「重力とはなにか」(大栗博司著)への手紙12


著者 高田 敞




(以下{ }内は上記本よりの引用)

問題1

{「光時計」}1

上と下にある鏡の間を光が上下する仕組みの時計ということです。{光が、上と下とを1往復するのをここでは、「1秒」と呼ぶことにしましょう}

考察

 相対論によると、光は光速ですから空間は縮みます。それも無限大です。するとこの「光時計」では上下の空間は無限大に縮み、距離はなくなります。すると、光は、一瞬で、上下間を無限回往復することになるはずです。

 また、相対論では光速では、時間が無限大に遅くなることになります。すると光時計の中の光は、無限大に時間が遅くなっているはずです。光の時間は止まっています。ところが、光は1秒で1往復するというのです。光から見れば、光自身の時計は止まっているのでいくら待っても時計は進みません。だから0秒間にすすむ距離しか進めません。いくら速い光でも1秒なければ30万km進めません。0秒では0kmです。

 このアインシュタインの光時計では、光が光速なのに、光に対して空間は1mmも縮んでいません。時間も地球の1秒と同じです(地球も動いているので、停止している時計より遅く進んでいるはずですが)。相対論の時計なのに相対論効果が何一つ適用されていません。どうしてなのでしょう。

 

 

問題2 

{「光時計」}2

{列車に乗っている人から見れば、この時計の光は、…垂直方向に行ったり来たりします。}

考察

光行差という現象が観測されています。これは地球の進行方向に対して、星の光が斜めに降り注いでいる現象です。動いている物に対して、実際の現象では光は斜めになります。アインシュタインの思考実験では垂直になるというのですが、事実と異なります。だから、光時計でも、動いている床に対して上から来る光は斜めになるはずです。

現実をとるのか、天才の思考実験をとるのかの問題です。もちろん相対論者は天才をとることでしょう。だって天才なんですから。18世紀の神様は間違ったけれど、20世紀最大の天才は間違いっこないですから。現実を無視するか、言い訳を考えるか頑張ってください。

 

なぜ、光行差が生じるのでしょうか。

列車に乗っていると、雨が斜めに降るように見えるのとよく似た現象です。列車と雨の場合、雨と列車の相対速度が変わるために起る現象です。

光も、地球との相対速度を変えているから、と考えるとつじつまが合います。光は何者にも光速度であると相対論者はいうけれど、この現象が示しているのは、チェレンコフ光と同じように、光は、物に対して相対速度を変えるということです。

 

問題3 

{「光時計」}3

 光時計の光はなにに反応しているのか?

考察

 光時計の光は、列車とともに列車と同速度で横にも移動しています。

 アインシュタインの光速度不変の原理により、光は光源の速度に影響されません。すると光源から出た光は、列車の速度を何により測っているのでしょう。光時計が、観測者に対して、時速100kmで進んでいると、光時計も光も時速100kmで同速度で同方向に進みます。時速125、72kmで列車が進むと、光時計の中の光も時速125,72kmで、列車と同方向に進みます。列車が東に進んでいれば光も東に、西北西に進んでいれば西北西にです。光源の影響を受けない光は、光源から出た途端列車と同じ速度同じ方向に横滑りするのはどこから影響を受けたのでしょうか。その説明がありません。

 また、光時計の光は軌道に対して光速度では進まないのでしょうか。軌道に対して光速度で進むと、列車においていかれます。軌道ではなく列車に反応するという理由は何なのでしょう。鏡で反射するから、光は軌道には届かないから考えなくていいということなのでしょうか。ということは、光源から出た光は、直後に対面に設置された鏡の速度を何らかの方法で察知し、その動く方向に横滑りしているとしか考えられません。列車内の空間が縮んでいるということなのでしょうか。時速125,72km分空間は縮んでいるのでしょうか。列車による空間の縮みはどこまで影響するのでしょうか。

光時計の中の空間は、光時計とは一緒に動かないので、空間は停止していると考えられます。動いているのは列車だけです。すると列車の速度による縮みは列車だけでその内部の空間の縮みはありません。したがって空間の縮みによる光の曲がりはありません。


結論

 このあたりはどうなのでしょうか。相対論で物事を考えると複雑怪奇になります。アインシュタインは、シンプルイズベストなどと言ったとかいいますが、相対論は複雑怪奇以外の何物でもありませんね。