アインシュタインの時間とニュートンの時間
田 敞
1 まえがき
これは今までも書いてきたことのまとめです。
2 アインシュタインの時間とニュートンの時間
アインシュタインは、時間の速度は、物質の速度と重力によって変わると述べている。ニュートンは、この宇宙の時間はすべて同一であると述べている。物質の速度や引力は時間とは関係ないということだ。
2人の考えは正反対である。そこで、現実の事象はどちらの考えと合致しているかを考えてみる。
(参考:重力と引力の違い。
重力と万有引力は同じだという科学者は多い。しかし、この二つには根本的な考え方に大きな違いがある。
アインシュタインの重力の考え:物質は空間を曲げる。その曲がりに物質は重いから落ちる、という考えだから重い力で重力である。
ニュートンの万有引力:物質は引き付ける力を持っている。だから物質は引き付けあう。だから万物が持っている引き付けあう力だから万有引力である。
リンゴで考えてみる。
重力
リンゴは地球が作った空間の曲がりに重いから落ちる。
万有引力
リンゴと地球が引き付けあってくっつく。
このように重力と万有引力は根本的な考えがまるで違うものである。同じものとはいえない。重力はニュートンの万有引力の考えが出る前の、リンゴは重いから落ちる、という考えに戻っているといえる。)
3 具体例で考える
(1) 太陽系の時間
ア 相対論の時間で考える
相対論では、太陽は重力と速度から、地球より1年で1分時間が遅れるといっている。太陽系ができて46億年だから、太陽の現在時刻は、地球より46億分過去を指していることになる。これは今の地球より8752年過去の時刻になっているということだ。太陽の現在時刻は紀元前6730年を指しているということになる。紀元前6730年にある太陽から出た光が、8分後地球に降り注いでいるということだ。残りの45億9992分はどこに消えたのだろう。ありえないことだ。相対論ではこれをどのように説明するのだろう。ご教授を。
同じように、水星と地球の時刻を比べると、水星は重力が弱いから、地球より時間の進む速さが速く、現在は地球よりかなり未来の時刻にあると考えられる。同様に、小さな火星や金星も、時間が速く進み、地球より未来の時刻にあると考えられる。
反対に、木星や、土星や海王星や天王星は重力が強いため、地球より時間の進み方が遅くなり、現在時刻は地球よりそれぞれ過去の時刻にあると考えられる。
小惑星は重力が地球よりかなり小さく公転速度も遅いため、小惑星の時間は地球よりかなり速く進んでいると考えられる。その結果、小惑星の現在時刻は地球よりかなり未来にあることになる。(わたしは計算はできないので、頭のいい人は計算して教えてください)
このように、太陽系の惑星は、太陽を含めすべて現在時刻が異なっていることになる。地球より46億分も過去にある太陽から、かなり未来にある小惑星まで、非常に多様な時刻にある。ひとつとして、同じ時刻を指しているものはない。それなのに時刻の差に何一つ影響を受けずに太陽系を構成している。ありえない現象である。
46億分過去にある太陽が、今地球からなぜ見えるのだろう。水星や火星や小惑星は未来にあるのに、なぜ地球から見えるのだろう。小惑星に至っては、探査衛星ハヤブサとハヤブサ2が着陸している。ハヤブサは、現在時刻の地球から、はるか未来の時刻にある小惑星に行って、また現在時刻の地球に帰ってきたことになる。ハヤブサはタイムマシーンということだ。
こんなことはあり得るのだろうか。もしあるとすればその原理を教えてほしい。
たとえば自動車を考えてみる。同じ所から、3台の自動車が走り出す。1台は時速100キロ。自分は時速90キロ。もう一台は時速80キロ。1時間後、私と両方の自動車はそれぞれ10キロ離れている。私から見ることはほとんどできない。10時間後その差はそれぞれ前と後ろ100キロになっている。当然見ることはできない。1日後240キロ離れていることになる。1年後87600キロの差になる。到底見ることはできない。
ところが、相対論では、時間の速度が違って現在時刻がどんなに離れていても、見ることができるのはどういう原理なのだろう。どんなに時刻が離れていても、地球の現在時刻にいる私から見通せるのはどうしてなのだろう。人は過去から未来まで見渡すことができるのだろうか。速度が違うことで離れていった自動車がいつも私の傍にいるのと同じことだ。できるわけがない。
イ ニュートンの時間で考える
ニュートンの時間は絶対時間だから、太陽も惑星も時間の速度は同じである。したがって、太陽も惑星もいつも同一時刻にある。見えても矛盾はない。また、小惑星に行ったハヤブサも地球と同じ時刻の小惑星に行ったのだから、タイムマシーンである必要はない。
(2)銀河系を考える
