『化物語』以前・以後
(※本稿では西尾維新作品についてネタバレを回避していない。未読の作品についてはその旨留意を願いたい)

西尾維新作品は2002年のデビュー作『クビキリサイクル』から『化物語』までを第1期、そして『化物語』以降現在までを第2期と置くことが概ね妥当であろう。『化物語』は両者を繋ぐ結節点に当たる。作者自身の「自分の5年間の集大成みたいなところがあって、これ書いちゃったら他に書くものないんじゃないかと思っていたんですが。」(『パンドラ 2008WINTER Vol.1』清涼院流水×西尾維新)、「集大成にして新境地」(『別冊オトナアニメ シャフト超全集!!』48ページ)などの言葉もこれを裏付ける。

第1期は、ほとんどが代表作である「戯言シリーズ」と「アンチ戯言シリーズ」とによって構成される。すなわち、「戯言シリーズ」における様々な特徴を反転させたもの、「世界シリーズ」であれば小さく閉じた世界観、「りすかシリーズ」であれば自己肯定的な主人公、といった具合である。『ザレゴトディクショナル』においては「戯言シリーズが終結した今、恐らくはこのシリーズが、アンチ戯言シリーズとしては最後の小説となるのだろう。」(267ページ)として『化物語』シリーズをもって「アンチ戯言シリーズ」は終わる旨が記されている。

第1期を概括するにあたり、2つの作品、『化物語』と『ニンギョウがニンギョウ』に注目したい。この2つの作品は第1期における両極に位置し、その他の作品は概ね中間のどこかに収まるからである。

『化物語』だけを読めば、「文章が達者な、よくできた萌え作品」という印象で受け止められるだろう。読者の視点と重なる一人称の主人公があり、問題を抱えた女性キャラが現れ、ひとわたりイベントをこなした後はハーレムメンバー入りという具合である。ここでの主人公は読者=日常=常識の側に立ち、女性キャラは小説的な異化作用として非日常=非常識の側に立つ。すなわち、女性キャラがボけ、主人公がツッコむという構造である。一話ごとのエピソードとしてみれば、女性キャラの日常に怪異という非日常が侵入し、怪異が去ることによって日常に回帰するという構造を持つはずだが、実際には非日常は解消されない。怪異以前の問題として女性キャラは本質的に非日常なのである。

このことを端的に表しているのが「まよいマイマイ」である。「まよいマイマイ」のヒロインは怪異そのものであり、イベントが終了すれば消え去らなくてはならない。しかし、彼女はエピソードが終了した後も「地縛霊から浮遊霊へと出世」(上巻241ページ)してレギュラー入りする。エピソードをこなした後に「ボケ役」としてレギュラー入りするというこの構造は他のヒロインとまったく同一である。

第1期の作品群はほぼ『化物語』と同様の基本構造を持つ。この構造から始まり、主人公に異化作用を与えることで構造を壊していくのが第1期の特徴である。

「戯言シリーズ」第1作の『クビキリサイクル』は、無個性で主体性がない主人公の周囲に、「天才」である特徴的な女性キャラを多数配置する形式をとる。読者とすれば、誰でも主人公の「ぼく」に自分を重ね合わせて読むだろう。確かに、読者は誰しも「ぼく」と同様の劣等感、無力感、「ここ」が自分の居場所ではないという疎外感を持っている。だからこそ読者は「ぼく」に共感できるし、「ぼく」と自分を同一視することでヒロインの愛情を一身に受ける快感も味わうことができる。しかし、中盤まで読み進めると、次第に読者は「ぼく」と自らを重ね合わせることが難しくなる。「ぼく」は徹底的に無個性で主体性がないことによって、最も非日常的なキャラクターなのである。こうして読者は予定調和的な萌え世界を破壊され、呆然と立ちつくすことになる。

