E=mc2への反論ひょうしへ

「Newton」2010年5号「E=mc」への反論

著者 高田敞

(以下{ }内は上記本よりの引用)
「主張]

 速度によって時間の進む速さが異なると、地球上のすべての物質の時刻が異なってしまう。今という時刻に異なる時刻の人や物が集まることができるのだろうか?できはしない。

 

1 問題1

{「光速cは絶対に変化しない」。それが思考の出発点}

{「時間の遅れ」とは}と題して、時間が速度によって違うことが説明してある。

 動いている箱の中のAさんと、それを外から見ているBさんの話が載せてある。動いている箱の中のAさんの時間が遅くなるということだ。

2 疑問点

 (1) 過去、「今」、未来

 Aさんの箱が、Bさんのところに来て、Aさんが箱から出て、Bさんのところに来て握手する。

 AさんとBさんの時刻は違っている。違った時刻にいる二人が合間見えることができることになる。このことを考えてみる。

 違いを仮に10分としよう。

 すると、Aさんは、Bさんの10分過去の時刻にいることになる。Aさんは、10分未来にいるBさんと話すことになる。Bさんは10分過去にいるAさんと話すことになる。こんなことが起こることになる。

 箱の中の空気は、Aさんと同じように、時間が遅くなっている。この空気が箱から出て、外の空気と混ざり合う。違った時刻の空気分子が混ざっていくことになる。今と、過去が混ざり合うということになる。不思議な現象だ。

 「今」AさんとBさんは違った時刻にいる。その回りは違った時刻の空気分子が取り巻いている。なぜ、AさんとBさんは「今」同じところにいるのだろう。AさんはAさんの時刻にBさんはBさんの時刻にいないのだろう。なぜ違った時刻の人や空気分子が「今」に集合しているのだろう。

 集合している、「今」とは何なのだろう。「今」に集合する必然性は何なのだろう。その説明がない。この広大な宇宙の小さな地球上の、「今」に様々な過去や未来の時刻の、人や生き物や物質が集合している。この「今」とはなんなのだろうか。説明の必要がある。

 これを事実といわれている現象に当てはめてみよう。

 {きわめて正確な「原子時計」を使うことで、こうした時間の遅れが現実に起きることが実際に確かめられている。}

 とP31にある。

 これは、「原子時計」をジェット機に乗せて、地球を回った実験を指すのだろう。このとき、地上と、反対回りのジェット機2機の時間がみんな違ったということだ。

 この人たちは、それぞれ、過去、現在、未来の時刻にいることになる。では、彼らはどの時刻に出会ったのだろう。彼らが出会った場所の時刻は、地上で計っていた人の時刻だろうから、地上の人の時刻に出会ったのだろう。では地上の人に対して、未来にいる人と、過去にいる人を、どのような方法で地上の人の時刻に呼び出したのだろう。

 ちょっとだけの時間の差だから、見たり話したり触ったりすることは可能なのだろうか。それともタイムトラベルだろうか。

 地球1周だからたいした時間のずれではないから、{きわめて正確な「原子時計」}に現れるだけで、実際の生活には影響ないということだったのだろう。(様々な場面でアインシュタインはそのことを言う。実際には観測できないだろう、と。うまい逃げだ)

 では次の場合はどうだろう。

 現在、宇宙ステーションに乗って地球を回っている人がいる。宇宙ステーションはジェット機と比べ物にならないくらい速い。しかも長い人は何ヶ月も回っている。すると、この人の時間はかなり地上の人と違っているはずだ。彼が地球に帰ってきたとき、地上の人と、彼の時間がずれているはずである。彼は過去の時間にいるはずである。彼は、なぜ今の時刻の地球上に降りてこられたのだろう。彼の時刻と同じ時刻の地球に降りていかなかったのだろう。相対性理論家はこの説明をしなくてはならない。できないでしょう。

 相対性理論家が、もっと速いもので、現実に時間の差が現れているといっている現象がある。ミュー粒子だ。この粒子が光速で飛ぶために、時間が遅くなっているというのである。速度で時間が変わることの証拠だといっている。ということは、現実に、ミュー粒子は測定できるほど過去の時刻になっているということだ。

 現在と過去が、今という時刻に同席している例である。

 ミュー粒子の時刻と、われわれの時刻とはどのようになっているのか。どちらも本当の時刻なのに、どうして、今に集合できるのか。今の時刻はどちらの時刻なのか?

