アインシュタインの重力とニュートンの万有引力の比較


著者 高田敞

2013年11月21日

(以下{ }内は「宇宙論の飽くなき野望」佐藤勝彦、技術評論社よりの引用)


1問題1

佐藤勝彦氏は「宇宙論の飽くなき野望」の中で

{ニュートンによれば、月が地球を回るのは、お互いの間に万有引力が働いて「引き合う力」と、月がぐるぐる回ることによって生じる遠心力が、うまくつりあっている。だから、月は遠くに飛んでいかないし、地球に落ちてこないのだ}

{相対論では、大きな質量を持った地球があることによって、地球の周りの空間がゆがめられ、その空間の曲がりに沿って月が進むので、月は地球の周りを回っている}

と述べている。これについて考えてみる。

2 考察

(1)ニュートンの場合

砲丸投げにみられる。砲丸を中心の人が鎖で引っ張っているので、砲丸は飛び出さずに人の周りを回っている。離すと砲丸は直線的に飛び出す。人の引っ張る力と砲丸の遠心力がつりあっているときは、砲丸は人のまわりをぐるぐる回っている。これと同じことが、地球と月で起こっていると考えられる。

月は慣性の法則で、等速直線運動をする。それを曲げる力は、地球と月が引き合う万有引力である。エネルギー不変則にも合致している。

(2)アインシュタインの場合

{空間の曲がりに沿って月が進む}といっている。月の軌道が、地球による空間の歪みに一致するということである。他の本では、これを、他次元の曲がりは3次元で、は直線である。だから、他次元でまっすぐ進んでいるのが、3次元では曲がって進むことになる、という説明をしている。球の上を歩いている蟻は、蟻にとってはまっすぐ進んでいるつもりだが、人間から見れば曲がって進んでいる、というようなことらしい。これなら、月は地球の周りを回っているように見えるが、それは、空間の曲がりにより直線であるから、等速直線運動をしていることになるというのだろう。分かったようでわからない話だ。

問題は、3次元以外の他次元というのは観測されていないということが一つ。0次元、1次元、2次元、4次元、5次元、多次元、と3次元以外を考えると、3次元以外はいまだ観測されたことがない。上にあげた、蟻の2次元は、蟻が、認識不足なだけで、実際蟻が歩いているのは3次元世界である。もちろん蟻の体も立体だから3次元である。決して2次元世界ではない。相対論者の都合で2次元に無理やりしているだけだ。したがって、実証されていないのだから3次元以外の他次元は仮説にしか過ぎないということだ。あるいは机上の空論ということだ。いくらすばらしく難しい数学で計算しても、ないものはないのである。

もうひとつは、空間の曲がりだ。これも観測されていない。エディントンの観測や、重力レンズは、太陽大気や、星間ガスでも起こる。これらでないという証明はなされていない。証明できないから無視しているだけである。地球上で、光が曲がる現象は、空気や、水や、ガラスなど、すべて物質で起こっている。星のまたたき現象も、日没や、日の出の計算上の時刻と実際の時刻のずれを生じる太陽光の曲がり(エディントンの観測した星の光の曲がりとそっくり同じ現象)も空気による屈折現象である。したがって、エディントンの観測した、太陽近傍の星の光が屈折したのは太陽大気の屈折現象と言えるし、重力レンズも、銀河や、銀河団の中や周辺に大量にあると観測されている水素を中心としたガスによる屈折現象と言える。ガスが光を曲げるということは、観測上でも、理論上でも証明されている。ところが、重力が原因であるという実証はどこにもない。あるのは、20世紀最大の天才であり、科学の神であるアインシュタインが言ったことに一致する、というだけだ。これは権威主義にしか過ぎない。偉い人が言ったから正しい。これこそ科学を一番誤らせてきたことだ。

ここで一歩譲ろう。

光も空間の曲がりに沿って進む、と相対論者は言う。エディントンの観測した星の光は、空間の曲がりに沿って進んだために曲がったと言っている。すると、月から出た光のうち、月の公転の前と後ろに出た光は月の公転軌道を進むことになる。{空間の曲がりに沿って進む}月の軌道が、光の進む空間の曲がりの軌道であるはずだからだ。すると光は地球を回転することになる。又他の方向に出た光も、地球による空間の曲がりに沿って曲がって地球に到達するはずだから、月は歪んで見えなければならない。

ところが、そのような現象は観測されていない。月の光は曲がらずに地球に到達している。すると、地球重力による空間の曲がりは、光には影響せずに、月にだけ影響することになる。変な話だ。

光は光速だからほとんど曲がらない、というのかもしれない。しかし、空間の曲がりに沿うことは光にとって直線であるという説明からすると、光の速度は関係ないことになる。実際、エディントンの観測は光の速度は関係していない。

