> ただ、竜之介にはこの上ない明確な目的がありました。まともな女になりたいと
>いう目的があって、その目的絡みでみんなが関わってくる。
乱馬の場合は男溺泉がかかわるとこんな感じでしたね。普段は全然男溺泉に
対して積極的に動こうとはしていないくせに、誰かがこの話を持ってくると
途端に目の色を変える。
このあたりはせぇらぁ服に情熱を燃やす竜ちゃんを見る思いがします。
竜之介のほうはブラのために金をためたり、涙ぐましい努力を続けてた
よーですが・・・。
しかし乱馬が女の体を十二分にエンジョイしてたのに比べ、竜之介は切実
ですね。
「女にも戻れねえ! 男にもなれねえ! おれの一生はムチャクチャだ!」
とか
姓転換銃を向けられた時の
「おれみたいな女・・・いっそ男になった方が楽かもな!」
とか
まさに聞くも涙、語るも涙の物語・・・
これは乱馬には男溺泉という解決法があることがはっきりしていたから
でしょう(このへんは昔VANに書いたな)。・・・ん?そーいえば男溺泉
のことを知る前からけっこーエンジョイしてたよーな・・・やっぱ性格かな。
ま お湯をかぶれは男に戻れるわけだし、突然女になったんだから戻る方法も
あると思ってたんでしょう。女になったあたると同じですね。
ところで、竜之介のこーゆー悩み性のとこや激しいボケは、むしろ良牙に受け
継がれてます(髪も一緒だし)。竜之介の後継者は良牙といったほーが適当
かも知れません。
>
その構成重視という接し方が、どうしても「一歩引いた視点」というか「全体を
>見通す一段高い視点」となって作品に表れてきたんじゃないかという気はします。
それもあるでしょうが、『らんま』のキャラに関して言えば私はやはり
「子供を見る大人の視点」というのを感じますね。
象徴的なコマが20巻P126の4コマ目、猫魔鈴の呪いからシャンプーを
救いにいった乱馬達が猫魔鈴を無視してわいわいやってるとこで、基本的に
『らんま』はこういう視点で描かれていると思います。
この「わいわい」が『らんま』の勘所で、そーゆーお気楽なコメディですから
無理に乱馬が積極的にストーリーを引っ張っていく必要もなかったんでしょう。
ただ、構成の重視が「一歩引いた視点」となって現れているというのも、
やっぱり最近の先生の特徴でしょう。主人公が徹底的に傍観者で名前すらない
という『鉢の中』なんて象徴的ですね。