2018憧れのTibetカイラス巡礼の旅
〜ネパールから新ネパール中国友好道路を通ってTibetへ〜


(カイラス山 左下のあたりから時計回りに川沿いを一周する)

プロローグ
前から一度、西チベットのカイラス山(6714m)へは行ってみたいと思っていた。きっかけは、かなり昔に読んだ九里徳泰氏の書いた
「チベット高原自転車ひとり旅」という本である。広大なチベット高原を自転車で自由に(中国は実際それほど自由ではないのだが)旅し、
新疆ウイグル自治区からカイラス山の一周までやり遂げる・・・という冒険旅行記である。この本を読んで、自転車は無理でもカイラス一周
くらいはいつか行ってみたい・・・と常々考え ていた。

また、2010 年にランタン谷のトレッキングへ行った際、この谷にあるシャブルベンシの
さらに奥からチベットへと抜ける新しいルートが開かれたことを知り、いつかはこの道をずっと詰めてチベットへと抜け、カイラスまで・
行ってみたい・・という思いが、心の隅にずっと引っかかっていた。 そしてしばらくその思いは忘れ去られたかのようになっていたのだが、
一昨年、福井市内の某映画 館で興味ある映画が上映された。タイトルは「ラサへの歩き方〜祈りの 2400Km〜」。内容は東チベットの
小さな村の住民がラサを越え、西チベットのカイラス山まで 1年かけ五体投地で巡礼の旅をするというもの。旅の途中で仲間が亡くなったり
はたまた赤ん坊が生まれたりと波乱万丈?の祈りの旅なのであるが、カイラスという山はどうしてそこまで人々を引き付ける山なのか?
映画を見ているうちに大きな興味が湧いてきた。 カイラス山は聖山である。その山容は聖山たるにふさわしくどこから見ても素晴らしく、
高揚たる美しい山である。チベット仏教徒だけではなくヒンドゥー教徒もこの聖山を訪れ、山の周囲を一周することが一生の願いである。
一周 52 qというこの巡礼路をチベット人ならば一日で回るらしいが、平均高度 5000m!最高高度のドルマ・ラ(ドルマ峠)は 5660m もの
高度に達する。普通の巡礼者は 2 泊 3 日で回る ことが一般的とされているが、それにしても高度順化が一番の課題である。

カイラスへの道
西チベットカイラスへ向かうにはいくつかのルートがある。一般的には飛行機で、中国の成都へ入りそこでラサ行きの便に乗り換え、ラサ
から一週間ほどかけてカイラスへ向かうパターンが多い。またカトマンズから中国ネパール友好道路を通ってチベットに入り、エベレスト BC
を経由してカイラスを目指すというルートもある。しかし、2015 年のネパール大地震以降こちらのルートは通行できない状態が続いている。
今回カイラス巡礼にあたりどういうルートで行くのがいいのか?カトマンズの CosmoTrek に問い合わせると、ちょうど 2017 年夏頃からラン
タン谷の入り口シャブルベンシを越えて、チベットケルンへと抜けるルートが外国人にも開放された、という朗報がもたらされた。2010 年に
ランタン谷を訪れた際の夢のルートをついに通ることができる、という訳である。この道を通ればカトマンズからは恐らく最短でカイラスへ向
かうことができる。西ネパールシミコットからチベットプランへと抜けるルートが最も近いのだが、こちらは外国人の通行は許可されていない。
開放されたばかりで、ケルンからのルートの資料はほとんど見つからなかったが、それだけに行ってみる価値はある。ネパールから陸路越
えのチベット行きは魅力的な提案だ。あとでよくよく調べてみると、日本の大手ツアー会社もこのルートでツアーを催行しようとしているよう
だった。 一緒に行くのは、前にもブータンチョモラリ・ネパールランタン谷をともに旅した武生山岳会のN村さん(61)である。燃油代金が
上がる直前の 1 月末、タイ航空のチケットを予約して出発日に向けてコツコツと準備を進めてきた。

(カイラスへの道 キーロンはケルンのこと)

