光時計
「速く走れば走るほど、その人の持っている時計は、静止している人の時計よりも遅れる。」
特殊相対生理論はおたがいさまだから、走っている人から見れば、静止している人が動くことになるから、静止している人の時計が遅れることになる。
見ているときは相手が遅れるが、見られるとこちらが遅れる。
そこで走り終わった人と静止している人とお互いの時計を比べてみる。
静止していた人は時計を見比べてあなたの時計は遅れているという。走っていた人は時計を見比べて、あなたの時計のほうが遅れているという。
どちらが本当だろう。相対性原理ではどちらも正しいことになる。互いに遅れている時計とはどんな時計だろう。見てみたいものだ。それとも、早業で、先に目線を流したほうの勝ち。ということになるのだろうか。夕日のガンマの勝ちということだ。
答えは出ている。ジェット機に積んだ時計の話が載っていた。結果は、ジェット機に積んだ時計が一方的に遅れていたということだ。結論は、静止していたほうの勝ちである。相対性原理はどうなったのかというと、都合が悪くなると、相対性原理は引っ込むのである。便利な理論だ。そして、こういうことはここだけに限ったことではない。アインシュタイン自身も、一般相対性理論を考えたとき、前に考えた特殊相対性理論の方法は間違っているといって否定して、特殊相対性理論で否定した方法論で今度は一般相対性理論を組み立てている。一般相対性理論に不都合だからといって、特殊相対性理論の方法論の根幹を否定しているのである。ご都合主義もいいところだ。
光は天井に届く
光速度不変の原理は、間違っているので、光時計の光線は天井にはまっすぐには当たらない。光は光源(床)の速度を保存しない。もちろん、天井がどちらに動こうが、天井の速度ももらわない。光りは、誰に見られていようがどんな箱に入っていようが、関係なく、光独自にニュートンの絶対空間に対して光速度で直進する。根拠となる事実は先に書いたとおり、光行差と光のドプラー現象である。
光時計は何度もでてきて、あたかも真実のようにいっているが、実際に光時計で実験したわけではない。これを思考実験あるいは空想実験という。思考実験はその人の考え次第でどうにでもなる妄想にしか過ぎない。光は螺旋に進むと考えればそのようになるし、光がアカンベーをすると考えればアカンベーをする。空想科学小説と同じで、何でもありなのだ。思考実験は科学的には何物をも証明しない。
光速度不変の原理は事実に合わないことは述べたとおりである。事実に合うかどうかが肝心なのである。空想実験はごまかしのために行っているのである。