 もう少しこの現象を考えてみよう。

 このミュー粒子を生んだ宇宙線は、何万年も宇宙を旅してきたのもあるはずだ。ほぼ光速で飛んでいたはずだから、時間も大幅に遅れているはずだ。すると、地球より何万年とか、何千年とか遅れているのがざらにあるはずだ。これらの宇宙線は、どのような方法で地球時間の「今」に合わせて出現したのだろう。

 なぜ過去の物質が、地球時間の「今」という時刻に出現するのかを、相対性理論家は説明しなくてはならない。できないでしょう。

 

(2) どちらが遅れる?「特殊相対性原理」から考える

 P30にある、相対性理論のひとつの柱である、「相対性原理」からこのことを考えてみよう。

 相対性原理は、この本には書かれていない(E=mcが説明できなくなるから、意図的に省いてあるようです)、基準を変えると動いているほうが変わるという理論でもある。

 この本の例では、Bさんを基準に考えているから、Aさんが動きAさんの時間が遅れていることになる。これを「相対性原理」で考えると、Aさんを基準にすることもできる。するとAさんが静止しBさんが動いていると考えても良くなる。すると、動いているBさんの時間が遅れることになるはずである。

 どちらの時間が遅れるかは、基準の取り方で逆転する。それがアインシュタインの「相対性原理」である。この考えは、「Newton」でも以前に取り上げていた。特殊相対性理論では時刻の遅れはお互い様である、という考え方だ

 そこで、この場合を考えてみる。

 AさんとBさんに、{きわめて正確な「原子時計」}を持たせてみよう。

 Bさんが基準のとき、出会った二人の原子時計を比べると、Bさんの時計の方が、Aさんの時計より10分進んでいることにする。

 今度は、Aさんを基準にしてみよう。出会った二人の原子時計を比べると、先ほどとは反対に、Bさんの時計の方が、Aさんの時計より10分遅れていることになる。

 時計の指す時刻は反対になる。

 Aさんが「俺が基準だ」といったとたんに、時計は、Aさんのほうが、進む。Bさんが、「俺が基準だ」といったとたんに、今度は、Bさんの時計が進む。

 俺だ、おれだと言い合っている間、時計は、ピッピ、ピッピと針を瞬時に動かしている。

 しかたがないので、おたがいさまなのでチャラにしようといって、時計を合わせることにする。すると今度はどちらに合わせるか困ってしまった。Aさんも、Bさんも、俺のほうが正しいといってゆずらない。仕方がないので、真ん中の時刻を正しい時刻にしようと言ってそれに合わせた。一件落着。チョンチョンチョン。拍子木が鳴って幕が下りた。

 時計を合わせるのは簡単である。好きな時刻に針を動かせばいい。ところが、本当の時刻を動かすことは今のところ人間にはできない。宝くじの抽選時刻に行って番号を見てきて、今に帰ってその番号を買うことはできない。昨日の交通事故の前に行って、車を動かなくさせることもできない。本当の時間を動かすことはできないのが今の現実だ。

 「Newton」はこの問題をどのように一件落着させますか。冗談じゃなく。今というのは何の時刻に合っているのですか。まさか、地球時刻などと、言うことはないでしょうね。それだと宇宙の中心は地球になってしまいます。神ここにしろしめす、です。

 次にこの宇宙の中心は地球であるという例をあげましょう。

(3)絶対時間

 相対性原理は、絶対座標を否定している。したがってすべては相対的である。たとえばA,B,Cの物質があるとする。AはBに対して50km/秒で動いている。すると、それに対応して、時間が遅れる。またAはCに対して、10000km/秒で動いている。それに対応して時間が遅れる、ということになる。すると、Aの時刻は、対応する相手に応じて、変わります。この場合Aの時刻は同時に2つになる。太陽系を考える。地球は、太陽系のすべての惑星に対して、相対速度が違っている。すると、8つの異なる時刻を持つことになる。太陽を入れると9個だ。月を入れると10個になる。10の時刻を持つ地球ということになる。宇宙には無数の物質がある。すると、それに対応して、地球は無数の時刻を持っていることになる。地球の現在時刻はどれに対応した時刻にしたらいいのだろう。太陽系だから太陽にしときますか。相対性理論が正しいとしたらこのようなことが起こっていることになる。ところがそんなことは起こっていない。月を観測している人と、木星を観測している人が違う時刻にいるなんてことはありえない。

