「ずっと君を」
コトン。
軽やかな音を立ててチェスの駒が盤上を移動する。
秋葉のその手を見て一人ごちる。
まずったな。ミステイクだ。
少し前のミスが悔やまれた。
ソレが無ければ、まだ持ち堪えられた筈。
いや。
そんな事はもう只の言い訳だな。
大体に於いて俺が秋葉に勝つなんて事自体が無謀なんだから。
さっきから盤上よりもチェスをしている秋葉ばっかり見ているんだし。
その細い指先がチェスの駒を掴む様を。
思慮の際の小首を傾げる仕草。
流れる様な長い黒髪。
そんな秋葉の立ち居振る舞い、一挙一動に目を、心を奪われていた。
勿論そんな素振りは億尾にも出さず。
盤上に集中してるフリをしながら秋葉を盗み見る。
まるで片思いの娘を見てる様だな。
自嘲気味に今の自分を笑う。
授業中にその娘の横顔を眺めている様に、ずっと秋葉のみ見ている。
俺も見様見真似で秋葉に対抗するが、如何せんキャリアが違い過ぎる。
何度も俺の拙い手を秋葉が苦笑しながらも直して。
そうやって秋葉に教わりながら徐々に長い時間チェスが指せる様になり。
俺も長い間秋葉を眺める事が出来る。
「ですが兄さんも随分上達しましたね」
手元の駒を玩びながらそんな事を言い出す。
「そうか?まだまだだよ。
秋葉が手加減してくれているからここまで出来るんじゃないか」
腕を組んで盤上と睨めっこをしてる俺が返す。
「そんな事無いですよ、兄さん。
もう秋葉が教えなくても大丈夫じゃないですか。
元々兄さんの方がこう言う事には強いんじゃないですか?」
「う〜ん、どうだろ?
確かに将棋なんかはよく有間の家でやったりしてたけど。
チェスはここに来てから覚えたしな」
未だ良い手が見付からない俺は秋葉の方を見ずに答える。
勝負なんてもう論外なんだけど。
それでももっとこの時間を引き延ばしたいから必死になって考える。
俄仕込みの俺ではここから巻き返す事はまず無理。
「兄さん。ここはこの駒を動かすのがベターですよ」
俺が手も足も出ない事が分かったらしく秋葉が俺の駒を動かす。
少し身を乗り出し、優雅な仕草で駒を摘む。
その際にホンの微かに秋葉からふわりとした香りが漂う。
何だろう。石鹸か、それともコロンか。
女性らしい甘い様な馨しい香り。
コトン。
俺の意識が秋葉の香りに向いてる間に
その駒は別の場所に移動し、秋葉の手となる。
秋葉はソレがベターと言うけど、全く分からん。
ここに動いてソレでどうなるのか?
先が読めない分、その手が良い手か悪い手か理解出来ない。
「さて、コレで私が少し危なくなったのね」
全く危機感の無い口調でそんな正反対の台詞を。
その表情はとても楽しそうで、嬉しそうで。
そんな秋葉の顔を見るだけで俺も嬉しくなる。
秋葉はじっとさっきの俺と同じく盤上を見つめる。
俺も同じく盤を見る。
さっきから秋葉に手助けして貰ってるから殆ど秋葉が一人で指してる様なものだけど。
ソレでも俺もなるべく上達する様に次の手を考える。
ええと、これがこうなると?
ああダメだ。
ならこっちのコレは?
コレもダメだな。
どうしたらいんだ、これ?
打つ手無いんじゃないのか?
「秋葉?」
考えに耽っている秋葉に声をかける。
「何でしょうか?兄さん」
律儀に体を起こして俺を見据える。
真っ直ぐな瞳が俺を射抜く。
「あ、あのさ。コレって次の手あるのか?
もう詰んでる気がするんだけど?」
と先程秋葉が動かした駒を指す。
しかし秋葉はニコリと笑うと。
「そんな事無いですよ。
ええ、私が考えていたのは。
どうしたら今度兄さんが良い手を打てるかですから。
次の手はもう考えています」
そう言われてしまうと何も言えなくなる。
達人は一手動かしただけでそこから「道」が見えるって言うけど。
秋葉もソレと同じなのか。
「では指しますね?」
ゆっくりとした動作で駒を取り、目的地に動かす。
「さぁ、如何です兄さん。
兄さんの番ですわよ」
そんな事言ってもなぁ。
さっきから全く分からない俺だから。
秋葉が指した手だってどんなものかも分からない。
でも兎に角考えないと。
さっきコレが動いたんだよな。
だったらコレがこう動くと、ああダメ。
コレが動くと取られるからコレもダメか。
だったら全く意味の無いこいつを動かして見るか。
「下手な考え、休むに似たり、って笑うなよ」
漸く見付けた手で駒を動かした俺がぼやく。
「そんな事言いませんし、秋葉はそう言う事で笑ったりしません」
とか言いながらクスクスと笑ってるじゃないか。
口に手を当てて、上品に笑う。
そう言う所からも秋葉が厳しく躾けられたんだなって。
ホンの些細な事なんだけど少し心が痛んだ。
「で、兄さんの手が終わって私ですか。
兄さんも面白い事考えますね」
俺の手を見てさも可笑しいそうに笑いながら呟く。
そんなに面白いか?
