中国新疆ウイグル自治区
パミール高原トレッキング

SILK  ROAD
パミール高原を旅したのは1992年9月14日〜27日のことである。
勤務先の15年勤続のリフレッシュ休暇を利用して2週間、中国新疆ウイグル自治区から
国境のフンジェラーブ峠(4703m)を越え、パキスタンの5000m峰を登って
イスラマバードから帰ってくる・・・という壮大なツアーに参加した。
ちょうど今年(2005年)から某TV局で「新SILK ROAD」の放送を開始したこともあり
92年に撮影したスライド300枚余りを電子化するのにあわせ、このページの制作を思い立った。

map of china
これだけのコースを短期間で回ろうと思うと、さすがに個人手配では不可能に近い。
今回はアルパインツアーサービスの企画ツアーに入れさせてもらった。
しかし事前に中国・パキスタン両国のVISAを取得したにもかかわらず、
最終的にツアー催行人数ギリギリでなかなか出発決定が出なかった覚えがある・・・
5000mを越える高所を巡るツアーというせいもあったが、
最終的に私含め9人のメンバーが全国から集まって92年9月14日成田空港から出発した。

成田→北京→ウルムチ(Urmqi)
ウルムチ・・・と読む
成田からの飛行機は当然のことながら?PIAパキスタン航空である。
北京までではあるがイスラムの国の航空会社、当然お酒は飲めない・・・
噂に聞くPIAなので機体は何かと思ったらエアバスA-310いい機体だった。
北京は6年ぶりである・・・前に来たのはアマチュア無線連盟での訪中団で北京・上海・蘇洲を回ったときである。
今回北京は1泊のみで、翌15日新疆ウイグル自治区の首府ウルムチへとんだ。
同じ中国内とは言え、北京からウルムチまでジェット機でも4時間ほどかかった。
ウルムチへ向かう飛行機から見た天山山脈朝のウルムチウルムチ市内
ウルムチのことは全く知らなかったが人口138万人(当時)!
砂漠の中に忽然と現れたシルクロードの巨大都市・・・という感じである。
バザールを覘きに行ったが、やはり西域のバザールはみんな元気がよかった。
シシカバブー(羊串焼き)売りは多い バザールの香辛料売り
バザールでの人気メニューは何と言ってもシシカバブー!
羊肉を焼き鳥のように串刺しにし、岩塩や胡椒・トウガラシなどの香辛料で味付けしてある。
同じような店がいっぱい出ているのであるが、その店によって
ビミョーに味付けや焼き具合が異なり、かなりの店を食べ比べ歩いて腹いっぱいになってしまった。
シシカバブー もちろん炭火焼
BEERがなかったのが返す返すも残念。(何といってもいちおうイスラム圏)
夕方、今度はさらに西の端パキスタン国境に近いカシュガルへ飛ぶため空港へ向かう。
しかし、空港へ行ったらカシュガルへ向かう飛行機がまだ来ていない!?とのこと。
ここで夕食をとるしか無くなったがこれが凄い!
食堂なんかは無いのでいわゆる弁当売り?がやって来るのだが、これにみんな殺到する。
弁当売りと見るだけで走り出すものすごいパワー!
我々も何とか弁当をGetできたが、中国人民のパワーは恐るべきものであった。
ウルムチの空港(表側) 向こうにいるのはイリューシンかツポレフか?
結局5時間ほど遅れてカシュガル行きの飛行機(もちろんソ連製)は飛び立つのであるが
このときもまたものすごい中国人民パワーを見せ付けられたのである。
やっと搭乗できる・・・というところまで来てチェックインするやいなや
みんな飛行機に向け一斉に走り出すのである。
「座席も決まっとるのになんで走るんにゃ?」と一緒にいたガイドに聞くと
時々ダブルブッキングで席の無い人がいる・・・というではないか!
結局我々も中国人民と一緒に猛ダッシュすることとなった・・・
このときは幸い無事に全員搭乗できたが、機内は何というか羊くさい感じだった。(決して気のせいではない)
中国西端の田舎の街へ飛ぶ飛行機は満席だった。

