当時 高周波ウエルダー(塩化ビニール素材)が出来早速導入ビニール財布に始まり、
ボタン屋さんにマンボ帯なるネックレス様な物がよく売れた、その後ダッコちゃんブームが来て
目の動かないコピー商品を作りこれもよく売れた、寝る暇なしの状態であった、しかし よい事
ばかりは続かないのが商売、売掛金の未払や不渡り手形に随分泣かされた、とりわけ昭和49年にエベレストジャー(ナショナルマホービン)の倒産には参った、(昭和41年にすでに父は他界し私は29歳時)年商の三分の一程度の負債を負うことに成った当時新築三軒分程の負債である、しかし捨てる神あれば拾う神ありで、銀行はじめお得意様より心強い応援をいただき、必死で働いたパンをかじり乍ら夜通し走る日が何日も続くこともあったお陰様で10年少しで返済する事が出来た、しかしそれまで何軒かの仕入れ先は我社より離れた、今その会社は不思議と有りません、
会社の継続は大変難しいです、仕事がなければ続きません、社員がいなければ続きません、
ましてや後継者がいなければねえ 人の繋がりが如何なっていくか運と縁と努力 どれが欠けても成就出来ない見たい 置かれた場所で咲きなさい 自分の器の中で精一杯咲けば其れで良し。
昭和50年頃社員旅行
我が社で作ったダッコちゃん
完成品の空気漏れのテスト中