NEPAL DhaulagiriT遠征記

             1994 (ダウラギリと読む)
                   


Dhaulagiri(8167m) サンスクリット語で「白い山」の意。正面の岩壁がアイガー岩壁、目指すは左に延びる北東稜。

プロローグ

平均年齢55歳!という登山遠征隊がヒマラヤのDhaulagiriT峰(8167m)を目指す。
最初,話を聞いたときは信じられなかった。
若くても難しいヒマラヤ8000m峰にそんな年齢で登れるのか?
この平均年齢55歳の登山隊に同行取材で私が行くことが決まったのは、
何と出発のほぼ1ヶ月前だった。
出発は1994年8月27日 この日まで準備・国内取材とあわただしい夏を過ごした。
スタッフは私(当時35)とDirecterの林氏(28)、撮影助手をやってくれる北アルプス山小屋勤務
 小玉君(28)のたった3人である。
私自身登山は続けているが、本格的ヒマラヤ登山は久しぶりである。
しかし、2年前中国のパミール高原へ行ったときは5000mを越えても体調は万全で
高度に対する不安はそれほどではなかった。
それよりも5000mを越える高地の厳しい環境の中で、機材がうまく働いてくれるか?
こちらのほうが心配だった。

Kathmandu→Marpha
8月27日 何年か振りのNEPAL Kathmanduに我々は192Kgの撮影機材と共に到着した。
翌々日の29日には飛行機でNEPAL第二の都市Pokharaへ移動。
さらに次の日はこれまた飛行機でJomoson(2600m)へ移動。

Khathmanduの国内線乗り場 Jomoson空港にて 左奥に白く頂上だけ見えるのが目的の山Dhulagiri

Jomosonへ向かう飛行機からはDhaulagiriの見事な雄姿が見えた。白い大きい山だ!
さてJomosonへ着いて早速高所順応訓練開始である。
近くの山に撮影しながら登る。高度計を見ると3475mだった。
翌日、Dhaulagiriへの登路があるMarpha(2700m)の村へと向かう。
Marphaはリンゴが採れ、そのリンゴで造る焼酎?が結構有名。
白い壁の家並みが続く美しい村である。
ここのゲストハウスにしばらく泊まって、近くの山々を登り高所順応を続けた。
ヒマラヤ登山をする者にとって、高所順応は最大の課題である。
4日間かけて周辺の山々を登り、4000m程度くらいまでの高度順化を果たした。

Marpha Jomoson街道の村 チベット系の人々が多い。

宿泊していたロッジ中庭にて 右から小西正継氏 根津皖一氏 助手小玉君 Directetr林氏 後ろ向きになっているのは池田氏。      Marphaのメインストリート 壁に白の漆喰が塗られ美しい村である。


BC向けキャラバン開始
9月4日 ついにBaseCamp(BC)へのキャラバン開始となった。
これからの撮影が大変だった。何しろミュール(ロバと馬をかけ合わせたような動物、荷運び用)
77頭、ポーター55人!もいるのだから隊列の長さは相当なものである。
隊列の前になり、後ろになりしてこの日は4070mのキャンプ地についた。
この高さまでは連日のトレーニングが利いているのかつらくない。
翌日はThaphaPath(5250m)を越えて4900mのHiddenValleyに泊まる。
さすがにこの高度になると体がなかなか言うことをきかなくなってくる。
また、この日は雨(雪)が途中で降り出しカメラを担いでいる身にはちょっとつらい。
ポーターの一人も高山病で山を降りることになった。わが林Dも高山病の症状があらわれ
テントの中でほとんど寝たきり状態。結局BCまで回復しなかった。
このルートは、BCに着くまで5000m級の峠を2回越えなければならない。
高所に慣れない我々にとってはかなり厳しいルートではあるが
それをクリアーすれば4600mのBCである。
5300mのFrenchPathを越えると目指すDhaulagiriが正面にドカン!と見える。
BCには9月8日到着、大きなモレーン上にBCテントを張る。
このBCからは手前の巨大な氷河越しに威圧してくるアイガー岩壁、そして我々の目指す北東稜の
C3付近まで見通せる。
9月11日にBC開きをしてそれ以降また、高度順化とC1への荷揚げ・・・つらい日々がが続く。

