「僕」がいない世界

「空気系」というジャンルがある。京都アニメーションでは「らき☆すた」や「けいおん!」に代表される、女の子の何気ない日常風景をテーマとするジャンルである。このジャンルは、直接的には1999年の「あずまんが大王」によって確立されたといっていい。この時明確に確立された要素は、「特定の主人公がいない」という点である。

「らき☆すた」ではこなた、「けいおん!」では唯が主役という位置づけにはなっている。しかし、この「主役」には読者の視点に立つキャラクターという機能はない。萌え系のもう一方の主軸であるギャルゲーがプレーヤーの視点となるキャラを必須とするのに対し,これは大きな対立点である。「思想地図 vol.4」の「物語とアニメーションの未来」では、この問題を「『僕』が消えた」としてギャルゲーの発展形としているが、これには異論を呈したい。「Air」ではプレーヤーが画面から退場していき、「ひぐらしのなく頃に」ではプレーヤーははじめから選択に関与できない。しかし、読者の視点が設定されていることには変わりがない。むしろこれらは読者の視点という機能のみが残された例と言える。

ギャルゲー系萌え作品が一人称で描かれているのに対し、空気系萌え作品は三人称で描かれていると言える。ギャルゲーを引き合いに出すまでもなく、創作物は受け手が主人公に共感し、追体験することで成立してきた。「らき☆すた」も「けいおん!」も「女の子の何気ない日常風景」ではあるが、勿論本当にただの「日常」であったらそれこそ「お話」にならない。日常から逸脱する「ボケ役」とそれを回収する「ツッコミ役」は確かに存在する。その逸脱の振れ幅は、確かにSFやファンタジーに比べて小さく見える。「ハルヒ」における逸脱の振れ幅を100とすれば精々10程度だろう。だが、「ハルヒ」は作品世界の枠が100あるから100の逸脱ができるのであり、「けいおん!」は10の枠の中で10の逸脱をしているのである。枠に対する逸脱の割合はどちらも100%である。ただ、普通は「ツッコミ役」が作品の一人称となるが、「らき☆すた」のかがみも、「けいおん!」の澪も、作品が彼女らから見た世界として描かれているわけではない。これは別に「ツッコミ役」が女性だからというわけではない。「魔人探偵脳噛ネウロ」では男性キャラが非日常の「ボケ役」、女性キャラが日常、の「ツッコミ役」であり、作品は彼女の一人称として描かれる。少年向け作品であっても女性キャラは読者視点の役割を十分に果たしている。

これら「空気系」の成立と受容には「セーラームーン」に代表される少女向け作品の受容があった。「あずまんが大王」のあずまきよひこも一時期「セーラームーン」で同人活動をしている。「セーラームーン」の主人公は月野うさぎであり、少女向け作品としては読者視点として機能する。だが、男性読者が「セーラームーン」を見るときに自分と月野うさぎを同一化することはない。男性読者が楽しむのは「『僕』がいない」世界でのキャラクター同士の戯れである。ライトノベルの分野では、典型的な少女向け小説である「マリア様がみてる」が男性読者に受容された例が解りやすい。このシリーズの多くは由美の視点から描かれる。「冴えない自分」と「憧れの存在」という少女漫画の典型的な構図であるが、男性読者が受容するのは「自分」がいない世界である。

いわゆる「空気系」萌え作品は「男性読者による少女向け作品の受容」に発端し、キャラクター同士の戯れという要素に特化して再生産されたものといえる。しかし一方、「けいおん!」は女性読者に対しても一定の支持を受けているのである。ある女性向けアンケートでは「けいおん!!」が同率一位に食い込んでいる。

■2010年春アニメを改めて振り返って、この作品がよかったベスト10
1位:薄桜鬼
2位:けいおん!! (第2期)
3位:荒川アンダー ザ ブリッジ
4位:おおきく振りかぶって〜夏の大会編〜
5位:ヘタリア Axis Powers(第三期)
6位:会長はメイド様!
7位:Angel Beats!
8位:WORKING!!
9位:裏切りは僕の名前を知っている
10位:ケロロ軍曹(第7シーズン)
http://mmd.up-date.ne.jp/news/detail.php?news_id=549
※「けいおん!!」は2位となっているが実数では814票で同率一位。

「薄桜鬼」は明確に女性視点の逆ハーレムものだし、4・5位もBL系として理解できる。3位は女性向けというわけではないが、ほぼ純粋なギャグ作品なのであまり性別に依存はしないのだろう。だが、「けいおん!」この中にあっては相当異質である。ネット上の感想では、女性ファンは「けいおん!」を萌え系作品としてでなく、登場人物に共感し、追体験するという、ある意味真っ当な受容をしていることが見てとれる。つまり、キャラクター同士の戯れとして三人称的に描かれた「けいおん!」を、女性読者は一人称的な作品として受容しているのである。この逆輸入現象はある程度意図的なものであろう。「けいおん!」がアニメ化されたとき、主要スタッフを女性陣で固めたことが話題になった。女子高生の描写にリアリティを求めるという狙いはあったにしろ、男性作家(「けいおん!」作者のかきふらい氏は男性である)の作品を女性の視点で捉えなおすという意図があったことは想像に難くない。

男性読者による少女向け作品の受容と、女性読者による空気系萌え作品の受容は丁度鏡写しのような関係にある。男性読者が少女向け作品の中に作者の意図せざる萌えを見出すのと同様に、女性読者は空気系萌え作品の中に作者の意図せざる「私」を見出すのである。

(初出:2010年12月30日  WWF  No.43)

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