「戯言シリーズ」第2作の『クビシメロマンチスト』ではこの傾向は一層進む。序盤の「ぼく」の内省は読者の共感を受けるのにほとんど不都合がない。「ハルヒシリーズ」のキョンの内省と引き比べても違和感がないレベルである。しかし、「好きが零。嫌いが零だ。」(137ページ)あたりから読者を突き放していく。『クビキリサイクル』ではこの段階で留まっていたものが、『クビシメロマンチスト』ではさらに加速する。すなわち、中盤では「身近な死に冷淡である」というのみであるのに、終章においては「自らが追いやった死に冷淡である」ところまで行き着くのである。この、読者と「ぼく」との乖離は最後の台詞に至って完成する。そしてこの乖離は読者が被害者に萌えれば萌えるだけ一層明確なものになる。

「世界シリーズ」第1作の『きみとぼくの壊れた世界』では、主人公は序盤から読者が感情移入していいものかどうか、危ういところを保ち続ける。妹をいじめから救うためとはいえ、妹の足を骨折させ、いじめに荷担した者を半殺しにするというエピソード(20ページ)は尋常ではない。しかも、その過去を回想するのにほぼまったく後悔を伴っていないという点で二重に尋常ではない。しかし、それでもただの重度のシスコンとしてだけなら理解や共感もできなくはない。だが、これも終章に至って読者の共感は完全に打ち砕かれることになる。

「りすかシリーズ」では、もはや主人公が読者の共感の対象にならないことを隠そうともしない。魔法少女という「非日常」に対置する読者視点の主人公は、当然に読者の感情移入の対象になるはずである。しかし、物理的にはただの10歳の少年である主人公の精神構造は、共感できる要素がほとんど皆無である。

『ニンギョウがニンギョウ』は、既に完全に彼岸の世界である。冒頭1ページ目「私には合計で二十三人の妹があるけれど、死ぬのはいつも、十七番目の妹だった。」から理解も共感もあり得ない。しかし、主人公にとってはこの異常な世界こそが日常なのであり、そこにはそれなりの秩序が存在するのである。

『クビシメロマンチスト』や『きみとぼくの壊れた世界』は主人公と視点を同じくしていた読者を最後に裏切ることで幕を閉じる。「りすかシリーズ」では読者は主人公と同一化できないままに傍観しなければならない。『ニンギョウがニンギョウ』はこの破壊を極限まで推し進めた作品と位置づけることができる。非日常の側にある主人公から見た世界をそのまま主観的に描けば、もはや読者はまったく居場所を見失ってしまう。

『化物語』から始まり、『ニンギョウがニンギョウ』に至るこの過程が第1期の西尾維新である。

西尾維新はプロの小説家になるにあたり、少女漫画を濫読することで多くを学んだという。(波状言論 00号)少女漫画は主人公の少女に感情移入して読むのが普通だが、男性が少女漫画を読む場合はキャラクターに感情移入することなくキャラクター同士の交流を俯瞰した視点で見ることができる。西尾維新の作品に読者と同一化する主人公が不在なのは、あるいはこの少女漫画経験に由来するのかもしれない。

第1期について特筆しなければならない点がもう一つ、それは、読者視点の主人公を非日常の側に置くことによって、「物語」というものが非常に成立しにくくなる、という点である。

「物語」は主人公が成長すること、すなわち失われたものを回復するか、回復に失敗する過程として描かれることが最も普通である。

しかし、非日常の側に立つ西尾維新作品の主人公は、既に日常性を回復することを断念した状態で書き出される。つまり悲劇として物語が終わった後の世界と言える。

この「物語」の問題を受けて成立したのが第2期の作品群である。『○語』のタイトルを冠する作品群が特徴的である。

そのうちの一つ『刀語』では、日常側の主人公に非日常の女性キャラを配するという構造の裏に、主人公の異常性に対して女性キャラがツッコむという構造を含んでスタートし、最終的には主人公が日常性を回復するという「物語」として完結した。

こうした日常性の回復は、「戯言シリーズ」の完結においてはヒロインの回復を示唆するに留まったが、『化物語』では各エピソードの完結の形で描かれるようになっている。『化物語』は基本構造において第1期を踏襲しながら、別側面では「物語」を描くことによって第2期の嚆矢になりえている。さらに『偽物語』下巻においては、メインヒロインが非日常の存在から日常の存在に、「普通の女の子」(111ページ)になりつつあることが示された。

