NEPAL LangTang村 撮影記

1999

 私がNEPAL LangTang(ランタン)を初めて訪れたのは、1998年秋のことである。
勤務先の20年永年勤続休暇を使って2週間、Langtang谷にある
YalaPeak(5520m)を目指すトレッキングに行った。
 そのPeakを目指す途中の村がLangtang村だった訳であるが、この村にはいって驚いた。
海抜3400mもの村なのに電柱があり、電線がはってあるのである。電気がきている最終の村が
ShaburuBensi(1430m)というところで、そこから歩いて最短でも1泊2日かかる。
そんなところになぜ電気があるのか?
 大きな疑問はすぐに解決された。人口500人ほどの村、電線の元をたどっていけばすぐにわかる。
村のはずれに小さな水力発電所があったのである。
すぐそばに公民館?みたいな建物があり、そこに人がいて中を案内してくれた。
本当に小さな小さな発電機(8Kwだったか)で,現在は水量が少なく夜だけ発電していると・・・
また、その電気で夜間学校を開いていると聞いて驚いた。
これは、TVの番組ネタとしてはもってこいではないか!
と思って、誰が中心になってどんなふうに行っているのか聞き取り調査を行った。

日本へ帰ってから、今回の調査した結果を番組提案書にまとめ即提出。
翌年(1999年)「新アジア発見」という番組の撮影で、再びこの地を訪れることとなった。

1999年に入ってからは、NEPALで撮影を受け入れてくれる会社との交渉に入り、
(便利な時代になったものですべてE-mailで交渉できる)3月3日にDirecterの吉川氏と
名古屋を出発、関空からその日のうちに、NEPALの首都Kathmanduについた。


Map of Langtang

LangTang谷地図
Clickすると大きく見ることができます。



Kathmandu→Langtang
Kathmanduで情報省や日本大使館に挨拶を済ませ3/5ヘリでLangtangの下の村
Godathabelaまで一気に入る。空撮をしながら入ったがこれで3日の行程を1日に短縮。
その日のうちにLangtang村へ到着することができた。
Langtang Village Guesut Houseに宿を取ることにし(1泊100円くらい)機材の準備をする。
ここでちょっとした問題発生。実は充電用に小型の発電機(2サイクル)を荷揚げしてもらったのだが
別ルートであげてもらったはずの、エンジンオイルが4サイクル用のものと判明。
KTMまで誰か走らせるか?!というところまで相談した。
が、もうひとつ上の集落でそんなオイルを見たことがある・・・という住民がいて、
そのオイルを探してもらい翌日手元に届いた。(不幸中の幸い、しかし何とかなるものだ)
到着した翌日からちょっと下痢気味・・・私はたいしたことはなかったが
吉川Dはダウン3日ほど寝込むことになる。私は翌日に回復。

Langtang Village Night School
ここの授業は夜20時に始まる。
授業の内容はネパール語の読み書き、算数、英語、歴史、健康について
また、ダンス&カルチャーなんてのもある。
ダンスというのはすごい!狭い教室でみんなが昔の日本であった歌垣みたいなのを
やるのでそこらじゅう誇りだらけになる。
また、どこにこんなにたくさん人がいたのだろう、と思うくらい集まってくる。
ここの人はみんな勉強もしっかりやっているが、ダンスは一番好きみたいだった。
しかし、電気の力は偉大だ!
ほんの少しの電灯が点いているだけで、多くの人たちが字の読み書きができたり
英語がしゃべれるようになるのである。
(英語をしゃべることができるというのは、外国人トレッカーが多いこの地では結構重要な要素)

本当にきれいだった。Langtang村(3430m)  夜間学校の様子。

 我々が宿泊していたロッジの前で(番組に協力してくださった方々と) Langtang村のLSを撮る ここまで歩いて2時間!

