> 『らんま』では、高橋センセは良くも悪くも作品世界の「絶対者」として存
>在していたような気がします。キャラという将棋の駒を動かす将棋さし、です
>ね。それは当然『うる星』『めぞん』の頃からそうだったわけですけども、
>『らんま』では各種のマンガ描きの技巧が『うる星』『めぞん』の頃よりも上
>がってより完璧な“将棋”がさせるようになった分、逆に読者が盤上に入り込
>んで楽しむ余地が減ってしまった、「これは所詮将棋である」という構図が読
>者にもはっきり見えるようになってしまった……と。


 盤上に入り込む余地、というのはキャラが駒だからというより視点の違い
 のせいでしょう。自分自身も若かったころは意識せずに自分と重ねていけた
 のが、(これは感情移入ということで、『うる星』のキャラの性格が先生の
 性格とは正反対であるということはご自身が明言しておられます。一応先生
 の名誉のために一言。)年齢を重ねられて既に一回り以上も違う「子供向け」
 を描くとき、その視点が「子供を見る大人」のものになるのは当然とも言え
 ます。
 もっともオリジナルでの読み切りでも、この「一歩引いた視点」で描かれて
 いることが多いですから、これは作家としての先生の質が変化したという
 べきかもしれません。

 いずれにしろ、これは描き方の違いであって、それ自体ではどちらがいいと
 いう種類のものではないでしょう。いま思えば『うる星』はゲーテが若さに
 まかせて『若きウェルテルの悩み』などという無茶苦茶な小説を書いたよう
 な若気の至りであったような気もします。

 それと、私はるーみっくのキャラが駒であるとは思っていません。昔から
 キャラに対しては冷たい方で特に男は無茶な苦難を受けますが、それは
 キャラがしっかりとした自我をや、苦難をはね返すだけの力を持っている
 からこそです。らんまにしてもテーマとなるストーリーを描くためにお膳
 立てはしても、操り人形のようにただ思うとおりに動かす、ということは
 できない方だと思います。(将棋とゆーよりはポピュラスやプリメかな?
 どっちもやったことないけど。)


 ここからは一般論ですが、つまらない要素をいくら列挙してもつまらない
 理由にはなりません。初期るーみっくの絵が下手だとか設定がいいかげん
 だとかいっても、それで初期るーみっくはつまらないという人は少ない
 でしょう。(自分のハダには合わない、という人はいるかもしれませんが)

 また、他の作品にある「おもしろい要素」が別の作品にはない、といって
 責めるのも筋違いというものです。それは別の作品なのですから、同じ
 おもしろさを持つ義務はないのです。


 私は『らんま』ファンですが、実は私も後半のらんまでは楽しめない話の
 ほうが多かった記憶があります。(おろしろいエピソードは死ぬほどおも
 しろいのですが。)しかし、「これこれがないからこの作品はダメだ」
 というのはただのわがままであるような気もします。

 しかし、ほめるにしろくさすにしろ素直な感想というのは読みたいですし
 (特に自分と違う意見は)、世の中にはほんとーにどーしよーもないほど
 ダメな作品というのも存在しますから、これはこれで難しい問題ではあり
 ます。

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