へいこく雑記帖
よくわかる時空 (Newton2010,7号「ニュートン プレス」)
{時空は、伸び縮みする}について、本当かどうか検討するのが、主題である。
(以下、時空16まで{ }内は、Newton2010,7号よりの引用)
{「速度」とは,そもそも何か?}
問題1
{宇宙に「真に静止しているもの」などない}から、{絶対的な基準がないわけですから、物体の“絶対的な速度”(絶対的な基準から見た速度)もまた、決めることはできません。結局ものの速度とは、見る立場によってかわるもの(相対的なもの)なのです。}と述べている。その例として{赤道上を西から東へ時速100キロメートルで進む車}の速度のことが出ている。車の速度は、地球の自転やその他の動きが足し算されていくというのである。
地球は、一日に1回転自転している。1年で、太陽の周りを1周公転している。{地球を含む太陽系は、天の川銀河の中を、約2億年の周期で回っています}そして、{天の川銀河は、アンドロメダ銀河など近くの銀河に対して運動し}ている。また、{アンドロメダ銀河を含む「局部銀河群」全体も,ほかの銀河団(銀河の大集団)に対して運動しています。}
これらが自転車の速度に足し算されていくというのです。
これが、絶対的な基準がない例であるという。本当だろうか?
これらの運動のすべては決まっているというのが、ニュートンの絶対空間の考え方である。これらの運動は、相対的なもので、見方によって、どのようにも変化するという考えかたがアインシュタインの考え方である。
どちらが正しいのか考えてみる。
考察1
ここでは、上の例として、車の速度、地球の自転、公転、太陽系、銀河系、局部銀河群の動きについては相対的で決まらないと述べている。
(1)相対性原理
このことについて{見る立場によってかわるもの(相対的なもの)}の観点から考えてみる。特に、次ページにあるように{運動の絶対的な基準などないのですから、どちらが動いていて、どちらが静止しているかを決めることはできません。}という観点から考えてみる。
ア 車の速度
{地上で静止している人から見ると、時速100キロ}を、{見る立場によってかわるもの(相対的なもの)}として考えてみる。
ここでは地球の自転を足し算しているが、これは、相対的な立場ではない。どちらかというと、絶対的な立場である。以下が相対性原理の見方である。
見る立場を、車の乗客としてみる。乗客から見ると、車は静止している。動いているのは、道路のほうになる。これが、本来の相対性原理になる、ものの速度は{見る立場によって変わる}という考え方である。すなわち、道路に立っている人から見ると車が動いている、車の乗客から見ると、道路に立っている人が動いている、という考え方である。これが相対性原理である。
(このときの矛盾)
車の乗客から見ると、道路に立っている人が動いているということは、いっしょに道路が動いているということである。ということは地球が動くことになる。車のアクセルを踏むと、地球が速度を上げるということになる。車のエンジンで、地球を動かすことができるということになる。
ニュートンの運動エネルギーの法則(E=1/2×mv2)を完全否定していることになる。
また、事実としても、このようなことは起こってはいない。
イ 地球の自転
地球の自転を、地上の人が見ると、地面は静止している。かわりに、太陽や星が動いている。長い間この天動説が信じられてきた。相対性原理では、見る人の立場で動くものが変わるのだから、地上の人が見ると、地球が静止し、天が動いていることも正しくなる。
(このときの矛盾)
天動説の復活である。太陽や星が地球の周りをぐるぐる回るのである。小さな質量の地球が、巨大な太陽や、星、銀河団まで振り回すことになる。アアンドロメダ銀河なら、半径230万光年の円周を1日で動くことになる。ケプラーの法則を完全否定していることになる。事実として、こんなことは起こっていない。地面に立つ人から見ると、地面は静止しているように見えても、それで、実際に地球の自転が止まることはない。地球は、誰がどのような立場で見ようともつねにほぼ一定速度で自転している。
ウ 公転
地上の人から見れば、季節によって、太陽の通り道が移動するように見える。
これも天動説である。巨大な太陽が、通り道を変えるのである。それも、1年で、行ったりきたりするのである。
(このときの矛盾)
太陽軌道の移動エネルギーは、どこから供給されているのだろう。そんなエネルギー源は存在しない。
事実は太陽の軌道が変わっているのではなく、地球が公転軌道に対して傾いているから見かけ上太陽の軌道が変わるように見えるのである。太陽の問題ではなく、地球の問題なのである。地球の問題であっても、太陽のせいにするのが相対性原理である。
見る立場が変わると、見掛けの動きは変わるけれど、本当の動きは何一つ変わるわけではない。
エ 太陽系の運動
{太陽系は、天の川銀河の中を約2億年の周期でまわっています}
見る立場を変えて、太陽を中心にすると、天の川銀河の星が、太陽の周りをまわることになる。実際、地球からの観察では、星が、少しずつ動いているのが観測されている。これは星が一方的に動いているのではなく、星の動きと、地球の動きの相対的な差が、見かけ上あらわれているのである。
(このときの矛盾)
やはりケプラーの法則を否定することになる。どのような立場から見ようと、太陽系が2億年で銀河系を1周する事実は変わらない。
オ 天の川銀河の運動
{天の川銀河も宇宙の中で静止しているのではなく、アンドロメダ銀河など近くの銀河に対して運動しています}
立場を変えて、地球の人から見ると、天の川銀河に対して、アンドロメダ銀河が、接近してきている。
(このときの矛盾)
銀河どうしの引力による、互いの運動ではなく、地球に対して他の銀河が一方的に動くことになる。小さな質量の地球が、大きな質量の銀河を引き寄せることになる。そのようなことは、万有引力の法則や、ケプラーの法則に反する。
カ 局部銀河群
{「局部銀河群」全体もほかの銀河団に対して運動しています。}
これも、見る立場を変えると、局部銀河群にたいして、銀河団が接近してきているということになる。
(このときの矛盾)
小さな局部銀河群が、大きな質量の銀河団を引き寄せる、という矛盾が生じる。
このことから、車の速度、地球の自転、公転、太陽系、銀河系、局部銀河群の動きは、相対性原理では考えられない。動いているものは決まっているといえそうである。そこで、ニュートンの考え方で考えてみる。
(2)ニュートンの絶対座標
車の速度は、絶対座標においては、地球の自転速度が加わる。そして、地球の公転速度も足し算される。そして、地球が銀河系を回る速度も足し算される。局部銀河団と共に動く地球の動きも足し算される。そして,銀河団と共に動く地球の動きも足し算される。すべての地球の動きが足し算されたとき、絶対座標に対する車の速度が明らかになる。絶対座標と考えられる、宇宙背景放射に対して、およそ秒速700kmほどになるのが観測されているそうだ。
それが本当の車の速度である。
すべてのものの動きは、絶対座標に対する絶対速度をもっている。
この本に書かれている車の速度は、相対性原理で考えたのではなく、絶対空間で考えた速度である。ただ、銀河の速度や、局部銀河群の速度や、銀河団の速度を正確に測る技術を人間が持っていないことから来る、不明な速度があるために決められないということがあるだけである。技術が未熟なため決められないのであって、相対的だから決められないということではない。
* 自転について
{一日に1周するというのは、地球上のどこでもいっしょですが}とある。これは、絶対座標の考え方である。{物の速度とは、見る立場によってかわるものなのです}という考え方に立てば、こうはならない。
たとえば、書いたように、地球にいる人から見ると、地球は、静止している。静止衛星から見ても地球は静止している。もし、地球の自転方向に、自転の倍の速度で飛ぶ人工衛星から見ると、地球は反対方向に1日に1周する。自転の反対方向に自転の倍の速度で飛ぶ人工衛星から見ると、地球は1日に3周する。
見るものの速度によって、地球の自転速度が変わるのが、相対性原理のはずである。地球の自転速度が、ころころ変わってしまうと、地球上は大混乱に陥ってしまう。ここでは、そんなことが起こっていないのがわかっているので、絶対座標を使っているのに、知らん振りしてうまくごまかしている。
書いたように、宇宙の星や銀河など様々な動きには、相対性原理を当てはめることができない。宇宙の動きは決まっているとしか考えようがない。そこで、最初にうまくごまかそうとしているとしか思えない。
科学なのに、目的の理論を言うためにごまかしてもいいのだろうか。これは科学者の態度ではない。
問題2
{宇宙に「真に静止しているもの」などない}
考察2
ニュートンによると、万有引力は、どこまで行っても消えることはないことになっている。また、宇宙には、観測できる範囲には必ず星があるのが観測されている。このことから、星は宇宙の隅々まであることが類推できる。すると、宇宙空間には、どこにも、万有引力が存在することが類推できる。万有引力のあるところに物質があると、必ずその力で、物質は動かされる。
したがって、この{宇宙に「真に静止しているもの」などない}というのは、正しい結論である。
問題は、真に静止しているものがないから絶対空間はない、という考え方である。そうだろうか。静止している物質がなくても、絶対空間が存在しても別に差し支えはないのである。
絶対空間で上の物質の動きを考えて見る。
地球の自転は、絶対空間に対して、決まっている。公転もしかりである。その他の銀河の回転も、局部銀河群の動きも、銀河団の動きも、絶対空間に対して決まっている。
このように考えると、動きは、動いている物だけが絶対速度で動いている、といえる。見る立場によって、動いたり止まったり反対に動いたりしなくてすむ。小さな物質が、その何億倍もの質量のものを引き寄せなくてもすむ。