中国の VISA がとれない!?
私たち 2 人は 4/24(火)早朝のタイ航空で中部国際空港を出発し、その日の昼過ぎにカトマンズに到着した。到着後、中国への VISA
申請書を記入し申請は代理店のお任せ、あとは 27 日金曜日の朝に入国 VISA のスタンプが押されたパスポートを受け取ってスタート
という段取りだった。(通常日本人は短期滞在ならば中国のVISA は不要だが、チベットとなると入境許可も必要でカトマンにある中国
大使館で VISA 取得が義務付けられる) 今回の旅も、いつもの CosmoTrek にお願いしていたが、こと中国チベットの旅に関しては専門の
代理店があり Expedition Himaraya.com の Navinという人物がチベットへのハンドリングをしてくれた。が、翌々日になってやや雲行きが怪し
くなってきた。というのも、私の職業欄に放送局勤務であることを記入したことが引っかかったようだ。前にもインドの VISA 申請の際にも同
じようなことがあり、報道機関に勤めていることを伏せて申請した覚えがある。中国という国はチベット問題にはひじょうにシビアな国である。
そこへ報道機関に勤める者が入ってきて、もし取材活動でも始めようものなら・・・ということで果たして VISA が本当におりるのか?再度
代理店を通じ大使館にプッシュしてもらった。 プッシュしてもらった成果が出たのかどうかはわからないが、4/27(金)中国との国境へ向けて
出発する日の朝、無事中国の VISA は手にすることができた。ちなみに中国を訪れた方はご存知かも知れないが 2 人以上になると、団体
VISAとなりパスポートにはスタンプ等押されることは無い。また、出入国時にもパスポートにスタンプは押されないので、何も記録は残らない。
もし VISA がとれなかった場合は、ネパール国内旅行に切り替えてルンビニでも行こうかと考えていたが余計な心配だった。

(写真 L⇒R カトマンズホテルチベット 国境へ向かう道路は変わらず悪い 国境の街ラスワガディ)
11 時にインド製の 4 輪駆動車でカトマンズを出発し通いなれたランタン谷へと向かう悪路を走り出した。途中で昼食をとり 17 時に国境の街
ラスワガディのゲストハウスに到着した。カトマンズから 185Km 未舗装路の悪路をドライバーが巧みなハンドル捌きで飛ばしてきた。この日
の宿泊場所は海抜 1800m くらい?ネパール側出入国の手続きを行うイミグレーションオフィスがゲストハウスの隣にあった。

(写真 国境の街Rasuwagadhiのイミグレーションとゲストハウスの一家)

国境で「地球の歩き方〜チベット編〜」没収
翌 4/28 日(土)朝食を終えると、国境通過のガイドがやってきてネパール側での手続きを代行してくれ、車で中国側ゲートへと向かう。
国境では入国待ちをしているトラックの列が凄いことになっていたが、我々はネパールと中国国境を流れる川に架けられた橋を歩いて渡った。
ネパール側の荷物検査所はブリキ屋根の掘っ立て小屋だが、眼前にある中国側イミグレーションの建物は非常に巨大で国力の違いとともに
威圧感を感じる。しかも緑色の制服を着た中国人係官はこれまた非常に冷徹な感じで、時間を聞いても顎でガイドに聞け!という 感じである。
ここで時計を中国時間に合わせる。中国は北 京時間に全土統一しているため 2 時間 15 分時計 を戻さなければならない。従って朝は 7 時頃
で も薄暗く、夜は 8 時でもガンガンに明るい。こ のイミグレーションでは中国側からガイドのニ マ氏(チベット人 44 歳)が迎えに来てくれ、
手 続きを手伝ってくれた。ザックを開けられて持 ち物検査の後、X 線検査もある。

(ネパール中国国境沿いにはトラックがイッパイ 国境の橋を歩いて渡る)
この X 線検査 で本を持っていると中身のチェックである。恐らくダライ・ラマ関連の写真が無いか?などのチェックをしているのだと思うのだが、
今回は「地球の歩き方〜チベット編〜」が引っかかっ た。没収するというのである。「WHY?」強い言葉で聞いてみたら早口の英語でまくし立てて
きやがった。どうも本に書いてある国境線は中国の主張している国境線と違うから、と言っているようだ。「それならばその地図のページだけ
破ればええやないか?」と言ったのだが、それではダメなのだ・・・と言う。まったくもって訳のわからないのが中国である。こんな所 で官憲と
やりあっても時間の無駄だ。 ロボットのような官憲には日本語で「アホか!?」と捨て台詞を残して、早々に退散することにした。こんなことは
ガイドのニマ氏も初めての体験のようだった。こんなこともあろうかと?地球の歩き方の重要なページは日本でCOPY してファイルに入れて
おいたが、こちらの方はノーチェックだったのが助かった。他にはスマートフォンの中の写真もチェックされた。ここにダライ・ラマの写真や H な
写真などが入っていると、即刻別室でのお取り調べになるのだろう・・・中国というのは恐ろしい国である。
ガイドのニマ氏はドライバーも兼ねている。中国側の駐車場に止めてあったワンボックスカーで
ケルンの街まで移動を開始、走ってみて驚くのは道路の良さである。

