生来のエンターティナー

 小さい頃から自分の考えた芸で周りの人を楽しませていたアンディ少年。外で遊ばず、部屋でひとりで壁に向かい、空想の中のテレビ番組の司会進行をつとめていた。「アンディ、外で遊んだら?」と言われても、「だめだよ!だって、今、ショーの最中だから抜けられないんだ!」と真剣に答え、一日何時間にもわたる、アドベンチャーショー、ホラーショー、昔の映画の放送、マンガ、サイレント・ムービーなどのキャラクター全てを一人で演じ、部屋中歩き回ったり飛んだり跳ねたり大忙しだった。  人を驚かせたりするのが好きで、両親の出かける車にこっそり隠れて「ばあ!」とやってみたり、ということは日常茶飯事だったみたい。
 5才の時、小さなレコーディングスタジオに家族で行って、オリジナルの歌を録音。7才ころから友達や家族のパーティーなどでパフォーマンスを披露していたという。この頃からもうすでに「牛はモー」などのネタはあったというから驚き。
 学校へ通うようになっても、友達がグランドで遊んでいても一緒に遊ばず、木の下で一人で空想の中のショーに出演していた。ある時、ボールがアンディのいる木の方へ行ったので取りに行った子供が何か一人でやっているアンディを見て面白がり、そのうち何人もの子供が集まってアンディの芸を見るようになったそう。ただ、昔からとてもシャイで、シャイじゃないのは歌を歌っている時だけ、それ以外はずっとシャイな少年だったという。


窓のむこうには...

 一日中、テレビを見ているか、部屋の窓をテレビカメラに見立てて空想の世界のテレビ番組に出演していたアンディ。あまりに外で遊ばないので、両親が心配して精神科のカウンセラーのところに連れて行っていたとか。一人で行動するのが好きで、小さい頃から、周りの人からも「変わってる」と思われていたそう。
 弟マイケルが生まれてから、一日中ずーっと窓の外を見ているという行動が続き、両親を心配させた。これは「パプ」と呼んで大変親しんでいた大好きなおじいちゃんが亡くなり、「死」というものをまだ幼いアンディは理解できないだろうと思った両親が「おじいちゃん、いつ帰ってくるの?」と聞くアンディに何も答えなかったので、おじいちゃんの帰りを今か今かと待っていたためだった。あまりに何度も聞くので、ついに「おじいちゃんはもう二度と帰ってこないよ。長い旅に出かけてしまって、もう帰ってこないんだよ。」と言うと、3才の子供とは思えないほどの深い深い悲しみにうちひしがれた様子になり、周りの大人を困惑させたという。


双子の兄弟

 アンディはカフマン家の長男。下に弟のマイケルと、妹のキャロルがいる。アンディに双子の兄弟がいたことは、ほとんど知られていないが、それもそのはず、アンディにしか見えない、アンディの片割れだったから。
"Dhrupick"というその兄弟はいつもアンディと一緒、時々はアンディが"Dhrupick"になることもあったという。朝目を覚まし「そうだ、僕、Dhrupickになるんだ!」と言ったりしていたそう。小学2年か3年の頃、家のクローゼットの中に着物を見つけたアンディは、それを着て学校に行き、先生に「アンディ、どうしてそんなものを着てるの?」と聞かれ「僕、アンディじゃないよ。アンディの双子の兄弟、Dhrupickだよ。」と答え、速攻で学校の精神科のカウンセラーのところへ連れていかれたとか。


コンガ

conga  カスピア海のとある島からやってきたガイコクジンが楽し気に歌いながら叩くコンガ、はたまた、ごっつい黒人のバックバンドと共にほがらかに「It's a Small World」を歌いながら叩くコンガ....アンディのステージとコンガは切っても切り離せないほどの関係。コンガはアンディのショーの単なる小道具ではなく、アンディの子供の頃から慣れ親しんだ相棒のようなものだった。
 アンディが小学生の頃、Olatunjiというナイジェリアからやってきた黒人パーカッション奏者が学校を訪れ、コンガを始めとした様々な打楽器の演奏を披露した。その打楽器のビート、リズム、響き、全てに一瞬にして魅了されてしまったアンディは、Olatunjiさんの後を追いかけ、個人的にコンガの叩き方を教えてもらえるようお願いする。
 自分の部屋でコンガの練習をするようになり、レコードに合わせ一日中、叩き続けていたという。目を閉じ、自分が大きくて肌の黒いOlatunjiさんなんだと想像し、無心でコンガを叩き続けると、嫌なことや心配なことが心から消えていった。
 ショーの道具としてコンガを使うようになったのはまだ後のこと。この頃、コンガを叩くことはアンディにとってとてもパーソナルでプライベートなもの、アンディを勇気づけ、怖れを取り払う魔法の道具だったので、人前で披露するものではなく、部屋でひとりで叩き続けるためだけのものだった。