ケプラーの法則も、ニュートンの運動エネルギーの法則も、そのまま使える。
相対性原理だけが、まちがいになる。相対性原理は宇宙に関しては、ケプラーの法則とも万有引力の法則とも、運動エネルギーの法則とも、相容れない。
なぜそうなのかというと、相対性原理は見かけ上の動きだからである。動き出した電車から見ると駅が動いているように見えるが、それは実際に駅が動いているわけではない。そのように見えるだけである。なぜなら駅にはエンジンも車輪もついていない。駆動装置のない駅は動くことはできないのである。駆動装置があって、エネルギーが供給されて始めて動くことができるのである。したがって、動くのは、モーターと車輪と、電気エネルギーの供給のある、電車のほうだけである。これがニュートンの考え方である。駆動装置もエネルギーもない駅が動くというのが、アインシュタインの考え方である。
ニュートンや、ケプラーが正しいか、アインシュタインが正しいかの問題である。そして、実際の現象には、ニュートンやケプラーのほうが一致する。
時空2
{速さには,こえられない“上限”はあるだろうか?}
問題1
{「自然界には絶対にこえられない最高速度がある」と仮定し}
考察1
上記のことは仮定である。仮定はどのようなことでもできる。たとえば、ドラエモンのポケットからは、「何でも出てくる」、と仮定したことから、ドラエモンという漫画が生まれた。この仮定もそれと同じである。
漫画の仮定と科学の仮定の違いは、漫画には根拠となる理論も、証明するための事実も必要ない。しかし,科学には,根拠となる理論と、証明する事実がいる。ところが、この仮定には、根拠となる理論も、証明のための事実もない。したがってこの段階では、ドラエモンのポケットと同じである。違いは、アインシュタインが言ったか、藤子藤男が言ったかの違いだけである。
問題2
{自然界の最高速度cで進む“何か”}
考察2
“何か”という抽象的なもので説明することでその性質がわからない読者には反論のしようがないようになっている。
自然界に、“何か”という抽象的なものは何一つ存在しない。“何か” の性質がわからないことをいい事に以下のことをかってに定義している。
問題3
{「自然界の最高速度は誰から見ても同じ値であり、・・・」と考えたらどうでしょうか。}
考察3
この考えを裏付ける理論も書いていないし、事実による証明もされていない。
これもドラエモンのポケットである。考えるのは勝手である。しかしそれだけでは漫画と同じで、フィクションである。科学とはいえない。
(注:この後“何か”については出てくるといっているようである。そのときに具体的に反論する)
問題4
{「運動速度とは、見る立場によってかわるものであり、“絶対的な速度”は決められない」と紹介しましたが、自然界の最高速度に関しては例外だと考えるわけです。」
考察4
前頁では、はっきりと絶対速度を否定し、1枚めくると、あっさり、例外を設けてる。都合が悪くなると例外にしてしまう。しかも、何の理論的根拠も、観測や実験による事実も示さずにである。これは科学だろうか。
ここでは都合により原理を曲げますということだ。まあ、空間が曲がるのだから、原理くらい簡単に曲がるか。このように、相対性理論は、都合のいい事だけ取り上げ都合の悪いことは、無視する理論である。その例については、出てくるときに述べる。
これは、最高速が例外で絶対速度を持っているのではなく、すべての速度は、絶対座標から測れる。すなわち、すべての速度は、絶対速度であるとするニュートンの考え方のほうが正しいということである。ニュートンなら例外は設けなくてもいいのである。
問題5
宇宙船から発射された“何か”について{単純な「速度の足し算」が成り立っているとすると・・・}として、宇宙船内のボブから見て、何かの速度は、宇宙船の速度に“何か”の速度が足されている。
このことについて検討してみる。
考察5
(1) ニュートンの考え方
ア “何か”が慣性質量を持っているとき。
“何か”は、宇宙船の速度を保存するから、(宇宙船の速度+“何か”の速度)、の式が成り立つ。慣性の法則である。
イ “何か”が慣性質量を持っていない場合。
“何か”は、宇宙船の速度を保存しないので、{単純な足し算}はできず、“何か”そのものの速度になる。
(注:慣性の法則は、ニュートンの理論であるから、この場合の“何か”および宇宙船の速度は、絶対空間に対する絶対速度である)
(2) アインシュタインの考え方
相対性原理から、すべては見た者を基準に考える。したがって、“何か”が慣性質量を持っていようがいまいが、見た者から見て、最高速になる。すなわち(宇宙船の速度+“何か”)の速度になる。この場合慣性の法則は必要なくなる。宇宙船の中の人、ボブが見た場合、宇宙船の速度、1000km/秒が、“何か”の速度に足されている。外のアリスが見た場合、アリスの速度が足されている。この場合、アリスの速度は0だから、0が足されているのであろう。しかし、この場合、慣性の法則と違い、今のところ仕組みは述べられていない。
時空3
{ニュートンの絶対時間と絶対空間は否定された}
{距離や、時間は伸び縮みする}
問題1
{“何か”は宇宙船内のボブから見て自然界の最高速度で進むわけですから,1秒間に宇宙船の先端よりcメートル先まで進むことになります。}
考察1
今までは、
{「自然界の最高速度」があると仮定すると}
{「自然界の最高速度」は誰が見ても同じ値であり、単純な「速度の足し算」は成り立たない」と考えたらどうでしょう。}
というふうに、仮設にもならない、単に、こんな考え方もあります、ということにすぎなかったのが、ここでは、何の根拠もなく、確定した事実になっている。いつから、確定した事実になってしまったのか。根拠も理由も証明もない。ページが、1枚裏に移っただけで、たんなる特異な個人的考え方が客観的事実になるなら、こんな便利なものはない。
{“何か”は宇宙船内のボブから見て自然界の最高速度で進むわけですから,1秒間に宇宙船の先端よりcメートル先まで進むことになります。}は、証明された事実ではなく、勝手な考え方に基づいた勝手な断定に過ぎない。この、考え方の根拠になる理論と、事実による証明はまだなされていないから、ここでは、{進むことになります}ではなく、(進むと考えてみます)くらいが関の山のはずだ。それも、(何の根拠も、証明もない勝手な考えですが、進むと考えてみます。)というのがせいぜいのところである。
他の考え方を見てみよう
先に書いたように、ニュートンの絶対空間で考えると、“何か”が、質量を持っている場合は、1秒間に宇宙船の先端よりcメートル先まで進むことになる。(慣性の法則)
“何か”が質量を持たない場合は宇宙船の速度を保存できないので、“何か”は、1秒間に宇宙船の先端より(c−1000m)先まで進むことになる。
ニュートンの絶対空間で考えたのだから、このときの宇宙船の速度、1000mも、cも絶対空間に対する速度、絶対速度である。したがって、ボブも、アリスも、絶対空間に対しての速度を持っている、と考える。
この本の中では、ここまでに、絶対空間がないという証明も、すべての速度は相対速度である(最高速だけは根拠もなく例外にしてある)という証明もなされていない。
しかも、速度は見る立場によって変わる、という考え方は書いてきたように矛盾に満ちている上に、例外事項(最高速度)も設けなくては相対性理論が成立しなくなるような考え方である。
矛盾の例
P32の例
{動いている電車の中からプラットホームを見ると,外の人が動いて見えた}
電車が発車したら、乗客に対して駅が動くというのである。駅は地球につながっている。すなわち、電車の発車ベルが鳴ると、地球は電車の後ろ方向に動くのである。
地球は誰が運転しているのだろう。もちろん電車の運転士である。運転士が電車のハンドルを動かすと、地球は速度を上げる。ブレーキを踏むと地球は速度を落とす。運転士はたいしてものだ。地球を操縦するのだ。
電車が動くのと、地球が動くのでは運動エネルギーに大きな差がある。そのエネルギー差の説明が必要である。
たしかに、電車から見ると、駅が動いているように見えるときもある。それは錯視という。人間の目の構造と神経の思い込みから、事実を誤認するときに生まれる現象である。そのように見えても事実はそうでないというのが定説である。{速度とは見る立場によってかわる」という考え方の証明は、上のような錯視で証明できるというのである。人間の感覚の間違いを根拠に証明するのが相対性原理であるということである。
同じところに、上の、電車から見ると駅が動いているように見えることと{同じように宇宙船内のボブから見ると、むしろ宇宙船のほうが静止しており,動いているのは宇宙船の外のアリスのほうだといえます。}とある。
○ 宇宙船が動くときの運動エネルギー
宇宙船の質量×速度の2乗の半分である。
○ アリスが動くときの運動エネルギー
アリスの質量×速度の2乗の半分。
運動エネルギーがまるで違うことになる。
どちらが動くかは決まらないとするのが事実とすると、このエネルギーの違いを説明しなければならない。ニュートンの運動エネルギーの法則の完全否定である。
これを錯視とすると、動いているのは宇宙船と決まっているので、運動エネルギーは誰が見ても決まっていることになる。ニュートンの運動エネルギーの法則との矛盾はない。
どちらが正しいだろう。
問題2
{自然界の最高速度cが誰から見ても同じになるように,見る人の立場によって,時間や空間が伸び縮みする,というのが正しい結論なのです。}
考察2−1
何の根拠もなく、つごうにより理論の例外としますということと、錯視で見えることを実際の現象であるとすることで成り立つ理論である。すなわち、時間や空間が伸び縮みする原理は、つごうによる例外と、錯視の世界であるといえる。それは{正しい結論なので}しょうか?それとも、幻想時空の世界(漫画の世界)なのでしょうか?
