Ashのトリガーハッピーエンド

今回、一番美味しいとこもってったのは明らかに「灰原」です。一応カッコつきで表記しますが。押井映画史上最高というぐらい優遇されてるんじゃないでしようか。 ただ、ネットでは「何がしたいのかよくわからん」的な言われ方をしてるキャラでもあります。

「テロ」というのはモトはフランス革命での「恐怖政治」的な言葉だったようですが、現在では「破壊活動による政治的アピール」ぐらいが最大公約数でしょうか。 近年のテロっぽい事件を並べてみると以下のようになります。

A 地下鉄サリン事件
B 神戸連続児童殺傷事件
C 西鉄バスジャック事件
D 同時多発テロ(米)
E 附属池田小事件
F 佐世保小6女児同級生殺害事件
G 秋葉原通り魔事件
H ノルウェー連続テロ事件
I 佐世保女子高生殺害事件
J IS(シリア)
K 名古屋老女殺人事件
L 首相官邸無人機落下事件

Aは典型的な「テロらしいテロ」ですね。恐怖によって政治的要求を実現させようとするわけですから。当初の計画ではヘリからサリンを撒いて首都機能を麻痺させるつもりだったらしいですが、ここまでいくとクーデターも超えて革命戦争に近いものになってきます。 首都の上空に化学兵器を浮かべるというのは、時期的にも明らかに某映画の影響なんですが、監督は事情聴取とか受けなかったんでしょうか。

Dは「テロ中のテロ」という感じで、絵的な迫力といい、構想の巨大さといい、これを超えるものはないでしょうね。首謀者は既に泉下の人なんで、押井映画を見たかどうかは不明です。

HはPS3を要求するというお茶目さで知られる彼の事件。単独犯なんですが、移民排斥という政治的なアピールなので典型的なテロと言っていいでしょう。

同じ単独犯でもLはいきなりスケールが小さくなりますが、恐怖による政治的メッセージの発信なんで、「テロらしいテロ」ではあります。押井ファンだったらしいこの犯人、映画は見れたんでしょうか。

これらが典型的テロで、「柘植の反乱」や今回の映画の小野寺なんかも、一応この範疇でいいでしょう。しかし「灰原」はこれとは違う動機だと明言されてる。

ちなみにJの「いわゆるイスラム国」はちょっとグレーゾーンがあります。もちろんチュニジアとかトルコとかでやってるのはテロなんですが、支配地域があるので、原義の方の「恐怖政治」に近いものがある。 彼らについて言うと、彼らを攻撃して潰したってあんまり意味ないですよねえ。基本的には軍閥の一つなんで、シリアやイラクの政府の統治能力の問題です。タリバンを潰した後のアフガニスタンみたいになるに決まってますよ。

一方、C、E、Gなんかはテロといえばテロなんですが、特定の政治的主張があるわけではないようなので、上記とはかなり趣が違う感じがします。 形式的にはHの「ノルウェー連続テロ事件」にも近いんですが、社会全体への漠然とした悪意があるだけで、具体的なビジョンは感じられません。 監督の「純然たる悪意」(『友達はいらない』P86)なんかからはこのへんの願望をイメージしてるぽいですけど、彼らはドロップアウト組のルサンチマンという感じなので、「灰原」とはちょっと方向性が違うんじゃないですかね。海外では「スクールシューティング」というカテゴリーがあるみたいで、いわゆるナードとかが学校で銃を乱射するというアレです。 「灰原」は自衛隊のエリートパイロットで、オトコもガンガン喰ってるという、めちゃくちゃ勝ち組ですよ。上司にも贔屓にされて、完璧に組織の中で自己実現してる。

となると、B、F、I、Kの快楽殺人系でしょうか。これは政治的メッセージは一切ないので、テロとは言えないでしょう。特に最近は「頭がよすぎる美少女が理由もなく隣人を殺す」という系の事件が続いたので、彼女もその流れを汲んでる気配はあります。 いわゆる「人を殺す経験がしたかった」ですが、これって別に「心の闇」でもなんでもないと思うんですけどねぇ。こんなの、誰だってそうですよ。現代性でもなんでもなく、チャンスとタイミングが合えば誰にでも可能性がある。 彼女って小野寺グループにスカウトされただけで、計画を立案したり組織を作ったりしたわけじゃないんだよね?いわばお膳立てされたチャンスにパクッて食いついただけ。 ラストで泳いでいった彼女が自分で組織作って同じことやるかって言えば、やんないでしょ。どーすんだろーねぇ。数年後には紛争地帯で傭兵とかやってそうですが。小野寺のルートが生きてればアメリカの民間軍事会社に潜り込むという手もあるか。 はっきり言ってしまえば、太田功みたいなもんですよ。訓練で飛び回ってれば、実弾で街を破壊したいというのは誰だって思うでしょ。まあ、実際の自衛隊は思想教育でそのへんはちゃんと抑えてるんでしょうが。今回の映画って自衛隊も協力してるんだっけ。よく文句つけなかったな。

ここまで言っといてなんですけど、押井作品では基本的にテロの動機って描かないですね。黒歴史となりつつある小説『番狂わせ 警視庁警備部特殊車輛二課』では見事に何もなかった。あるにはあるんだろうけど、ほぼ描いてない。 これはまぁ、テロリストの理想なんて嘘だと思ってるだろうし、犯罪者の個人的なトラウマなんてブンガクでやればいいんだから興味ないってことですかね。

あと、今回も含めて、追いかけていた対象が「虚構」であったり、「自分の影」であったりというネタをよく仕込んでいますが、追いかける側の視点からすると、その追跡に意味はあるのか、ということになる。つまり、それでも人生に「yes」と言うのか、という実存的な問い。もちろん、答えを言ってしまうのは野暮天の極みということですが。

(初出:2015年8月14日  WWF  No.52)

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