逃げの一手みたいなものだけど。
攻め手が見付からなかったからそう動かしたてのが正解。
そして秋葉が熟考に入る。
その後秋葉が俺の手を示唆しながら指し、自分の手を解説する。
暫くそんな攻防(と言える程のものでも無いけど)が続き。
俺の番となる。
もうここまで来ると名人連れて来ないと分かりません。
投げ出したい気持ちをぐっと堪えるけど。
八方塞り。
破れかぶれ。
一か八か。
何だってこんなネガティブな単語しか浮かばないのか。
「これで、どうかな?」
何気無く一つの駒を動かす。
が。
秋葉的にはコレはとても(俺にとって)致命的なミスだったらしく。
目を見開いて驚く。
と言うか。
手放しで喜ぶ秋葉。
「あら、そんな場所で宜しいのですか兄さん?
ではコレで私の勝ちですわ」
そう言って駒を動かし。
「チェック・メイトです兄さん。
お疲れ様でした」
深々と頭を下げる秋葉。
俺も同じ様に頭を下げる。
ここまで教わった訳だし礼くらいしないとソレこそ失礼だ。
「しかし良くここまで持ったな。
自分でも吃驚だよ」
一試合終えて琥珀さんが淹れてくれたお茶を飲みながら。
「そうですか?
兄さんの実力ならまだ出来た筈ですわ」
秋葉も琥珀さんから紅茶を貰い、口をつける。
「買い被りだね。
アレは秋葉がいたからあそこまで出来たんだって。
やっぱり教える人の腕が良いと落第生でも見違える程上達するんだな」
「そんな事無いです。
教わる方の素質がモノを言うのでは無いですか、こう言うのは」
幾分顔を赤らめてそんな事を言う我が妹。
ホントこう言う所純粋に可愛いなぁ。
「ソレで兄さん」
カップをソーサーに戻して秋葉が問う。
「秋葉は如何でした?」
突然秋葉が不可解な問い掛けをしてくる。
?質問の意図がよく分からないが。
如何でしたって何も俺は秋葉にしてないが。
「あのさ秋葉。言ってる事がよく分からないんだけど。
何がどう如何だったのかな?」
てんで心当たりが無いので素直に秋葉に聞いて見る。
しかし秋葉はクスリと笑うだけでそれ以上は何も言って来ない。
如何って?
お茶を飲みながら考える。
何かあったかな?
俺が秋葉に?
「ああ、秋葉は確かに強いよ。ソレは十分に分かるさ」
取り合えず思い付いた事を口にする。
「有難う御座います。
ですが秋葉が聞いているのはソレとは違うんですよ、兄さん」
んー?
チェスの事では無くて?
じゃ他にあったかな?
別にチェスの間秋葉がお菓子を作って持って来た訳でもないし。
秋葉がお茶を淹れてくれた訳でも無い。
指導についてでもないみたいだしな。
何か、あったかな?
