短大内のTV局で自作の番組、"Uncle Andy's Fun House"のホストを務める。ショーに来た地元の子供達に「ミルク&クッキー」をふるまった。
地元のコーヒーショップでパフォーマンスをするようになり、アフリカン-アメリカン学生グループのショー、"The Soul Time Review"へ、コメディアンとしてやとわれる。
1972(23)
"My Father's Place"でスタンダップコメディアンとしてパフォーマンスを披露している時に、コメディークラブ"Improvisation"のオーナー、バド・フリードマンに見い出され、出演し始める。
伝統的なスタンダップコメディの慣習などはアンディの頭の中にはなく、様々なオリジナルのパフォーマンス---みじめなガイコクジンのコメディアンを装う、落ちぶれたL.A.のラウンジ歌手に扮する、女性とのレスリングの試合でののしる、"100本のビール瓶のうた"を全部歌い通す、エルヴィスのモノマネをする、大声で「グレート・ギャツビー」を読む、寝袋で登場してショーの間ずっと寝ている---などを披露し、観客に挑戦し、混乱させていた。
1972(23)
ジム・ウォルシュがマネージャーに。
6月、シカゴの"Kennedy at Night"に、エルヴィスのモノマネでTV初登場。
1973(24)
コメディークラブ、"Catch a Rising Star"のオーディションを受け、出演を依頼される。