(夜空はなぜ暗いのか)
著者 高田敞 2012年宇宙論目次へ
1 問題
野本陽代氏の「ペテルギウスの超新星爆発」という本にオルバースのパラドックスについて解説と回答が載っていた。それについて考えてみる。
(以下{ }内は「ペテルギウスの超新星爆発」からの引用)
a 解説
{私たちのまわりに細い針金がぽつんぽつんと、無限の彼方まで一定の間隔で立っているとしましょう。針金がどんなに細くても、どんなにまばらに立っていても、はるか彼方まで立っているとすると、その数が、針金の細さもまばらさも克服して、そのうち重なり合って見えるようになります。その結果、どの方向を見ても、すきまなく針金が立っているように見えるでしょう。同様に、宇宙が無限に広がっており、宇宙の中に星が一定の割合で分布しているとします。星の光の強さは、遠くに行けば行くほど弱まっていきます。しかし、遠くに行けば行くほど星の数も増えていくはずです。弱まる光と、増える数、この両者が相殺しあうとしたら、無限に広がる宇宙においては、夜空はどちらを見ても星の光で明るくなるはずです。しかし、現実には夜空は暗い、それはなぜなのでしょうか。}
b 解答
{夜空が暗い理由のひとつが明らかになりました。宇宙が膨張していることです。お風呂に水を入れたとしても、水を入れる速度よりも早く風呂桶が大きくなっているのであれば、水がいっぱいになることは永久にないでしょう。どれほど星や銀河があったとしても、すきまがどんどん広がっているのであれば、夜空が明るくなることはないからです。}
2 考察
ハッブルディープフィールドに無数の銀河が写っている。あそこは、星がひとつも見えなくて、真っ暗の夜空だった。そこをハッブル望遠鏡で見ると、無数の銀河が写っていた。オルバースの言うように、遠くなると、星(銀河)の光は弱まるが、数は増えている。
ではあそこに銀河があるのになぜ今までは闇だったのか。簡単である。人間の目はその光が弱すぎて見えなかっただけなのだ。今までの望遠鏡も、銀河の光が弱くて、本当は銀河(星の集まり)の光があるのに、闇としか見えなかったのだ。
夜空が暗い訳は、本当はそこに星(銀河)があるのに、人間の目には見えないから暗く見えているだけである。
考えてみてもわかることだ。もし、太陽が、100ワットの電球の明かりほどだとしたら、誰もそこに太陽があるとは見えないだろう。そこは闇に見えるだけだ。東京から、富士山の天辺のろうそくの光が見えないのと同じだ。
あの、ハッブルディープフィールドに写っている銀河と銀河の間の何も写っていないところを、もっとはるかに性能のいい望遠鏡が出来たとき写したら、やはり、無数の銀河が写ることだろう。望遠鏡が出来、望遠鏡の性能が向上するたびに、新たな星や、銀河が見えてきたように、今後も観測機器の向上と共に、見えなかった銀河が見えてくることだろう。
今までの望遠鏡の発達と、星の見え方から考えると、そうなるだろう。ビッグバン宇宙では、137億光年(137億年前の光。これ以上過去に宇宙は存在しなかったから銀河はない)以上遠いものは見えないことになるのだろうが。ビッグバン宇宙論は間違っている(100億光年以上遠い銀河が見えたことから、ビッグバン宇宙論が間違っていることを証明している)のだから、200億光年先(200億年前の光)の銀河もいつか見えることだろう。それはそんなに遠くない先のことだろう。
あの小さな夜空に、無数の銀河が写っていたのである。空は銀河でびっしり覆われていると考えられる。
ついでに、針金の話の回答も付け加えておこう。月に針金を立てる。地球から見えるだろうか。見えないだろう。針金どころか、電信柱だって見えないだろう。アポロ着陸船が月面に残した運搬船が望遠鏡でも見えないことからも分かる。月より遠いところに立てた針金はどこにあっても人間の目には見えない。だから人間にはそこには何もないとしか認識できない。
3 パラドックスの解答
何も、宇宙を膨張させなくても、視力に限界のある人間の目には夜空は暗くしか見えないのである。
もし、500億光年先の銀河の光まで人間の目が認識できるとしたなら、夜空はびっしり星に覆われて見えることだろう。
このパラドックスは、宇宙に問題があるのではなく、人間の目に問題があったのだ。地上で生き、地上の物を見るために発達した人間の目に、1億光年先や、10億光年先の星を見る能力は不必要なだけなのだ。
あと100年立っても仕組みは解明されないだろう空間膨張(なぜならそんな現象はないからだ)で説明するより、富士山頂のろうそくの明かりはスカイツリーからは見えないという事実で説明するほうが、科学的である。あたりまえのことは科学ではなく、不可思議なものが科学であるというのは、科学と魔術を取り違えているのである。
2012,5,17