「牛はモー」「マクドナルド爺さん」

マクドナルド爺さん  アンディは子供の頃にギターを友達から習い、ピアノをお母さんに言われて弟のマイケルと一緒に習っていたそう。ピアノのレッスンの方はしばしば先生をからかって激怒させ、レッスンどころではなかったそうだけど、お母さんがピアノを弾きながら歌を歌っているのをいつも端で見ていた。そのうち自分でもギターやピアノで自作の歌「牛はモー」などを演奏しながら歌うように。それらは仕事として依頼された子供のパーティーの出張パフォーマンスでも披露されていたとのこと。
 SNLの4回目の出演(1976年)の時にやった「マクドナルド爺さん:"Old MacDonald"」も、子供の時にパーティーでやっていたもので、昔おじいちゃんが買ってくれた大きなオレンジ色のレコードに入っていた「Billy Williams and his Cowboy Rangers」が歌うおかしな"Old MacDonald Had a Farm"(♪イーアイ、イーアイ、オ〜♪のアレです)に合わせて、歌うフリをしてみたらどうだろう、と試しにやってみたのが始まり。その芸はパーティーで大ウケし、以後ずーっと、大人になってからもずーっと、アンディのオリジナルの芸のレパートリーの一つとなった。


ロックンロールのヒーロー

Fabian  エルヴィスを「神」とまで崇め、とにかく会いにいかなければ、とヒッチハイクをしてベガスまで会いに行ったほど、エルヴィスを尊敬し愛してやまなかったアンディだけれど、エルヴィスを初めて聞いてから夢中になるまでには少し間があった。
 エルヴィスよりも前にアンディの心をつかんだロックンロールのヒーローは"Fabian"。50年代のアイドルで、おじいちゃんにレコードを買ってもらい気に入っていつも繰り返し聞いていた。その中に入っていた一曲が、"This Friendly World"。アンディはこの歌を特に気に入っていたという。大人になって、コンサートをするようになってからも観客と一緒に歌ったり、スペシャル番組のエンディングでも歌ったり。アンディのお葬式の時に、参列者たちが泣きながらアンディのテープの歌声に合わせて一緒に歌った歌も、この、"This Friendly World"だった。
" In this friendly, friendly world/ With each days so full of joy/ Why should any hearts be lonely?"
 (このやさしいあたたかい世界では、毎日が喜びにあふれているよ。淋しくなることなんてあるはずないよ。)
" With the sky's so full of stars/ And the river's so full of songs/ Every heart should be so thankful."
 (空には星があふれ、川には歌があふれてる。どんな人のこころもありがとうのきもちでいっぱい。)


酒・ドラッグ・TM...

 学校の勉強には興味がなく、それでも子供の頃は勉強をしなくても良い成績を取れていたけれど、高校時代は下から数えた方が早いくらいの成績だった。高校時代のアンディはいわゆる「不良」で、父親との口論も絶えなかった。グリニッチヴィレッジのビートニクの集まりに顔を出したりしていたそう。
 酒とドラッグに浸る、パーティー三昧の日々にピリオドを打つきっかけとなったのが、妊娠騒動。(アンディにはこの時に産まれた娘がひとりいる)
 それ以来、酒やドラッグに代わってアンディの生活を支えることになったのは、TMと呼ばれる瞑想法。1957年に、マハリシ・マヘシュ・ヨギが創始した超越瞑想というもので、深い瞑想を通して自己の内部に超常的なパワーを解き放つ方法なんだそう。TMを始めてからのアンディは、人前で芸をすることへの恐れや不安を自己のコントロールによって消し去ることによって、プロとしての道を歩み始めることが出来たという。一日2時間の瞑想は欠かせなく、番組の収録前にも必ず1時間以上の瞑想をする、というのを出演の条件にあげたりもしていた。