主人公の妹 キパ(当時18歳) 即席のLangtang支局? 通りすがりの女性・・・なんかいい感じ。

いろいろ調べてみると、この地にもいちおう昼間の学校というのもある。
ちょっとのぞかせてもらったがこれが実にユニークで屋外青空天井で
黒板を外に持ち出して授業をしているのである。
確かに雨期は外ではできないだろうが、乾期で長く晴天が続くこの地では
屋外で授業を行う、というのもいい考えだと思う。

また、NEPALは多民族国家であり言葉を理解するのが大変である。
このLangtangではいわゆるネパール語はあまり使えない。
チベット族が多いので地元の人たちの話やインタビューはチベット語からネパール語
もしくは英語に翻訳しなければならない。
今回はこのLangtang出身でKathmanduで英語も勉強している青年が
一緒に手伝ってくれたので助かった。
しかしややこしい話になると、さらにネパール語から日本語へ通訳が必要になったりと
時間のかかることこの上ない。
遠くヒマラヤを越えて、チベットからこの地に移り住んできた人たちも長い年月の間には
チベット語を話さなくなってしまうのかもしれない。
やや淋しい気もするが、これも時代の流れなのか・・・

Langtang昼間は明るいから外で勉強しても確かにいい。日本は天気のいい日も、なぜみんな中で勉強するのか? Langtang昼間の学校。学年別にグループが別れていて先生はそれぞれのグループを回る。日本で昔あった複複式学級みたいなものか?

Langtangでの食べ物
さすがに3000mを越えると水田はない。米はすべて下の集落から担いであげている。
当然のことながらBEERも同じ。下の集落から高度が上がるたびに
BEER1本の値段も上がってくる。(平地では@100RsくらいがLangtang周辺では
150Rsから200Rs・1Rs≒2円くらい)
主食は小麦粉で作ったチャパティやジャガイモが多い。
ここLangtangのジャガイモの味は絶品!である。日本のジャガイモはなぜこんなにコクが
ないのか?と思っていたら北海道の友人に送ってもらったジャガイモの味がこれに
似ていることがわかった。いつも北海道のジャガイモを送ってもらうとすぐに食べてしまう。
機会があれば、もう一度Langtangのジャガイモを食べてみたいものである。
このもうひとつ上の集落に(Kyanjin Gompa 3800m)ヤクの乳でつくったチーズを
作る工場があった。
ヤクは黒い牛のような動物(ヤクには失礼かも?)で高地でしか生きられず、
ミルクや肉、毛皮など利用用途はひじょうに多い。
ネパール料理は耐えられない・・・という人がたまにいるが、アジアの食べ物はやはり
アジア人にあっている?と思う。01年にアメリカを2ヶ月仕事で回ったことがあるが、
アメリカの食事は実に耐えがたいものがあった。
確かにSteakやパンはいいのだが、毎日毎日これが続くともう大変。
場所によっては米の飯がまったく食べられないところやBEER週末販売禁止・・・
店にBEERをおかない・・・など・・・
そこへ行くとNEPALはじめASIAはいい。BEERは必ずあるし、米も絶対食べられるからである。

標準的な食べ物 チャパティ(小麦粉を練って作るパンケーキのようなもの)とポテト チベット料理ヘリドウー(というらしい)もとはジャガイモを練って作る。カレー味だった。

こちらはそば粉を練って作ったパンケーキ 唐辛子+岩塩+ヤクのチーズを混ぜて作ったスパイスで食べる。うまかった。 ネパール風コンビ二?BEER、ミネラル水、ビスケットなどを街道沿いで売っている。

撹拌させてバター茶をつくる。 ヤク 98年KyanjinGompaで写す。

Langtang→Kathmandu

ほぼ2週間のLangtang村滞在を終え、3/19Langtang村から降りることにする。
出発前日の夜はこの村の水力発電機で村に灯りがポツン、ポツンと点灯するシーンを撮って
終わりとした。思い出せば毎日毎日が運動会で移動はカメラをザックに入れて
かならず歩いて行くしかない。ちょっと畑まで・・・と言っても歩いて2〜3時間はざらである。
つらい日もあったが、雨は1日も降らずカッパを使うことはなかった。
3月19日にLangtangを出てその日は途中の
LamaHotel 2470m(ホテルの名前ではなく地名である)に宿泊、ここまで降りてくると樹林帯の
中になり久しぶりに緑の中で空気がうまいと感じる。
3月20日 LamaHotelからSyaburuBensi 1460mに到着。
ここからは車道があるので、ここに着いてしまえばあとは車で1日見ておけば十分である。
翌日21日Kathmanduへ向け出発したが、なかなかの悪路であり我々の乗ったランドクルーザーは
2回もパンクした。しかし、ランドクルーザーなどという乗り物は日本の舗装された道を
走るのではなく、本当はNEPALの時々ジャンプして天井に頭をぶつけるくらいの
道を走るのが本来の姿なのだろう・・・とつくづく思った。

