剣幸会

剣道日誌から
岩立三郎先生との稽古


平成23年 1月 1日 (松戸市第五中学校体育館)
    ちょうど一年前(平成22年)の元日、初太刀に先生から参ったと軽く会釈があった。初太刀では初めてだった。
 暫くの対対からすうっと中に無視して身体を進めた。先生は一度返し胴に捌こうとの気配があったが、私に実がなく虚であったのでそれを止めようとされたと思う。たまたまそこに身体が反応した。面が出せたのだ。軽く面金に触れた程度でとても一本というレベルの技では無かったけど、私にとっては画期的な出来事だった。ちょっと自慢話。
 この理合はここ2年間勉強中のところ。他の八段の方に稽古を頂くときも、この部分を磨きたいと思って初太刀はこの空気を作ろうとすることが多い。すうっと入る時に右に流れる傾向があるのでその部分は指摘されることがあるし、技が出ないときは待ってると厳しい指摘を受けることもある。しかし、何と言われてもそれをまず試している。それを試すように教えを受けているからであるが、剣道が急に楽しくなったきっかけである。

 さて、今年の初太刀。まずは蹲踞からの立ち上がりに集中した。上位の相手より先に所作を起こさないのは昔からの岩立先生の教え。しかし、蹲踞から立ち上がりが遅れると、必ずすっと先に間を詰められてしまう。前回はそれが嫌で遅れないように立った。しかし、今日はそれでも若干後から立ってみようと思っていた。

 中墨に岩立先生の切っ先がすっと入ってきてピタリと留まった。四年前はこの瞬間にもう何も出来ないと思ってしまった。あれからちょうど丸三年。今日も形的には同じ展開である。しかし、どうぞという気持ちで竹刀は重なった。ヤァーという声は出す空気でもない。ここで強い気当たりを入れても意味がなく逆に硬くなって苦しくなると身体がそう感じたのだろう。声は出てこなかった。そのうち対対になったと思う。いや対対に一度戻してくれたのだと思う。
 さて、どの時点で仕掛けるかだ。実実の強行突破は選択肢にない。虚で仕掛ける。でも溜めが甘く見切られてしまう。胴に返される余裕は消せていなかった。
 二合い目、先生が実から虚になる瞬間だと感じて出たが、引き出された。またしても返し胴。今度は体捌きまではされなかったが、返し胴を止めるふりをして返し胴。三手の読みを五手の読みで出されて遣われているかな。一年前の技はこうして不発に終わった。
 打つことを頭の中から消せていないことが失敗の原因とすぐに分析した。打つ技を脳裏から消してすうっと入りなおした。足は実だが頭は無の状態ができてはいたと思う。岩立先生の面が飛んできた。すり上げて面に身体は反応したが、自分の体が自然と横に逃げた。もう先生の面はそこにはない。
 もう一度。今度はすり上げて前に面が出た。やや深いが、身体はさっきよりいい反応をした。無を遠い間から使ってしたからかな。次はそのまま小手に身体が反応した。しかし、手元はまだ上がってはいないので拳の小手だった。でも上出来だと思った。
 いいとこ一本。一本勝負となった。竹刀は裏で交差した。そして止まった。裏交差で対対となったのは初めて。戸惑っている自分を意識した。そこに稽古時間終了の合図。頭には面が浮かんでしまっていた。もうこれで負けだった。小手にくる端を前に追ってと決め打ちにいったら、そのまま甘し気味に返して逆胴。左に体を捌いての逆胴。秋田の目黒先生が頭によぎる。岩立先生は返し逆胴を今日は他の人にも打ってたけど、私には初めてだと思う。左に捌かれると脆さが倍増することを自覚。参りましたをして納刀した。

 岩立先生との稽古回数を調べてみた。平成22年(昨年)は元旦に1回。21年は京都で1回。20年は無し。19年1回。18年元旦に1回。17年無し。16年には1回。なんと15年に七段になってから今回でわずかに6回目の稽古のようだ。
 六段以下の頃に頂いた稽古は、延べ1000回を超えるが、何も工夫しないでただ掛かっていたと思う。そして今、年に一度ペースの今の稽古が、毎回有意義になっていて、一年前と次の稽古が繋がってその続きをしているように感じるのが不思議なところ。



平成25年 1月 1日 (松戸市第六中学校体育館)
 今年の稽古始は岩立先生と決めていた。今年は七段10年目にあたり、ある意味特別な気持ち。やっとスタートラインにつけるから。
「審査はな・・・。あせっちゃ駄目だぞ」。
稽古直後に入り方の研究不足をとにかく指摘された。
最近稽古はもらってないけど、会う度にそこのそころについていつも指導されていたから。
もうこの一言が全ての初太刀をやってしまった。
しかも、一分程度で、ど真ん中を仕留められて、これはもう終わるしかないでした。打ち込みさせて頂きました。

 気あたりすると、吸い込まれてしまう。これが、引き出しなのだろうか?いっちゃったら終わっちゃいました。誘える相手に適当に引き出してる七段までのレベルではとても無理な感覚なのです。「棒身」にはさらにもっともっと奥深いものがあるようです。

 昨年(平成24年)の元旦は、まだ反射で打つ応じの剣道の研究中だったので、先の仕掛け技はほとんど出さない頃だった。出小手と返し胴なんかを打って終わったはずです。感触はまずまずだったけど、東京、京都と応じ技しか有効打に出来ない自分にがっかりしていて、勝っても全然満足のまの字も無かった。とんでもないところに出てしまうということはなかったけど、出ていかないのだからあるはずもないわけです。
 そこで、五月の京都以来、ただ仕掛けの攻めを研究してきたつもりです。先先の先ではなく、先。
岩立先生と今までの稽古の中で、きっと今日が一番何にもさせてもらえなかった稽古だったと思います。