考察2−2
空間が伸び縮みする仕組みが不明である。
時間が伸び縮みする仕組みが不明である。
物質が伸び縮みする仕組みは解明されている。しかし、何もない空間や、時間が伸び縮みするとは、不思議以外の何ものでもない。ぜひ、その仕組みを究明し、書くべきである。
問題3
{そして、現在では,アインシュタインの考えが正しかったことがわかっています。}
考察3
(1)
これは相対性理論家の考え方にしか過ぎない。相対性理論に反対する人もかなりいる。科学の結論は多数決ではない。反対意見もあることを、無視して断定しているのはどうだろう。
(2)
正しかったことがわかっています、ということで、感覚的に思い込ませようとしている。正しかったことがわかった根拠となる証拠はここまでにひとつも提示していない。証拠を提示して、それを検証して、成否を決めるのが科学である。あたかも決まったことのように言って、思い込ませるのは、手品の手法である。
時空4
{自然界の最高速度で進むもの,その代表は「光」}
問題1
{かごに重い荷物を入れて自転車に乗ることを想像してみてください。かごに何も入れていないときと比べると速度を上げるのがむずかしくなるでしょう。軽ければ軽いほど(より正確には,「質量」が小さければ小さいほど)、速度を上げるのは簡単です。
考察1
これは、絶対空間の考え方である。
(1)相対性原理で考える。
自転車の人から見ると、自転車が動いているのではなく、道路が動いていることも正しい。そのとき自転車は静止しているはずである。
静止しているのだから、静止しているかごに重いものを入れようが、軽いものを入れようが、同じことである。自転車に乗っている人はつねに視点は自分にあるから、自転車はつねに静止している。すなわち自転車に乗っている人はかごに何を入れようとペダルの重さは変わらないはずである。
ペダルの重さが変わるのは自転車を見ている人である。なぜなら自転車が動いているのはその人から見た場合に限るからである。ただ、その人は見ているだけで自転車をこいでいないから、重さが変わるのは分からないはずだ。すると自転車に何を乗せようと、自転車のペダルの重さが変わるのが分かる人はいないということになる。これが相対性原理である。
では現実はどうだろう。かごに重いものを入れると、ペダルをこぐと重くなる。自転車に乗っている人は自分が基準だから、道路が動いているはずなのに、必ず、自転車に乗っている人はペダルが重いのを感じる。
これは、基準が変わっても、動いているのは、自転車であるということを示唆している。
相対性理論家は、基準である、自転車に乗った人が、なぜ荷物が重くなると、静止しているはずなのにペダルが重くなるのかを説明しなくてはならない。
もちろん、自転車をこぐ人が基準になると、道路が動くというのが正しいと主張するなら、自転車をこぐと、地球が回転するということも説明しなくてはならない。重い地球を回転させるのである。地球の巨大な質量を、人が動かすのである。かごに重い荷物を入れるのとははるかに桁が違う。かごに地球を入れて運ぶのである。運ぶのがどれだけ難しいことか。
(2)絶対空間で考える
動いているのはつねに自転車である。(注:地球は、自転車の動きと関係なく、自転、公転、その他の宇宙空間の動きをしている。その上にある自転車は、地球の宇宙空間の動き+自転車の動き、になる。ただ、自転車に乗っている人は、慣性の法則でその速度を感じないだけだ。
すると、自転車に、重いものを乗せると、加速のためのエネルギーがその増えた質量分よけいにいる。だから自転車をこぐ力が余計にいる。これは、ニュートンの力学に一致する。
少なくとも自転車の場合は、基準を変えても、動いているのは自転車のほうであるといえる。ペダルをこぐと、地球がそれにあわせて回転するということは起こっていない。
問題2
{光は、真空中では、自然界の最高速度で進みます。}
考察2
このほかに重力波も最高速で進むらしい。(注:実証されていないので仮説である)
この宇宙は、どこも何らかの物資がある。宇宙空間も、様々な分子や原子などの粒子が存在する。この宇宙には真に真空は存在しない。すると、光は、実測すると、必ず最高速より遅くなるはずである。
したがって、光速の25万9792.458kmは計算値であることがわかる。
もし重力が光速で伝わるとし、なおかつ、物質で速度が遅くならないとすると、実質的な最高速は重力ということになる。
(ただし、重力が伝わる速度は、まだ確定していない)
結論
まあ、金メダルをやるとすれば重力のほうで、光は実際の競争では、負けるということである。オリンピック競技の勝敗に風の影響が無視できないように、真空のない実際の宇宙空間で競争したら物質の影響を受ける光に勝ち目はなさそうである。
最高速か何か知らないが、光は神様ではない。相対性理論家が光教の信者であるのはかまわないが、盲目的に光を信じるのではなく、もう少し、事実と一致するかどうかを検証してもいいのではないだろうか。
相対性理論に一致しないことは無視、を決め込んでいては事実を究明することはできないだろう。まあ、宗教とはそんなものかもしれないが。
時空5
{「光速度不変の原理」が特殊相対論の土台に}
問題1
{マクスウェルの電磁気学からは、電磁波の速度,すなわち光速の値が計算によって“ポン”と出てくるのですが、それが何を基準にした速度なのかは,数式は教えてくれません。}ということから、アインシュタインは、{光速の基準は速度の基準に関係ないはず。つまり、光速はどんな基準から見ても同じはずだ}と考えた。
考察1
数式から基準が出てこないからといって、{光速はどんな基準から見ても同じはずだ}と決定する事はできない。絶対座標があるなら、絶対座標から見た速度でもいいはずである。なぜなら、絶対座標があるなら、すべての物の速度は必ず絶対速度になる。そのほかの速度は存在しない。したがって,速度の条件は選択の余地なく、絶対速度だけになる。すなわち、元々この世界には絶対速度以外の速度は存在しないから、式の条件に速度の基準を入れる必要はない。このように考えてもいいはずだ。
したがって、このことからは、式に速度の基準がないからといって、速度は相対的だとは決められない。速度が相対速度か、絶対速度かというのは数式の解釈の差である。この式は{光速はどんな基準から見ても同じはずだ}ということの証拠にはならない。
問題2
{光速度不変の原理は,現在に至るまで,様々な実験で実証されています。}
考察2
この例として、マイケルソンと、モーリーの行った実験が紹介されている。
この実験は、地球上で行われている。すると次のことに答えなければならない。
(1)マイケルソンとモーリーの実験
ア 実験装置の問題
地球の自転や公転、その他の動きによって、この実験装置は宇宙空間で複雑な螺旋運動を行っている。この実験は、相対性理論家の言うとおりだとすると、その装置の回転運動によるずれを検出していない。すると、それくらいの誤差があるということになる。光が短い距離を縦と横に動くことから来る、ひじょうにかすかな差を検出するには、精度が足りないといえる。
イ 実験結果の解釈の問題
この本では、この実験の結果について、{光の速度に変化はありません}と書いてある。しかし、わずかなぶれがあったといっている人もある。このブレを空気の屈折から考えると、180度のかすかな周期性があるということだ。もしそうだとしたら、この実験は、回転する地球と、光の相対速度を検出していたことになる。
相対性理論家は、この意見を無視している。今まで読んできた相対性理論を紹介する本にはこのブレを書いてある本は1冊もなかった。相対論に違反する意見は無視するに限るようだ。
ウ 光の道筋
この実験の光は空気中を動いている。すると、空気の動きや濃淡で屈折したり、速度が変わったりしているはずである。この速度の違いや屈折をマイケルソンも、相対性理論家も考慮していない。
これらのことから、この実験で速度の変化が検出されなかったとしたら、この装置では、光が直角に動くことによる、かすかな違いを検出できる
精度がないと考えられる。また、かすかなブレを検出したのなら、光速度不変は否定されることになる。どちらにしろ、この実験では光速度不変を証明できないといえる。
