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Newton20105の3

{「光を放つ物体」を,ことなる視点からながめてみると・・・・・?}

著者 高田敞


1 問題 1

 光の道筋

2 考察 1

 発光器から出た光の道筋は、Aさんに真横に、Bさんに斜めになっている。これは真であろうか。否である。

 前章で述べたように、このような現象は観測されていない。それに反する現象が観測されている。宇宙背景放射に対して、地球が相対速度を持っていることが観測されたことと、星の光が、地球の進行方向に斜めになっている(光行差)ことの二点である。このことで、発光器から出た光が、Aさんに真横で、箱の速度によってBさんに斜めになることはないといえる。

 光はニュートンの絶対空間に対して真横なのである。

 前提が間違っているので、この{E=mcをみちびいたアインシュタインの思考実験}は間違いである。

 

以下に、思考実験そのものも間違っていることを述べる。

3 問題 2

 {Bさんの見解・・・「発光器は,その反動で後ろに動く?}だろうか。
4 考察 2

 (仮に、アインシュタインの言うとおりの現象があったとして考えてみる。本当は考察1に尽きるのであるが)

(1) 光と物質を比べる

ア 大砲とそこから発射された弾の動きとの関係

  箱に、発光器の変わりに砲台を乗せて実験をしてみる。

  同じように砲台から左右真横に発射する。

@ 砲弾は大砲を斜めに押すだろうか?

  大砲の弾は、Aさんに対して左右真横に進む(慣性の法則)。

 これをBさんが見ると、斜めに弾が飛んでくるように見える。発射台が発した2個の弾は、左右に広がりながら、Bさんに向かって斜めに進む、つまり、砲台は、{その進行方向に向かって}弾(エネルギー){を発したことになる。}
 {進行方向に向かって}弾{(エネルギー)を放ったのだから、その逆方向に反動があるはずだ。この反動は、}砲台{の速度にブレーキをかける。}・・・。砲台は、弾を{発したことによって、箱の中で後ろへと動いていく、と考えざるを得ない。}

 このように、アインシュタインの考えた光と発光器に起こることと同じようなことが、砲台と大砲の弾にも起こると考えられる。

A 作用反作用の結果

 反動は、作用反作用の法則と呼ばれているものである。この法則によると、反動は一方的ではなく、同じ力が、双方に働くということである。

 大砲の弾が、砲台を箱の中で箱の進行方向に対して後ろに押すと、作用反作用の法則で、弾は、反対方向、箱の進行方向に押される。すると、進行方向にエネルギーを得た弾は箱の中で真横には飛ばずに、箱に対して斜めに進むことになる。すると、弾は箱より先に進んで、Aさんに対しても斜めに進むことになる。

 これは慣性の法則に反する。

 

 慣性の法則でよく例に出される列車で考えてみよう。列車内で真上に投げ上げたボールは、また元の手に戻るといわれている。投げ上げた人から見れば、ボールは真上に上がり真下に落ちる。これを、列車の外の人から見ると、ボールは放物線を描いて列車とともに前方へ飛んでいる。すると、ボールは、外の人に対して斜めに飛ぶことになる。すると、ボールは手を後方に押しやることになる。

 手を後方に押しやったボールは、作用反作用の法則で、前方へ押されて、列車の中でもまっすぐ上ではなく斜めに飛ぶことになる。すると、ボールは投げ上げた人に対しても斜め前方に飛ぶことになる。まっすぐ上がり、まっすぐ落ちることはなくなる。慣性の法則に反していることになる。

 

 これは実際の現象や理論とは相容れない。ボールも、大砲から発射された弾も、手や、大砲を反対方向には動かすが、後ろ斜めには動かさない。

 

 光ではどうだろう。光も、発光器を後ろに押すと、作用反作用の法則で前に押されることになる。すると、光も、箱に対して、前に進んでいくことになる。すると、Aさんに対しても斜めに進むことになる。アインシュタインの理屈と合わなくなる。

 

 どこかが間違っているのである。

 

 まず、砲台と弾の関係から見てみよう。

 発射後の弾と、砲台の位置関係を見てみよう。たしかに弾はBさんに対して斜めに進んでいる。しかし、同じ時刻のふたつの弾と、砲台の位置は、必ず真横に一直線である。決して斜めではない。すなわち、弾は砲台を斜めには押せないのである。(重力と、空気の抵抗がない場合、弾は等速直線運動をする。光も真空中なら等速直線運動をするのと同じである。光も空気中を通過するときは速度を落としたり、曲がったり(屈折)する。光と弾はたんに速度が違うだけである。光を絶対的な神様にする必然はない)

 弾が箱と共に動いていく理由

 弾は箱と同じ速度をもともと持っているから、弾が発射される前から、大砲の弾はBさんに向かって進んでいる。Bさんに向かう運動エネルギーを持っている。慣性の法則から、弾は発射された後もBさんに向かって同じ速度で運動エネルギーを保存している。砲台は弾に対して前方への新たなエネルギーを加えていない。弾自体がそれまでに持っていた運動エネルギーによって弾はBさんの方へ進む。新たに力を加えていないのだから、弾が、砲台を箱に対して後方に押すことはない。

 

イ 光について

@ 光は、発光器を斜めに押すか? 