ア 相対論の時間で考える
銀河系には太陽よりも巨大な重力を持った星から、小さな塵までが寄り集まっている。速度もまちまちである。するとそれらの星や塵の時間の速度もまちまちである。銀河系ができてから100億年と言われている。その間に、これらの物質の今の時刻はまちまちになっている。太陽よりはるかに過去の時刻の巨大な星もあれば、地球よりはるかに未来の時刻にある塵などもあるだろう。それら、まるで異なる時刻の星や塵が、渾然一体となって回転しているのが銀河系である。その星々や塵を地球から観測している。過去にある星も見ているし、未来にある塵も見ている(可視光ではなく電磁波で見ている)のである。不可思議な現象である。望遠鏡は過去から未来まで見通せる魔法の遠眼鏡ということだろうか。(注:1億光年離れた銀河は1億年過去の銀河を見ていることだという。これは映像が過去の映像だというだけだ。その銀河から1億年前に出た光は、1億年かけて地球に到達している。その光が出たとき地球も1億年過去であった。地球は1億年かけて今現在に至っている。その間、光も宇宙空間を飛びながら1億年経過している。地球も銀河からの光も1億年経っているから同じ時刻である。過去の映像を見ているということは過去の写真を見ているのと同じことだ)
また、銀河系の中心には巨大ブラックホールがあるといわれている。
ブラックホールは重力のために時間が止まると相対論では言う。銀河系は100億年前にできたといわれている。するとそのときに中心のブラックホールの時間は止まったはずだ。現在時点で、ブラックホールの時刻は地球から100億年過去を指している。100億年過去にあるブラックホールが現在の(書いたように、星や星雲により時刻はすべて異なっているから現在時刻とはいえないのだが)銀河系を重力で縛っている。100億年過去の力が今よみがえっているのだろうか。不可思議な現象である。
イ ニュートンの時間で考える
絶対時間だから、すべての星や塵やブラックホールの時間も地球の時間も同じ速度であるから、地球の時刻も銀河系の星や星間ガスの時刻もブラックホールの時刻も同一時刻である。矛盾はない。
ウ 結論
この現象は、宇宙は絶対時間で動いているということを示している。ニュ−トンの勝ちである。
(3)ブラックホールの動き
上に書いたように相対論ではブラックホールは時間が止まる。「物体の移動距離=速度×時間」である。時間が0になると移動距離は0になる。するとブラックホールはできたときに停止することになる。銀河系はアンドロメダ銀河と引き合って、近づいているということだ。銀河系の方が小さいから銀河系の方がより速くアンドロメダ銀河の方に動いている。ブラックホールは動けないから、銀河系に取り残されることになるはずだ。ところが100億年経った今も銀河系の真ん中に存在する。動けないはずのブラックホールが銀河系と共に動いている。
ブラックホールが移動したということは「移動距離=速度×時間」の「時間」の項が、0ではないということを表している。これはブラックホールでは重力のために時間が止まるという相対論の考えを否定している現象である。
(4) ニュートリノの時間
小柴氏が発見した、超新星からのニュートリノを考える。
このニュートリノは15万光年離れたところで起こった超新星からやってきている。
15万光年の距離を15万年かけて地球に到達している。
このとき数時間遅れで超新星の光も地球に到達している。光が超新星を出るのはニュートリノが出るのより数時間遅れるということである。光はこの時間差を15万年かけても追いついていないことが分かる。このことから、ニュートリノは光速で飛んでいたことが分かる。光速だから、15万光年の距離を15万年かけて飛んできたということになる。不思議はないようだが、問題はある。
ア 相対論の時間で考える
ニュートリノは質量があることが分かっている。物質の仲間である。すると光速で飛ぶニュートリノの時間は特殊相対論では止まることになる。時間は0になる。「距離=速度×時間」であるから。時間が0になると到達距離は0になる。ニュートリノは地球には到達できないことになる。いや、時間は0ではなく遅くなるだけだと仮定しよう。時間の速度が50%遅くなるとする。すると、地球時間で15万年の間に、ニュートリノの時間はその半分の7,5万年しか経過していない。するとニュートリノはまだ、超新星から7、5万光年(=光速×7,5万年)の位置にしか到達していないことになる。光はこの間、光速で(光は光速でも何故か時間は止まらないようだ)地球に向かっているので、先に地球に到達している。この関係だと、ニュートリノが地球に到達するのは、超新星の光が地球に到達してから、地球時間で15万年後である。