追記 マイケルソンとモーリーの実験の検証実験
〈インターネットサイトMaxmisu科学館より三須先生の文章抜粋〉
という書き込みがある。
それによると、ミラーという人がマイケルソンとモーリーの実験の検証実験を行っているということである。
(この実験では、微小ながらも、周期的に変化をする干渉縞が観測されています。この結果に対しては、測定精度によるばらつきとして扱われていますが、あまりに規則的な干渉縞の変化を説明するには不十分) と書かれている。検証実験ではよりはっきりと周期的な干渉縞が検出されているということである。相対性理論家は誤差だといっているらしいが、誤差であるという証拠は提出していないようだ。自分らに都合の悪いことは、何の根拠もなく誤差だといって否定する。相対性理論家の特徴である。
周期性が検出されたら、光速度不変の唯一の証拠である、マイケルソンとモーリーの実験が、光速度が変化するという証拠になってしまうのである。
この検証実験のことも、相対性理論の紹介本には載っていない。マイケルソンとモーリーの実験よりはっきりと周期性が検出されているために、載せるわけにはいかないのであろうか。載せたら、干渉縞が誤差であるという証拠を示さなければならなくなる。それは不可能だ。それなら、無視に限るというわけなのだろうか。もしそうなら、情けない話だ。
(2){様々な実験で実証されています。}
例としては、マイケルソンと、モーリーの実験しか書かれていない。そのほかに、実証を証明する実験や事実は存在するのだろうか。様々あるなら、せめて後、3つか4つ載せるべきである。
光速度不変の原理が正しいなら、様々なところで、その現象が見られるはずである。なぜならこの世の運動のすべてが光速度不変の現象で成り立っているのであるから、日常的に観測されてもおかしくないはずである。それがたったこのひとつの実験だけである。それも、解釈の違いのある不確かな実験だけなのである。
光速度不変をいいだしたアインシュタインは、この実験の検証実験を行っていないばかりか、証拠であるとも、はっきりとは述べていないのである。彼はこの実験が証拠にならないことを知っていたのではないだろうか。
実際は、上に書いたように、解釈の不確かな実験であるマイケルソンと、モーリーの実験しか載せられないのは、ほかに実証できる確たる実験や、観測が存在しないから載せられないのである。実際、いろいろな、相対性理論の紹介本でマイケルソンとモーリーの実験は見るが、そのほかの実験は見られない。
ここでは、さもいろんな実験で証明されたように言っているが、本当はそんなものはひとつもないのである。なぜなら、光速度普遍の原理は間違った考え方であるから、その現象は実在しないから紹介しようがないのである。
これも、相対性理論家得意の感覚的言い回しに過ぎないといえる。
問題3
光速度が普遍でない観測
考察3
(1) 光と地球の速度
宇宙背景放射に対して、地球が相対速度を持っていることが測られている。
地球の進行方向から来る宇宙背景放射の光は、地球と相対速度が速くなるために青色に変異し、後ろから来る光は、遅くなるために、赤色に変異しているのが観測されている。このことから、地球は宇宙背景放射に対して、秒速700kmであることが分かっている。
光と観測装置の相対速度が測られたということであるから、光は観測装置に対して光速ではないということになる。
この観測は、時期が違う、2機の人工衛星によって、観測されている。発見と、検証がなされたということである。
(2) 星の光の光行差
星の光が地球の進行方向から斜めに降り注いでいる現象である。車で走ると雨が斜めに車に当たるのと同じ現象である。これは雨と車が相対速度を変えているために起こる。このことから、光行差は星の光と地球が相対速度を変えているということの証であるといえる。これも、天文学者が星を観測するときは、必ず考慮している現象である。
結論
このように、光速度普遍を証明する現象は、解釈に疑問がある、マイケルソンとモーリーの実験ひとつだけだが。光速度が観測装置と相対速度を持つという現象は、疑いようのない観測で実証されている。
このことから、光速度は,観測装置に対して相対速度を変化させているといえる。すなわち光速度は普遍ではないといえる。
時空6
{光速に近づくほど,時間の流れは遅くなり,物の長さは縮む}
問題1
速度によって、時間は遅れ、長さは縮むか。
考察1
見てきたように、光速度不変の原理は実証されたとはいえない。むしろ、光速度は相対速度を持っている事実が観測されている。したがって、光速度は不変ではないので、速度によって時間が遅くなり、長さが縮むことはない。
問題2
{時間の遅れや、長さの縮みは“おたがいさま”}
考察2
(1)
ボブから見れば動いているのはアリス、アリスから見れば動いているのは、ボブということである。
ボブが動いているときの運動エネルギーと、アリスが動いているときの運動エネルギーは大きく違う。この違いを、説明しなければならない。
(2)
ボブの乗っている宇宙船がエンジンを動かし加速する。これをアリスが見れば、加速しているのはボブである。これをボブから見れば、加速しているのはアリスである。
ボブが加速するのは、ロケットエンジンのエネルギーによる。ではアリスが加速するのは、どんなエネルギーによるのだろう。加速装置を持っていないアリスには加速のためのエネルギーは一切働いていない。エネルギーが加わっていないのに、アリスは加速している。ニュートンの運動の法則と真っ向から対立する考え方である。
また、ボブから見ると、宇宙船は静止している。ロケットを噴射し、エネルギーを加えているのに、加速しない。これも、ニュートンの運動の法則に反している。
{時間の遅れや、長さの縮みは“おたがいさま”}の元になる、{速度は見る立場によってかわります。}という考え方は、事実にも、ニュートンの運動の法則にも一致しないから間違っているといえる。したがって、{時間の遅れや、長さの縮みは“おたがいさま”}は間違っているといえる。
時空7
{時間の遅れを“実体験”している素粒子が存在する}
問題1
{「ミューオン」,は寿命が延びている}
考察1
ミューオンの寿命が延びているとする。その原因が、相対性理論家の言うように{ミューオンにとっての時間の進み方が遅くな}ったためだとする。
すると、ミューオンを観測する装置(霧箱)の時刻と、観測されたミューオンの時刻が違うことになる。(注:ミューオンの時刻が遅れている)
違う時刻の物質は、同時には存在できないというのが時刻の性質である。織田信長と、坂本竜馬が会えないのと同じことである。あなたが過去の出来事を見に行くことが絶対にできないのと同じである。なぜ、現在の霧箱が、時刻が遅れて、過去の時刻になっているミューオンを観測できるのだろう。ほんの少しの時刻の違いだから、無視できるといういいわけは通らない。
まさかとはおもうが、家中の時計を比べると、みんなそれぞれに少しずつ違う時刻を指している。だから、違う時刻であっても少しくらいなら大丈夫であるというのを前提にしているのだろうか。あれは時計が不正確であるというだけである。本当の時刻はどの時計も同じである。指している針の位置が違っているだけである。
ところが、そのまさかがあるのである。この本にも出てくる、ジョージ・ガモフという相対性理論の権威者は、特殊相対性理論を説明する著書(トムキンスの冒険)で、速度によって違った時刻を指した時計を、指で回して合わしている。すなわち、家中の狂った時計の時間の合わせ方と、速度によって違った時間の合わせ方が同じなのである。速度で遅れた時間は、指で時計の針を回せば取り戻せるというのである。相対性理論の時間とはせいぜいそれくらいの意味なのだ。
ではミューオンの現象はどうするのかという問題が残る。
異時刻のものが出会うことはありえない現象である。すると、ミューオンが地上に達しているのは、違うことが原因であると考えられる。たとえば、宇宙線が大気と衝突する場所が、{数百〜10数キロ上空で生成したミューオン}ということになっているが、もっと下まで達する宇宙線があって、低いところで大気と衝突したら、ミューオンは地上に達することができる。数百〜1キロ上空とすればいい。宇宙線の到達距離の範囲がたった2,3パーセントほど伸びるだけでいいのである。これだと、過去の宇宙線が現在の霧箱の中に現れるというタイムマシーンのような現象はなくなる。普通の現象になる。
