「男性向け魔法少女アニメ」という矛盾

 「まどか☆マギカ」は雑誌「おともだち」の表紙を飾ることはない。「まどか☆マギカふりかけ」も「まどか☆マギカぬりえ」も商品化されなかった。言うまでもなく、「まどか☆マギカ」は幼女ではなく男性アニメファンをメインターゲットとした作品なのである。同じ「魔法少女」の系譜の上にありながら「セーラームーン」や「プリキュア」と決定的な断絶があるのはここである。「男性向け魔法少女アニメ」という矛盾に満ちた存在はいかにして可能になったのだろうか。

 「男性向け魔法少女アニメ」というジャンルは「魔法少女プリティーサミー」を嚆矢とする。初出は1993年であり、1992年に始まる「セーラームーン」の影響を受けたものであった。1995年にはOVAとして単独でリリースされている。本来この企画は「天地無用!」シリーズのスピンオフ作品である。「天地無用!」は「消極的な主人公と、ほぼ全員が主人公に好意を持つ多数の美少女キャラ」という現在主流となっているスタイルを確立したシリーズとして記憶される。「プリティーサミー」の主人公である砂沙美はその中でもメインヒロインという位置づけではなかったが、唯一の幼女キャラとして強い支持を集めた。すなわち、「男性向け魔法少女アニメ」の成立は、本来のメインヒロインにはなりえない幼女に対する偏愛という屈折した状況の反映でもあった。程なくして「萌え」として定着するこの偏愛を持つ当時のオタクは、明らかにマイノリティとしての自己を意識していた。「男性向け魔法少女アニメ」は「幼女を偏愛する男性アニメファン」に対する自虐的なパロディなのである。

 2002年に始まる「ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて」はより明確にパロディという「毒性」を前面に出している。「小麦ちゃん」も「プリティーサミー」同様に「The Soul Taker 〜魂狩〜」のスピンオフとして企画された。「The Soul Taker」がかなりシリアス寄りの作品であったのに対し、「小麦ちゃん」はギャグ寄り、それも相当皮肉に満ちたギャグ作品であった。「小麦ちゃん」はモナーに代表される2ちゃんねるのAAを初めて商業ベースで映像化した作品であり、様々なパロディを組み込んだ作風は「オタクであること」の自意識に溢れていた。「小麦ちゃん」は「撲殺天使ドクロちゃん」「大魔法峠 」へと続く「邪道魔法少女三部作」に発展し、パロディとしての「男性向け魔法少女アニメ」はここで一つの完成を見る。

 2004年にテレビシリーズが始まる「リリカルなのは」シリーズも、その始まりはスピンオフ作品としてであった。元作品である「とらいあんぐるハート3 〜Sweet Songs Forever〜」は18禁パソコンゲームであり、どう間違っても「本来の」魔法少女アニメのターゲットが手に取るような作品ではない。魔法少女という形態は明らかにパロディであった。しかし、「なのは」シリーズは3本のテレビシリーズと劇場版に至るまで成長し、元作品を大きく凌駕することになった。「嘘から出た真」というべきか、パロディから始まったこの企画はパロディであることを忘れて大真面目な「魔法少女」ものとしての地位を確立してしまったのである。無論、この背景には2000年代にオタク文化が急速に一般化し、オタクが屈折した自意識を持つ必要がなくなったという事情がある。

 2011年に「まどか☆マギカ」が登場した背景には、このような「男性向け魔法少女アニメ」の蓄積があった。「まどか☆マギカ」は初めからパロディではなく、オリジナルの「男性向け魔法少女アニメ」として企画され、それが成立するほどに市場は成熟していたのである。だが、「男性向け魔法少女アニメ」という根源的な矛盾を抱えている以上、「魔法少女とは何か」という問いに向き合わざるを得ない。「まどか☆マギカ」はこの問いに「いずれ魔女になる存在」という答えを与えた。この答え自体にはそれほどの意味はない。「男性アニメファンが魔法少女アニメを見ること」が疑問とならなくなったとき、批判精神は「魔法少女」そのものに向かったのである。

 1979年に「ガンダム」シリーズが始まり、男の子のためのものだったロボットアニメは大人の鑑賞に堪えるアニメとして発展した。それから16年後、1995年に「エヴァンゲリオン」は「なぜ巨大ロボットなのか」という問いに答えを与えている。1995年に「プリティーサミー」のOVAが発表され、それから16年後の2011年に「まどか☆マギカ」が現れたことはおそらく必然であったのだろう。

(初出:2011年8月14日  WWF  No.44)

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