これはニュートリノの時間が1%遅くなるだけでも同じである。光はニュートリノを追い越すはずだ。ニュートリノが、15万光年の距離を15万年でやってきたことは、光速では時間が止まるという特殊相対論の考えを否定する現象である。
イ ニュートンの時間で考える
このことをニュートンで考えると、ニュートリノの時間も光の時間も地球の時間も同じ速度だから、ニュートリノが光より速く地球に到達した観測と矛盾しない。
(注:ニュートリノが15万年もの間光に追いつかれなかったという現象は、物質は速度によって質量が増えるので光速になれないという相対論の考えにも反している)
(5)ミューオンの時間
ミューオンの時間が遅くなるという話もある。宇宙線が大気に衝突するとミューオンが発生する。このミューオンは光速に近い速度だから、時間が遅くなる。そのためにミューオンの時間が延び、本来地上まで到達しないミューオンが地上にまで到達する。この現象は、すなわち、特殊相対論の証明になる、ということだ。
考えてみる。
例えば、速度によって、ミューオンの時間が地上の時間の半分の速さになったとしよう(実際は非常に短いのだが便宜上これで考えてみる)。すると地上で1秒経った間にミューオンの時間は0,5秒経つことになる。進む距離は速度×時間だから、ミューオンの到達距離は、地球の1秒の間に「ミューオンの速度」×0,5秒になる。時間が遅くならなければ「ミューオンの速度」×1になるところを、半分の到達距離にしかならないことになる。地上から見るとミューオンの速度が遅くなっていると見えることになる。ミューオンの時間の進み方が遅くなってもミューオン自体の存在時間は同じである。速度が遅くなっただけである。だからミューオンの進む距離は時間の進む速さが遅くなっても遅くならなくても同じである。到達距離は延びることはないといえる。ミューオンの到達距離が本来の到達距離になるのは、地上の時間が2秒後、ミューオンの時間が1秒になったときである。ミューオンが1秒で消えるなら、このとき消える。ミューオンの寿命が1秒なら。これ以上到達距離は伸びない。ミューオンの時間が遅くならないとき、寿命が1秒なら、到達距離は、「ミューオンの速度」×1であるから到達距離はミューオンの速度が遅くなったときでも変わらないことになる。ミューオンの到達距離は、地球の時間とは関係ないはずである。
ではミューオンが地上に到達しているのはなぜという問題がある。ミューオンが地上まで到達しているのは他の原因であると考えられる。実際はミューオンの発生場所には大きなばらつきがあると考えられる。すべての宇宙線が同じ高度で発生するということはない。平均値で考えては自然現象の判断はできない。自然現象には大きなばらつきがある。
この現象は特殊相対論の証拠にはならないといえる。
(6) 計測した時計で考える
ア 相対論の時間で考える
@ 昔、特殊相対論を検証するために時計を積んだジェット機を2機地球を反対回りに飛ばし地上の時計と比べた実験を行った。すると3つの時計の時刻は異なっていた。その差は特殊相対論の言うところと一致したから、特殊相対論は正しいということになった。
イ ニュートンの時間で考える
ニュートンの時間では3つの時計は同じ時刻を指すはずだから、この実験はニュートンの絶対時間を否定していることになる。
ウ 結論
この事件は、相対論の勝ちである。
エ 疑問点
このとき飛行場でA,B2機のジェット機に乗っていた人と飛行場にいた人が、同じ所で、落ちあって時刻を比べている。時計の時刻が相対論のとおりに変化したということはその時計を持っていた人も時間が速くなったり遅くなったりしたということだ。この3人が顔を合わせたときどの時刻にいたのだろう。Aのジェット機に乗っていた人の時刻だろうか。Bのジェット機に乗っていた人の時刻だろうか。それとも、飛行場に残っていた人の時刻だろうか。それともそれぞれの時刻なのだろうか。
この後3人は地上の家に帰るのだから、地上の時刻で暮らすことになる。ジェット機に乗っていた人は、いつ、地上の時刻になるのだろう。その仕組みはどのようになっているのだろう。今のところ時間を動かせるのは相対論だけだから、速度と重力を調整してうまく地上の時刻に合わせるのだろうか。それについては言及はなかった。(ガモフは、時計の針を動かして、時刻を合わせている。彼は時刻を指先で合わせている。特殊相対論の時間の遅速は、指で時計の針を動かすのと等価であるようだ。なら、私も家の時計を使って時間を早くも遅くもできる。時間は車ではない。人間の力で、速くしたり遅くしたりはできない。それをガモフはできると言っている。間違いである)
3人は、それぞれ違う時刻にいるのだから、本来は会えないはずだ。われわれは、過去の人や未来の人と会うことはできない。それがどんなに小さな時間差であっても会えないはずなのに、3人は会っている。それぞれの人は時間旅行者になっている。不可思議な現象である。
