わかる「時間」24

相対性理論とタイムトラベル

問題1

「可逆的な時間」

「物理学に登場する時間のほとんどは逆回しにしてもいっこうに構わない時間です」

(例1)

「宇宙が一点から生まれて膨張していく理論を作ったとします。すると時間を逆回しにして、宇宙が収縮していって一点につぶれてしまう理論も同時に作ることができるのです。」

(例2)

「Aという粒子がこわれてBとCという二つの粒子ができたとします。この場合に時間を逆回しにしてBとCの二つの粒子からAが作られてもかまいません。」

考察1

理論的には可能かもしれないが現実には不可能な例である。

(例1)

 宇宙が膨張した後収縮するときにも、時間は負ではなく正のほうに流れているはずです。

 (反例1)

 宇宙に散らばったガスが収縮していって、やがて星になることが観測されている。ガスが収縮するときその部分で時間が逆に流れているということはない。

(反例2)

 水は熱すると膨張する。水蒸気になると大きく膨張する。このとき時間は周りと同じように流れている。反対に冷却すると収縮し水になる。このときも時間は周りと同じに流れている。

 このことから、地球上や宇宙の物質の、膨張と、収縮は時間の順、逆とは関係ない現象であるといえる。

(例2)

 ある物質を二つに割り、そしてまた元のようにくっつけるとき時間は、逆に流れたりしない。

 (反例2)

 昨日饅頭を二つにし、今日またくっつけたら、昨日に戻ったなんてことはありえない。

(反例3)

 酸素と水素をくっつけると水になる。電気分解すると、また酸素と水素に分解する。このとき、時間は逆転したりしない。

結論

 相対性理論を使うと可能でも、現実にそれを行うことはできない。それができたらタイムマシーンができる。

 時間が逆に流れるという実験もないし、事実も観測されていない。これは、時間は逆には流れないという証拠である。

 相対性理論を使うと可能ということは、相対性理論には、現実には存在しない現象を生む論が含まれているということである。ということは、相対性理論は、現実を正確には表していないということである。すなわち、それはあの世の理論ではあってもこの世界の理論ではないということを示唆している。

 これはよくて哲学、まあ、思い付きにしか過ぎない。

 

問題 2

「時間はエントロピーが増大するほうにしか流れません」

考察 2

 (反例1)

 星間ガスは物質がばらばらにある状態だ。それが、まとまって恒星になると、これはエントロピーの減少といえる。星ができるとき時間が逆に流れるという現象はない。もし時間が逆に流れたら、星は、から過去に移動し見えなくなってしまうことになる。(注:過去はわれわれには決して見えないものである。1万年前の星が見えたというのは、過去を見ているようで過去ではない。1万年前星を出た光が1万年かかって現在の地球に到達したということで光は1万年経過しているから今の光を見ているのである。昨日の夜、オーストラリアをたった飛行機が今日成田についたということと同じである。成田に着いた飛行機の時間は昨日ではない。星の光は過去の映像であるが、それは1万年保存された映像である。昔の映画を見るのと同じである。昔撮った映像であるけれど、映写機の中で回っているのは、今の時刻のフイルムである。)

(反例2)

 植物は、水と炭酸ガスからでんぷんを作る。これは、エントロピーの減少である。植物の成長にともなって時間が逆に流れている現象はない。

結論

 このように実際の世界ではエネルギーを使ってエントロピー減少の現象がつねに起こっている。そのときその部分の時間が逆になったりはしていない。普通に流れている。

 したがって、「時間はエントロピーが増大するほうにしか流れません」という論理は間違っているといえる。時間はエントロピーの増減とは関係なく流れているといえる。ニュートンの絶対時間である。

 「物理学の時間になぜ2種類あるのかはいまだにわかっていません。」というのはその物理学が事実と乖離している、すなわち間違っていることを示唆している。相対性理論では、降りてきたジェット機の人の時計と、空港の人の時計が違っているのを二人で見比べて、どちらが正しいのかしら、と比べたりできるが、現実には、時間はひとつである。現在の時計と、過去の時計を並べて比べることはできない。過去の物質と、現在の物質を並べることは不可能であるからである。物理学という学問の中の時間には2種類あるかもしれないが、事実は絶対時間しかないといえる。そうでないというなら、昨日の時計と、今日の時計とを並べてみるといい。世界広しといえども、それのできる人はいない。