日常的日記


2004年2月25日(水)
マガジン13号 サンデー13号
マガジン

涼風


この主人公には目的はおろか意志すら感じとれない。
古今これほど立っていない主人公というのも稀だろう。
意図的な実験なら兎も角、天然で「裸の娘っ子を出しとけばいい」と考えているならば病理は深い。

UMA

オチが弱いが、スピード感のある演出は面白い。
今のマガジンて色物以外は金太郎飴のようにマガジン的だから、主力として新風を吹き込んで欲しい。

サンデー

史上最強の弟子


最後の梁山泊は拳聖と踏んでいたのだが……
いや まだ可能性はあるか?

2004年2月17日(火)
ジャンプ12号

銀魂

この主人公は目的意識を持っていないので行動原理の部分でキャラ立てをするしかないのだが、
彼の「ルール」はいまいち分かりにくい。

普段のふざけている部分とシリアスな部分とで一貫性を持った行動原理が欲しいところだ。
「シティーハンター」はこれを成功させていたが、難しいものではある。

信念のために自分自身をも省みないというのは少年漫画のカッコよさの基本なので、
もう少し練りこんでもらいたい。

2004年2月11日(水)
サンデー11号

こわしや

やってることはBFと同じだが、ヒーローのワントップでなくサポートする側も描くようだ。
役割分担もしてるし、パトレイバーばりの組織論に持っていくつもりか。
大ネタでは敵側や警察の組織も描き込んで欲しい。

BF

こっちはJOJO的一人一芸バトル路線か。
敵側にも能力者は出るんだろう。

しかし、ライバルもサポートする大人も主人公の成長の契機にならない上に主人公自身にも戦う動機が希薄というのでは大ネタにはしにくい。
D−LIVEは蘊蓄漫画としての側面があるから小ネタだけでも成立してるが。

主人公がコメディ漫画のキャラクターなのに漫画自体はシリアスというのが違和感の原因かも。

2004年2月5日(木)
押井的個人電視台 ガンスリ

押井的個人電視台

第5回/アニメーションを演出するとはどういうことか

「物語」と「ドラマ」というのは、ここで言ってきた言葉でいうと、周囲を変える「大きな物語」と自分が変わる「小さな物語」ということなんだろうが。

連載漫画やテレビシリーズはキャラクターに対する思い入れだけで成立は可能だが、「映画」はそれでは成立しない、というのは押井氏が度々主張してきたところでもある。

あれだけ売れた「あずまんが」が映画にならなかったのもそういう要因があったのかもしれない。

実際、劇場に行って2時間座ったままでいるという行為は相当に非日常的なもので、弛緩的感情である「萌え」のみでもたせることは難しい。
だが、日常的空間で消費されるOVAならばそれは可能ではないか。
OVAというジャンルの黎明期にいた押井氏が「劇映画」と「OVA」との特性の相違についてどう捉えていたのかは興味深い。
「それ自体完結した作品でありながら物語を持たない」ことは可能なのか?

ガンスリンガーガール

すべてが終わった状況の中で「関係」だけを淡々と描いている。
これも「映画」にはならないなぁ。

2004年2月1日(日)
プリキュア 感想

体育会系キャラと文系ヲタクというコンビはわりとあるが、理系ヲタク少女というのは珍しい。
発明少女というジャンルは別物だし。

しかも体育会系がコンプレックスを持っててヲタクの方が天然。
ヲタクの方は完成されてるキャラだから、物語を持つのは体育会系になるんだろう。
対比構造をとるなら、お互いにコンプレックスを持っているのが普通なんだが。

しかし、これも1年ごとにキャラが増えるのだろうか。
4>8>16>32と倍々に増えたらいーのに。