六善光寺御開帳

今年は7年に一度の長野・善光寺の御開帳でした。これに合わせてここと由緒ある、飯田・元善光寺と甲斐、祖父江、岐阜、関など六善光寺が同時御開帳となりました。史上初のことだそうです。
 
元善光寺は子供の頃から慣れ親しんだわが村の古刹、ここの参拝を手始めとして六善光寺に行ってきました。
善光寺の御本尊は
「一光三尊阿弥陀如来」で、欽明天皇13年(552年)に百済から日本に伝えられた最古の仏像と云われております。

その後推古天皇10年(603年)に廃仏論争のあおりを受けて難波の堀江に打ち捨てられてしまいましたが、通りかかった信濃の国麻績の里(現飯田市座光寺)の住人本多善光に背負られて信州へ導かれ、その家の臼の上に安置され信仰をあつめておりました。
後皇極天皇元年(644年)お告げにより長野へ遷座され、本多善光の名前から「
善光寺」と名付けられ現在に至っております。

 麻績の里の寺には木彫りの善光寺本尊と同じ御尊像が残され、仏勅で「毎月半ば15日間は必ずこの麻績の里に帰りきて衆生を化益せん」との誓願を残されたのことで「
元善光寺」と呼ばれるようになりました。
 
その後善光寺如来は、戦国時代の永禄元年(1558年)戦火による焼失を怖れた武田信玄が甲斐へ移し、武田氏滅亡後は、織田、豊臣、徳川を転々とし慶長3年(1598年)にようやく長野へ帰座しました。この間に本尊が祀られたのが甲斐、岐阜の善光寺です。

元善光寺     (21年5月5日)

あいにくの雨の日でしたが、回向柱の前で当山の本多秀賢住職が自ら案内に立っておられました。

祖父江・善光寺東海別院  (21年5月11日)

天正10年(1582年)織田信雄によって善光寺本尊如来が尾張甚目寺に遷座の途中、祖父江付近に立ち寄られたことがこのお寺の創建の縁起となっています。多くのお寺の戒壇は真っ暗闇をたどり、御錠前(本尊の安置してある真下にありこれに触ると仏と結縁するという)に触れるのですが、ここは御錠前の前に、極彩色の極楽の荘厳(しょうごん)安置されていました。。


極楽の荘厳

岐阜・善光寺 (21年5月11日)

 祖父江から岐阜へ。金華山の麓にありました。ここは武田氏滅亡の後、織田信長が本尊を甲斐から移し祀ったお寺、本堂で住職の講話を聞き参拝しました。ここだけ戒壇がありませんでした。




関・善光寺   (21年5月11日)


 岐阜からさらに関へと車を走らせました。ここの本堂は長野善光寺とそっくり、3分の1の大きさでミニ善光寺と呼ばれています。お堂は二つ並び、それぞれに回向柱が立てられ金糸で結ばれていました。ここの戒壇は日本唯一つの卍型、暗闇を手摺に従っていくつかの角を回って進み、御錠前にさわることができましたが、卍型のイメージは実感できませんでした。



甲斐・善光寺 (21年5月24日


休日割引を利用して、長駆甲府へ走りました。さすが信玄の創建、金堂は七堂伽藍の豪壮なもの、山門とともに国の重要文化財となっています。金堂中陣の天井は日本一といわれる鳴き竜、手を打つと共鳴が響き渡りました。

山 門


金 堂


回向柱



善光寺 (21年5月31日)

 この日も名古屋から走りました。御開帳の最終日、日曜日と重なって雨にもかかわらず大混雑、参道は人と傘で通り抜けるのもやっと、回向柱への行列が延々と2時間半以上の待ちとか、時間がないので内陣参拝に向かいました。
しかしこれも本堂の前立本尊(善光寺の本尊は絶対の秘仏のため姿を現すことはないので、その分身の仏像。この前立本尊を七年に一度宝庫から迎えて開帳する)の参拝まで一時間あまり、戒壇めぐりも一時間以上待ち、御本尊真下の真っ暗な回廊を巡って「極楽の錠前」を探り当て秘仏の御本尊と結縁するのが精いっぱいでした。。

山 門


本堂と回向柱


回向柱は本堂内陣に安置された前立本尊、中尊阿弥陀如来右手へつながる
綱が結ばれておりこの柱に触れることにより前立本尊とのご縁が結ばれるという




本堂前の善男善女


午後3時を過ぎても回向柱に向かう人々の行列



鬼無里・奥裾花自然園  (21年5月31日〜6月1日

 善光寺参拝の後、鬼無里(きなさ)の長野市が経営する温泉施設に一泊しました。鬼無里は長野市内ですが中心部から約20キロは離れています。昔この地に京の都から配流された紅葉という美しく高貴な女性が住んでいましたが、担がれて盗賊の首領となり鬼女と恐れられるようになり、朝廷によって討ち果たされたと伝えられ、これが謡曲「紅葉狩り」になりました。このことによりそれまで水無瀬と称していたこの地は鬼の無い里、すなわち鬼無里と呼ばれるようになったといわれています。この伝説にちなんでか、東京、西京といった地名もありました。
 翌日は裾花川に沿ってさらに15キロ奥の奥裾花自然園を尋ねました。ここには81万本とも云われる水芭蕉がありますが、その花の時期はすでに過ぎ葉ばかりとなっていましたが、ブナの原生林の芽吹きが美しく、モリアオガエルの鳴き声も賑やかで自然を満喫してきました。
帰路は国道406号から白馬、大町、安曇野を抜けて松本へ出ました。


自然園観光センター

ブナの林

水芭蕉




国道406号白沢洞門を出た峰方峠から白馬連峰の眺め




青木湖





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