{数百〜10数キロ上空で生成したミューオン}という条件は、相対性理論家には持ってこいの条件である。その根拠や、観測事実による証明はあるのだろうか。
1キロまで宇宙線が下りてこられたのでは、せっかく時間が遅れるという実際の証拠といえるのに、言えなくなってしまう、という理由ではないだろうとは思うが。
どちらにしろ、時間が遅れたら、過去にいってしまうはずなのに現在に出没するというミステリーを解いてからでないと、速度で時間が遅れるということの証明にはならない。
時空8
{光速に近い速度で進むと,空間が縮む!}
問題1
{宇宙船の中の人からすれば,自分と宇宙船は止まっていて,動いているのはむしろ地球の方です。}
考察1
地球が動くと、それにともなって太陽系も動くことになる。太陽系が動くと宇宙全体が動くことになる。走っている電車の中から外を見ると、景色全体が動いているように見えるのと同じである。宇宙船が動くと、宇宙全体が動くのである。すごいことである。宇宙船のエンジンは、宇宙全体を動かす力を秘めているのである。{このような見方も物理学的には正しいのです。}とあるが、その物理学は相対性理論だけの話である。ニュートン物理学の、運動エネルギーの法則とは完全に相容れない。宇宙船のエンジンのエネルギーで地球は動かせない。もちろん宇宙を動かせるはずはない。宇宙船はロケットの噴き出すガスの反作用で動く。しかし、地球にはエンジンがついていないので、どこからも運動エネルギーを受け取っていない。この地球が動くというのはニュートンの物理学では間違いである。
電車の話に戻ると、動いているのは景色ではない。電車である。東京駅で新幹線の発射のベルがなったら、横浜駅が走ってきて、静岡駅が走ってきて、名古屋駅が走ってきて、京都駅が走ってくるのだろうか。駅や地面には、駆動装置は付いていない。どうやって、駅や線路は電車に向かって動き出すのか。その仕組みを相対性理論は提示していない。
東京駅で、電車のモーターが回転して、車輪を回すと、なぜ、東京駅が動き出すのか説明しなくてはならない。それも、東京駅ばかりでなく、遠く離れた、名古屋駅や、京都駅や、大阪駅までも、いっせいに電車にむかって動き出す仕組みを説明しなくてはならない。
電車が、走ってきた(注:電車が走っていった、ではない)横浜駅でブレーキをかけると、横浜駅ばかりでなく、京都駅も、大阪駅も、止まるのはどういうブレーキの仕組みなのか説明しなくてはならない。
線路が曲がっていると、それにあわせて、地面は曲がって動いていく。地面に続く地球も電車の線路の曲がりにしたがって、うねうね、右や左に動く。
線路が30度カーブしていると、すべての駅は、角度にして30度、になるように移動する。もちろん地球も線路にくっついているのだから、30度移動する。
そんな馬鹿な話はない。もちろんそんな事実もない。
景色が動いているように見えるということと、実際に景色が動いているということは違うことである。
宇宙船も同じである。宇宙船がエンジンを動かすと、宇宙全体が、動き出すというのは、ありえることではない。
人工衛星を打ち上げることを考えてみよう。まずロケットエンジンを動かす。すると、地球が加速しながら宇宙空間を下がっていく、やがて、ロケットから離れた人工衛星のために、地球はその周りをぐるぐる回転し始める。もちろんその間人工衛星は最初から元の位置に静止したままである。宇宙全体が人工衛星のために右往左往あっちに行きこっちに行きするのである。宇宙はとても親切である。
そのようなことは起こっていない。動いているのは、人工衛星の方だけである。地球や宇宙ではない。
問題2
{光速に近い速度で運動すると、地球が進行方向に縮む}
考察2
この例としてミューオンがあげられている。
このことを実際の現象として考えてみる。
ミューオンが生成され地球に向かって動く。すると、それと同時に地球は縮む。それは100万分の2.2秒の間続き、ミューオンが消えたとたんに、地球はまたもとの大きさに戻る。100万分の2.2秒の間に地球は縮んでまた元にもどるのである。地球上の建物は巨大な地震のために、一瞬でつぶれてしまうだろう。
{地球上の人にとって見れば、空間は縮んでなどいません}といって逃げているが、地球人から見れば実際に縮んでいないが、ミューオンから見れば地球は実際に縮んでいるということが42ページに書いてある。実際に伸び縮みしているのである。地球人から見れば縮んでいないから地球は安泰だということが言いたいのだろうが、ミューオンから見た地球と、人間が見た地球は対等なのである。人間が見た地球が安泰なのと同じように、ミューオンから見た地球上の建物は崩壊しているのが見えるだろう。崩壊している地球と、何事もない地球のふたつができる。
先にあげた、電車からみた景色が動くのは、そのように見えているだけで、人間の感覚の間違いで実際の現象ではないから、電車が走っても地球が実際に動いているのではない。
しかし相対性理論は、実際に縮むというのである。したがって、ミューオンが生成されて地球に向かって進むと、地球は実際に縮まなくてはならない。100万分の2.2秒の間実際に縮んでまた元にもどるのである。地球を平べったくするのである。ものすごいエネルギーが要ることだろう。このエネルギーはどこから来るのだろう。
そこに転がっている石を平べったくしてみることを考えてみよう。金槌でかなりたたかなければならない。手が痛くなること請け合いである。それを、地球全体を平べったくするのである。それも一瞬でそれをやるのである。一瞬で縮んだ後、100万分の2.2秒の間縮んだままで、また一瞬で元に戻るのである。縮む側の地表の速度は、光速を越えなければできないだろう。
そんなことが現実に起こっているはずがない。ところがそれが現実に起こっていると相対性理論家は言うのである。
{光速に近い速度で進む宇宙船ならどこまでいける}ということで、空間の縮む率が明示されている。たとえば、{光速の99%}なら、{元の長さの0.14倍にまで縮む}というのである。だから、遠い銀河でも行き着くことができるというのだから、実際に縮んだ空間を飛ぶことができるのだ。
上の例(光速の99%)で、アンドロメダ銀河と天の川銀河の距離を考えてみる。普通なら230万光年ある距離が、32.2万光年にまで近寄る。巨大な銀河同士を、そこまで近づけるには、巨大なエネルギーがいる。それはどうなっているのだろう。
宇宙船が銀河系からアンドロメダ銀河へ向かって光速の99%で向かっているとする。このときアンドロメダ銀河はぐんと近づいてくる。宇宙船が速度を上げるだけで197.8万光年も近づいてくれるのである。
うれしい話である。
このとき、宇宙船が出発して、1年間かけて光速になったとする。すると、1年間で、アンドロメダ銀河は、197.8万光年の距離を近づくことになる。光速の197万倍の速度である。空間が縮むのだから、光速を越えても矛盾はないというのであろう。空間のことは誰もまだ何も分かっていないから、反論のしようもないのである。うまい方法である。
これは見かけだけのことではない。実際に起こっているのだという。宇宙船は、本当の距離ではなく縮まった距離の空間を実際に飛ぶというのであるから、実際に縮まっているのである。
こんなことが起こるというのが相対性理論である。不思議な理論だ。たしかに常識を捨てなければならない。そればかりではない、相対論以外の物理学を捨てなくてはならない。
奇想天外なお話はいくらでも作れる。それだけではドラエモンのポケットと同じだ。作り話である。早い話嘘にしかすぎなくなる。相対性理論家は実際にその話を実測して証明しなくてはならない。そうしてこそ、初めてお話から科学になる。
そこで、次に、速く飛ぶものによって空間が縮まっているのかを、実際の例で考えて見る。理論を事実に照らし合わせて考えることは科学には必ず必要なことである。お話は好き勝手にどうにでもできるが、事実は、そう好き勝手にお話どおりには動いてくれないものだからである。
問題3
実際に光速は、空間を縮めているか?
