この作品をお読みになられるお客様へ。

  この作品をお読みになられる前に、月詠氏の『戴冠式』をお読みになられると、より一層美味しくご賞味頂けます。

  その際、作品に対するストライクゾーンを広めに採って、感受性を開けてからお読み頂けますようお願い申し上げます。

  尚、ご賞味の際には『食器』『調理器具』等のご使用はご遠慮頂けますようお願い申し上げます。










『思う存分喧嘩をしよう。そしてその後は必ずしっかり抱きあって、いっぱいキスをしよう』

side-A










Written by “Lost-Way"















  またけんかしてきたんだね?

  君たちは年中けんかしてるな?

  笑い事じゃないって?

  私から見れば笑い事だよ。

  言っちゃ悪いとは思ってはいるけどね。

  悪いと思ってるなら言わないで、って?

  確かにそうかもしれないな。

  それで今回の原因は何だったんだい?

  ああ、いつものようにわがままだと。

  素直とわがままって云うのは、根本的に同じなんだ。

  例えば、デートのときに、ちょっと優柔不断な彼に「何食べようか?    何か食べたいものある?」って聞かれた場合、君はなんて答えてる?

  素直っていうのは、「何食べようか」って聞かれたときに「〇〇が食べたい」って言えることなんだ。

  わがままっていうのは、「なんでもいいわ」って言っておきながら、彼が選んだお店に行ってメニューを開いて一通り見てから「えー、もっと別なのがよかったなあ」とか食べ終わった後になってから「本当は〇〇が食べたかったのに」ということ。

  これはつらいよね。

  わがままの反対はがまんだと思っているかもしれないけれど、そうでもないんだ。

  寒いけど我慢しようって思って、そのときは言わないでがまんしてて、後になってから「寒かった」と言うと、それはせっかくがまんしてたのに、わがままということになってしまう。

  最後まで言わないか、最初に言うかのどちらかなんだよ。

「本当は〇〇が食べたかった」って後から言うのがいちばんよくない。

  相手の事が好きだから、わがまま言ったら嫌われると思って、言わずにがまんしてたんだろう。

  でも、そうしたらやっぱり最後まで言わないことだね。

  わがままっていうのは、最後まで自分のポリシーに徹しきれないことだよ。

  素直っていうのは、「〇〇が食べたい」と言ったら、それを押し通して、一週間でも一カ月でもひっかかっている。

  ヤキソバが食べたいと思ったら、そのヤキソバが頭からずっと離れないってことがあるんだよ。

  わがままっていうのは「本当はヤキソバが食べたかったんだけど」と思いながら、それを相手にずっと言わないで、でもずっと言わないんじゃなくて、あるとき突然言い出すことなんだ。

  どうしようもなく取り返しがつかなくなってからね。

  がまんはしちゃいけない。

  どうしてがまんがいけないかっと言うと、がまんしているうちにいつのまにか「私がこんなにがまんしているのに、なによ」って変な方向に曲がっていってしまうからなんだ。

  身に覚えがあるんじゃないのかな?

  自分が正義の代表になってしまって、被害者になってしまうんだ。

  正義の代表なんかになってはいけないんだよ。

  普段は素直なのに、好きな人の前だからって遠慮しちゃって、あるいは意地になっちゃって素直になれない、っていうことも、よくあることだよ。

  笑うな、って?

  これは失礼。

  でもまあ、つきあい始めは、素直な自分を出せなくても仕方ない。

  でも、その人と長くやっていけるかどうかっていうのは、無理しない自分を出してみた時に、通じる相手かどうかっていうことだ。

  自分を出すことをためらっても、結局、その関係が変わるわけじゃないんだからね。

  たとえば、10年ぐらいつきあったら、その相手には素直な自分を出しても、相手が受け入れてくれるかどうかっていうと、そんなことは性格の問題だから、関係ないんだよ。

  逆に、最初のデートとかで「私はこうしたい」ってズバズバ言ったときに、相手がそれを受け入れられる人だったら、それにこしたことはないよ。

  がまんしてるな、って感じたら、それは相手のことが好きじゃないっていうことなんだよ。

  それは、恋人でも、夢でも、おんなじなんだよ。

  努力はどんどんしなくちゃいけないけど、苦労はしちゃいけないんだよ。

  努力と苦労はどこが違うかっていうと、好きなものに対してするのが努力で、仕方なしにやってることが苦労なんだ。

  だから「苦労してます」というのは、今やってることがそれほど好きなことじゃないということなんだ。

  だって、好きなことをやってる人は、苦労だなんて感じないんだからね。

  周りの人が「あの人はずいぶん苦労してる」って言ったって、本人にとっては、好きなことだからそんな意識はまったくないものなんだよ。

  あるいは、ものすごく辛かったり苦しかったりすることでも、それを帳消しにしてあまりある喜びがあるときとかね。

  ストレスがたまる、っていうのも同じだよ。

  もし君が今やっている仕事や勉強でストレスがたまるとしたら、その仕事や勉強は、君には向いていないんだよ。

  向いていないのに、無理矢理「向いてる」って思い込んでると、ストレスはたまる一方だ。

  彼と一緒にいて、ストレスがたまるとしたら、根本的な所で考え直した方がいいんじゃないかな。

  別れることを含めてね。

  それでなくても、がまんしなければいけないことや、ストレスがたまることが世の中にはいっぱいだからね。

  恋敵も含めてさ。

  だから、彼と一緒にいるときぐらい、ストレスを発散しようよ。

  どうすればいいかわからないって?

