日常的日記


2006年1月29日(日)
嫌オタク流 太田出版

オタク批判の書って宣伝だったけど、内容にはけっこう共感した。

これがヤンキーやギャルやPTAやおっさんからの批判だったら反発したろうけど、
この人らもオタクだからねぇ。
「今時の若いオタクどもは」って年寄りの説教みたいなもんだ。
中原氏は完全に嫌オタクの立場だけど、これはまぁツンデレだから。

萌え論やオタク業界論など、けっこういい入門書になっているのではないか。

2006年1月7日(土)
ジャンプ 06・07号

ボボボ
「こち亀」で昔コレやってたなぁ。これも伊藤氏の言う「フレームの不確定性」か?

FOREST
これもこのままの設定では連載にならないけど、その分シナリオの完成度は格段に高くなってる。
大抵の読み切りだと、主人公+パートナー+悪役で、悪役が薄っぺらなヤラレ役にしかなってないことが多いから、バトルに盛り上がりを欠くのがほとんどなんだが。

実際、今は1人のヒーローの魅力だけは持たないから、3者3様の立ち位置で魅せる能力ってのは貴重だ。

悪役のワリを食った形の村人が最後まで報いを受けない筋は通ってる。
ただ、キャラにもストーリーにも少年誌的なハッタリが足りないのは事実なんだよなぁ。
2回の連載は両方ともそのハッタリの部分でスベったわけだし。

他にも作品は描いてるようだが……読み切り上手のまま消えていったマンガ家も多いからなぁ。

2006年1月4日(水)
サイコロジカル アストロ!乙女塾! 感想
サイコロジカル(上・下) 西尾維新 講談社ノベルス

読了。
最初に読んだのがこの巻であることには大した意味はない。敢えて言えば運命。

セカイ系というのは、ある定義によると「キミとボク」の関係と「世界の命運」とが無媒介に繋がっている作品群だそうな。

西尾氏はあるインタビューで「セカイ系というが、自分にとってのテーマは手の届く範囲の人間関係しかない。意識してこういうものを書いているわけではない。」みたいなことを言っていた。
天然なのか計算なのか、見事なまでに的を外した回答だった。

問題なのはテーマでなくて手段であって、なんで身近な人間関係を描くためにいちいち世界を滅ぼさなくてはならないのか、まるで「ぼくの考えた超人。超人強度100おく万パワー」みたいな無駄に最強な設定が必要なのか、ということだ。

ツッこんだら西尾氏はなんと答えるのだろう。
「考えたこともなかった」か
「売るためだから仕方ない」か。

あるいは「そうしないと小説にならないから」か。
それを聞いたら古参の推理小説ファンが「これで小説に「なってる」つもりかぁっ!」とかブチキレたりするんだろうか。

「物語」が無くなると「設定」と「関係」が残るってのが持論なんだが、「セカイ系」も「萌え系」と同根だなぁ。

髪を結びながら
「僕様ちゃんにらぶ?」
「らぶらぶだな」

とかやってるのを見るのはとても楽しい。こーゆーのがこの作品の本質の一つなんだな。

わしは文体フェチなので、文体が凝っていればそれだけで読む気になる。
「文体」ってのもデータベースになるんだろうか?


アストロ!乙女塾! 本田透 集英社スーパーダッシュ文庫

ショタ好きとしては女装少年はド真ン中ストレートなんだが……駄目だ。これはショタ心が全く解ってない!
ショタ萌えに限らず「萌え」ってのは「同一化したいけれども同一化できない」って所に発生するので、ここまでどっぷり作者や読者と同一化してしまっては萌えようがない。

「物語」がモロにテーマにカブる形で残ってるのも「萌え系」としてはどうかと思うが、それ以上に文体が拙いなぁ。
問題作と騒がれた『ドクロちゃん』だって文体はなかなか見るべきものがあったのだが。

続編は出るんだろうか?