考察3
光速度を最初に測ったのは、木星の衛星の光だという。測り方は、木星の距離と、衛星の計算上の食と実際の食とのずれから、計算して測ったという。
光は光速で飛んでいる。したがって、光から見ると、地球と木星の距離は0になるはずである。すると、光は一瞬で地球に到達するはずである。すると、計算上の木星の衛星の食と、実際の衛星の食は一致することになる。ところが、この食のずれは、実際の地球と木星の距離のほうに一致していた。光速度はこの差から計算して出した。
このことから、光に関しては、空間は縮んでいないことがわかる。
太陽からの光は8分かかって地球に到達するといわれている。これが普通の物理学である。光速では空間が縮むなら、一瞬で太陽光は地球に届かなくてはならない。
相対性理論でも、光時計というのがある。15万kmの距離がある2枚の鏡の間を、光が1往復に1秒かかるという時計だ。この時計も、光速の光に対して、空間は縮んでいないと考えている。
光は別だ、という考え方なのだろうか。そこで光以外に光速で飛ぶものを考えてみる。
ニュートリノを考える。
ニュートリノは、質量があるといわれている。質量のある粒子と考えられる。
小柴氏の発見した超新星のニュートリノは超新星の光より少し速く地球に到達している。これは、超新星は、先にニュートリノを放出し、あとから光を放出するという仕組みに合致している。
17万光年遠くの大マゼラン星雲の超新星の光は、17万年かけて地球に飛んできた。(注:木星から光は時間がかかって地球に到達している。太陽光は8分光年の距離を8分かかって地球に到達している。したがって17万光年の距離を、光は17万年かかって飛んできたといえる)
したがって、光と一緒に飛んできたニュートリノも、17万光年の距離を17万年かかって飛んできたといえる。
これは、質量のある粒子から見ても、空間はひとつも縮まってはいないという実証である。
このことから、物質が光速で飛んでも、空間はひとつも縮まないということがいえる。
結論
上に書いたように、速度で空間が縮むとしたら、地球はめちゃめちゃに壊れてしまうことになる。エネルギーの法則はまるで通用しなくなる。また、実際の現象でも、速度による空間の縮みは観測されていないばかりか、それを否定する観測がなされている。
このことから、速度によって空間が縮むというのは面白いお話しではあるが、事実ではないといえる。
時空9
{二つのできごとが「同時」におきたかどうかは,見る立場によってことなる}
問題1
ボブの立場から見ると、光は同時に宇宙船の前後の検出器に到達している。
考察1
これは光速度不変の原理が正しいとし、なおかつ、物事は相対的である、が正しいということを前提にしている。
今まで見てきたように、光速度不変の原理は、マイケルソンとモーリーの実験だけでしか証明されていない。その証明も、不都合なところは、無視し、つごうのいいところだけを事実とした証明である。
何物に対しても光速度であるという考えが事実とあわないことは、背景放射との地球の相対速度が測られていることや、星から来る光の光行差から、事実ではないということを書いた。
また、相対性原理が、事実に合わない例や、運動エネルギーの法則に一致しないことも書いた。
ボブの立場から見た光が、同時に宇宙船の前後の検出器に到達するのは、この二つの間違った原理を元にしている。すなわち間違っていると断定できる。
では、実際はどうなるのか。
ニュートンの絶対空間と、光は何ものにも相対速度を持つということから考えてみる。
すると、光は、絶対空間に対して光速度である。宇宙船も,絶対空間から測った速度、絶対速度を持っている。
――ボブから見た光の到達時間――
前の検出器には
(発光器と検出器の距離)÷(光の速度−宇宙船の速度)
後ろの検出器には、
(発光器と検出器の距離)÷(光の速度+宇宙船の速度)
となり、ボブから見た光の到達時間は違うことになる。
――アリスから見た光の到達時間――
やはり
前の検出器には
(発光器と検出器の距離)÷(光の速度−宇宙船の速度)
後ろの検出器には、
(発光器と検出器の距離)÷(光の速度+宇宙船の速度)
となり、ボブの結果と同じになる。
同時に起こったことは場所が異なっていても同時になる。
よってこの本にある{同時}の問題で、間違っているのはボブの立場から見た光の到達時間の考え方である。
時空10
{重い天体のそばほど,時空が大きく曲がっている}
問題1
重力は「時空の曲がり」
考察1
空間とはどのようなものか。
空間が曲がる仕組みはどのようになっているのか。
それが不明である。
空間は何もない。何もないものがどのようにして曲がるのだろう。曲がろうが曲がるまいが何もないのだから、変化の仕様がないのではないだろうか。
もし曲がる何物かがあるなら、それを示さなくてはならないだろうし、何もないなら、何もないのに曲がるとはどういうことなのかを説明する必要がある。
これは、まだ、思いつきの段階である。空間が曲がるという前に、せめて、空間とは何かを説明しなくてはならないだろう。
問題2
{時空の曲がりの影響を請けてリンゴは地球に引き寄せられます。}
考察2
{ボールが地面のくぼみに(曲がり)の影響を受けて転がり落ちるように,時空の曲がりの影響を受けてリンゴは地球に引き寄せられます。}と重力の説明がある。これは明らかに間違っている。
ボールが転がり落ちるのは、引っ張る力があるからである。
引っ張る力があるからくぼみはくぼみになる。引っ張る力がなければ、くぼみがあっても、ボールは転がらない。引っ張る力の方向が逆になると、くぼみはふくらみになる。ボールは反対に転がる。引っ張る力があるから、上下ができる。
たとえば、引っ張る力と落下が同じの人工衛星の中では引っ張る力が働かないからくぼみがあっても転がらない。水はコップから出てしまうのである。地上でコップの水がこぼれないのは、コップのくぼみがあるからだけではなく、引力が下に引っ張っているからである。二つの条件が必要なのである。
引っぱる力がないと上下はないのである。
したがって、もし、空間の曲がりがあっても、引っ張る力がなければ空間の曲がりの上下は決められないはずだ。曲がりが、くぼみかふくらみかがわからなければ、リンゴはどちらに転がっていけばいいか決められないはずだ。
この理論では、重力は空間の曲がりから生じるといいながら、前提に、引っ張る力が暗黙のうちにあるのである。引っ張る力(万有引力)が先にあるなら、時空が曲がらなくてもりんごは落ちる。時空の曲がりだけがあって、引っ張る力がなければ、{時空の曲がりの影響を受けて}も{リンゴは地球に引き寄せられる}ことはないはずである。
万有引力は引っ張る力だけで、時空の曲がりは必要ないが、重力には空間の曲がりと、引力の両方が必要なのである。
問題3
万有引力は瞬時にはたらく、とニュートンは考えた
{これは、特殊相対性理論にもとづく、「光速より速く進むものはない」という考えに矛盾します。}
考察3
この考えは、アインシュタインは絶対で、それにそむくものは間違いであるという考え方である。たんなる権威主義である。
万有引力が瞬時に働くのが間違いであることを証明するには、アインシュタインの考え方と違うからだめだというのではなく、重力の伝わる速さを測定すればいい。
それはできていない。できていないなら、どちらが正しいかわからない段階であるというべきである。アインシュタインが言っているからそれに決まっているというのは科学ではない。
重力波があるという。しかし、今のところそれは検出できていない。検出するのはひじょうに難しいから今のところ検出できていない、と相対論者お得意の観測装置のせいにしているが、重力波があるなら検出できてもいいほどには技術は進歩しているともいう。検出できないのは、重力波がないからではないのだろうか。重力波がないと、アインシュタインの言ったことが間違いになるから、観測装置のせいにしているだけなのではないだろうか。相対性理論は、不都合な結果が出ると、いつも観測装置のせいにして、無視するのである。マイケルソンと、モーリーの実験しかり、エディントンの観測しかりである。
少なくとも、今のところ、重力の伝わる速度を測れた人はいない。すなわち、重力の伝わる速度は、不明であるとしかいえない。
問題4
{重力波は,時空の曲がりが周囲に伝わっていく現象}
考察4
あれば観測できるはずなのに観測できていないということは、重力波が存在しないということを示唆している。すると、時空の曲がりは存在しないということになる。
困ったもんだ。アインシュタインは絶対正しいのだから、やはり観測装置が悪いのだ、とするしかないもんね。
時空11
{太陽のそばで光が曲がった!「空間の曲がり」が実証された}
問題1
曲がった空間での“直線”は地球からは直線に見えるはずである。
考察1
球面人は球面に書かれた線を、曲線とは認識できない。
{球面人は,直線を1本引くだけでは自分の住む世界が曲がっているのかどうか判断できませんが。三角形を描くことで自分の住んでいる世界が曲がっているかどうか確かめることができるのです。}とある。
すると、三次元の住人であるわれわれは、三次元空間が曲がっているかどうかを、直線を引くことでは確認できないことになるはずである。
ところが、{太陽のそばで光が曲がった!}と、一本の直線の曲がりを観測しているのである。
二次元では(直線を1本引くだけでは自分の住む世界が曲がっているのかどうか判断できません)が、三次元では(直線を1本引くだけで}{自分の住む世界が曲がっているのかどうか判断でき}るという理由が書かれていない。適当な話である。
問題2
曲がった光のために、実際の星の位置と、見かけの星の位置がずれる例が書かれてある。
考察2