オアシスの街カシュガル(Kashgar)へ
これでカシュガル・・・と読む
ウルムチからカシュガルまでは飛行機で約2時間、深夜1時半に空港へ着いた。
深夜1時半といっても中国は全土で統一時間を採用しているため
実際のところの感覚では3時間くらい遅れている感じである。
ホテル(というほど立派なものではない)で晩飯代わりにハミウリとBEER。
新疆のハミウリはおいしいことで有名(世界の3大フルーツのひとつ?と呼ばれている)
ガイドの話によるとカシュガルは人口28万人、その78%がウイグル族で占められているという話である。
中国も多民族国家であり、街を歩くと西洋的な顔立ちの人種も多く北京あたりとはまったく趣を異にしている。

さてこの地でいろいろ情報収集すると、どうも中国からパキスタンへ抜けるカラコルムハイウェイ(以下KKH)の
パキスタン側で積雪により道路が崩れ通行不能とのこと。
ツアーリーダーから皆さんの希望はどうしますか?という話があり、
提案のひとつにあった、途中にあるヒマラヤ ムスターグアタ峰BCまでトレッキング後
一応パキスタンの国境まで行き、ウルムチへ帰って今度はボゴタ峰のBC往復をする・・・ということで方向が決まった。
パキスタンの山には登れなくなったが
急遽中国の山をBCまでではあるが登れるようになった。
これはある意味結構面白い・・・ほとんど個人旅行的感覚で旅を進められる。

とりあえず本日夕方の出発まで自由時間ができたので
レンタサイクル(1時間7角)を借りて市内を回ってみることにした。
ホテルで両替をしたがTCはあまり喜ばれず途中で両替をやめてしまった。
私は現金(US$)だったので替えてもらえたが・・・やはり辺鄙なところであればあるほど現金は強い。
カシュガルの我々の泊まったホテル チニワク賓館カシュガルのバザール入り口イスラム教寺院(エイティガール寺院?)
カシュガル バザールの子供たち カシュガル(というか中国全体?)ではビリヤードが大流行していた
ここで大変な事態が起こった。
バザールを歩いていて、どんぶりに入ったヨーグルトを一杯たべたのだが
これが1時間ほど後、激しい腹痛ととともに下痢・・・
ここは中国・・・そんじょそこらにトイレなどと言うものは無い!
散々探し回ってデパートの中へ入ったがここも無い、最後の手段としてデパート裏の路地をKEEPしつつ
寺院前広場へ行くとやっと公衆トイレらしきものが・・・
額は脂汗が滲んでくる・・・
もはや爆発寸前であった。間一髪セーフ!
下痢の第二波が襲ってくるといけないと思いつつ、この公衆便所付近から離れないように行動したが
幸いにして最初の一波のみで、無事乗り越えることができたようだ。

