タイムトラベルを科学する(Newton2012−3号)

への疑問1     相対論2012年表紙

著者 高田敞

(以下{ }内は上記本よりの引用)


相対性理論の時間の世界

1 問題1{過去へ戻れるか?歴史は変えられるか}

 {相対性理論によると,特殊な条件がととのえば原理的には過去への旅が可能になるかもしれない,}

  考察1

 相対性理論は、過去の現象は消えずに存在し、時間をさかのぼればいつからでもそこに行けるという考え方であるようだ。

(1)考察@ 証明

 もちろん、この理論は、証明されていないので仮説である。今まで過去に遭遇したり、未来に遭遇したりした事実は証明されていないので、かなり事実とは異なっているといえそうである。

(2)考察A 過去は今も存在するか?

 普通に考えると、現実に存在するのは現在の瞬間だけである。過去はすべて消えている。また、未来はまだ来ていないので、何も存在していない。未来に私がいて、車を運転していたり、過去の私が今もいてビフテキを食べていたりしているということはない。ビフテキを今正に口に入れようとしている過去の瞬間がその瞬間に戻ればいつでも存在している、すなわち、永遠にその時刻でその形で待っているなどということは、常識的には考えられない。

 この常識的な仮説は今までのところ現実に一致している。勿論、すべての起こったことが消えたように見えても、過去という時間がいつも存在し、起こったことすべてが存在しているという仮説も成り立つ。しかし、現在までに、過去の現象が現在に現れたリ観測できたりしたという現象は観測されていない。また実験でもその現象はないことから、過去という時間が存在し、すべてが残っているということはかなり否定的であるといえる。

 また、未来の現象が現在に出現したり、観測したりしたということもない。実験でもない。したがってこの私の仮説(過去の現象も、未来の現象も実際には存在していない)はかなり信憑性があるといえそうである。

 

2 問題2

{ミューオンは寿命を越える未来へタイムトラベルしている} 

ミューオンは未来へ行けるのか?相対性理論のしくみは正しいのだろうか。

 考察2

 竜宮城が高速で飛べば時間が遅れる。その間に地球は時間が進む{特殊相対性理論によると,竜宮城が光速の99.995%で運動していたとすると,竜宮城での3年間が地上での300年に相当する計算}。このことから、竜宮城で3年過ごしてから地上に出ると、300年後の地球に現れるということのようだ。

問題@ どちらの時刻が正しい?

 この本の説が正しいとして考える。

 たとえば、竜宮城に浦島太郎が行ったのが、西暦1000年1月1日とする。このとき、浦島太郎も、地球も、時刻は、西暦1000年1月1日である。浦島太郎が地上に戻ったときは、浦島太郎の時刻は西暦1003年1月1日である。地上の時刻は、西暦1300年1月1日であるということになる。

(1) どちらの時刻が正しい時刻なのだろうか。

 @ 異時刻のものが同時に存在できるか

 このウラシマ伝説の説からすると、異時刻の物が、同時に存在することができるということになる。そのようなことが可能なのだろうか。今のところ、地球では、すべてのものが同時刻にあるということになっている。私が、2012年3月5日にいて、隣に座っている人が、2403年12月25日の時刻にいるということはない。 

 古典物理学では異時刻のものは同時には存在できないことになっている。アインシュタイン物理学では、異時刻のものが同時に存在するようになっているようだが、そのような、事実は観測されたのだろうか。ミューオンで観測されたというがそうだろうか。後ほど考えてみる。

A ガモスの解決方

 相対性理論家で、ビッグバン宇宙論を提唱したガモスは,その著書の中でこの問題を解決している。速度のために時間が遅れた人が、腕時計の針を回して地球時刻に合わせている。これで時刻が合う。めでたしめでたし、ということだ。

 しかし、これでは、時計の時刻は合うが、本当の時刻は合わないまま残っている。時計の針を動かすと、自由に時間が動かせるなら、時計の針を進めると未来に行き、遅らせると、過去に行けることになる。

