「数式いらず!見える相対性理論」(竹内建著、岩波書店)

 に対する、ちょっとした反論1

(以下{ }内は上記本からの引用)

 著者 高田 敞   相対論2012年表紙へ 



1{ガリレイ相対性。運動についての初歩的な問題}

(1)問題

 へー!すごい!! 自動車のエンジンをかけ、ギアーを入れ、ブレーキをはずし、アクセルを踏むと、とつぜん横の木が動き出したって。すごいねえ。

 これじゃ、ドライブに行くのも大変だねえ。でも事故のときは便利だね。私は止まっていた、あなたが走ってきてぶつかったのだから責任ない、と言えるものね。

 

木、自動車、ボールの三つを使った座標がある。
{木に固定された座標(木の系)からみた木と自動車とボールの運動}と{自動車に固定された座標(自動車の系)からみた木と自動車とボールの運動}のふたつが書かれてある。

 このふたつの座標に対して{共に、同一の、客観的、かつ物理的な実在を観測して得られた結果です。}とある。
 このうち、自動車から見た座標では、自動車が止まり、木が動いている座標である。

(2)考察

 木が動いている座標は座標としては書けるだろうが、実在するのだろうか。{客観的、かつ実在を観測して得られた結果}とあるが、どこでこのような現象を観測したのだろうか疑問である。

 私もほぼ毎日自動車に乗るが、私がエンジンをかけ、車を走らせるとき、私は動き出さず、木が動き出したりしたのを見たことがない。見てくれで、景色が動いているように見えることもあるが、それは見てくれで、実在ではない。

木を動かす仕組みは

 自動車には、エンジンがあり、車がある。だから走る。木には、根があり、エンジンもない。どのようにして、木が動くのだろうか。

木を動かすエネルギーは

 車を動かすエネルギーは、ガソリンである。では、木を動かすエネルギーは、何なのだろうか。

 自動車のエンジンをかけると、どうして木が動くのだろうか。一切、木には外力が作用していないのに、この{自動車の系}では、木が動いている。

 この本の慣性の法則の解説では、{外力がその物体に作用しないかぎり、その物体は静止しつづける。}とあるがそれに反している。

 また{自動車の系}では動いているはずの自動車が止まっている。やはりこの本の慣性の法則{外力がその物体に作用しないかぎり、その物体は、同じ速度で運動し続ける}とあるが、この自動車の系では、何の外力も受けていないのに、自動車は止まっている。慣性の法則に反する。

 {客観的、かつ実在を観測して得られた結果}というが、いつ、どこで、エンジンをかけ、車輪が回転しているのに、自動車が停止している事実を{客観的、かつ実在を観測し}たのだろう。また、それは、科学に必要な検証実験がなされたのだろうか。また、その現象は、つねに、われわれの身の回りで起こっているのだろうか。示してほしいものだ。

 もし、この本の図がそれを示しているというならそれは{客観的、かつ実在}ではない。この図はたんに絵である。すなわち、紙と、インクである。実際の車は、鉄と、プラスチックと、ガラスと、その他もろもろで出来ている。木は、木で出来ている。決して紙ではない。絵の車は人を乗せて走らない。絵の木も光合成をしない。もしこの図が、{実在}というなら、この図の車を運転してみせてほしいものだ。木を走らせてみてほしいものだ。アニメーションにして、テレビ画面上で動かすしかない。しかし、それでもそれは、アニネーションであって実在ではない。もし、アニメが実在なら、アニメの魔法も実在することになる。そんなことはない。

(3)結論

 まあ、相対性理論のつごうのために、木を動かし、動いている自動車を止める必要があるのだろうけど、それは実在ではない。たんなる観念にしか過ぎない。観念の世界でしか通用しないものは、実際の世界には通用しない。魔法の国のおとぎ話にすぎない。木が走り出す現象を実際に観測したら、この考え方も科学になるのだろうが、そのときは、古典力学はすべて廃棄されることになる。エネルギーを加えなくても木が走り出したり、いくらエネルギーを加えても自動車が停止しているのだからニュートンの理論はすべて間違いになる。ニュートンの運動の法則とは相対性理論の近似値ではなく、真っ向から対立することになる。