ムスターグアタ(7546m)BCを目指す
さてツアーのバスはKKH(カラコルムハイウエイー)をパキスタン国境へ向け16時出発した。
16時というとかなり遅い気もするが実際はまだ昼頃の感覚である。
我々の乗ったマイクロバスはパミール高原、砂漠の道を西へひた走った。
4時間ほどぶっ飛ばしてカラクル湖という湖畔の小さな集落に着いた。海抜約3500m。
ここからは、明日BCまで登るムスターグアタ峰(7546m)やコングール峰(7719m)がよく見える。
この日は初めてパオに泊まった。
カラクル湖畔 右のパオに泊まった。パオの中は意外に暖かくしかも布団だった
さすが海抜3500m。
よく冷えたがパオの中は結構暖かくまた、日本と同じ布団がなんとも言えない感触だった。
翌18日はこの宿営地から、らくだを使ってムスターグアタBCまで行く計画だったが
あいにくらくだがいなくて、結局中国製トラック開放号の荷台に乗って進むことになった。
ムスターグアタ7546m
遊牧民のパオはいたるところにある
近くにいたらくだ使いの家を訪問した らくだ使いの家の少女 10歳
らくだに乗せてもらった
10時過ぎにトラックで出発して、途中何回もエンコ・・・
最後は開放号を乗り捨て、歩いて4450mのムスターグアタBCに13時半到着した。
ムスターグアタ峰BCまではうまくすれば車で行ける。
ちょうどBCへ行くとオーストリア隊がアタック中だったが、今回は残念ながら登頂できなかったようだ。
SKIを持っていたので聞いてみたら
C1の5400mから上部はSKIを使えるらしい。
確かに遠くから見ると穏やかな山のようだが・・・・
ここまで登るともう緑は無い。
あるのは白い雪と青い空そして褐色の大地だけだ。
中央下に見えているのが我々の乗ってきた開放号 ムスターグアタBC 4450m テントはオーストリア隊
ムスターグアタBC周辺 こちらもムスターグアタBC周辺
BCから下りて開放号に乗っていると、イギリス人トレッカー6人組とであった。
解放号に乗せてやったが、みんな陽気な連中だった。
余談であるがこのBCまでの登山料を後日徴収された。
230元 日本円にして5520円。
パミール高原
今朝の出発地カラクル湖畔に戻り、今度はまた西を目指して走らなければならない。
次の目的地はパキスタン国境近くの最後の街タシュクルガンである。
カラクル湖から約2時間の距離である。
はるか彼方まで続くKKHタシュクルガンの街は小さい本日の宿 パミール賓館

中パ国境クンジェラーブ峠(4703m)へ
海抜4100mのスバシ峠を越えてタシュクルガンに到着したのは20時前。
宿泊したホテル前には、パキスタンへの国境を越えれずに
ずっとこの地に待っているヨーロッパからのツアー客がいっぱいいた。
上右の写真のバスは中にベッドがズラッと並んでおり
この車で寝泊りしながらユーラシア大陸を横断するらしい・・・壮大な旅だ。
このタシュクルガンの街は海抜3050m、ツアー客の中には体調が悪くなり酸素吸入を受けている人も出ている。
この先まだまだ高度が上がるので大丈夫だろうか?

一夜明けた9月19日 バスは予定より1時間遅れでホテルを出発した。
KKHをひた走り海抜3800mの中国側国境検問所に11時半到着。
ここまで来ると何とか峠まで行ってみたい。登って峠の向こう側を見たい。
「雪があるからだめだ!」という国境警備隊と我々が押し問答し、結局中国側係官を同乗させる・・・
という条件で検問所を通させてもらった。
クンジェラーブ峠(中央の鞍部)を目指すクンジェラーブ峠 立っているのはパキスタン側の石碑

4703mの峠についたのは12時半。
積雪が20〜30cmあった。当然のことながらパキスタン側はまったく除雪してなく真っ白だった。
ここまできたらさっきまでああだこうだ・・・と言っていた中国の係官もはしゃいでいる。
驚くべきことは、パキスタン側からヨーロッパ人らしき人物が歩いて峠を越えてきていることだった。
根性あるな〜

