雷獣兄弟が純粋な悪といえないのに、あっさり殺されたのはどーか、という
 ことですが・・・私の考えはちょっと違います。

 悪といっても、それは人間にとって迷惑だからそーなんであって、妖怪にも
 やっばり妖怪の都合というものがあるでしょう。
 「人を殺してはいけない」とか「自分にとっていやなことは他人にもしては
 いけない」とかはあくまで人間の側の基準であって、妖怪がそれを守って
 人間を相手にその基準を適用することを期待するのは、始めっから相当に
 無理があります。ですから、妖怪相手に善や悪で括ってもほとんど意味が
 ないのではないでしょうか。 

 無女や現シリーズの妖怪などが典型的ですが、妖怪には妖怪の世界があって、
 価値観があります。そして、この登場するすべてのキャラクターに独自の
 世界や価値観や都合といったものが確かに存在するといったところが、まさに
 るーみっく・わーるどの本質であると思います。

 さらにいえば、高橋先生は「人は最終的には価値観を共有しえない」と考えて
 いるような気がします。『犬夜叉』の妖怪達はこのディスコミュニケーション
 の象徴であって、「絶対に価値観を共有しあえないもの」であると。
 そんな中で結ばれた犬夜叉の両親は、そりゃあもうロミオとジュリエット
 どころの騒ぎじゃあないくらいの奇跡だったでしょうし、鉄砕牙もそーゆー
 『犬夜叉』という作品の本質に深く関っていると思います。(桔梗がどういう
 女性だったかはわかりませんが、おそらくこの問題と無関係ではないでしょう。)

 そして、「人は最終的に価値観を共有しえない」(「都合を共有しえない」
 と言ってもいいですが)ということは、「そーゆーもの」として前提にある
 だけで、それ自体は悲劇的なものとして描かれているわけではありません。
 同じものが『うる星』や『めぞん』、『らんま』では喜劇として描かれ、
 『笑う標的』などでは悲劇として描かれているわけです。

 高橋先生のそういう人間理解は非常に厳しく、鋭いものですし、同時に
 やさしさや愛情に満ちていると思います。
 だからこそ、るーみっく・わーるどの地母神として世界とキャラを見守り
 続けていくことができるのでしょう。

 (え? 某映画を見たんだろうって? 
  はっはっは そのとーりだよ。明智くん。)

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