「詳報ヒッグス粒子」(「Newton」2012,3号)への疑問

(以下{ }内は、上記本よりの引用)

著者 高田敞    相対論2012年表紙へ

1 問題1 ヒッグス粒子が質量を生み出す仕組み

 このことについて、上記本では、ヒッグス粒子が、{私たちの身の回りから宇宙まで、あらゆる空間を埋めつくしていると考えられている。このような空間の中を素粒子が進もうとすると、ヒッグス粒子が“まとわりつく”ことで抵抗を受ける。それはたとえば私たちが水中を歩こうとした場合に、水にじゃまされて歩きにくいのと同じようなものだ。ヒッグス粒子はこのようにして、素粒子に対して、動かしにくさ(つまり質量)を与えていると考えられているのである。}

 

  考察1

(1) “まとわりつく”力が、質量に変換する仕組み

 この仕組みが明示されていない。

 水がまとわりついて歩きにくいからといって、私たちの質量は決して増えない。どのような物がまとわりついても質量は増えない。

 ヒッグス粒子がまとわりつくと、なぜ一定量の質量が増えるのか。

 素粒子が飛ぶ距離によって質量に多寡が出るのではないのだろうか。

 ヒッグス粒子が“まとわりつく”と一定量の質量になる過程を、科学式で説明する必要がある。

 

2 問題2 質量の性質

 質量は“動かしにくさ”だけだろうか。質量は、慣性質量を持っている。また、引力あるいは重力を持っている。(著者注:引力は、ニュートンがとなえた、質量のあるものどうしが引き合う力である。重力は、アインシュタインがとなえた、重力は質量が空間を曲げることで生じる、である。相対性理論家は、空間の曲がりが万有引力を生むという説明だが細部の性質がまるで違う(引力は引き合う力、重力は重い力すなわち曲がった空間を落ちることで生じる)し、ここでは述べぬが理屈がでたらめである。ふたつは似て非なるものである)

 

 

 (1)慣性の法則との不整合

 物質に質量をもたらす仕組みが水の中を進むのと同じとすると慣性の法則が成り立たない。水の中を進む船はスクリュウを止めると止まってしまう。同じ原理を適用すると、素粒子がヒッグス粒子の中を飛ぶと、ヒッグス粒子の抵抗で素粒子はやがて止まってしまうことになる。なぜならヒッグス場の抵抗は全宇宙に満ちているのだから、一瞬ではなく継続していると考えられるからである。抵抗がある限り、それに比例して、素粒子の速度は落ちなくてはならないはずだからだ。

 もし、ヒッグス粒子の抵抗があっても同じ速度で飛び続けるとするなら、エネルギーの法則に反することになる。

 また、素粒子の質量が、ヒッグス粒子が“まとわりつく”ことで生まれた{動かしにくさ}だけなら、慣性質量はうまれないことになる。

 ヒッグス粒子が質量を生んだとするなら、慣性質量を生んだ仕組みを解明しなければならないはずだが、その説明は一切ない。

 

(2)万有引力との不整合

 質量のあるものは万有引力を持つことが知られている。ヒッグス粒子によって獲得した、“動かしにくさ”では、万有引力の原因となる理由にはなりえない。素粒子がヒッグス粒子に出合う前、あるいは、他の理由で、万有引力は持っていなくてはならない。

 また、相対性理論の重力は、質量のあるものは空間を曲げるということから生じていると述べている。これも、“動かしにくさ”から生じるとはいえない。

 以上のことから、古典物理でも、アインシュタインの相対性理論でも、元々から、素粒子は万有引力なり重力なりを持っているということになる。

 すると素粒子は、質量は0で生まれたが、重力の元になる、空間を曲げる力、あるいは、万有引力の引き付けあう力は、もって生まれたといえる。

 そうでないなら、ヒッグス場がどのような原理で、素粒子に引力を与えたのかを、説明する必要がある。その説明はない。それどころか質量とは、動かしにくさだけであると述べているようなのである。

 

3 結論1

 “動かしにくさ”は、質量の持つ性質のひとつに過ぎない。それも、慣性質量や、引力がなかなか見つけられなかった(ニュートンがやっと見つけた)のに比べ、小学生でもすぐ分かることなのだ。

 結論からいうと、これが20世紀最大の天才の理屈かとあきれる。ピンポン玉は動くけれど、漬物石は動かない、ということくらい、幼稚園生でも知っている。それを、重いものほど動かすのが大変だ、というところを、質量は動かしにくさだ、と物理用語で言っただけだ。20世紀最大の天才はそのレベルなのだ。それをあがめ祭っている20世紀の物理とはせいぜいそのレベル、(質量とは、動かしにくさ”だけ)なのだ。

 質量をなぜ、{動かしにくさ}と言い換えているのだろう。その必要は皆無である。それをなぜ言い換えたかというと、質量では、慣性質量や、引力が含まれるから、ヒッグス場が通用しなくなるからである。そこで、動かしにくさだけ取り出して、ヒッグス場で説明できるようにしたのである。なぜヒッグス場が必要かというと、標準理論が破綻するからである。苦肉の策である。

 また、等価原理がその根源にある。等価原理には、引力や、慣性質量があると困るのである。加速度には引力や、慣性質量はないのである。だから、動かしにくさだけにしないと、等価にならないのである。

