(以下{ }内は上記本よりの引用)
{未来への時間旅行}
{未来への旅を理解するかぎその1〜相対性原理}
1 問題1
{アインシュタインはこの相対性原理が,光にも成り立つと考えました。たとえば,一定速度で運動している乗り物の中で,中の人から見て,真上に光を放てば,光は真っ直ぐ上へと進んでいく,}
(著者注:この相対性原理=ガリレイの相対性原理)
そして、飛行機の中で、真上に投げ上げたボールと、光の図が二つある。一方は、後方に飛ぶボールと、後方に飛ぶ光で、もう一方は、真上に飛ぶボールと、真上に飛ぶ光である。そして、後方に飛ぶ図が間違いで、真上に飛ぶ図が現実とある。
考察
(1) 図について
真上に飛ぶボールは、実際に観測された現実である。しかし、飛行機の中で光が真上に飛ぶのは一度も観測されていない。アインシュタインの特殊相対性理論からの憶測にしか過ぎない。真上に飛ぶ光は現実ではない。
実験と理論とをはっきり区別しなくてはならないという科学の基本ができていない。科学の本らしからぬ記述である。
地球の動きに対して光が斜めになる、光行差という現象が観測されている。光は地球という乗り物に対して斜めになるのが現実のほうである。この観測は、飛行機の中の光が真上に飛ぶということが一度も観測されていないのとは違って、他の観測によっても確認されているので、事実である。
(2)理論
ガリレイの相対性理論は、質量のあるものはその速度を保存するというニュートンの理論で現象と理論が一致した。
しかし、光は質量を持たないから、光源の速度を保存しない。これはアインシュタインの光速度不変の原理でも述べている。すなわち、光は、光源の速度に関係なく光速度cをとる、という理論だ。
光が、飛行機の速度と同じに横滑りするのは、光速度不変の原理からである。慣性の法則からではない。
ボールと、光の理論はまるで違う原理なのだから、同等のように並べて比較させるのは間違いである。(注:後述)
問題1
{「未来への旅を理解するかぎ その2〜光速度不変の原理}
光速度不変の原理は2つの理論から成り立っている
@ 光の速度は光源の速度に影響されない
A 光は何物にも、光速度である
考察
(1)@ 光は光源の速度に影響されないという理論について
これは光が質量を持たないことから来る。
同じ現象は音でも見られる。音もそれ自体質量を持たす、媒質の波だから、音源の速度を保存しない。音は音を伝える媒質に対して音速になる。
たとえば音速の飛行機の中でも普通に話せるのは、音は飛行機の中の空気に対して音速になるから、どの方向へも同じ速度で伝わるからである。飛行機の中の空気は、音速で飛行機と共に飛んでいるから、外に対して、音は音速の2倍で前方へ飛ぶことになる。一見慣性の法則のようだがそうではない。これは外に出た音の速度を見れば違いが分かる。外に出た音は、外の空気の速度に対して音速だから、機内の音の速度とは違ってくる。外の音は、外の空気に対して音速だから、飛行機の前方へ飛ぶ音は、機内の半分になっている。このとき飛行機に対して、ほぼ同速になり衝撃波が生じたりする。
これは、列車内で投げた、ボールも、列車外へ投げたボールも、慣性の法則で、同速であるのとは異なる。ボールは、中であろうと、外であろうと列車の速度を保存しているからである。
秒速数十キロで動いている地球上で話しても、どの方向にも声が届くのはこのためである。しかし、これは慣性の法則ではない。ボールもどの方向にも同じように飛ぶので、同じ現象のようだが、原理はまるで違うのである。
このことから、光の速度は光源の速度に影響されないということは、波の性質としてありうることである。
(2)A光は何物にも光速度である。
Aはどのように動いている物にも、光は光速度で接近するという考えだ。これは光特有の現象で、これこそ特殊相対性理論の根幹である。勿論媒質に対して音速になる音にはこのような現象は起こらない。そこでこのことについて考えてみる。
ガリレイの相対性原理について{アインシュタインはこの原理が、光にも成り立つと考えました。}とある。
{この原理}とは慣性の法則であるから、アインシュタインは、光もボールと同じように、慣性の法則が成り立ち中の人と同じに進むと考えたということである。だから、光速度は何物にも不変であるという、光速度不変の原理を考え付いたとすると、彼の考えは完全に間違っていることになる。先に書いたように、ガリレイの相対性原理は慣性の法則だから光にはなりたたない。光は慣性質量を持たないから、ボールのようには動かない。
{この原理}は慣性の法則をさしているから、アインシュタインは完全に間違っているといえる。また、この本もそれを肯定していることから、相対性理論家もまた間違っているといえる。
もし、A光は何物にも光速度であるというなら、慣性の法則以外の原理を示さなければならない。しかし、その原理はいまだ誰も示していない。原理が分からないから慣性の法則で説明しているとしたら、科学ではない。もし慣性の法則が光にも適用できると信じているなら、それは書いたように明らかな間違いである。
(注:慣性の法則は、エネルギー不変の法則から来ている。運動エネルギー=1/2mv2からきている。ボールはこのネルギーを保存する。しかし光は質量のm=0だから、掛け算すると運動エネルギーは0になる。したがって、光源の速度には影響されないことになるから、慣性の法則は適用されないということである)
光は何物にも光速度である、ということの原理が、空間が縮み、時間が伸び縮みするからであるというのを原理とするなら、それも間違いである。この原理は光速度不変だとしたら、ということで考えられたことである。光速度不変が正しいとしたらとして出てきた結果を、原因である、光速度不変の理由には出来ない。
説明の必要はないだろうが一応説明しておく。なぜなら慣性の法則を、原因だと信じている人たちのようだから説明が必要かも知れないと思うから。(@慣性の法則の演繹→A光は何物にも光速度である→B空間や時間が延び縮みする)というのが相対性理論だから。結果を一番前に持ってきて原理には出来ないということである。
アインシュタインの間違いを、かれは天才だから間違いは決してないとしてそのまま受け継いでいるなら、そろそろ権威主義から脱してもいいときではないだろうか。それとも、アインシュタインと同じで、慣性の法則の演繹が光にも通用すると本気で思っているのだろうか。それなら慣性の法則から演繹出来るという理論を示さなければならない。それが出来ないときは間違った原理を適用している相対性理論が間違っていることの証拠になりさえする。
問題2
{アインシュタインの若き日の疑問が発端}
{光を光速度で追いかける空想をしたといいます。常識的に考えると、光は止まって見えそうです。アインシュタインは止まった光など現実にありえるだろうかと疑問に思いました。そして後に、光速度不変の原理にたどり着いたのです。}
考察
これもアインシュタインの考え違いである。現実に、箱の中で光を、止めることに成功したという話がある。
またチェレンコフ光に見られるように、電子から出た光がその電子と同速度で飛ぶ現象が観測されている。電子から見ると、光は光速度で遠ざからなければならないはずなのにである。
チェレンコフ光は光の衝撃波であるのだから、電子からみれば、光が止まって見えるはずだ。これは音速の飛行機が出す、音の衝撃波と同じ原理である。
小柴氏の観測したニュートリノは光と同速度で、宇宙空間を飛んで地球に到達している。ニュートリノから見れば光は光速度でニュートリノから遠ざからなければならないはずなのに、ニュートリノと同速だ。このときニュートリノから見れば光は止まって見えるはずだ。
結論
これも光速度不変の原理の根源が間違った考えから出発していることを示している。
そして光速度が決して不変ではなく、速度変化をしていることを示している実例でもある。