いまさらながら、おやじグラフィティ雑感。

いつもどおりのハートウォーミングで時事問題をさらりと調理・・・と見せかけて
実はるーみっく史のターニングポイントがここにあると見た。

私はこれまで高橋留美子をディスコミュニケーションの作家と規定してきた。
「笑う標的」「鉢の中」等のシリアスものはもとより、「めぞん」や「うる星」等
のコメディにおいても言葉による相互理解というものはなかったし、分かり合えな
くてもそれでもなんとかやっていけるという、いわば楽天的なニヒリズムがこれま
での作品には通底していた。

それがこの「おやじグラフィティ」では話し合うことで心を通わせ、
「一晩かけて説得」する。

この変化が持つ意味を持つ意味を今確定させることはできないが、一つ考えられる
ことが「犬夜叉」の存在である。
ここに登場する奈落や桔梗のようなキャラクターは、これまでようなエンドレスの
最終回で済ませるわけにはいかないし、梓のようにただ消えていくというわけにも
いかない。なんらかの決着をつけなければならないのである。
今回描かれた相互理解の可能性がその前触れだとすれば、高橋先生の中では
「犬夜叉」の終局のあり方が既に固まりつつあるのかもしれない。

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