これは、光が屈折した場合の見かけの星と、実際の星との関係である。空間が曲がったときも、屈折現象とそっくり同じになるのだろうか。もしそうなら、二次元星人も、空間の曲がりを光の曲がりで見つけられるはずである。
問題3
アーサー・エディントンの観測
考察3
(1)曲がりは直線で観測できるか
考察1で書いたように、曲がった三次元空間のために曲がった1本の直線は、三次元空間の住人であるわれわれには曲がりとして観測できないはずである。
(2)光はなぜ曲がったか
{真空中で光が曲がるということは,空間自体が曲がっているということを意味しているのです。}(注:下線は筆者)
アーサー・エディントンの観測した星は、太陽コロナの中に見えている。ということは、その星の光は、太陽大気の中を通ったということである。すなわち真空中ではないということがわかる。このことから、アーサー・エディントンの観測は、上の条件、{真空中}を満たしていないということがわかる。そして、{真空中}ということは非常に重要な条件である。
なぜこれを真空中ということにしたのであろうか。ここでも不都合なことは知らん振りをするという相対性理論の特徴が出ている。以下に書くように、真空中か、大気中かは取るに足りないことではない。非常に重要なことである。それを科学者が知らないわけはないはずだから、意図的に無視したと思われる。
大気中で光が曲がることは、蜃気楼や、逃げ水で、観測されている。また大気で星の光が曲がることも、星の瞬き現象で観測されている。日没が計算による時刻より遅くなるのは、地球の大気のために太陽の光が、屈折するために起こる。特に最後の例はエディントンの観測と同じ現象である。
このように、大気による光の屈折は、地球上でつねに観測されている。このことから、太陽大気を通った星の光も、太陽大気で屈折しているといえそうである。そして光の屈折現象は、三次元住人でも観測できる。三次元空間の曲がりで起こる直線の曲がりが三次元住人には観測できないのと違う。
エディントンの観測が空間の曲がりのためであるというためには、太陽大気は光を屈折させないということを証明しなければならない。それは不可能であろう。
そのために、星の光が太陽大気の中を通っていることは、内緒にしているのだろうか。もしそれなら科学者としては困ったものだ。
問題4
{位置のずれの大きさは,一般相対性理論の予測のとおりだったのです。}
考察4
この見解は、一般的ではない。このときの観測は、理論予測とずれていた、というのが一般的な解釈である。これは、その当時の観測技術の限界を超えていたから、観測誤差であるといわれている。
なぜ、ここでは一般的な解釈と違うのか。いつもの都合の良い解釈しか取り上げない、ということなのだろうか。やはり困ったものだ。
(まとめ)
・ 三次元の曲がりによる光の曲がりは三次元住人には観測できないはずだ。
・ 大気による光の屈折は、三次元住人にも観測できる。
・ 観測された星の光は太陽大気の中を通っている。
・ 観測値は、相対性理論の予測より大きい。
以上のことから、この観測の光の曲がりは、太陽大気の屈折現象であるといえる。
重力の曲がりがあるとしても、太陽大気の中を通った星の光は必ず曲がるはずだから、その値を無視しているのはおかしい。
既成の、証明された理論で説明できる現象は、新たな理論の証明には使えない、という科学の原則がある。それにもとづくと、アーサー・エディントンの観測は、太陽大気による屈折現象であるから、空間の曲がりの証明には使えないことになる。
時空12
{時空の曲がりが生みだす「重力レンズ」}
問題1
{途中にある巨大な重力源によって光が曲げられ}
考察1
これも時空11で書いたとおり、三次元空間の曲がりで生じた直線の曲がりは三次元住人には曲がりとして観測できないということが第一に挙げられる。
では、どうして光が曲がったのか。簡単なことである。
銀河や、銀河団には、気体の分子や原子が充満しているのが観測されている。これは銀河や銀河団の万有引力によって、物質が引き付けあうということから、理論的にもありえることである。これらのガスは銀河や銀河団の万有引力のため、中心に行くほど濃く、周辺に行くほど薄くなる傾向がある。すると、これは、宇宙空間に浮かんだ、気体によってできた巨大なレンズになる。
この気体によるレンズ効果で光が屈折したと考えられる。これなら、三次元住人でも光の曲がりとして普通に観測できる。
この現象が、重力によるというためには、曲がった光が銀河や銀河団の気体による屈折現象でないということを、観測や理論で証明しなくてはならない。
気体による屈折は様々な実験や事実の観測によって実証されているが、重力による光の曲がりは、実験や観測によって実証されたものはひとつもない。エディントンの観測やこの重力レンズが証拠であるといっているが、これらは気体による屈折現象である可能性のほうがはるかに高い。先に書いたように、既成の証明された理論(気体は光を曲げる)で説明できる現象は、新しい理論の証明には使えないという科学の原則がある。それに反していることになる。
したがって、これらを重力によって光が曲がる証拠にすることはできない。
また、様々な重力レンズといわれている現象は、予想される重力と、曲がる率が相対性理論に合わないといわれている。計算より、実際のほうが曲がっているのだ。これは、気体による光の屈折であるからである。重力より、気体の方が光を強く曲げるのである。
よって、この現象は、気体による光の屈折現象であり、重力による現象ではないといえる。
時空13
{重い天体のそばでは,時間の進み方が遅くなる}
問題1
{太陽のそばでは,時間の遅れは1年に1分}
考察1
太陽系ができてから、46億年経過しているという。この間地球に対する太陽のそばの時間の遅れは累計46億分になる。これは約8752年である。太陽の近くでは、太陽系ができてから、今日までに、8752年時間が遅くなっているということである。太陽は今、地球から見て、8752年前の時刻にあるということである。日本では縄文時代であろうか。石器時代であろうか。
これは西暦紀元前6762年の太陽から出た光が、8分後、西暦2010年の地球にやってきているということになる。不思議な現象だ。紀元前6762年−8分の太陽を私たちは見ていることになる。われわれはピラミッドができたころより古い過去を直接見ているのである。
月を見てみよう。月は、地球より重力が小さいから、46億年の間に地球よりかなり未来に行っていることになる。
すると、過去の太陽から出た光が、未来にある月に当たり、反射して、現在の地球に届いている、ということになる。
すばらしい現象だ。見えている月は未来なのか過去なのか。光は過去の太陽の光である。しかし、見えている月の形は未来の月の形である。くわしく観測すると、これから何年か後、月に衝突する隕石によってできるクレ−ターも見えているかもしれない。未来の出来事を先に見ているのだ。過去の光で未来を見ているわれわれは現在にいる。摩訶不思議な現象である。
こんなことは起こっていない。太陽も月も現在にある。あなたが坂本竜馬に会えないように、違う時刻のものは同時には存在できない。現在の地球が、過去の太陽や未来の月に出会うことはできない。すなわち、重力で時間が遅れるという考え方が事実には合わないということである。
(蛇足:ジョージ・ガモフの著書の主人公のトムキンスが現れて、46億年間、太陽の時計を毎年忘れずに1分進められれば別だが。残念なことに彼は架空の人物だから、現実には何の力も持たないし、太陽には時計がないから合わせるといっても方法はなさそうである)
問題2
光が曲がると、時間が遅れる
考察2
光は、レンズや空気や水などの中で曲がっている現象が観測されている。すると、レンズや、空気や水でも時間が遅れるということになる。
重力では光が曲がらないから時間が遅れることはなくなっても、レンズで時間がおくれることになる。これによって新相対性理論ができそうだ。
時空14
{光すらも吸い込むブラックホール}
問題1
ブラックホールは光も吸い込むという。
考察1
今まで見てきたように、重力が光を曲げるということは、証明されていない。唯一証拠という、アーサー・エディントンの観測や、重力レンズは、書いたように、気体による屈折作用であるといえるので証拠にはならない。
したがって、ブラックホールは光も吸い込むというのは、考え方であって、証明された事実ではないといえる。
問題2
ブラックホールに落ち込む物質から出る光
考察2
このほかに、ブラックホールの周りにある膠着円盤から出る光も観測されているという。しかし、ブラックホールから光が出ていないという観測は存在しない。これら、ブラックホール周辺から出る光といわれているものに、ブラックホールから出る光もあるのではないだろうか。
光が、万有引力で曲がるのは事実と合わないことから考えると、ブラックホールから光が出ても不思議なことではない。いや、出ない方が不思議なのである。
万有引力が空間の曲がりではなく、引き付けあう力であるとすると、質量を持たない光は引き付けられることもなく、ブラックホールの万有引力とは関係なくそのまま光速で飛び出してくるはずである。
(注:万有引力は、重力とは違い、質量のあるものどうしの相互作用である。したがって、質量のない光とは相互作用をしない)
ブラックホールから光が出ないというのは観測事実からの判断ではなく、相対性理論が正しいという考えからである。それ以外には何一つ証拠はない。したがって、相対性理論が、間違いであるとき、光はブラックホールといわれている星からも普通に出てくる。
時空15
{ブラックホールの“表面”では時間が止まる!}
問題1
{ブラックホールに落ちていく宇宙船は}どうなるか
