1967-1974

1967-1968(18-19)
大酒を飲み、ドラッグに浸る日々が続く。肉の配達やタクシー、トラックの運転、皿洗いなどの仕事をする。
妊娠騒動から酒、ドラッグからは遠ざかるようになり、グリニッジヴィレッジのコーヒーハウスに出入りするようになる。


1968(19)
ボストンのグラーム短大入学。TV、ラジオの制作を学ぶ。

12月、超越瞑想(TM- Transcendental Meditation)のコースに初参加。瞑想により、オーディエンスの前でパフォーマンスをすることへの恐怖を取り去った。以降、TMはアンディの生活の中で重要なものとなり、一日2回の瞑想を欠かさず行うようになる。


1969(20)
憧れの「キング」、エルヴィス・プレスリーに会いに行くため、ラスベカスまで2500マイル以上の距離を一週間かけてヒッチハイク。エルヴィスを題材に自分で書いた小説を片手に、ショーの行われるホテルの厨房の棚に身を潜め、対面することに成功。


1970(21)
短大内のTV局で自作の番組、"Uncle Andy's Fun House"のホストを務める。ショーに来た地元の子供達に「ミルク&クッキー」をふるまった。

地元のコーヒーショップでパフォーマンスをするようになり、アフリカン-アメリカン学生グループのショー、"The Soul Time Review"へ、コメディアンとしてやとわれる。


1972(23)
"My Father's Place"でスタンダップコメディアンとしてパフォーマンスを披露している時に、コメディークラブ"Improvisation"のオーナー、バド・フリードマンに見い出され、出演し始める。
伝統的なスタンダップコメディの慣習などはアンディの頭の中にはなく、様々なオリジナルのパフォーマンス---みじめなガイコクジンのコメディアンを装う、落ちぶれたL.A.のラウンジ歌手に扮する、女性とのレスリングの試合でののしる、"100本のビール瓶のうた"を全部歌い通す、エルヴィスのモノマネをする、大声で「グレート・ギャツビー」を読む、寝袋で登場してショーの間ずっと寝ている---などを披露し、観客に挑戦し、混乱させていた。


1972(23)
ジム・ウォルシュがマネージャーに。

6月、シカゴの"Kennedy at Night"に、エルヴィスのモノマネでTV初登場。


1973(24)
Bob and Andy

コメディークラブ、"Catch a Rising Star"のオーディションを受け、出演を依頼される。

2月、N.Y.のインプロヴに初出演。

スイス、フランスでのTMのトレーニングに参加。

N.Y.のインプロヴで、ボブ・ズムダと出会う。アンディとボブの友人として、共同ライターとしてのつきあいがここから始まった。


1974(25)
地元の小学校でショーをする。
"Grace Avenue School"と、母校である"Baker Hill Elementary"にて。

6月、"Dean Martin's Comedyworld"で、全米TVデビュー。

"My Father's Place", "Improv", "Bitter End", "Playboy Club", "Pips", "Bachelor's 3"など、毎月、色々なコメディクラブに出演。