(4) 一般相対性理論

 速度とは関係ないが、時間が関係するのでついでに取り上げてみる。

  一般相対性理論は、重力で、時間が遅れるという理論である。

 月を考える。月は地球より重力が少ないから地球より、時間の進み方が早くなるはずである。

 太陽系ができてから、月は地球より時間がつねに進んでいる、その積み重ねは、どれくらいになるのだろう。45億年の間に、おそらく何十年と進んでいるはずである。

 ところで、月の石を人類は持ち帰っている。この石は未来の時刻の石である。

 流れ星を考えてみよう。流れ星は彗星由来だという。彗星は月よりはるかに重力が少ない。太陽系ができたときから彗星は存在するといわれている。すると、彗星の時間は早く進み、45億年の間に、数千年未来に行ってしまっていることになる。その彗星から離れて地球に落ちてくる流れ星は、数千年未来からの贈り物であるということになる。

 地球は太陽より重力が少ない。すると太陽より、時間の進み方が早くなる。太陽系ができてから、地球は、数千年未来(計算では約4600年。土星とは460年)になってしまっている。太陽の光は数千年過去の太陽からの贈り物であることになる。

 すばらしいことである。今という時刻はなんなのでしょう。

 太陽系には、重力の違う物質がたくさん存在する。地球より過去にあるだろう太陽、木星、土星、天王星、海王星。未来にある、月、水星、金星、冥王星、小惑星、彗星その他の小天体。

 これらは、大きく時刻が違っている。

 それらが、地球の今の時刻に全部現れている。太陽の時刻ではなく、彗星の時刻でもない。太陽系は太陽が中心だから、太陽に合わせてもよさそうだが、なぜか地球に合わせている。(もし太陽に合わせると、地球は、4600年前になるから、日本などはまだ石器時代だ。私はいない)

 宇宙は地球が中心である例である。

 

3 結論

 時間が伸び縮みするというのは、お話としてはとても面白い発想かもしれないけれど、現実には不可能な現象であるということです。

 どうしても、時間が速度で伸び縮みするというなら、実証しなければなりません。現実には、速度が遅いので、計測できるような現象は存在しないというのは逃げにしかすぎません。書いたように太陽と地球は、時間の違いが数千年になります。太陽と、彗星を比べたら、数万年になるだろうと推測できます。この違いがなぜ今という時刻に出現しているのかを解明する必要があります。

 

 特殊相対性理論に限っても違いは大きく出ます。

 この世界には、光速や光速に近い速度で動いている物質が存在します。先ほども出てきた宇宙線がそうです。宇宙線は、宇宙空間を何万年も飛んできたりします。光速で飛んでいるので、宇宙線の時間が遅れ、何万年も過去の時刻を指している宇宙線がたくさんできます。その宇宙線が今の地球にやってきていることになります。紀元前1万年の時刻の宇宙線とか、紀元前2,384,359年の宇宙線とかが、今、紀元2010年の地球に降り注いでいるというわけです。もちろん「相対性原理」を適用すると、宇宙線が基準になることも可能です。すると、宇宙線に対して、地球が動いていることになります。地球は光速になります。すると地球の時間がゆっくり進みます。ある宇宙線に対して、地球は、紀元前1万年の時刻になります。ある宇宙線に対しては、地球は紀元前2384359年の時刻を示すことになります。この宇宙線が同時に地球にやってきたら、地球はどちらの時刻を取ればいいのでしょう。

 宇宙線は絶えず無数に降り注いでいます。地球は地球が基準の今の時刻になったり、基準を宇宙線に変えたときの、無数の時刻になったりと、忙しくて大変になりそうです。こんなことがあるわけがありません。これは相対性理論の根幹である、「相対性原理」と、「光速度不変の原理」のうちの何物に対しても光速度である、という考えが間違っているからです。ニュートンの,絶対空間、絶対時間で考えると、このような矛盾だらけの現象は起きません。

 すなわち、光は絶対空間に対して、絶対速度で進むから,観察者に対して相対速度を持ち、時間や空間の伸び縮みは現れないという考え方です。 

 速度によって、時間は変わらないと考えると、今の宇宙には、今の時刻の物しか存在しないということになって、現実とつじつまが合います。速度で時間が遅れるとすると、宇宙空間を137億年、地球の形になってからでも46億年も飛び回っている地球の現在時刻は宇宙暦何年何時何分なのでしょう。では、宇宙の基本的な時間とはなんなのでしょう。絶対的に止まっているものは存在しないことになっています。全ては相対的なのですから。

2010年4月9日   高田敞

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