さてムスターグアタBCを登って、念願のクンジェラーブ峠も来たのであとはひたすら、もと来た道を帰るのみ。
そうとなったらこのマイクロバスの運ちゃんは飛ばす飛ばす。
峠には15分ほど滞在した後
昨夜の街タシュクルガンを越えカラクル湖畔で遅い昼食、
カシュガルに着いたのは20時だった。
その間平均80〜100Km/hである。
いくらカラコルムハイウエイーと言っても、日本の高速のように2車線あるわけでもないし
途中羊の群れの道路大横断などというのもある。
2度ほどあやうく羊をひきそうになったが間一発で避けてきている。
通常かかる時間の3分の2程度の時間で帰って来ることができた。
おかげでカシュガルの週末 夜のバザールに繰り出すことができたのである。
マイクロバスの運ちゃんと峠で 我々の乗ったマイクロバス 中国はこんなところでも電線が
クンジェラーブ峠 中国側の国境石碑前で
カシュガル 夜のバザールは熱い!
シルクロード オアシスの街カシュガル 東西と南北の文化が交わる民族の十字路とも呼ばれている。
たまたまこの日、9月19日は土曜日定例の週末バザールが開催される・・・との情報を聞きつけた。
バザールと聞いてはじっとしておれない。
他の人達も誘ってバザールへ繰り出した。
このバザールツアーのポイントはBEERを持ち込むことにある。
中ではあまり売っていないので、あらかじめホテルの前の売店でキーンと冷えた缶BEERを
1人2本人ずつザックの中に忍ばせて行った。
シシカバブーの屋台 左手の缶BEERは欠かせない こちらは麺の屋台
こちらは魚のから揚げやさんか? いわゆるギョウザ屋さんの親子?屋台
ここは手馴れたもので自分の割り当ての缶BEERはすぐに飲んでしまうのだが
大体一人や二人くらい「もう飲めない!?誰か飲みませんか?・・・」
なんていう人がいるものである。
そこですかさず「それでは私が・・・・」などと言って頂くのであるが、今回も思うとおりだった。(セコイ)
シシカバブー・中華そば(中国だからなんでも中華そばか?)・ギョウザなど
いろいろな屋台を食べ歩き飲んで回ってまたしても腹いっぱい。
値段も安いのでシシカバブーを30本くらい食べてしまった。

翌日も昼間の日曜バザール(新疆最大)でこれまたひとがいっぱい
カシュガル近郊の各地からいろんな人達がこのバザール目指してやってくる。
バザールを目指す人々 みんな徒歩もしくはロバ車が多い  青空日曜市(バザール) 
これはギョウザ屋さんみたいものか?  何かよくわからない・・・
そして、この日の夕方の飛行機でまたしてもウルムチへとんだ。
ウルムチからまださらに2回も飛行機を乗り継がないと帰れない・・・というのは結構つらい。
飛行機に乗るのはそれほど嫌いではないが、さすがにちょっと嫌気がさしてくる。

最後の目的地 ボゴタ峰(5445m)BCへ登る
本来ならば我々のツアーはクンジェラーブ峠を越え、パキスタンへ抜けるはずだった。
しかし、その峠が通行止めになってしまい、残った日程をこのボゴタ峰BCトレッキングに変更したのである。
ボゴタ峰はいわゆる天山山脈の中、新疆ウイグル自治区ウルムチの東にあたる。
ウルムチのホテルから3時間ほど走ると、景勝地「天池」がある。
ここの池(湖?)を渡った対岸がボゴタ峰へのトレッキングスタート地点となる。

9月21日 ウルムチのホテルを出発したがキャンプ用品が無いため
途中のデパートで買い物が始まる。(急遽ボゴタへ行くことになったため道具・食料が不足)
その買い物の隙間を縫って印鑑を彫って貰った。
中国も日本は漢字は共通!
紙に希望する字を書くと見る見るうちに彫ってくれる。
これが見た字を逆に彫っていくのだからたいしたものである。(はんこやさんなら当然なのか?)
石に彫ってある印 印泥は北京で買った八原蔵書印なかなかシブイ 持った感じもしっくりくる
値段はいくらか忘れてしまったが、そんなに高くはなかった気がする。
帰りに北京で印泥を買ったのでうまい具合にワンセットできた。
この「八原蔵書」印は結構というか、かなり気に入っていて今も使い続けている。