BCへのキャラバン 向こうに見えるのはSitaChuChura 6611m (5000m付近) ベースキャンプ 真ん中から左がわが隊 右は岩手隊と国際隊。

BC→DC→C1
いよいよ本格的な登山の開始である。
我々も当然のことながら上部へ向かって、荷揚げと撮影を繰り返す。
しかし天候の安定しない日もあり、なかなか上のCampへ上がれない日が続く。
また、一気にC1へ上がるには距離と高度があり過ぎ、途中に荷物をデポする
デポキャンプ(DC)を作った。DCは高さ約5000m,広い雪原の中にある。

このルート上最大の難所はアイガー岩壁の下部と氷河帯の通過である。
アイガー岩壁下部は先行の隊がルート工作していてくれたのでよかったが、ザイルに
ユマールを通して慎重に通過する。
8000m級のヒマラヤになると氷河の大きさがすごい!
遠くで見ているとそう思わないが、近くに来て見るとその大きさに圧倒させられる。
また、ここへ来ていくつかのトラブルがあった。
カメラ用電池充電のための発電機停止、しかし1日がかりで分解・修理した結果復活。
DCにデポしてあった食料が一部紛失。ここには8隊くらいはいっているので盗まれた?
もうひとつの日本隊のシェルパが上部で滑落、我が隊も救助に参加。
BC周辺の大雪!全く動けない日が数日続いた。

やっとC1に入ったのは9月23日のことである。
ここは海抜5700m、BC〜C1は危険なのと距離が長いせいもありここが実質のBCみたいなもの?
我々の隊はテント11張り、比較的なだらかでいい場所なので他にもいくつかの隊が
テントを張っておりなかなか国際色豊かだった。

BC→DC クレバス多し!  BC→DC アイガー岩壁下部の登り ここは2ピッチあった。落石にはかなり神経を使う。

DC→C1 楽そうに見えるがクレバスが縦横無尽に走っておりそれらを避けてジグザグに歩かないといけない。中央の鞍部がC1になる。 C1 5700mここには約2週間滞在した。

C1→C2
C1へ上がってしまうと少し楽になる。
C2まではしばらくなだらかな雪稜が続き、さらに上は傾斜は急だが高所順応さえ
うまくやれば何とかなりそうだ。
C2までの撮影をしながら我々自身の高度順化を進める。
が、C2まで入れるものと思っていた我々にテントを張るスペースが無い!との情報。
さらに酸素も隊員の使う分しかない・・・と。
ここは登山隊優先でいくしかない。C1から望遠レンズで上部を狙うことにする・・・
ここC1は上を目指す人、断念して下へ降りる人たちのドラマが生まれたところでもあった。
(TVの仕事をしている者にとってはいわゆるおいしい現場である)

余談であるが、このC1では充電用の発電機を持ち上げることができなかったため、
特製ソーラーパネルとリチウム電池を使用した。
(発電機は海抜5000m用にメインジェットを交換してある。出力は下がるが充電くらいは
十分に可能である)
特にリチウム電池はこれ1本でBetaーCamの30分テープが30本!
回せるというからすごい実力の持ち主である。

このC1からは頂上までのルートがひじょうによく見える。
当然のことながら、C2へ登る途中から見るヒマラヤの山々もすばらしい。
また、ここは鞍部になっているせいかヒマラヤを渡る鶴の通り道?にもなっているみたいで
1回だけ至近距離を鶴が通過していくのを目撃した。