 (アインシュタインの仮説、光が、Aさんに対して真横に、Bさんに対して斜めに進むという意見。が正しいとして以下@を考える(本当はこれが間違っているのだが))

  光は、箱に対して、つねに真横に進むのだから、発光器に対しても、つねに真横に進んでいることになる。すると、同時刻の発光器と、光は、つねに真横にあることになる。これは、大砲の場合と同じである。

  したがって、光は、真横にある発光器を後ろに押すことはできない。

 Bさんが見た場合はどうだろう。Bさんが見た時刻の、発光器と光も、やはり、つねに真横に並んでいる。これも大砲の弾と、砲台の関係と同じになる。Bさんから見た光の軌跡は斜めでも、発光器と光の位置はつねに真横である。大砲の弾が、真横の砲台を斜めに押さないように、光も真横の発光器を斜めには押せない。

 これは、光のほうは斜めの軌跡、すなわち、時間経過を取り上げているが、発光器の移動(時間経過がない)にはふれないことのトリックである。

A 慣性の法則(ガリレオ)と、相対性原理(アインシュタイン)

 光が、Aさんに対して真横に進むためには、箱の進む向きと同じ向きのエネルギーを保存していなければならない。Aさんが1mm/秒の時は、光も1mm/秒、10000km/秒のときは、10000km/秒で横向きに進むエネルギーを保存しなくてはならない。先にあげた大砲の弾や、ボールはこのエネルギーを保存することができる。慣性質量を持つ物は等速直線運動を続けるという、慣性の法則で、ニュートンが説明した。また、実際でも証明されているエネルギー保存である。しかし、慣性質量を持たない光は、そのエネルギーを保存できない。すなわち、光は、発光器の速度を保存できないから、発光器と共に進行方向には進めないということである。もし、何らかの形で、光が進行方向に速度をもらったとしても、その速度を保存する質量を持たない光は、すぐに進行方向に進むエネルギーを失って進めなくなってしまうはずである。

 では光はどこから、どのような方法で箱と共に動くエネルギーを持続的にもらっているのだろうか。箱の壁や、天井が、テレパシーとか念力のようなもので光の進路を決めているのだろうか。それとも、光には目があって、壁や、天井の速度を感知して、それに沿って飛んでいくように自らコントロールしているのだろうか。これは冗談である。

 光がなぜ慣性の法則と寸分違わない現象を起こすのかは、謎である。光速度不変の原理というが、なぜ光速度不変が起こるかも、その仕組みも、実際の現象での証明もアインシュタインはしていない。(マイケルソンと、モーリーの実験は、先に書いたように、実証されたとはいいがたい。検証実験もされていない)アインシュタインの言うように、そうだからそうだ、では科学にはならないだろう。

 砲弾は、慣性の法則で説明できる。しかし光は、箱と共に進む理論的根拠がない。先に書いたように光は、箱と共には進まない。光は絶対空間に対してまっすぐ進むのである。

 

(3){ことなる視点からながめてみると・・・・・?}1

  Bさんの視点だけを変えてみる。Bさんが、Aさんと同じ方向に同速度で動くとする。Aさんは同じである。

  すると、光はBさんにも真横になる。真横の光は、発光器を押すことができなくなる。発光器は同じように光を出しているのに、発光器の質量は減らないということになる。この場合、E=mcはいえなくなる。

  このことから、Aさんの条件とは関係なく、Bさんの速度によっても、発光器の出すエネルギーが違ってくるといえる。

 すなわち、E=mcは発光器の速度だけで決まらないといえる。

 

(4) 光速度不変の原理

  これは先の項でも取り上げた。{静止する人(Bさん)が見ても,一定の速度で走る汽車の乗客(Aさん)が見ても、光速cはつねに一定だ}から、Bさんが見ても、Aさんが見ても、光は、光速でなくてはならない。動いているAさんに光速度不変を理由に真横になるなら、止まっている、Bさんにも光速度不変を理由に真横でなくてはならない。動いているAさんに真横であるのに、止まっているBさんに真横でないということは光速度不変に反する。

  もしいうなら、止まっているBさんにこそ真横で、動いているAさんには斜めになるべきである。なぜAさんに真横になる優先権が与えられているのかの説明がない。

  光速度不変と称して、いいたいことのために、都合のいいように現象を操作しているに過ぎない。

 (5){ことなる視点からながめてみると・・・・・?}2

  相対性原理で考える。(斜めの光は発光器を押すという考えを入れてみる。

ア Aさんを基準に考える。

 この場合、箱も、発光器も止まっている。動いているのはBさんである。

 Aさんから見ると、光は横に動き、Bさんが近づいてくる。

 これをBさんから見ると、やはり、光は斜めに動いているように見える。列車の中から見ると、外の雨が斜めに降っているように見えるのとよく似た現象である。(注:正確には、雨は、観測者と相対速度が変わったために、動いているように見える。光は、光速度不変だから、相対速度は変わらないので本来は真横になり斜めにはならないはずであるが、動くと時間が伸び縮みするから斜めになるということらしい)