 標準理論や相対性理論が科学であるといいたいなら、質量を、{動かしにくさ}などと言い換えずに質量そのものとして、ヒッグス場で説明できなくてはならない。

 相対性理論は、言葉を言い換えて、本来の性質から、じゃまになる性質を剥ぎ取り、相対性理論につごうのいい性質だけ残して説明し、相対性理論は正しいという傾向が強い。では本来の言葉に戻して説明できるかというと、上の例のように説明できないのである。等価原理などはその代表である。

(余談:等価原理とは、重力と加速度は等価であるという原理である。相対性理論では、重力は空間を曲げるという理論である。ところが、加速度には空間を曲げる力があるとはいっていない。これが重力の要であるはずなのに、そのことは無視して、重力も加速度も、床に押し付けられる感じがそっくりであるから、重力と加速度は同じであるなどといっている。まるっきり小学生低学年の発想である。20世紀最大の天才なら、重力と、加速度は同じ割合で空間を曲げるということを証明しなくてはならないはずだ。できるものならやってみな、といいたい。出来るわけはないと断言できる。そんな観測事実は存在しない。ニュートリノは光速で飛んでも空間を曲げてはいない。18万光年を18万年で飛んでいる。特殊相対性理論では、速度によって空間が縮む、といっている。一見、重力が空間を曲げる性質と似ている。しかし、それは速度であって、加速度ではない。特殊相対性理論は慣性系の話で加速系の話ではない)

 

4 疑問2

(1)問題3 

{厳密にいえば、ヒッグス粒子は粒子の状態で空間を埋めつくしているわけではない。空間が「ヒッグス場」とよばれる性質を持っており、素粒子はヒッグス場から抵抗を受けるのである。}

 この場合もヒッグス粒子と同じである。素粒子が抵抗を受けることから質量が生まれるとすると、やはり、慣性の法則は成り立たなくなる。動いている物質は、ヒッグス場の抵抗のため速度を落とし、やがて停止することになる。

 唯一慣性の法則が成り立つのは、物質が停止している場合のみである。この場合は、物質は抵抗を受けないから停止したままである。

 

5 疑問3

問題4

アインシュタインの相対性理論との整合性

(1)すべては相対的

 相対性理論では絶対停止は存在しない、すべては、相対的であるということであった。

 すると、素粒子が動いてヒッグス場が停止していると考える場合と、素粒子が停止して、ヒッグス場が動いている場合と、双方が動いている場合とが考えられる。そしてこのどれもが、存在しているはずである。

 

 光子はヒッグス粒子から抵抗を受けないということであった。すると、光はこのヒッグス場で自由に光速で動く。すると、方向によって、ヒッグス場に対する速度が異なることにならないか。

 特殊相対性理論では光子は何ものに対しても光速であるから、ヒッグス場に対して相対的速度は変わらないということになる。ヒッグス場がどのような速度でどの方角に動いていようとも、ヒッグス場に対してどの方角に対しても光速である。それは、空間が伸び縮みすることと、時間が伸び縮みすることで埋め合わせていることになっている。したがって、ヒッグス場に対する方向によって、ヒッグス場の時間の伸び縮みの大きさ、空間の大きさが変わっているということになる。 

 

 特殊相対性理論ではすべては相対的であるから、光子のほうが止まっていると考えることもできる。すると、光子に対してヒッグス場は光速で動くことになる。光速で動くヒッグス場はどうなるのだろうか。

 

 ヒッグス場の中をA、Bふたつの光子がすれ違うと仮定する。

 光子Aが停止していると考える。すると、ヒッグス場が光子Aに対して光速で進むと考えられる。このとき、ヒッグス場の中の、光子Bは、ヒッグス場に対して光速で進んでいる。すると、光子Bは、光子Aに対して、光速の2倍の速度で進むことになる。何物も光速を越えることは出来ないという特殊相対性理論に反する。

 

3 疑問4

問題5

地球とヒッグス場

 ヒッグス場があるとする。すると、公転している地球はヒッグス場の中を飛んでいるということになる。すると、ヒッグス場の抵抗を受ける。地球はその抵抗によって、公転速度が落ち、太陽に落ちてしまうのではないだろうか。

 ところが、太陽系が出来てから46億年の間、地球の公転速度がヒッグス場によって遅くなったということは観測されていない。

 もしヒッグス場があれば、46億年で惑星の公転速度はかなり落ちてもいいはずである。ところがその影響は微塵もない。

 このことから、太陽系ではヒッグス場の影響は0であるということがいえそうである。これは太陽系には公転しているヒッグス場が存在しないということにつながりそうである。

 

結論

 質量は{動かしにくさ}である、という論理が間違っているのである。動かしにくさは質量ではない。地面に打ち込んだくいは動かしにくい。動かしにくくてもこれは質量ではない。地面に置いたそりと、雪の上のそりでは動かしにくさが違う。これは質量の違いではない。動かしにくさは様々である。質量とは違う。

 質量は質量である。動かしにくさはその一部の性質に過ぎない。相対論は論のつごうのために、言葉を言い換えて、つごうのいい性質だけ残して、都合の悪い性質は無視している。科学の方法論からすると完全な間違いである。