桃 花 台 線最後の日 ('06・09・30)

 桃花台線は、桃花台ニュータウン開発に伴い、その住民の足として名鉄小牧線小牧駅とを結び
平成3年3月末開業しました。


 これは中量軌道輸送システムで、ゴムタイヤ、中央案内方式70人乗り4両編成車両がループ状の
専用高架軌道を走行するものです。約7.5kmの路線は、輪ゴムを引き伸ばしたようなループの中に島式
ホームの7駅があります。この路線形態は、無人運転をするために車両は常に前進するだけ、車両ドアも
片側のみですむということで、無人運転に際して制御のしやすさ、システムの簡易化を図ったものでした。
この形式は全国的にも例がなく世界的にも珍しいものであったと思います。


 こうして事業認可は受けましたが、ニュータウン計画は社会情勢の変化により、計画人口の減少を招き、
この路線の経営見通しを暗くしていきました。そのため開業にあたって初期投資を減らすため有人運転に
変更されました。開業後利用者は伸び悩み、近年名鉄小牧線が名古屋地下鉄に接続し、名古屋都心への
連絡は改善されましたが、ときすでにおそく赤字の累積がピークに達しました。


 そこで現軌道を利用して現システムに代わる無人の新しいシステムの導入も検討されましたが、現時点では
投資額が多大で不可能と判断されて、この最後の日となりました。このことから当初計画どおり進めていたら
どうだったか、有人運転で開業したことが人件費が経営圧迫を招いて廃止の1つの遠因になったのではないか
との思いがあります。


 桃花台線は、この15年6か月間に、延べ約1500万人を運び、延べ約550万km(地球約137周)を運行
しました。大きな事故がなかったことが、せめてもの救いでした。


 計画立案から開業まで約18年を要し、開業してから15年6か月で幕を閉じることになりました。
あまりにも短く
”桃花美人薄命”だったのでしょうか。

 この最後の日、約2万人が乗車したそうです。この賑わいはなんとも皮肉で寂しい気がしました。「私達が
もっと利用していたらこんなことにはならなかったのね」との乗客のつぶやきも聞こえました。
 気を取り直してその最後の姿を載せます。計画立案から10年近く最も苦難の時期に、このプロジェクトに
関わった者としては痛恨の極みです。


桃花台線小牧駅と、名鉄小牧線を地下に桃花台線を高架として整備された駅前広場
かっては雑草が茂る原っぱでした



桃花台線路線圖



小牧駅のホーム




小牧駅から桃花台方面へ進行します
両側が走行レール、中央は案内レール、これを水平車輪が挟み込んで走ります



東名高速道路高架下を6%の勾配でくぐり抜けます



6%を上りきると小牧原駅です



国道155号の中央分離帯に設けられた高架軌道を走ります



ジェットコースターではありません。上末駅からニュータウンの台地へ上がる最長最急勾配6%の軌道です




上末駅です



路線中、軌道最高点の手前です  残念ながら”坂の上の雲” はありませんでした



軌道最高点からの眺めです





坂を登りニュータウンへ入ります、西駅が見えてきました



桃花台西駅 どの駅にもカメラもつ人がいました  




ニュータウン内は道路法面に軌道が設置されています
この路線の一つの特長です。


公園の敷地内も通ります
公園の池に軌道が映えています




ニュータウンセンター駅へ向かいます



センター駅は地下に設置されています




終点の東駅、折り返しのループが見えます



東駅の折り返しループ(半径15m、勾配5.5%=高蔵寺延伸を考慮して勾配が付けてあります)
を回る列車です




高蔵寺への延伸を考慮して造られた施設です。今は空しく感じます



人が溢れる東駅ホーム,この賑わいは最初にして最後となりました



東駅を発車する列車



桃花台線を走行する列車の姿をいくつか


案内レールを水平車輪が挟んでいるのが見えます


車内



記念切手が発売されていました(センター駅)

  



東駅で行われた廃線セレモニー 
挨拶する副社長(小牧市長)、左隣に社長(愛知県知事)



さようなら”桃花台線”



さらば ”ピーチライナー”




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