(王様は裸だ)


 旅の、自称仕立て屋は、王様のためにとてもすばらしい服を作りました。雄雄しく、神々しく、天の神様だって着ていないような服です。

 素材は、お釈迦様の座っていた蓮の葉で育った蚕の吐いた絹糸です。軽い上に軽く、透明な上に透明な糸です。その糸を、天の虹を絞った染料で染付けてあります。

 そのすばらしい素材を、パリコレで絶賛を博した、すばらしいデザインと、技術で仕立て上げています。世にこれ以上の服は存在しないでしょう。

「それを、たかだか子供の癖に、見えないだと。そりゃ、子供だから、服のよさが何にも分からないから仕方ないだろう。

 それを、酸いも甘いもかみ分けた世の大人まで、それに乗せられて、王様は裸だとは。まるっきり、世も末じゃないか」

「この服のすばらしさは、現実に見えるとか見えないとかいうことじゃないんだ。だれもが自分が考えられる、最高の服が想像できるという、夢の服だということがひとつも分かっちゃいない」

「それを、たかだか子供の一言で、機械で織って、科学染料で染めた水玉パンツが見えたからって、それがなんだというんだ。おれたちゃみんなの夢を織ったんだ。それが見えないやつが馬鹿なんだ。ああやだやだ。わが芸術を理解できる人間のいかに少ないことか」

 彼らがその後どこへいったかだれも知りません。うわさでは、壮大な宇宙の話をしていたとか。

 アインシュタイン氏の相対性理論の矛盾について、話します。

 美しいといわれている彼の公式がどんなにすばらしいか、ひとつも分からない人間の話です。信じるも信じないも、あなたしだいです。

 中身は、彼の理論から出てくることが、現実には何一つ存在しないということが中心です。あの王様の服のように、実際は誰にも見えていないのです。相対的4次元幻想時空には存在しても、この現実3次元世界では何も見えないのです。見えた、こんなにすばらしかったぞと言っていることも、本当は虹の服なんかじゃなくて、そこらのつるしのスーツであることを話します。見えているのは、木綿のパンツじゃないのということです。

 

王様が着ているのは、虹の服なのか、それとも、水玉パンツだけなのか。はてさて。

 

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