Kathmanduでアマチュア無線をする
Kathmanduへは3月21日夜やっと到着した。
そこで何と!帰りの飛行機(関空行きロイヤルネパールエアー)がストライキを起こしている!との事。
結局帰国日が遅れるが、いつ帰れるかわからない?我々の泊まっているホテルにも
日本人ツアー客がごった返している。連日RA(RoyalNepal)とTG(Thai航空)のオフィスに通い
何とか3/25発のKTM→Bangkok→Nagoyaのチケットに交換できた。
しかし、出発まで時間ができたのでNEPALに到着した日に申請しておいたアマチュア無線
ライセンスをもらいに通信省へ行く。(ここまでの手配はKTMの友人がやってくれた)
その後、北海道の阿部さん(9N7WU/JA8MWU)が所有するレンタルシャックへ行き
アマチュア無線機を引っ張り出しOnAir開始。
開局第一声は28MHzCW BD6JWとのQSOが1stだった。
しかし昼間Kathmandu市内の撮影もあったりで、無線に出られたのはトータル8時間
HFで664局とQSOできたのみであった。
このときはもちろん50MHzに出れる無線機はないのだったが、通信省の担当者に50MHzの
免許を何とか発給するようお願いした。

1979年には9N1BMK(JA8BMK福多氏)が、6mのライセンスを得てJAとの1stEVERを果たしている。
また、その後ユニセフハムクラブ等も6mにQRVしているので、過去6mのライセンスは間違いなく発給されており
来年以降の免許発給についてお願いしておいた。


                              八原 康広 JA9LSZ

1999年にQRVした9N7SZのQSL モデルは番組に出演してくれたチベット族の少女達にお願いした。

帰国
やっとGetできたTGのチケットで3/25Kathmanduを出発した。
空港ではポカラの山岳博物館の視察(だったか?)にやってきた橋本龍太郎氏に遠巻きながら
遭遇することもできた。
トランジットのBangkokの空港ではお土産代わりにトムヤムクンカップヌードルを大量に
買い込み、翌日26日朝8時半名古屋空港に着いた。






LangTang谷の魅力
Langtang谷は某登山家が世界で最も美しい谷のひとつと絶賛するほどすばらしい。
この1本の谷の中に四季があって、熱帯ジャングルのようなところから高地まで
実にすばらしい自然が残っている。
98年と99年の写真を使ってこの谷の魅力を紹介しよう。

syaburubensiよりやや下の集落千枚田も真っ青の万枚田? Syaburubensi Langtang谷の入り口にあたる 1460m SyaburubensiからLangtangまでの樹林帯 ジャングルのようなところが続く ユキヒョウを見た人もいるとか・・・ Woodland Lodge(地図記載なしこの建物1軒だけ) 春は石楠花がきれい 白・赤・ピンクなどがあった
LamaHotel 2470m Langtang手前で会ったトレッカー ここまでMTBで上がってきたと・・・ 上部は木がないから家を建てるにもすべて下から担ぎ上げないといけない。 Langtang村の朝 みんないっせいに火を起こすので煙がそこらじゅうから上がる。 Langtang谷の人が住んでいる最終集落 KyanjinGompa (3850m)大きなGompa(お寺)がある。
KyanjinGompaからさらに上部を目指す。Yalaカルカ(放牧地)周辺 Yala Peak(5500m) どこか忘れてしまった・・・Tsergo Ri Peak(4984m)周辺から見える山並み 後方に見えるのはPonggen Dokpuか?(5930m) Yala Peakへの登り(氷河)
Yala Peak 頂上は右上 頂上からはLangtang周辺の山々が一望できるが自分のいるところより相当高い山々ばかりだった。



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