新日本国憲法ゲンロン草案

草案全文

日記とtwitterでの感想のまとめ的なもの。

前文に国民主権を謳ってるのに、下院が住民による選挙だったり、住民が憲法制定権力の主体だったり、明らかに住民主権も入ってる。元来、主権は単一であることに意味があるのに、二つあってはどちらが「最高」なのか解らない。二元性原理の下に国民主権と住民主権の並立を打ち出すなら、それを明記した上で優先順位を示すべきだが、前文にも条文にも「国民主権」しか明記してない。

総理を直接選挙で選ぶのに、下院の過半数で不信任できるというのがまったく解らない。第五十八条に不信任決議権の規定があり、議決について特別多数の規定もないから、当然過半数で不信任は成立するんだろう。ネジレの回避を図ったんだろうが、それなら素直に議院内閣制にすればいいだろう。選挙制度によっては、総理と下院が延々と不信任と解散を繰り返すことになる。下院が比例代表のような少数代表だったりすると、首相公選制時代のイスラエルのように総理の権力は非常に弱くなる。

国民が直接選ぶから下院も尊重するだろうというのは楽観的に過ぎる。下院を掌握していない総理が誕生した場合、しばらくは不信任もないだろうが、政議の失言を槍玉に上げて、人気が落ちたところで任命責任とかいって不信任というのは非常にありうるケースである。人気が落ちるのは当選から半年もかからないだろう。

特に第三十一条で下院の総選挙があった後に総辞職するというのは完全に意味不明。国民投票で総理になったものが下院の不信任を受けて、下院を解散して総理派が多数を握れば、そのまま総理を続ければいいじゃないか。もう一度国民が投票して総理を選びなおす意味がない。

ひょっとしたら、「総辞職」というのは政議の総辞職で総理を含まないという意味かもしれないが(そうとう無理があるし、p162の図とも矛盾するが)、そうすると第三十条で下院の不信任を受けても総理は辞めなくていいことになってしまう。総理を不信任してるのに総理が辞めなかったら意味がない。

※第二十九条で総理は政議の一人であると規定してありました。

そもそも総理を選ぶのは「国民」、下院を選ぶのは「住民」なので、「国民でない住民」や「住民でない国民」の存在により、総理と下院の対立はどうやっても解消できないという事態もありうる。そうなった場合、総理が元首としての地位や国民主権をタテに超法規的に権力掌握を図ることも考えられる。

この体制で成立するとしたら、総理が独裁体制を敷いて下院を掌握するか、総理は「君臨すれども統治せず」で下院の意向を受けた政議院に全権を委任するか、どちらかだろう。両者の対立を調整するには、「のりしろ」が少なすぎる。

基礎自治体がSNSによる直接民主制を含めて自分の統治機構を選べるようにするのはいいんだが、選挙権とかの政治参加の権利を保障する最低水準ぐらいは必要じゃないか? あと、公務員は普通選挙になってるが、地方が非公選の上院を置きたいというなら認めていいんじゃないか?

住民院が下院、国民院が上院って普通の感覚だと逆なんだが。国民主権を謳っているのに国民院が下院じゃないのはどういうわけだろう。これだと国外にいる国民は主権行使ができない。今でも在外投票で国外にいる日本人は下院選挙に参加できるのに。二院関係は相当な下院優位だが、上院不要論が常にでてくるんじゃないか?

しかし、議会のあり方を論ずるのに政党や選挙制度について検討した形跡がない。選挙制度や政党制によって議会の位置づけは全然変わるのに。

24条の削除は、まあ妥当だろう。「私的な関係」というのは「私人の間の関係」という意味で、公法である憲法の範疇外だから。売買契約について憲法に書く必要がないのと同様、婚姻も私人間の契約の一つと考えれば憲法で規定する必要はない。

根本的に、ストックとフローという概念を「国民」と「住民」に当てはめるというのが適当でない。ストックとしての日本を日本民族としても、これは国籍によって定義される「国民」とは別次元の概念だ。ストックとしての国家を「国民」に代表させるとすると、帰化要件に同化が必要となってしまう。「コリア系日本人」に代表されるように、民族としてのアイデンティティと国籍は別物である必要がある。

ストックを民族とし、国籍をその対概念とするならば、「日本民族の国」は「存在としての日本」、「日本国籍を持つ者の国」は「機能としての日本」ということになろう。そして憲法はそもそも機能としての日本を規定するものでしかない。憲法に歴史や民族について触れても構わないが、それで歴史や民族がなくなったりなくならなかったりということはない。

私見になるが、「開かれた日本」を目指すにあたっては、多重国籍の容認が現実的だろう。すでに事実上、国籍唯一の原則は崩壊している。「将来にわたって日本国民であることを望み、国民がそれを認める」という要件はそれでいいが、複数の国に生活基盤があれば、複数の国籍があっていい。承認制のSNSコミュニティに参加するようなものである。

憲法として条文化するなら、次のようになるだろう。 「日本国内で出生した者、および将来にわたって日本に生活基盤を置く者は日本国籍を得る権利を有する。日本国籍の取得にあたり、政府は文化的同化や他国籍の放棄を求めてはならない。」

国民主権に加えて明らかに住民主権の原理も加わってるから、憲法の改正限界に抵触するんじゃないだろうか。 「憲法改正案」でなく「新憲法草案」だからいいのかもしれないが、あるいは現在の原理に新しい原理を付け加える場合は改正限界に抵触しないと判断するのか。

自衛隊は軍というより民兵の規定に近いな。国の機構じゃないとすると文民統制はどうするんだろう。総理に文民条項を設けて、最高指揮権が総理にあることを明示しないと問題になるんじゃないか。

※第二十九条で総理は政議の一人であり、政議に文民規定があるので、総理も文民だそうです。

自分で言っておいてなんだが,総理に文民条項があるかないかは本質的な問題ではないだろう。現役自衛官でなければいいって話だし。総理は直接選挙で選ばれてるんだから民主的正当性はある。問題は暴力装置である自衛隊が政治のコントロール下にあるかどうかが明確でないこと。

最高指揮権の規定は自衛隊法にあるからいいのかもしれないが,それならそれで「法律に基づいて自衛隊を設立する」という条文でなくてはならない。文民統制については自民党の改憲案のほうがよほど充実してる。

実際、アメリカでは民兵の規定が拡大解釈されて国民の銃規制が違憲になってる。ゲンロン憲法の第19条にそういう危険があることは事実。「国家の軍隊」ではなく「国民・住民の自衛組織」とするあまり、民主的統制が効かなくなる可能性を含んでしまっている。

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