 ガモスの時間とはせいぜい小学生程度である。ところが、これはガモスだけではない。相対性理論全体の意見でもあるようだ。現在でもこの論理はある。ナビなどに使う人工衛星の全地球方位システムの時間が、重力や、速度によって地上と違ってくる。そのため、ときどき時計を合わせるという主張だ。だから相対性理論は実証されたと述べている人たちがいる。このときも時計は合う。だからめでたく時間の遅れは調整されたという。時計さえ合わせばいいのである。しかし、人工衛星の本当の時刻は遅れたままのはずだ。相対性理論では本当の時間と時計の時間が同一の価値を持っているようだ。時間とはそれくらいのことなのだろうか。まあ、相対性理論では、いくら時間の進み方が遅くなろうが、速く進もうが、必ず地球時間に出現し続けるのだから、本当の時間など遅れようが進もうが、時計さえ合えば関係ないことなのだろう。

 B 地球時刻と、他のものの時刻

 地球上では、様々なものが動き回っている。地球上にぴったり張り付いて動かないものなら、地球表面時刻と同じ時刻である。しかし、すべてのものは動いている。すると、時間の進み方が地球表面とは異なっているはずだ。すべての物は、地球表面時刻とは異なった時刻にあることになる。地球より、未来の時刻のものや過去の時刻のものばかりである。それが、今、地球上にあるということは、すべての物は、地球時刻に合わせて出現しているということである。かってに過去に行ったり、未来に行ったりしないで、地球の時刻を尊重しているのである。みんなわがままを言わないのだ。とてもおりこうさんだ。地球表面は総元締めである。まるで神様のようだ。

 普通の動きで違ってくる時間の進み方は、非常に小さいから、無視して考えても良いと言うのであろう。相対論は都合の悪いことはいつも無視する。しかし無視できないこともある。太陽の時間は一般総他姓理論では、1年1分の遅れになるという。すると、46億年間で、46億分地球より送れたことになる。うるう秒とかでこの調整はしていない。今地球は、紀元前数千年の時刻にある。かすかな違いでも、宇宙規模の長い時間だと積もり積もって無視できない。
 地球の物質は、すべて、ビッグバン理論によると130億年の昔から存在していたことになっている。その間すべての物質の時間の進み方は固有である。したがって、その時刻の差は、かなり大きなものになっているはずだ。このことから、地球上の物質はすべて、かなり異なる時刻にあることになる。同じ時刻はひとつもないはずである。すべての異なる時刻の物質が、地球上でぴったり同じに現れている。これはニュートンの絶対時間の考え方と寸分違わない現象である。隣の人が54年前の時刻の人なんて信じられますか。

 

 

(2)『バック・ツゥ・ザ・フューチャー』の場合

 『バック・ツゥ・ザ・フューチャー』ではタイムマシーンの時計を合わせると、その時計の時刻の地球に現れる。

 たとえばタイムマシーンの機器を西暦1003年1月1日に合わせると西暦1003年1月1日の地球に飛んでいく。タイムマシーンと地球の時刻は一致するのである。相対性理論では、どんなに時刻が変わろうと、必ず、今の瞬間の地球時刻に現れるのとは仕組みがまるで違う。相対性理論では地球の現在と違う時刻には現れることが出来ないようだ。地球の時刻は基準であるから決して変ることはないということのようだ。

 『バック・ツゥ・ザ・フューチャー』のすばらしさは、今では過ぎ去った過去の地球に行ったり、まだやって来ていない未来の地球に自由に行くことが出来るということだ。相対性理論では、未来に行くにも、自分が、時計を遅らせて待っている間に、地球時間がいつものように進んで、未来になったときに、そこに現れるという仕組みのようだ。地球の未来が一瞬でやってきたのではなく、地球はいつものとおりに進んでいる。地球時間が進まないかぎり、未来には行けない。相対性理論ではすべて通常の地球の時間経過に合わせたことしかできない。それが科学とSFの違いなのだろう。としておこう。

 

3 ミューオンの時間

{相対性理論の効果によりンミューオンは寿命が延び,崩壊前に地上に到達できる(実際の観測事実)→ミューオンは寿命をこえる未来へタイムトラベルしている}

考察1 (実際の観測事実)ということについて

 実際に地上でミューオンが観測されているのは事実である。しかし、それが、タイムトラベルのためであるというのは、仮説にしか過ぎない。

 宇宙線の一部が地上付近まで到達しているから、ミューオンが地上に達しているという仮説も成り立つ。この仮説は、常識の範囲で十分成り立つ。ミューオンがタイムトラベルしているというためにはこの説を理論ではなく観測で否定することが必要である。