考察1
ブラックホールの表面では時間が止まるということである。するとブラックホールの表面に到達した宇宙船は時間が止まることになる。時間が止まるのだから、すべての動きも止まることになるはずである。すると宇宙船は、そこで止まったままになるはずである。
しかし{宇宙船の中の人からすると、時間は普段どおりに流れ、宇宙船は事象の地平面で止まることなく通り過ぎることになります。}とある。
なぜ、事象の地平面では時間が止まるのに、事象の地平面にいる宇宙船内では普段どおりに時間が流れているのだろう。この理由が明確ではない。次にその理由らしきものが書いてあるので内容を検討してみよう。
問題2
{宇宙船に乗っている人にとってはどうでしょう。時間の流れが遅くなるとき,宇宙船の中のあらゆる現象が同じように遅くなります。そのため、宇宙船の中の人は,いつも通り時間が流れているように感じるのです。}
考察2の1
{時間の流れが遅くなるとき,宇宙船の中のあらゆる現象が同じように遅くなります。}とあるから、宇宙船の中も実際に時間の流れが遅くなっているということになる。
ところで、これは宇宙船が事象の地平面に到達する以前のことである。
すると、宇宙船の中の時間がドンドン遅くなり、やがて宇宙船が事象の地平面に到達したとき、(時間の流れが停止するとき、宇宙船の中のあらゆる現象が、同じように停止します)となるはずである。すると、時間が止まった宇宙船の中は動きも止まるはずである。
ここでもごまかしがある。遅くなるということで、停止することに触れないようにしている。停止したときの状態をつじつまのあうように説明できないからだ。
考察2の2
{宇宙船の中の人は,いつも通り時間が流れているように感じるのです。}
これは、人の感覚である。しかも、本当は、時間が遅くなっているのにそれに気づかないだけの話である。宇宙船の中の人の錯覚である。錯覚は間違いである。その錯覚のために、{宇宙船の中の人からすると,時間は普段通り流れ,宇宙船は事象の地平面で止まることなく通り過ぎたことになります。}というのである。人間の錯覚、すなわち事実誤認がそのまま現象に反映されるというのである。これは科学ではない。漫画である。
考察2の3
なぜ時間が止まるのに、宇宙船は止まらないのか。それは、ブラックホールの事象の地平面で時間が止まると、物質の動きも事象の地平面で止まる。そこから物質が動けなくなり困ったことになるからである。ブラックホールの事象の地平面は、光も逃れられないほど、強い重力がある。その重力を受けている物質が、そこから1mmも動かないのだ。ブラックホールに次から次に落ちていく物質が、事象の地平面に降り積もり、実際のブラックホールの理論とあわなくなるから、苦し紛れに、時間が止まっても、宇宙船は事象の地平面を通り抜けることにしなければならなかったのだろう。
宇宙船が事象の地平面を通り抜けるのは理論の矛盾をごまかすためのお話に過ぎないということである。
考察2−4
銀河系の中心には巨大なブラックホールがあるということである。その星もほぼ特定できている。その星の周りには、巨大な星が、惑星のように、公転しているというのも観測されている。この星の公転は、巨大な重力によって成り立っている。ところでこの公転している星は、重力によって時間が遅れているのだろうか。時間がゆっくり進むことによって、公転速度が落ちているのであろうか。その遅れは太陽周辺が1年1分遅れるなんてものではないだろう。
この中心星の質量は、ケプラーの法則で計算している。重力で時間が遅れ、星はゆっくり公転しているとは考えないのである。相対性理論は考慮していないのである。
時空16
{宇宙空間は膨張している}
問題1
{一般相対性理論によると,空間は曲がるだけでなく,膨らんだり,縮んだりすることもできます。}
考察1
ニュートン物理学では、空間は膨らみも縮みもしない。見解の相違がある。どちらが正しいかは、決着が付いていない。
相対性理論家は決着がついたというが、その証拠は子供だましのものばかりだ。
空間の曲がりの証拠といわれるものも、気体の屈折現象で十二分に説明できた。太陽のそばで時間が遅れることも、事実に照らすと矛盾以外に何もなかった。
そこで、空間の膨張も、事実に照らして考えて見る。
問題1
○ 宇宙膨張で膨らまないものは?
原子、身の回りの物体、太陽系、銀河系、局部銀河団、銀河団
○ 宇宙膨張で膨らむものは?
銀河団と銀河団の間
と述べている。
考察1の1
ハッブルが見つけたのは、遠い銀河ほど、銀河の光の赤方偏移が大きいということだった。そのことから、宇宙が膨張しているということになった。
ハッブルが観測したのは、銀河団の光ではない。それよりもっと近い、天の川銀河の近くの銀河である。
もしハッブルの観測が宇宙空間膨張の証拠なら、銀河同士も離れているということである。この本の仮説と相容れない。ハッブルが観測した、銀河の赤方偏移はなんだったのだろう。銀河が遠ざかっているのでなければ、どのような原因で赤方偏移しているのだろう。銀河団の赤方偏移と、銀河の赤方偏移の原因が違うものであるということだ。これは今までの宇宙膨張説とも違うものである。
銀河の運動がよく観測されるようになったら、銀河同士が離れるわけにはいかなくなったのであろう。銀河団内の万有引力による結びつきは、強固なものであるのが分かったら、その中の銀河どうしは、離れるわけにはいかなくなったのであろう。そこで、ハッブルの観測した赤方偏移はいちおう無視することにしたのではないだろうか。
考察1の2
この本の72と73ページにある、膨張する宇宙の図は、銀河団ではなく、銀河同士が膨張している図である。古い考え方にもとづいている。説明と、図が一致していない。
考察1の3
この本の仮説のように、銀河団は膨張せず、離れるのは十分に離れた銀河団同士とする。
この宇宙は137億年前に爆発によって生まれ膨張したと78ページで述べている。そこで、その半分、68.5億年前に時間をさかのぼってみる。空間の距離の大きさは半分になっている。
銀河団は膨張していないので、68.5億年時間をさかのぼっても、銀河団の大きさは今と同じである。それに含まれる、局部銀河群も、天の川銀河も膨張してこなかったので今と同じ大きさである。
距離が小さくなるのは、膨張のために距離が離れていた銀河団同士の間だけである。銀河団以下の大きさのものはそのままの大きさで、銀河団同士の間だけ、距離が今の半分になるということである。
では100億年前にさかのぼってみよう。そのころ、天の川銀河ができたということである。そのころ、天の川銀河を作る物質は、宇宙空間の中で収縮していたと思われる。今より、大きかったことがうかがわれる。散らばっていた物質が収縮して銀河や銀河団を作るとしたら、銀河団も今と変わらないか少し大きかった可能性がある。
すると距離が縮まるのはやはり、銀河団と銀河団の間だけになる。銀河団の間は今の27%ほどになる。現在1千万光年離れている銀河団の間は、100億年前には、270万光年ほどになる。この距離は、銀河系と、アンドロメダ銀河の間(230万光年)と大差はない。大きな銀河団の重力から考えて、十分に離れた距離ではない。今5000万光年離れている銀河団だと100億年前には,1350万光年になる。これだとぎりぎり重力の影響が小さいといえるかもしれない。すると、現在これ以下の距離の銀河団どうしは離れていくことができないということである。
さらに20億年ほどさかのぼると、5000万光年離れている銀河団の間も625万光年ほどになる。これでは十分離れているとはいえそうにない。時間をさかのぼれば銀河団の間はやがて、今ある銀河の間より近くなり、離れることはできなくなるだろう。
3 結論
宇宙膨張が、銀河団同士の間だけを離すとしたら、このようにいろいろな矛盾が生じる。矛盾だらけの仮説であるとしかいえない。かといって、すべてが離れるとしたら、銀河団の構造に矛盾が生じる。
問題2
光も宇宙膨張によって引き伸ばされる。
考察2
光が宇宙膨張によって引き伸ばされる図がある。この図によると、光の波長が引き伸ばされている。波高のほうはそのままである。空間が、全方向に膨張するなら、光は、波長だけでなく波高も膨張するはずである。なぜ波長だけで、波高が膨張しないのかを説明する必要がある。
おそらく、赤方偏移が空間膨張によるということを説明したいために考えた図であるから、波高のことは考えなかったのだろう。それとも波高が大きくなると、光エネルギーが強くなって、実際の現象と合わなくなるから、無視することに決め込んだのかもしれない。エディントンの観測値が相対性理論の予測値と違うということがいろいろなところで言われているのを無視して、ぴったり一致した、といっているくらいだから、じゃまなことは無視するに限るになったのかもしれない。
あとがき
時間とはそもそも何か、空間とはそもそも何か、ということを、アインシュタインも相対性理論家も説明していない。実際、時間についても、空間についても、何もわかっていないのである。何も分かっていないものを、たいした根拠もなく結びつけて、時空と称している。誰も何もわかっていないから、反論の仕様もないことをいい事に、勝手な理屈を述べているにすぎない。
かっこいい思い付きにしか過ぎないお話である。かっこよさと科学は関係ないことである。シンプルイズビューティフルなどと言っているけれど、単純であれば美しいということもたまにはあるかもしれないが、それが事実であるということとは完全に無関係である。
だから、相対性原理も、光速度不変の原理もシンプルとは正反対の理屈の捏ね回しだから間違いである、とはいえないけれど、書いたようにあまりにも事実に反し過ぎるのである。
― 完 ―
平成22年7月25日 高田敞著