話をトレッキングに戻そう。
18時を回った頃に天池に着いた。
土砂降りの雨である。
本来ならばテントを張る予定だったが、地面がどろどろで馬糞やら牛糞やらもいっしょに流れてきて最悪!
そのため、池の畔にあるパオにまたまた泊まる事となった。
ところがパオの中は電球が切れていて真っ暗。
服務員?のオネエサンに電球ちょうだい・・・といったが意味がわからないようだ。
仕方ないので手帳に「電球」と書くと分かったようだが、どうも回路が壊れているようだ。
今度も手帳に「修理」と書いたらその手帳を取ってそのあとに「不能」と書き足して返ってきた。
なんと「修理不能」?! 
同じ漢字文化に生きる民族として筆談で意思疎通ができるというのは楽しいものである。
結局電灯は点かなかったが、ケロシンランプを持ってきてくれて明るく暖かった。
外は雨が降って寒かったがパオの中で夜は宴会。
パオの中、明かりを囲んででみんなと話をするのは何と楽しいことだろう。
充実・・・我快眠zzz
天池の畔のパオ 天池の向こうが目指すボゴタ峰
天池の朝 
翌22日はこの天池をボートで渡る。
昨夜の雨もあがり気持ちのいい朝となった。
船で対岸へ渡る 人数が多いのと幕営用具でかなりの量になった
今日もスタートは遅い。中国時間なのか?
12時に対岸へ渡る船が到着、我々もそれに乗り込んだ。
対岸への渡し舟はいわゆる典型的な観光船だった
船に乗って驚いたのは恐ろしく水が澄んでいることだった。
しかし、30分もしないうちに対岸へ到着、あわてて荷物を降ろし一ヶ所にまとめた。
どうやらここから馬に荷を乗せて運んでくれるようだ・・・
しかしその馬がなかなかやって来ない。
日向ぼっこをしながら馬が集まるのを待ち、14時トレッキングの出発となった。
ちょっと進むとそこはもう日本の山と変らない・・・いやもっと自然が深い感じだった。
天池のスタート地点途中渡渉する箇所が何回かあった今夜の幕営地
途中渡渉が何箇所かあった。
私はまだ若いので軽くクリアーすることができたが、一部にずぶぬれになる人が数名発生した。
17時 放牧地のようなところを見つけてそこで幕営することになった。
海抜2610m、下から馬が運び上げてくれたBEERで乾杯する。
山とBEERというのは切っても切り離せないものがある。
テントのそばで焚き火をして酒飲みオジサン達は夜を過ごした。
まるで椎名誠の世界に入ってしまったようだ。
翌朝目が覚めると洗面器に厚さ10cmくらいの氷が張っていた。
寒い!またしても焚き火のそばに自然と人が集まってくる。
朝食はパンとおかゆで簡単にすませる。 
日が昇って暖かくなってきた10時、昨日は荷物輸送に使っていた馬に乗せてもらいボゴタBCを目指す。
馬でスタート 3000m近くになると雪がちらほら見え隠れしだす
馬の背に揺られて山を登る・・・というのは何ともいい気分だ。
何と言っても目線が高いのがいい、そして楽だ。
しかし、そのうちいろいろなことに気がついてきた。
登りはいいのであるが、くだりになると恐ろしく高く感じる・・・乗りなれないので長く座っていると尻が痛い、
さらに馬がたまに振り返って私の靴に噛み付こうとする。
そんなわけで途中で馬を下りて歩くことにした。
そのほうが夜のBEERもおいしい・・・
3000mを越えると一面真っ白な雪原になり、その遥か向こうにようやく目的地のボゴタが見えてきた。
14時過ぎボゴタ峰BC(3530m)に到着。
ボゴタBCを目指すやっと見えてきたボゴタボゴタBCにて3530m
ボゴタは通常のヒマラヤと比べ、山の高さが低いためBCの高度も低く楽である。
しかし、山自体は急峻でなかなか簡単には登らせてくれそうに無い。
1985年には日本女子登山隊の女性隊員(当時25歳)が登頂成功後下山中に
クレバスにはまって死亡している。
ボゴタ峰を見渡す位置にその碑があった。
ボゴタ峰 5445m
我々はこのBCに1時間ほど滞在して再びキャンプ地に戻った。
もうこれ以上登ることもないし、最終目的のボゴタBCにも行った。
ということで参加者全員焚き火を囲んで夜遅くまでの宴会となった。
火というのはいいもので、チビチビ中国酒をやりながら
みんなと、たわいもない話で夜は更ける・・・
夕景のキャンプ地 怪しい探検隊ではない
ツアーも残りの日程がわずかになってくるとちょっと寂しいが、
そこはいつか現実に帰らないといけない。
キャンプの朝
さて翌日はのんびりテントを片付け、12時頃に下山を開始した。
15時半天池の畔に到着 ここで向こう岸に渡るのか?と思ったらここで幕営することとなった。
山の中でまた寝れるのならこんないいことはない。1泊得した気がする。
ここでは同行してきてくれた中国政府の連絡官が料理の腕をふるってくれた。
政府の連絡官というのは中国に限らず、ネパールやインド・パキスタンなどでもついてくる。
その目的は?というと国境付近の警戒や自然破壊の監視、
または怪しい外国人の行動を監視する・・・などのようであるが
本当の目的は外貨稼ぎにあるのではないか・・・という話である。
今回同行してくれた連絡官は特別我々を監視しているわけではなかったが
料理の腕がよく、これがまたBEERにあう料理をよくサービスで作ってくれた。
仕事を変えたほうがいいのではないか・・・と思わせるくらいである。
連絡官と馬方大将
上写真左側が中国政府の連絡官で右は馬方の大将(カザフ族)である。
馬方の大将も朝はカザフ茶を作ってくれたりした。
いずれも今回のボゴタトレッキングの影の立役者である。
天池の畔で幕営幕営天池の畔にて 私
例によってテント場では夜の大宴会を行い、
翌日9月25日 迎えの船で対岸へ渡ったのであるが
この船がひと癖あり、途中でエンジンが止まってしまった。
風で流され岸のほうへいくと底がつかえて危険である。
そのためみんなで棒で押し戻したりしているうちにエンジンがかかった。
まったく人騒がせな船だった。