考察2 ミューオンの時間

 相対性理論が正しいと仮定する。すると、ミューオンは高速のために、時間が遅れる。時間がゆっくり進むミューオンに対して、地球はいつものとおりの速さで時間が進むことになる。すると、地球の時刻は、ミューオンの時刻を置いてけぼりにして、どんどん進む。ミューオンは追いつけない。

 ところが、相対性理論では、時間が遅れたはずのミューオンは先に進んでいるはずの地球の時間に追いついて地上に達している。

 時速10キロの自転車と、時速60キロの自動車が同時に出発すると、自転車は自動車に追いつけない。

 ところが、ミューオンは、時間がゆっくり進んだために、未来にタイムトラベルしたという。ゆっくり進んだら、遅れるのではなく未来に先回りするという。その仕組みは、ミューオンの時刻は過去にある、それが、先に進んだ地球時間に現れたのだから、その差の時間分ミューオンは未来の世界に進んだということだ。ところで、ミューオンが現れたのは地球の本来の現在だから、地球にとっては未来ではない。地球も、ミューオンも本来の現在にあるのである。

 これは、速度で時間は変化しない、すべては、同じ時刻にあるとする、古典力学の絶対時間の考える世界とまったく同じ現象である。すべては現在だけであるとする考え方だ。

 違いは、相対性理論ではミューオンの時刻が、現れている現在と違う時刻を指しているというだけだ。もちろんミューオンの時刻を直接測ったわけではない。本当の時刻など測りようがない。時間とは何かがいまだに誰にもわかっていないから、それを測る装置もできてはいない。時計は、地球の自転速度を測る機械であって、本当の時間を計っているのではない。誤解してはならない。相対性理論はそれをうまく使ったトリックなのだ。

 問題は、遅れているミューオンが、ぴったり現在に追いついているという仕組みだ。まあ、特殊相対性理論だから、特殊な方法ですばやく追いつくのだろう。異時刻のものが同時刻に存在するというのが、特殊相対論のすばらしさなのだろう。

 

 ではミューオンが、SFのように、合わせた時計の時刻に飛んでいくとしたらどうなるかを考えてみよう。

 ミューオンの時間は地球の時間の10分の1の速度になると仮定する。そしてミューオンの時間で10分の1秒後、地球に到達するとする。

(これは便宜上である。実際ははるかに短時間でミューオンは地上に到達する)

@の図

 現在の私の上で現在のミューオンが発生した。

 10分の1秒後、ミューオンは地上に到達した。しかし、その間に、私は1秒先まで時間が進んでいる。したがって、私にミューオンは当たらない。私は、自分の上空で自分と同時に発生した、ミューオンを観測できないことになる。

Aの図

 では、私に当たっているミューオンは私がいつの時刻のときに、発生したのか考える。

 ミューオンが発生したとき、私は、ミューオンの過去0.9秒前に存在していれば、私の1秒後と、ミューオンの0.1秒後が地上で同時刻になる。このことから、私たちが観測しているミューオンが発生したとき、私はつねにミューオン発生時刻の0,9秒過去にいなければならない。現在、過去の私が実態として存在しなければならない。

Bの図

 では現在の私に当たるミューオンはいつ発生しているのだろう。私の0.9秒未来で発生すると、私の1秒後と、ミューオンの0.1秒後がぴったり同時刻になる。したがって現在の私が観測できるミューオンは、今この瞬間に0.9秒未来で発生していなければならない。現在、に来駕実態として存在しているということになる。未来のミューオンが存在しているということは、未来の地球が存在していることでもある。勿論ミューオンの元になる、宇宙線を出した全宇宙が存在していることである。すべての時間にわたって宇宙のすべての星星が映画のフイルムのように、厳然と存在していることになる。

 

結論

このことから、私の真上で同時刻に、ミューオンが発生しているのと同時に、0.9秒未来でもミューオンが同時に発生していなければならないし、現在の時刻に発生したミューオンを観測する私は、0.9秒過去に存在していることになる。

 これらが同時に存在していなければ、現在観測しているミューオンも、現在発生したミューオンも、観測できないことになる。

 過去と現在と未来が同時に存在していることになる。これは不可能だ。われわれには現在しかない。0.1秒過去の地球は、どこを観測しても存在しない。0.9秒未来の地球はどこにも存在しない。連綿と地球が連なっているというのは面白い考えだが、そうは問屋が卸さない。そのことを観測できた人はまだいない。あるのは今だけで、過去も未来も存在しない。といえるだろう。