1月


26日 金曜日
またもや1ヶ月ぶりぽい。
怒涛の1月です。9日の夜9時半過ぎ、母からの電話で始まり始まり・・・
『私、何だか、変なのよ・・・・』その言い方とか、声のトーンが父が亡くなった日の朝『何だかねーお父さん、変なのよ』と電話してきた母の声とそっくりで、まずはそれで『あれ?』と思う。
なにが?どこが?と聞くと、ぼーっとして調子が悪い、右足があまり動かない、と言う。あ!これは左の脳がやられてるな!?とピンと来た。
よく聞いたら、今日絵のお稽古に行かなかったので、友人が様子を見に来てくれた。後でその人からのメールを受け取った別の友人が、丁度仕事帰りの電車の中だったので、そのまま母のところに寄ってくれて、この人がどうもおかしいと思ったようで、妹さんか、娘さんにすぐ電話して病院に行った方が良い、と強く言ってくれたそうな。
強情な母は大丈夫、と取り合わないでいたら電話するなり、すぐに病院に行かないなら、私今夜ここから動かない!とまで言ったそうな。泊まる!とも云うので母は仕方なく電話するから、と帰ってもらい、(明日の朝、ちゃんと娘さんに連絡したか、確かめる電話をするから!と脅されてたので)仕方なく私のところに電話をしたという訳。
仕事柄、救急病院の事を聞いていたのですぐに電話したら、連れてきてくださいと言われたので(先に妹に電話してから)実家に向かう。
玄関にいた母が、外出の仕度をして待っていたけど、保険証がバッグに入っていない。保険証は?と聞くと、『ほけんしょう?』と、やけにポーっとした調子で云う。何処にしまってあるのか忘れた、というより『ほけんしょう』って一体なんだっけ?という感じ。うわ〜ヤバイ!
家の鍵も『カギね・・・』と首をかしげている始末。
何とか探し出して、車で走り出してから『そうだ、今飲んでる薬も持ってったほうがいいか?』と、途中で自分だけ降りて家に戻る(テーブルの上に堂々と箱に入れて置いてあったので助かった!)
夜の救急病院は、怪我人が多い。酔っ払って事故したのか、友人にやたら『申し訳ない!』と謝ってるサラリーマン、顔にたくさんガーゼを当ててる人・・・・
頭の輪切り写真を見せられて、この白っぽいところが血の塊です。と言われる。慢性硬膜下血腫だとのこと。何かの衝撃でひびが入り少しずつ血が溜まっていって、脳を圧迫している。衝撃と言ってもそれほどの事でない事も多いらしく、母にはその覚えがない。屈んでいて、テーブルの角に、という事でもあるらしいから、おっちょこちょいの母は覚えてもいない。
若い人は、頭蓋骨の下の隙間は少ない為、圧迫されてくると早い時期に頭痛などで病院に来て発見される事が多いとか。年寄りは隙間が多くなっている為、たくさん溜まってくるまで自覚症状がないのでその分発見が遅くなるらしい。そして、認知症を疑われて検査して発見される事も多いとか。手足の動きが鈍くなったり、という症状も良くあるらしく、母は最近右のスリッパが履いても履いてもスポンと脱げちゃうのヨ、と言った。階段の上り下りもちゃんと右をおろしたと思ったのに、まだ途中に突っかかってるのよね・・・・と!(もっと早く言えよ〜!)道理で、あの夜スリッパがあっちとこっちに脱いであったっけ・・・・
あのまま行ったら早晩階段から転げ落ちてたのは間違いなかったと思うと冷や汗モノだ!
このまますぐ入院。明日手術をした方がいいと思われます、との事。うひょー
入院の手配をするので1階で少しお待ちくださいと言われて 母と椅子に座ってたら残業で仕事帰りのKからメール。近くまで来ていたので、駅からタクシーに乗ってここに来なさいと打つ。
看護師さんが病院のパジャマに着替えてもらいます、と言って母の着ていた服や靴をビニール袋に入れて持ってきてくれる。そうこうしているうちにKも到着。一緒に集中治療室に。そこでとりあえず入院の手続きや明日の手術の簡単な話などして、母に一声かけて帰宅。
家から妹に電話。明日昼から主治医の手術に関する話と、3時から手術、という事を伝える。