A 東大の正確な時計の時刻
同じように、最近、非常に正確な時計をつくったので、それで、スカイツリーの上と下で時間を計ったということだ。すると上階の方の時計が、下の時計より速くなっていたという結果が出た。これは、相対論効果によって、重力の弱い上階の時計が速く進んだためであると解釈された。
この実験もニュートンの絶対時間を否定している。
しかし、上と同じような疑問が生じる。上階の時計は下に降りてくる。すると下の時刻と上から下りてきた時計の時刻は異なっていた。上の時計は下の時刻より未来の時刻に存在している。上の時計は未来にあることになる。未来の時計が地上にあるということだ。未来の時計と現在の人々が同時に存在している。不可思議な現象である。
なぜ、異なる時刻の人や物が、同じ時刻に存在できるのか、その理由を相対論は述べていない。
(7)たとえ話で考える
上の例は、数百万分の1秒とか数千万分の1秒とかで、実際にはその差を実感できない。そこで、高層階の上と下で、住んでいる人の時間が重力で違いが出ることを想定してみる。1年に12時間の違いが出るとする。すると下の階で、大みそかの夜7時に、年越しそばを食べているとき、上の階では朝の7時にお節料理を食べていることになる。上層階の部屋の窓には元旦の朝日がさし始めている。一番下の階の部屋の窓には大みそかの月の光が差し込んでいる。同じビルの上層と下とでこのような不可思議な現象が起こることになる。
百万分の1秒だから人には区別ができないだけだけれど、時間差があればこのようなことが起こる。厳密に計る機械があれば、太陽の光の角度が異なっているはずだ。これを視差という。
例えば、上層と1階で5分の差があるとする。すると、上層の窓から見ると太陽が水平線に沈んで残照が見えているとき、1階の窓からは、今まさに太陽の下が水平線にかかりだしているのが見えることになる。太陽がふたつ必要になる。
このようなことが起こるというのが相対論の時間だ。自然現象とは相いれないことだ。
(8) 富士山で考える
東大の計測が正しいとすると、富士山の頂上とふもとでは、スカイツリー以上に時間の速さが違うことになるはずだ。
すると何十万年の間に富士山の頂上とふもとでは大きな時刻の差ができてしまうことになる。富士山頂は未来の時刻に存在することになる。ふもとに暮らしている人は、未来に存在する富士山頂を見ていることになる。富士山に登る人は、未来の山頂に行ってまた現在のふもとに歩いて帰ってくることになる。このようなことは可能なのだろうか。登山者はタイムトラベラーということになる。ありえないことだ。
これをニュートンで考えると、富士山頂もふもとも時間の進み方は同じだから、何万年経っても時刻は同じである。タイムトラベラーにならなくても、富士登山はできる。
ニュートンの絶対時間なら矛盾はない。
(9) 人間で考える
普通に暮らしている人は、歩いたり、車に乗ったり、列車に乗ったり飛行機に乗ったりといろいろな速度で移動している。また、高層ビルに暮らしたり、平地で暮らしたり山で暮らしたりと、重力もまちまちである。相対論では、これらのすべての人の時間の進み方は異なっていると考えられる。世界の今生きているすべての人の時刻は異なっていることになる。ところが、異なる時刻のはずの人が、一緒に暮らしている。違う地方の人や国の人とも会うことができる。異時刻の人と話ができる。不可思議な現象である。
これもニュートンの絶対時間では、すべての人の時間は、速度や引力に影響されない絶対時間だから、世界中の人は今同時刻にいるということになる。時間旅行をしなくても普通に会える。矛盾はない。
4 結論
上でみたように、普通の自然現象では時間は遅くも早くもなっていないといえる。アインシュタインの時間よりニュ−トンの絶対時間の方に一致している。
時計で計った時間はミクロな時間の差が出て、相対論の時間を正しいとしている。こちらは人工物で計った時間である。
このことから、相対論の時間は人工物による非常にミクロな時間、それも時計の針にだけ現れて、普通の自然現象には現れない現象であるということが分かる。
このことから、相対論の時間は人工的な時計の時間には現れるが、時計の針以外の自然界の現象ではニュートンの絶対時間に従っているということが分かる。
時計の指す時刻は何十万分の1秒とか何百万分の1とかの差である。自然現象は、太陽のように相対論では46億分もの違いが出る。このことから、いえるのは、時計の針は誤差であるということにすればすべては矛盾なく説明できるということになる。太陽の46億分は誤差にはならない。相対論の時間は間違っているということが言える。