2.本当は球技をやりたかったんだけど・・・(中学時代)

中学1年次

 「不良のお兄ちゃんや怖い先輩にいじめられたらどうしよう」という不安の中(ではないだろうけど)、地元の中学校に入学。
 入学してから悩んだのは部活。
 小学校の頃から一番仲の良かった友人からは
 「一緒に野球やろう!」
と誘われてたし、某漫画の影響でバスケにも興味があったし、バレーボールもやってみたかったし・・・色々と悩んだが、その選択肢に「陸上部」はなかった。

 ある日、部活見学でバスケ部を見学した後に教室に戻り、帰り支度をしていたら、そこに同じ小学校だったK須先輩と、中学時代一番お世話になったY田先輩が現れた。
 「川上〜、久しぶり!明日は来るんだろ、うち(陸上部)に」
と半ば強制的な勧誘。 
 その勧誘に負けて、翌日は陸上部に参加。よく見ると小学校の頃からの顔馴染みの先輩ばっか。気がついたらそのまま陸上部に入ってしまった。
 入部後は先生の指導の賜物?か、校内の同学年では負けることはなかったし、市内でも入賞することもあった(最高5位でした)。
 でも、駅伝に関して全く興味が持ててはいなかった。

 秋になり、東葛駅伝のメンバー発表。
 登録メンバーの13人には入るものの、レースを走る10人には選ばれず、当日は1区を走る選手の付き添いに。
 レースの雰囲気は70校以上出てるだけあり、物凄かった。この時、初めて駅伝の魅力に引かれ、駅伝を走りたくなった。


中学2年次

 今年の目標はとにかく「東葛駅伝出場!」だった。
 後輩もたくさん入部し、しっかりしなければいけない立場。
 だが、中だるみの2年なんて誰が最初に言ったのだろう・・・、まさにその通りだった。
 春先は順調にタイムも縮めてたのに、夏頃から記録は伸びない、練習はこなせない、とどめに怪我・・・最悪だった。

 夏休み最初の大会は怪我の為出場断念。合宿までに治療に専念。
 だが、焦りばかりが募り、1ヶ月弱で治る予定が1ヶ月半かかった。それでも何とか合宿には間に合ったが。

 合宿では、それまでの練習不足もたたり全く走れず。ついには1個下の後輩にまで負ける始末。

 夏休みが明け、駅伝練習が本格的になる。
 とにかく走るしかない。それだけが頭をよぎり、集中して練習した。
 結果は、夏休みの遅れを取り戻せず、補欠に。何とも言えない悔しさだけが込み上げた。

 駅伝終了後、引退する先輩方に代わり長距離キャプテン兼駅伝部部長になった。
 え、期待されてたかって?いえ、同期がいなかったためです。


中学3年次

 最後の年、「県大会」と「東葛駅伝」を目標に部員を引っ張った。
 夏までは、陸上部員として、トラックに専念。3000mで9分台は出すものの、県大会には程遠かった。

 夏休みに入り、野球部やバスケ部、サッカー部に水泳部、卓球部と本業を引退した仲間たちが集まる。
 同期は10人。今まで孤独感が強かったためか、彼らの存在は心強かった。

 夏休みの練習では率先して部を引っ張った。
 自分は口下手なほうだったので、とにかく練習に対する姿勢等でリーダーシップを発揮。
 もちろん、頼れる仲間(同期)がいたから、自分のカラーを出すことが出来たのだろう。

 夏場の地道な練習が効果を発揮し、次々と部員が力をつけ始めた。僕も、下手をすれば選手を外されそうな勢い。練習に熱が入る。

 前哨戦ともなる葛北駅伝、市内駅伝では惨敗。
 最後となる東葛駅伝に全てをかけることに。

 駅伝当日、僕は4区を務めることに。
 襷を受け取ったのが18位で4人ほど抜き、14位で5区走者に渡した。
 自分としては、満足行く走りが出来た。
 最終結果としては39位まで落ちてしまったが、皆で力を合わせた結果、悔いがない・・・とは言い切れないが、個人的には最高の仲間たちと走れたなあ、と今でも思っている。

 そして、中学時代に成し遂げられなかった「県大会出場」を目標に高校へ進学しました。

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