翌朝、叔母に電話。netで調べた限りでもそんなに難しい手術でもないし、予後もいい、という話などして手術の時間を告げる。
病院には妹が来ていて、ベッド上の母と話していた。叔母も来てくれた。昼から主治医の話。昨夜の話とほぼ同じではあったけど。表面を切って、頭蓋骨に穴をあけ、管を通して血を吸い出す。中を洗って、全部吸い出す。ボタンみたいなプラスチックで蓋をして管はそのまま、後日血液の漏れ出しがないことを確認してから外す・・・らしい。手術室に入る前に髪も全部剃ってしまってビックリ。穴も小さいと聞いていたので全部剃っちゃうことはないだろうと思ってたから。
別の叔母と叔父が、病院にたどり着かずに、叔母が心配して入り口に待機。なんだか、違う病院に連れて行かれた、だとかでずいぶん遅れて来て手術終わるのを待つ。
集中治療室はあまり長居も出来ず、手術が終わったとは言え まだ母もボーっとしているので帰る。Hも後から仕事早めに終えて病院に来る、と言っていたのを忘れて、妹と実家に戻ってしまっていた。Hと駅で待ち合わせて食事をする。(同じ仕事場のNさん一家とばったり会ってしまった。)病院に、誕生日のお祝いに買ったパジャマを置いてきたという。

2日ほど一般病棟が万床で集中治療室から出られず・・・・
病院に行くように、と強く言ってくれた母の友人にも電話して、詳しい事を知らせる。おかげで早めに手術できて助かった事も・・・・・母はどんなふうに友人たちに娘の事を話していたのか、『なんだか、娘さんにきつい事を言われた、とおっしゃって気にされてたので・・・』なんて言われたらすぐそばにいるのに、ずいぶん冷たい娘だと 思われていたんだろう。

一般病棟に移った頃から、退院したらとりあえず実家に戻って、と何気なく考えてたのに、『あんたのうちに行く』と云う。その為、妹とあちこち片付けて、この際、母のいない間に車庫の中の諸々、裏の立てかけてある竹やら、パイプやら・・・・産廃業者に連絡して処分してもらう事にした・・・のに

????『着替えとか、とりあえず一度は帰るでしょう?』と言っても、嫌だと言う。暗くて、あそこにはもう戻りたくない、と・・・・・・・・・・あらららら・・・・・

退院まで、何度か妹も含めて念押しをしたけど意思は変らず。
こりゃ大変!リビングしか今のところ寝る場所がない!何処でもいい、リビングだろうとあんたのうちに行く。

という事で もう、あらゆることから手を引きたい、家も好きにしてくれ、売って他にマンション買っても良いけど、あんたと暮らしたい、と言う。

あんなに拘って、自分が死んだらここはあんたが守ってくれと言ったりしてたし、この家は自分が住み倒すと言ってたのに。
まあ、どう考えても、退院したからといってすぐにひとり暮らしができるわけもなし、と とりあえず下着の替えぐらいの持ち物で18日にうちにやってきたという訳です。
翌日明るいうちに早速実家に行って、身の周りのものを持ってくる。シクラメンの鉢2つも。郵便局に行ったり、銀行に行ったり、もして気になる通帳や何やかやを持ち帰ったりして、私が全部を預かる事に・・・

丸坊主で、近所の人や友人にも会いたくないんだろう。私がたくみ塾時代に作業用に被っていた帽子を貸していたので、ずっとそれを被っている。

歩く時の足元がまだふらふらしてたり、つんのめった歩き方で危なっかしい、という日が続いていたけど、昨日あたりからだいぶ落ちついてきた。変な靴を履いてて、危ないといっても聞かず、靴屋の前にいってもいらない、買うならちゃんとした良いのを買う!と言い張っていた。昨日実家に行ったら、ちゃんとした、歩き易そうなのがしまってあるのでそれを履いてきた。私としても一安心。

初めの2〜3日は私もイライラする事が多く、(というのも、母退院の前日から私が体調が悪く、ひどい下痢が続いていた。感染性胃腸炎ぽく、一瞬ノロかと冷や汗モノ・・・)怒ったりすることもあったけど、だいぶ慣れてきた。

まだ、この先の事は考えがまとまらないけど、一緒に住んでいく事は変らないんだろう。

まっちゃんのとこへ、鋏カバーつくりに行く予定も、キルトフェスティバルも、2月の高山行きも・・・
とりあえず中止。うう〜む