さて、登山隊の人たちは9月29日C2入りと決定。
我々は撮影しながらだと時間がかかるので、隊員の人達より1時間早くC1を出発する。
下から見た感じではよくわからなかったが、上へ登れば登るほど傾斜が急になる。
C2直下はFixザイルにカラビナを通して、撮影するときはさらにピッケルで
セルフビレーをとって慎重に行動する。
撮影に熱中するあまり、つい深追いすると危険が待っている・・・
7時間かかってC2に到着。大きな雪の割れ目に2張分のテントが張ってある。
C2は6650m さすがここまで来ると相当な高度感がある。
遠くに、いつか行ってみたいと思っていたカイラス山まで見える。
ここが我々の最高到達高度になることになるので、C2を出てさらに上を目指す。
せっかくここまで来たのだから、少しでも高いところを目指したいと思った・・・
隊員の中にいた小西さん(正継氏)が気持ちを察したのか、
「それじゃ俺が確保してやる」と言ってザイルを私と結んでくれたのが印象的だった。
結局6700mくらいまで上がって撮影し、その日のうちにC1まで降りた。

C1の私 肩からぶら下げているのはリチウム電池。 C2への登り 紺碧の空!Topを行くのは隊長の石川氏。 C2 (6650m) わずかな雪稜の割れ目に2張。

C2へのルート途中から見たアンナプルナ方向。 C2より上部で撮影中。ザイルの確保側にはあの小西氏がいる。

これもC2への登り。徐々に傾斜がきつくなる。(6500m付近)

登 頂
隊員の人達は翌9月30日 C3に入った。
C2では酸素を吸いながら睡眠、それ以上も酸素を使用とのこと。
平均年齢55歳の隊にとっては、体力の限界に近づくのを防ぐためにも
速攻登山が必要である。酸素はかかせない。
酸素の助けもあってか、10月1日10時半 日本人隊員5名+シェルパ3人が登頂成功!
C1を出てから3日目!まさしく速攻登山である!!
頂上へ行けない我々はC1からその様子を望遠レンズで撮影し、無線の交信を録音した。
驚くべきは若いシェルパが一人、登頂してそのまま一気にC1まで降りてきたことだった。
さすが、ヒマラヤをよく知っているシェルパ・・・すごいと改めて思った。

隊員・シェルパが全員揃ってBCに降りたのは10月3日。
翌日4日にはBCからはるか上空を鶴の編隊が飛んでいくのが見えた。
鶴がこのヒマラヤを越えるのは一番条件のいいとき、この時期を過ぎるとこの周辺は
冬に向かって天候がだんだん崩れてくる・・・という。いいタイミングだった。

10月6日BCから下山開始。
朝6時40分にBCを出発してひたすら歩き通して何と!!!暗くなった17時ふもとの
Tukche村に到着。1日で下山してしまった。
その夜は喜びのあまり、宿泊したロッジで店のBEERを全部飲んでしまった。
なんともBEERの力というのは恐ろしいもので3日ほどの行程を
1日にしてしまうものであった。
10月9日 JomosonからKathmanduへひとっとび。
懐かしいKathmanduについた。
日本へは10月16日 帰国。

BC上部で雪崩発生!  ウクライナ隊のC2 6300m ヒマラヤひだが美しい。 

平均年齢55歳の登山隊 シルバータートル登山隊メンバー
隊長 石川 富康 愛知県在住
隊員 遠藤 京子 滋賀県在住
   小西 正継   (故人)
         渡辺 玉枝 神奈川県在住   
      池田 錦重 神奈川県在住
      根津 皖一   (故人)  
     三浦 充哲 高知県在住

いくつになっても登り続けたい。
若い時は仕事で忙しく、登りたくとも登ることができなかった憧れのヒマラヤ。
でも今ならば、歳はとっているが時間も金銭的余裕もできた。
あの若い頃の夢を今一度かなえてみようではないか・・・そういうお話です。

つらくもあり、楽しくもあったDhaulagiriT遠征でした。
本当に満ち足りた人生とはどういう人生なのでしょうか?
考えさせられました・・・

C1から見たDhaulagiri主峰。番組のラストカットにも使っていました。