福井山岳会 GaneshX峰   遠征隊 
1987


先日書庫を整理していたら1987年、初めてNEPALへ行った(それも福井山岳会の初めてのヒマラヤ遠征)当時の資料がいろいろ出てきた。
今から思い出すと、休暇の取得や資金集め、トレーニング(私はあまりしなかった)
初めてのNEPALで苦労したこと、雨期でベースまでヒルと闘いながらのキャラバン・・・
いろいろなことが思い出される。
しかし、このときの遠征経験が今の自分を形成するにあたって大きな影響を与えていると
いっても過言ではないだろう。
この時お世話になったCosmoTreckの大津さんには、2002年仕事でKathmanduを
訪れた際にもいろいろ助けていただいた。



慈恵会医科大が北面より初登したGaneshX 我々は未踏の南稜(Peakより左にのびる尾根)より頂上を目指す。




懐かしい登山計画書 これを持っていろいろなところを回った。

1987年 Ganesh HimalX 遠征隊回顧録

私の手元の記録によると、1987年8月26日に後発隊として日本を出発している。
何で私が遠征に参加することになったのか?甚だ不明ではあるが、当時福井から単独の山岳会が、遠征隊を出すということが珍しい(今はもっと珍しいのか?)時代だった。
また、当時はNEPALへの直行便等なく、もっぱら安いAirIndiaを利用してThai経由or香港経由が多かったが、今でもこのルートは安くて利用する人も多いと思う。
キャラバン
日本を出発した翌日、8月27日にKathmanduに到着し、もろもろの手続き、準備を済ませてベースキャンプまでのキャラバンに出発したのが、8月30日。
Kathmanduー(バス)→Betorawati→Ramche→Dunche→ShaburuBensi

Caravanに使ったチャーターバス ここが車の使える最終集落 Betorawati ポーターを雇って荷物を運ぶ 100人くらい雇ったか?

今ならShaburuBensiまでKathmanduからバスで1日で行けるが、当時は4日かかっている。
このShaburuBensiという村はキャラバン途中最後の大きな村だった。(と思う)
かの有名な「世界でもっとも美しい谷のひとつ」と言われるLangTang谷への
分岐点の村でもある。
ここのShaburuBensiの学校に鉛筆や消しゴムをプレゼントしたら、子供たちが校歌?のような
ものを歌ってお礼にしてくれた。
この下の写真に写っている右端の長靴を履いている人が子供たちの先生でカミ・ドルジェさんというのだが、この先生がなかなかの熱血先生で印象深い。

ShaburuBensiのチベッタン学校 今でもある

ShaburuBensi→Gompagaon→樹林帯の中で野営→モルバカルカ(3700m)
一般的にカルカというのは放牧場を指すが、この時期はまだ雨季で海抜の低いところではヒルが大量発生し、野営したときは朝起きると顔中ヒルがくっついていて血だらけ・・・
などというポーター(隊員)もいたと記憶する。
9月6日 モルバカルカからやっとBC(4300m)入りするが、高所順応のため
この日はいったんまた、下へ降り、途中にTBC(BCの下の高所順応Camp)を
作ったりして正式にBCを開設したのはなんと、9月9日だった。
これは、予想外にBCへのアプローチが長かったこと、高所への順応に時間がかかったことを
意味していると思われる。
正直、ヒルの攻撃と下痢には参った・・・・・

BC開設〜上部へ
BCを開設した翌日から上部Campへのルート工作&荷揚げが始まる。
ただ、BCからC1までは距離が長く一度に荷揚げするのは大変だったため、途中にABCを設けて順次荷揚げしていった。まだ、雨季の名残があり雪の降る日も多く、連日の荷揚げには
苦労させられた。
GaneshHimalXBC 空が黒く見えるのは夜ではない。高所ではいつも空は濃い群青色である。 BCにて 後列右から2人目が私 シェルパの首を締めるほど元気だったのか???

ABCは海抜4920mくらい。C1へ上る途中の岩小屋のようなところに荷揚げ機材をデポした。
連日の荷揚げを重ね、C1開設は手元の記録によると9月14日となっている。
C1は海抜5200mくらいだったと思う。
高所順応のためC1の上部へ上がって下り、少しでも体を高所になじませる。
この頃は雨季がまだ完全に明け切っていない感じで、雪や雨がよく降りルートは
不安定、荷揚げは重い・・・

C1 5200mくらいか? BCより上部でいつも正面に見えるパルドル峰

荷揚げ 晴れた日のBC ここは緑がある ルートをのばす C3あたりか?


C3上部 頂上直下の雪の壁

山頂に立つ渋谷(左)・松田隊員

実は私は休暇がとれず、1ヶ月だけだったのでルートが上部へ延びている途中で下山しなくてはいけなくなった。
9月17日にはBCを下山開始。
ポーターを一人連れ下山にかかるが、BCまで1週間以上かかった道のりを
何と3日間でKathmanduまで着いてしまった。
しかしこれはBEERを早く飲みたいあまり、毎日暗くなるまで12時間くらい
歩かなければならずかなりハードだった。

Kathmandu到着後
Kathmanduには9月19日夜到着。
私一人なので、タメルのインターナショナルゲストハウスに泊まることとした。
ここでは自由に動くことができたので、レンタバイクで市内のいろいろなところを見て回った。
今回よかったのは、ネパール語を少し覚えられたことである。
ある程度の単語を覚えておけば大体話は通じ、数を覚えれば買い物は飛躍的に
楽になり、いろいろな人たちとのコミニュケーションは楽しい。
ここでの経験がその後、NEPALを何回も訪れるきっかけになっているのは間違い
ないだろう・・・・
9月25日発のロイヤルネパールでバンコク経由で大阪着 福井の自宅に着いたのは
27日の朝3時だった。
当然、28日から職場復帰したがしばらくは使い物にならなかった?!

登 頂
私が日本に帰国してから登頂の報告が届いたのは10月11日だと思う。
当時は今のように、イリジウムやインマルサット電話などというものはなく、KTMに帰って
ネパール観光省が発表する・・・という手続きを踏まないといかない。
私の勤務していた職場へは共同通信からのFaxが届き、登頂成功の一報が届いた。
それを受けてKathmanduへ国際電話をかけ、たまたまCosmoTreck(今回の遠征のお世話をしていただいた代理店)にいた牧野隊長にインタビューしそのまま収録、
夜のニュースで報道となった。

登頂を知らせてくれた共同通信のFax(Copy)

回 顧
今思うと本当にいい時代だった。(今もいい時代なのだろうが)
先にも書いたが、今回のNEPAL行きがきっかけとなって、いろいろなことに影響が出てくる。
大きなこととして仕事の内容が変わった。
これまではTVの送信関係の仕事をしていたが、この1年後、番組制作(技術)に職場内異動。
いわゆる撮影の仕事に手を染めるめるようになった。
もちろん山へ行くのは好きだったので、登山ついでにカメラを持って撮影し、
夕方の番組で放送したりしていた。(人は趣味と仕事が同じという)
そのうち、それじゃNEPALへ登山隊についていって撮影してくれ・・・ということになり
DhaulagiriT峰(8167m)へ1994年8月から行くことになった。
このあとも撮影では2回NEPALへお邪魔しているが、この2回は自分でリサーチしたネタで
番組を作っている、というのがなかなか我ながらたいしたもんだと思う。

最近は何回かNEPALのいろいろなところを見るうち、登山そのものよりも、
その土地に住む人たちの暮らしや習慣というものに興味の対象が変わってきている。
学者にはなれないが、また時間を作っていろいろなところを回ってみたいと思う。

                                       ナマステ


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