無駄打ち

 「絶好の機会を逃す」光景はよく見られます。

 未熟なDrは、決まって処置は遅いです。でも、これは慣れからくるものだけではありませんね。たとえその処置を施す経験が少なかったとしても知識や訓練はしているはずなんです。剣道でいうと、稽古はしているんです。
 中には初めの処置で時間は少しはかかるかも知れないが、正確度は合格ラインに届いているという力の持った新人Drもいるんです。二度目には群と時間が短縮されていきます。こういう先生は若くても光っているんですね。いつまでもトロイ先生と何処が大きく違うのかな。

 無駄な動作が多いんですね。無駄なことが多くても肝心なところが成功すれば、まあいいかと考えますが、肝心なところへは到達しないんだな。ポイントはしっかりと外し続けてしまうんです。

 昇段審査や試合においてはどうでしょう。「機会じゃないところを打たない。機会を捕えて、あるいは機会を作って打つ。」といいますが、「打ちすぎた」という人ほど、打つべき機会には打っていなかったりします。逆にその機会に打たれていたりもするんですね。「一杯手ごたえはあったのに、あそこで一本打たれなければなぁー」という反省では次もまた一緒の可能性が高いでしょうね。

 全くの力不足では、体も手も動かないでしょうが、ここではその話は論外です。合格してもあるいは勝っても不思議ではないはずのレベルと自分で思っている人。あるいは教えている後輩に対して思っている人。結局分かっていないので不可と判断されてしまいますよ。試合ではここ一番に勝てないでしょうね。

 まず、無駄な動作をしない。余分な動作をしない。ここからが上達への近道でしょうね。ポイントを覚える、ポイントを外さない。これこそ最初の一歩かもしれませんね。
 「打ちすぎた」じゃなくて、「打てなかった」という反省の場合は、次の結果が楽しみです。ポイントが分かっているようですからね。

 先日、治療が初めてでおびえている3歳の子供を診察することになりました。
子供をユニットに座らせて母親とお話をしておりました。そこに、新人のDr.がパチッとライトのスイッチを入れました。
 最悪の余計な行動ですね。この3歳の子は、自分にライトを向けられるという経験もまだ無いのです。本人に電気をつける理由を教えてあげる順番を飛ばしました。お手伝いのつもりでライトをつけたこの小さな軽はずみな行動が、「初めてのことに不安をもっている子供の心理を読めなかった」という大きなポイントを外したことになるんですね。
真面目なんだけど、こういう人は剣道をやってもなかなか良くなりませんね。

 『余計な行動が、ポイントを外す』という共通点が考えられますね。