戦 洛北 25 − 17 聖和学園(宮城)
    女子2回戦 洛北 27 − 29 桜花学園(愛知)

  ◆ 弓道部 --------------------------------------------------------- 43

    弓道部は、長い伝統と公立高校の中でも恵まれた設備と環境の中で、練習を積み、
   その成果を遺憾なく発揮して顕著な成績を修めてきました。昨年度の成績は秋季大会
   男子団体2位、男子個人3位、女子個人4位、今年度は全国高校総合体育大会の京都
   府予選で女子団体3位、そして、女子個人種目において2年生の世木里香選手が2位
   の成績を修め、全国大会(インターハイ・鳥取県米子市)に出場しました。
    現在の部員数は18名で先輩方から教わってきた礼儀を重んじる精神のもとに活動
   を続けており、更なる技術の向上に励んでいます。今年度は新しく中学生の入部も認
   められ、これからの部活動の繁栄と進展が期待されていますので、私たちも中学生の
   手本となるように努力し、より一層の飛躍を目指していきたいと思います。

《文化部》 -------------------------------------------------------------- 43
  ◆茶道部 ----------------------------------------------------------- 43
    平成16年9月6日に第55回学園祭は「やっぱり洛北・1200人ノッても大丈
   夫!!」のテーマを掲げて開かれました。台風の合間を縫い、警報も発令されて3日
   間に延びてしまいました。
    そのなか茶道部はオープンスペースで立席を設け、10時から5回、立礼の薄茶点
   前がされました。お席には矢野一甫さん筆の「清風明月」の短冊が掛けられ、お花は
   金水引と槿(むくげ)、お菓子は幸楽屋の萩きんとん。2時からの最後のお席では高
   校3年生唯一の男子部員が流れるような見事がお手前を披露。このご亭主が自らひね
   った茶碗でお茶が立てられました。迎えたお客は約60数名でした。
    茶道部は3年生1人、2年生3人、1年生3人合計7名。週2回の練習。水曜日に
   は裏千家の小坂宗明師匠にご指導をいただき、和気藹藹に活動しています。

平成15年度(平成16年3月期)決算のあらまし --------------------------------- 44


    同窓会活動は皆さまの会費納入があってもことであり、皆様の一層のご理解をいた
   だき引き続き会費の納入をお願い申し上げる次第です。
本部だより ------------------------------------------------------------- 46
「一中の柳」に銘板 ----------------------------------------------------- 46
    京都一中が吉田校舎(明治30年建設)を開校した当時、校庭にシダレヤナギが植
   えられた。校舎は昭和4年、下鴨の地に移転したが、その柳は現在も私立近衛中学校
   の門柱に老体を支えられ、「一中の柳」と親しまれ、ひとり吉田の地ですごしてきて
   いる。
    下鴨の地の学校は戦後洛北高校となり、平成14年に校舎は改築、下鴨新校舎が誕
   生した。新校舎完成を機に中庭のクスノキのそばに、近衛のシダレヤナギの枝の挿し
   木が移植され「一中の柳」の分身が新しく下鴨で定着。京一中の吉田時代をよく知る
   「一中の柳」の由緒を伝えるため、この夏シダレヤナギの前に銘板が設置された。

理事会だより ----------------------------------------------------------- 46
 臨時理事会 ・平成15年11月1日(土)
   議題 ◇50回記念総会関係打ち合わせ◇同窓会本部組織
 第1回理事会 ・平成16年3月7日(日)
   議題 ◇平成16年度活動方針・予算◇資料室設備・広報関係他
 第2回理事会 ・平成16年6月6日(日)
   議題 ◇平成15年度決算 ◇あかね編集内容 ◇支部関係他
 第3回理事会 ・平成16年9月5日(日)
   議題 ◇平成16年度定例総会 ◇あかね編集進捗状況 ◇各支部報告他

寄贈本のご紹介 --------------------------------------------------------46
 『鍼の道 一内科医の青春』 高島文一(京一中昭和6年卒)
 『翔 舞』未央会傘寿記念文集 未央会(京一中昭和17年卒)
 『歌句集 片 雲』 森田宜道(洛北旧職・英語昭和25〜33)
ご遺族から遺稿集を数十冊寄贈。ご希望の方は同窓会事務局まで。
◎「あかね」第42号発行にあたり本年も多くの会員の方々にご協力を賜りましたことをこ
 こにお礼を申し上げます。広告掲載のほかに、ご寄付をいただきました各氏に厚く
 お礼を申しあげます。
  嶋田穣治(昭和15年卒) 谷口成之(昭和20年四卒)
  藤村和正(洛北4期)   庄山恒夫(洛北13期)

編集室から
 春、下鴨の地に58年ぶりに中学1年生の姿。附属中学校新入生。夏、高校総体出場を祝
 す横幕。今年はもう一つアテネ五輪の幕。秋、母校を訪れ「一中の柳」を見つめる卒業生
 の姿。冬、京都駅前で同窓会総会。中高一貫一期生を軸に母校の近況を特別顧問が語る。
 一年ぶりに同窓生が集う機会。
あかね第42号
平成16年11月1日発行 非売品
発行所 京一中洛北高校同窓会
    京都市左京区下鴨梅ノ木町59 京都府立洛北高校内
電 話 075−712−0375(ファックス共用)
発行者 西島 安則
印刷所 (有)森田美術印刷
会費納付のお願い
 京一中洛北高校同窓会は、会員相互の連携を深め一層の親睦を図ることを目的として
います。その事業活動は、会員の方々からおお納めいただく会費によって運営されてお
り、お届けした会誌(あかね」の発行をはじめ、会員名簿の維持管理、各支部、地域会
学年会、OB会、母校への支援等々に使われております。
 同窓会費の前納割引制度もご利用いただき、同窓会の活動と発展のため、趣旨をご理
解いただき会費納付へのご協力をお願い申し上げます。
 年度会費 平成16年度分    2000円
  前納会費(3年前納)平成16年〜平成18年分   5500円
  前納会費(5年前納)平成16年〜平成20年分   9000円
 下鴨校舎70年の軌跡(平成15年5月1日発刊    600円(送料込み)
 同窓会徽章(平成15年)              500円(送料込み)
 「下鴨校舎70年の軌跡」「同窓会徽章」とも振込取扱票にてお申し込みください

 振込取扱票にてご納入の方は、振込票兼受領証をもって領収書とさせて頂きます。
 なお、宛名ラベルに「会費前納済み」とある方は、本年度会費振込みの必要はご
 ざいません。
 会員名簿 平成12年度版 5000円(送料込み)の在庫があります。振込取扱票
 にてお申し込みください。

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