月は、空間の曲がりに沿って進んでいるのではない。ニュートンの考えの方が事実に一致する。

(3)空間の曲がりと、エネルギー不変則

月の公転には、相対論ではもう一つの説明がある。空間のへこみに落ちていく、という説明である。どういうことかというと、地球の作る空間のへこみに月が落ちていくという説明である。しかし、この考えにも問題がある。落ちるということは上と下があるということである。上下は万有引力が働いているから現れる現象である。万有引力がなく、空間の曲がりだけ(相対論は、重力は、引き合う力である万有引力ではなく、空間の曲がりだという主張だから、万有引力を否定している)では上下はできない。引き合う力と、遠心力がつりあっている宇宙ステーションの中では上下はない。だから、お椀に水を溜めることはできない。お椀はへこみか出っ張りかは決められないのである。空間が曲がっても曲がりは曲がりであって、上下ではない。引力がなければ坂の上下は存在しない。

海を考えてみよう。海は地球の引力と海水の万有引力によって引きつけ合って窪みに溜まっている。では空間の曲がりではどうなるだろう。重力は空間の曲がりだと言っているのだから曲がりに引きつける力はないはずである。空間が曲がっていたら、どうして、海の水は地球のへこみに溜まれるのだろう。いや、海はへこみですらない。地面がへこんでいるのか、空が地面に出っ張っているのか決められないはずだ。

川を考えてみよう。水は海に流れていく。これは、山が上で、海が下だからである。これは万有引力があるから上下が決まるのである。万有引力で地球と川の水が引き合っているからである。そして、重要なことは、万有引力のエネルギーが、水を動かすエネルギーになっているから水は動くということである。

空間の曲がりではどうなるだろう。山が上で、海が下だとどうして決まるのだろう。また、重力は、万有引力ではなく空間の曲がりだと言っているのだから、引き合う力はない。ただ曲がっているだけだ。曲がりそのものにはエネルギーはない。曲がっているから川の水が流れると言うなら、そのエネルギーの出所を示さなければならないはずだ。どこから水を動かすエネルギーが出てくるのだろう。不明である。エネルギー不変則に反する。

(4)「重力」と「重いから落ちる」

これは、重力という言葉にみられる。ニュートンが万有引力を言った以前は、「物は重いから落ちる」、といわれていた。アインシュタインは、万有引力から、重力に名前を変えたとき、物は「重いから落ちる」という概念に戻した。すなわち、重い太陽が空間にあると空間はへこむ。へこみの途中に地球を乗せると、地球は重いから転がり落ちる、ということだ。「重いから落ちる」という概念である。ニュートンの万有引力ではない。万有引力は落ちない。引き合って近寄りくっつくのだ。「重いから落ちる」にはエネルギーの概念が入っていない。「重力」、「重い力」とはどういう力なのかが不明である。

太陽は東から西に進む、だから、太陽が動いている。リンゴは木から落ちる。だから、重いものは落ちる。これらの、見た目の判断から科学の判断に変えたのが、ガリレオであり、ニュートンである。アインシュタインはそれを又見た目に戻してしまった。

3 問題2

 {一般相対性理論の基本方程式は、試行錯誤しながらニュートンの「万有引力の法則」を拡大解釈することによって見つけられたのです。}

4 考察

ニュートンの万有引力は引き合う力である。アインシュタインの相対論は空間の歪みである。まるで違う概念である。それなのになぜ、アインシュタインは、万有引力を拡大したのだろうか。違う概念なのだから万有引力の方程式は使えないはずだ。空間の歪みと、万有引力はまるで関係ない考え方だから、万有引力を基本にすることはできないはずだ。一から試行錯誤しなくてはならないはずだ。万有引力と、空間の歪みはなぜ一致するのだろう。まるで違う考えなのに、一致する理由がいる。ところがそれがない。

相対論では、空間を曲げる力は、万有引力定数が関係しているということだ。万有引力の式をもとに考えたのだから当然そうなる。どうして、万有引力の式が、関係のない空間の曲がりの式のもとになるのかの理由を説明していない。

では万有引力定数Gはどのようにして、空間に働いているのだろう。Gは、ニュートンによると、Gを持つもの同士の相互作用である。空間は質量を持たないから空間のGは観測されていないし、式の中にも考慮もされていない。なぜ物質のGは空間に一方的に働きかけているのだろう。相対論の単なる都合だけである。太陽系の、惑星や、彗星など、の動きは、万有引力の引き合う力ですべて計算できる。空間の歪みなどいらない。水星の公転はニュートンでは合わないというのが相対論者の意見だ。しかし、太陽が、楕円球であれば、ニュートンの計算道理だ、ということだ。それに対して、相対論者は太陽が楕円であると証明しなければならない、それができないから駄目だ、と言って、否定した。では、太陽が真球であるという証明はしたかというと、していない。太陽は、最近の観測では、楕円球であるということがわかった。太陽は、自転しているのだから、楕円球になるのは自然の成り行きである。観測しなくても解ることだ。

ということで、空間の曲がりで、太陽系を説明しなくても、万有引力で完全に説明できる。相対論者は、万有引力を使わずに、太陽系の動きを説明できるのだろうか。空間の歪みでどのように惑星が公転し、衛星が公転し、彗星が公転しているのか説明する必要がある。空間の歪みが、どのようなエネルギーを持って、等速直線運動をしている惑星を曲げるのかを説明しなくてはならない。もちろんエネルギー不変速に反しないように。