  別れるなんてもってのほか?

  それはそうだろうね。

  じゃあさ、こういうふうに考えればよいんだよ。

「これは、私たちがより絆を深めるための試練なんだ」ってね。

  いつまでつきあっていられるかわからない、って考えるんじゃなくてさ、死ぬまで一緒にいるんだ、ってまず、考える。

  その途中には、とうぜんけんかもするだろう。

  けんかをしたら、別れるとか別れないとか考えるんじゃなくて、長くつきあっていって、より絆を深めるための試練と受け止めよう、ってふうに考えれば、早まった考えをしなくてもすむってことだよ。

  けんかしたらそこで終わっちゃう、って考えるんじゃなくて、けんかだってバンバンしよう、って覚悟で、私達は一生つきあっていくんだ、ってスタンスでつきあっているのとでは、やっぱり覚悟が違うよ。

  それと、けんかは対等にすること。

  どうも君は一方的だからね。

  君の正しさと彼の正しさが一致しないからけんかがおきるんだ。

  彼だって正しいんだよ。

  間違ってるなら、そもそも存在をゆるされないからね。

  本当の意味で「けんかしてる」んじゃないのが君たちの困ったところなんだけどね。

  けんかのしかたを知らないと、相手もしてもらえないんだよ。

  そういう意味では、まだまだ君もわがままな子供って事なんだろうね。

  きつい言い方だけどね。

  それと、けんかをしたら、必ず謝ること。

  原因が問題じゃないよ。

「喧嘩をしてしまったこと」に対して謝るんだよ。

  好き好んでする訳じゃないんだからね。

  君たちが夫婦なら、間違いなく言っている言葉があるんだけどね。

  なに?    聞きたいって?

  しょうがないな。

  聞いたからといって、怒らないでくれよ?

  結婚式なんかで、よく贈る言葉なんだけどね。

  繰り返すけど、怒らないでね?

「けんかをしたらかならずセックス」

  ほら、怒った。

  セックスって言うのはさ、ある意味「ボディ・ランゲージ」なんだよ。

  言葉では語りきれない思いを伝える手段でもあるんだよ。

  悪く言ったら「ごまかし」なんだけどね。

  二人の間の「潤滑剤」ってところかな。

  正論ばかり通してると、摩擦が大きくなるんだ。

  それを緩和するために、「ごまかし」っていう緩衝領域を持つことなんだよ。

  一緒にお酒を呑んで愚痴を垂れ流してみるのもいいかもしれないね。

  まあ、彼はお酒に弱そうだけどね。

  かたくなな心でかたく考えていると、ぶつかって砕けてしまう。

  心は自由なんだ。

  柔らかく柔軟に受け止めてあげられるようにしなきゃね。

  女には『心に芯』がある。

  男にはないことが多いんだけどね。

  芯を持ってしっかりと支えてあげればいいんだよ、彼をね。

  君がほれた男なんだから。

  ごまかそうというなら、ごまかされてあげればいい。

  君がしっかりしていれば、彼もしっかりしてくるさ。

  お互いに対等に向き合っているかぎりね。

  だから、今からでもじゅうぶん間に合うから。

  あやまって、それから、ゆるしておいで。

  大丈夫。










後書きのようなもの

  天才バカボンの言葉にこうある。

「これでいいのだ」

  けだし名言である。

  少し前まで『二次創作』に少し詰まっていた。

  何を書いても『二次創作』には程遠いような気がして。

「二次創作というのはこういうふうでなきゃダメだ」とか、「原作設定に準拠してないとダメだ」とか。

  そう思い込んでいたからダメになった。

「他の二次創作作家の方が」

「二次創作の常識として」

  そんなもの最初からないというのに。

  原作者が「ダメ」と言ったら二次創作活動から手を引く。

  そんな詰まらないことをしたくない、と思った。

「そんな作品は二次創作じゃない」と言われたこともあった。

  構うものか。これが私の『二次創作』だ。

  悪く言えば『開き直り』だろう。

  良く言えば『悟り』か。

『芸術家』が『芸術家』になる瞬間とでも言おうか。

「こんな作品でも作者が『アリだ』と言い切れば『アリ』なんだな」と。

「何でもあり」と言い切ろう。

「オリジナル比率高し」

「無茶なクロスオーバー」

「設定かなり無視」

  ぶっちゃけ「何でもあり」

  気持ちが楽になりました。

  あらゆる人生においても言えるのではないだろうか?

  だから再度言おう。

  天才バカボンの言葉にこうある。

「これでいいのだ」

  けだし名言である。




後書き
えー、まずはlostーwayさん、SS二作も有難う御座います。
ここ最近めっきり創作活動から遠退いてますが
この様に作品を読むと自分も書かないとな、と思い返します。
最近の忙しさにかまけて何も出来ない自分に不甲斐なさを感じつつ
それも仕方ないかと諦めてる自分もいます。
でもそれでは人間成長しませんものね。
どこかで行動を起こさないと。
そのきっかけになりえるであろう、それ位にこの二作品は貴重なものです。
lost-wayさんもお忙しい中有難う御座いました。
そしてこれからも私のHPを何卒ご贔屓の程宜しくお願いします。

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