第2期がどのような形で収束するのか、あるいは既に収束して第3期に入っているのか、これを判断するには今少しの時間が必要であろう。これまでキャラクターに自己投影することがなかったのが西尾維新の特徴であったが、『難民探偵』で作者を自己投影したキャラクターが現れたことをもって第3期の始まりとすることが可能かもしれない。

なお、蛇足であるが、この論考は「終わりなき日常へ帰れ」という文脈とは別物である。第1期において読者と断絶したキャラクターが日常へ帰ったところで、読者自身が現実という日常へ帰るかどうかは無関係である。

西尾維新 作品リスト

2002.2 クビキリサイクル
2002.5 クビシメロマンチスト
2002.8 クビツリハイスクール
2002.11 サイコロジカル(上)
2002.11 サイコロジカル(下)
2003.3 ダブルダウン勘繰郎
2003.7 ヒトクイマジカル
2003.11 きみとぼくの壊れた世界
2004.2 零崎双識の人間試験
2004.7 新本格魔法少女りすか
2005.2 ネコソギラジカル(上)
2005.3 新本格魔法少女りすか2
2005.6 ネコソギラジカル(中)
2005.9 ニンギョウがニンギョウ
2005.11 ネコソギラジカル(下)
2006.6 ザレゴトディクショナル
2006.8 xxxHOLiC アナザーホリック ランドルト環エアロゾル
2006.8 DEATH NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件
2006.11 零崎軋識の人間ノック
2006.11 化物語 (上)
2006.12 化物語 (下)
2006 放課後、七時間目(原作)
2007.1 刀語 第一話 絶刀・鉋
2007.2 刀語 第二話 斬刀・鈍
2007.3 新本格魔法少女りすか3
2007.3 刀語 第三話 千刀・ツルギ
2007.4 刀語 第四話 薄刀・針
2007.5 刀語 第五話 賊刀・鎧
2007.6 刀語 第六話 双刀・鎚
2007.7 刀語 第七話 悪刀・鐚
2007.8 トリプルプレイ助悪郎
2007.8 刀語 第八話 微刀・釵
2007.9 刀語 第九話 王刀・鋸
2007.10 刀語 第十話 誠刀・銓
2007.10 きみとぼくの壊れた世界(boxピース)
2007.10 不気味で素朴な囲われた世界
2007.10 不気味で素朴な囲われた世界(boxピース)
2007.11 刀語 第十一話 毒刀・鍍
2007.12 刀語 第十二話 炎刀・銃
2008.3 零崎曲識の人間人間
2008.4 クビキリサイクル(文庫)
2008.5 傷物語
2008.6 クビシメロマンチスト(文庫)
2008.7 きみとぼくが壊した世界
2008.8 クビツリハイスクール(文庫)
2008.9 偽物語 (上)
2008.10 サイコロジカル(上)(文庫)
2008.10 サイコロジカル(下)(文庫)
2008.12 ヒトクイマジカル(文庫)
2008.12 真庭語 初代真庭蝙蝠 初代真庭喰鮫 初代真庭蝶々 初代真庭白鷺
2008.12 不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界
2008 うろおぼえウロボロス!(原作)
2009.2 ネコソギラジカル(上)(文庫)
2009.4 ネコソギラジカル(中)(文庫)
2009.6 偽物語 (下)
2009.9 ネコソギラジカル(下)(文庫)
2009.12 難民探偵
2009 めだかボックス(原作)
2010.1 ダブルダウン勘繰郎/トリプルプレイ助悪郎(文庫)
2010.3 零崎人識の人間関係 匂宮出夢との関係
2010.3 零崎人識の人間関係 無桐伊織との関係
2010.3 零崎人識の人間関係 零崎双識との関係
2010.3 零崎人識の人間関係 戯言遣いとの関係

(初出:2010年8月15日  WWF  No.42)

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