 すると、この場合も光は斜めなのだから、光は、発光器を押すことになる。

 この場合、発光器は動いていないのに、光は発光器を押すことになる。

 動いているのは、箱としたのだから、動いているのは箱であるというのは、ニュートンの絶対空間の考え方である。アインシュタインは絶対空間を完全否定したのだから、Aさんが基準になって停止することと、Bさんが基準になって、停止することとは同等である。だから、Aさんが停止することもできるのである。どちらが動いているかは決められないことになっている。

イ Cさんを考える。

Cさんは、Bさんと反対方向からやってきて、箱を追い越す。

@ Cさんから見ると、箱の中のものは、みんなCさんの方に動いて来るように見える。このとき、光はBさんが見た光とは反対方向にCさんに向かって斜めに進む(これは、光がBさんに向かって斜めになったのと同じ方法で説明できる)。すると、光は、発光器を、Bさんが見た場合とは反対方向に押す。
 これまでとの違いは、突然Cさんが現れただけだ。それなのに、発光器は、なぜか反対方向に押されることになる。

 不思議な現象である。

 もし、Dさんが現れたらどうなるだろう。Dさんは、真上から真下に箱を通り過ぎていく。すると、光は斜め上に進み、発光器を下に押すことになる。物質は、進行方向に直角に、エネルギーを放出することになる。

 箱の外の観測者の動きによって、発光器にかかる力が違ってくる。エネルギー普遍の法則とのかかわりはどうなっているのだろう。

 Cさんが、箱の2倍の速度で、箱を通り過ぎるとする。

 すると、Cさんから見た光は、発光器をBさん側に押す。Bさんから見た光は、発光器をCさん側に押す。これは同じ力になる。すると、箱が動いていても、観測者が二人になると、発光器は、動かなくなる。しかも、光は、発光器から×印のように交差して4本出ることになる。

 不思議な現象である。

 これにDさんが加わったら、目も当てられないことになりそうだ。

 実際この宇宙には、様々な星が様々に動いている。これらから箱を見ると、基準の星によって発光器はあっちへ動いたりこっちへ動いたり、大変である。

 もし、ニュートリノを基準にすると、箱は、光速度で飛ぶことになる。何の力も加えなくても、光速度にまで速度が上がるのだから、すばらしい省エネである。

 

 理論につごうのいい事だけで実験するのでは、科学にはならない。科学なら、もっとも否定的な実験を克服しなければならない。それが思考実験であっても、である。どちらにしろ、思考実験なんてものは、考えた人の思いのままに現象をつくれるのだから、科学的な実証には何一つ意味のないものである。相対性理論家は、つごうの悪いことは一切省き、一番都合のいい条件だけで、一番つごうのいい答えを取り上げるという思考実験するのではなく、すべての条件を克服しなければならないはずだ。もちろん実証しなければならない。

相対性理論家はもう少しがんばらなくてはならないだろう。

 

 

3 結論

 光速度不変の原理が間違っているのである。

 Aさんだけに光が真横に進む理由は存在しない。そのような現象も観測されていない。先に書いたように、マイケルソンと、モーリーの実験は、地球上の実験であるから、慣性系ではなく加速系での実験である。そして、地球の自転や公転や、銀河系の回転を検出していない。それなのに、その実験で慣性系における光速度不変を検出したというのはおかしな話である。そのうえ、アインシュタインと、相対性理論家は検証実験をしていない。検証実験のない実験は仮説にしか過ぎない。こんな重要な実験をなぜ誰も検証しないのか。不思議なことである。

 まさか、検証実験したら、違う結果がでるので、手をつけないというのではないだろうと思いたいが。慣性系に実験装置を置くということが、そもそも難題なのだから。

 ニュートンの絶対空間と絶対時間で考えると、光は絶対空間に対して、等速直線運動をする。Aさんも絶対空間に対して絶対的な等速直線運動をしている。Bさんも絶対空間に対して、絶対的な等速直線運動をしている。三者は絶対的な相対速度を持つ、と考えれば、発光器から出た光は、Aさんにも斜めで、Bさんにも斜めになる。角度が違うだけだ。

 この場合、発光器に対して斜めの光は発光器を押す(Aさん、Bさんに対しての斜めではない。二人は発光器に対して何ひとつエネルギーの影響をしない)。それにしたがって発光器も押される。Aさんから見た発光器は動かないのではなく、動くのである。

 平成22年4月17日 同5月21日改定 同5月31日改定 同、6月6日改定 高田 敞