16時半には無事ウルムチのホテルへ到着。
夜は缶BEERをまたしこたま買い込んでバザールへ行き、シシカバブーでいっぱいやらせていただいた。
新疆最後の夜でもあるのでちょっと土産ものも買い込んだ。
竹で作った置物だが気にいっている。
竹細工の新疆みやげ
翌日の飛行機でウルムチから北京へ移動
北京へ向かう途中の飛行機内から、数日前登ったボゴタ峰がその雄姿を現し感無量だった。
雲の上に見えるボゴタ峰 新疆航空機より撮影
その翌日にはようやく成田へ帰りついたが、2週間同じ釜の飯を食った仲間?は家族のように仲良く
別れるのはみんなちょっと辛かった様だった。
しかし、私は帰りの新幹線の時間がなく、挨拶もそこそこに空港を後にした。
帰りの列車の中でいろいろ考えた。
思えばなかなか大変なツアーだった、飛行機に6回も乗ったし、船あり、バスあり、馬あり、ラクダあり。
いつも以上にBEERも飲んだしワイン(新疆ワインはうまい!)も飲んだし
何か訳のわからない酒もよく飲んだ。
本来ならばこのツアーはいくらかかっているのだろうか?

ツアーから帰ってきて数週間後、ツアー会社からの挨拶状が届いた。
それによると
本来の予定では中国からカラコルムハイウエイー(KKH)でパキスタンに抜け帰国する予定であったが
KKHが通行止めで越境できず最奥地からあと戻りせざるを得なくなった。
そのため、パキスタンの旅行会社のキャンセル、パキスタンからのフライトキャンセル、中国国内での
航空機移動手配、あらたなトレッキング手配など
相当な出費がかさみ赤字になってしまった・・・
しかし、今回は特別に追加の差額請求は差し控える・・・とのことである。
この最後の「差し控える」という文字を見て何かすごく得した気分になった。

旅行タグ アルパインツアーサービス
旅に出る・・・というのは本当に楽しいものだ。
特にツアーは楽!航空機のチケット手配やリコンファーム、宿探し・・・何もしなくていい!
行く先々で煩わしい手続きはしなくていいし本当に楽しかった。
10年に1回の長期休暇だからそうそう行けることはないが、リフレッシュできることは間違いない。
次のチャンスはいつやってくるか・・・

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