「ゴメン秋葉。
分からない、何かあったか?」
それに秋葉ははにかみながら、でも俺を真っ直ぐに見つめ。
「チェスの間ずっと秋葉の事見ていましたよね兄さん。
ですから如何です?って聞いたんです」
ソレを聞いてこっちが真っ赤になる。
バレてたんだ。
俺がずっと見ていたの。
うわー、コレは恥ずかしい。
まともに秋葉の顔、見られないぞそんな事言われると。
言った秋葉も真っ赤になってモジモジしてる。
「秋葉は、如何でした?」
もう一回同じ事を聞いて来る。
「う、うん。綺麗だったよ」
ごにょごにょとそっぽを向きながら答える。
「良かった」
ほぅ、と溜息が聞こえる。
「途中から兄さんの視線に気付いたので。
出来るだけ意識していたんですよ」
そう、なんだ。
全然気付かなかったよ。
全く気付かれてるだなんて露にも思わなかった。
「秋葉はとっても綺麗だったよ」
もうバレてるならいいや。
半ば開き直りの境地で二の句を継ぐ。
「有難う御座います。
どんな方から言われるよりも
やっぱり秋葉は兄さんから言われる方が何倍も嬉しいです」
そう言って微笑む秋葉の笑顔は何よりも光り輝いていて。
更に秋葉が愛しく感じた。
この笑顔が見られただけでも今日はとても良い日だったな。
そう思える位秋葉の笑顔は素敵だった。
そんなある日の昼下がり。
二人だけの秘密の想い出。
FIN
___________________________________________________
後書き
月詠:ハイそう言う事で前作の別バージョンと言うか。
秋葉:その前に挨拶しないと。
月詠:おおっと失礼を。この度は読んで下さいまして真に有難う御座います。
秋葉:遠野秋葉です。
月詠:今回のコレは前作のチェスの後か前かのお話になります。
秋葉:正に私のみのSSね。
月詠:元来は私は秋葉様命ですからね。
秋葉:普段からそうなら何も問題は無いのに。
月詠:でもねー、男ってのは浮気者だしねー。
秋葉:ねぇ。兄さんにも困ったものです。
月詠:彼の場合は又引っ掛けた輩が問題あったしね。
秋葉:そう。でも私は耐え忍ぶなんて真似はしません。
月詠:秋葉様にはそんな真似は似合いません。
秋葉:何よ、それじゃ私はいつも怒ってないといけないとでも言うの?
月詠:そうは言ってないです。でもイメージ的に耐え忍ぶってのは。
秋葉:そうね、私は守りよりも攻める方だし。
月詠:ん。その方が秋葉様らしい。
秋葉:それで?
月詠:?それでとは?
秋葉:何で又この二作品を書こうとしたの?
月詠:んーっとですね。「あさきゆめみし」を見たから、かなぁ?
秋葉:ああ源氏物語のね。
月詠:そ。その中でちょっと心魅かれた箇所があって。
秋葉:あの作品は長い黒髪ばかりだものね。
月詠:皆さんも是非一度お読み下さい。日本人の良さが実感できます。
秋葉:ソレで私の登場なのね。
月詠:他にいないっしょ。翠の黒髪とか鴉の濡れ羽色って形容出来るのは。
秋葉:そうね。私以外には先生と言う人のみだものね。
月詠:ここにカレー狂は出て来れないし。
秋葉:彼女はショートじゃないですか、無理ですよ。
月詠:無理でしょ?
秋葉:矢張り私の様な「奥ゆかしさ」が無いとあの物語は再現出来ません。
月詠:奥ゆかしさ、ねぇ。
秋葉:何処を見て言ってるのです?
月詠:多分思ってる場所であってると思うよ?
秋葉:揺れなくてもある事はあるんですっ。ちっちゃくてもあるんですっ。
月詠:誰も胸とは言ってないぞ。その口で奥ゆかしさと思っただけで。
秋葉:私の何処がですかっ。
月詠:奥ゆかしい人はそんな風に怒鳴りません。
秋葉:うぐぅ。
月詠:奥ゆかしい人は無闇に他人を非難しません。
秋葉:うぐぅ×2
月詠:分かった?秋葉様?
秋葉:私、奥ゆかしくないのか。
月詠:ある一部分はね。とっても奥ゆかしいよ?
秋葉:やっぱりそこに行き着くんじゃないの!!
月詠:まーお約束だし。
秋葉:お約束とか言われると少し悲しいわ。
月詠:そう落ち込まないで。ナイチチでも好きって言ってくれる人もいますし。
秋葉:傷口に塩塗り込むのは勘弁してよ。
月詠:さてそれではここらで締めますよ。
秋葉:はいそうしましょう。
月詠:ソレではここまで読んで下さいまして真に有難う御座いました。
秋葉:作者に代わりまして御礼申し上げます。
月詠:それでは〜
___________________________________________________
後書きの後書き(舞台裏)
ハイそう言う事で。
前にも書きましたがチェス二作品目です。
今回は秋葉デレデレSSとなります。
秋葉様のお姿に思いを馳せて下さい。
そしてそのお姿に萌えて下さい。
あの黒髪がサラリと流れる様に肩から落ちる様。
ああ、恍惚。
すいません。
暫くドリップじゃなかったトリップしてました。
最近はこう言う髪に対する表現も無くなって来ましたね。
少し悲しいものです。
昔から髪は女の命と言ってソレは大事にして来たのに。
なので秋葉様にはあのままの長い黒髪でいて欲しいです。
ずっとずっと染めないであのままでいて欲しいですね。
何か今回はフェチ入っている様な文章ですね。
別に私はそんなにフェチじゃないですよ?
只長い黒髪が好きなだけで。
それがフェチですか?
はぁ、それならそれでもいいです。
さて。
それでは又次回のSSでお会いしましょう。