(中国側のハイウェイ ケルンのホテル ケルンの街)
ネパール側の未舗装のガタガタ道とは比べようもないピカピカ!!できて間もない感じの
アスファルト2車線の道路がずっと伸びている。そして、ネパールへ再入国する通関待ちトラックの車列の長いこと!数kmは続いていた。
12 時半ケルン(標高 2900m)の街のホテルに到着。ケルンはネパールとの国境が開いたために急遽できたような印象の新しい街である。
ちょうどネパールのガネッシュヒマール山群の チベット側に位置する関係である。 ここのホテルで初めて日本人に出会った。と言うか、
この旅の最初から最後まで出会った日本人はこの方、一人だけである。川崎市に住むばんだいさんと言う 78 歳のおばさんなのだが
この方がまた凄い方なのである。ネパールはこれで 17 回!も来ていて、主要なトレッキングルートはもうすべて歩いておられるとのこと。
ヨーロッパや中南米も旅して 62 回!一人暮らしなので自由に暮らして一回きりの人生を死ぬまで楽しもう、と考えている方のようだ。今回の
目的地は我々と同じカイラス巡礼で、カトマンズからネパール人のガイドを一人雇い(日本語堪能)さらにチベットに入ってからはチベット
人ガイドと 3 人で旅をしている。彼女はお抱えのネパール人ガイド氏の分の旅費も支払っているのでトータルはかなりの額の旅費になる。
高齢で今回の山旅は大変だろうと思っていたが、よく食べるし元気そうだ。高度の高いトレッキングコースもよく歩いていらっしゃるようで
私よりも元気そうだった。坂大さんとはこれから先でもよく出会ったので、姿を見かけなくなると気になった。

いよいよ高山病の洗礼!?
ケルンに一泊して翌 29 日は次の街ケルンシェング(3950m)に泊まるものと思っていたが、ガイドのニマ氏によればケルンシェングは非開放
都市で外国人は泊まれない!と言う話である。仕方なく我々は次の街サガ(4610m)まで行くことにした。この日の移動距離は 190Km、そのうち
65Km は未舗装路だったが、ネパールのそれとは違って広く走りやすいダートが続いていた。 朝 9 時 20 分にはケルンをスタートして、荒涼たる
大地に伸びるハイウェイを快適に進むが、高度はかなりのものである。12 時標高 5236m の峠を越えたが道の両側は雪があり、空から時折白い
ものがチラついてくる。 途中ではかなり道路工事が行われていて、ここ数年のうちにすべて舗装された素晴らしい道路に変わっていくのだろう。

(サガまではいくつも標高5000mを越える峠を走る)

(サガへ向かう道路はいたるところで工事中 サガのホテル 昼食は本格的中華?)
サガのホテルには 14 時 15 分に到着。本場の中華料理?麻婆豆腐とライスで腹ごしらえをし、市内を歩いて散策するがみやげ
物などを売っているような店は一切ない。スーパーマーケットへ行ってミネラル水とリンゴを購入。高地に入ると水分補給が重要である。
この日の宿には暖房設備がなかった。外気温 10℃くらいなので結構寒いが、暖房がない代わり?にベッドに電気毛布が入っていた。
が、結果的にこれが良くなかった。寝ているうちに暑くなり過ぎて汗をかき、一時的な脱水症状に陥ったようだ。脱水症状は高地では致命的
である。夜中の 2 時頃だったと思うが、急いでペットボトルの水を飲んで水分補給する。寝られないのでいろいろなことを考える。頭痛は無く
なっていたが食欲が全くない。2900m のケルンからいきなり 4610m のサガまで上がってきたのだから、通常であれば高山病の症状がでて
も何らおかしくはない。朝になったら、どこか低い街に移動するか?ケルンへいったん戻ることを考えた方がいいか?思いは巡るうちに朝に
なった。1.5 リットルあったミネラル水は朝までにすべて飲み干したので、スーパーで買い足してきた。朝食は全くのどを通らないまま、結果的
には次の街タルチェン(4670m)へ向かって進むことになった。本来の予定では高度順化のためマナサロワール湖畔に宿泊することになって
いたのだが、この時期はまだ湖畔のロッジは営業していないという話である。ここでもまた、本来の予定から外れてしまった。おまけにホテル
での WiFi 接続はできるものの、Net の速度は遅いうえ LINE や facebook は接続不可である。すべてにおいて思うようにいかないことでやや
ストレスが溜まり気味になってくる。朝は 9 時頃にスタートしたが昨夜雪が降ったようで、車がうっすら白くなっていた。タルチェンまで 500Km!
途中の 250 qの地点で昼食になったが、私はほとんど食べられずN村氏も食欲があまり無い。私は食堂を出たところで気分が悪くなり食
べたものを戻してしまった。 ここまで来ると高山病の症状である。頭痛は無いが内臓系が高山病?のようで、下痢気味なのと全く食欲が
沸いてこない。 我々の乗った車は所々休憩をはさみながら、ほとんど景色の変わらないチベット高原をひたすら西へ西へと移動してきた。
マナサロワール湖の近くまで来ると遥か彼方にカイラスの山が見えてきた。どこから見ても一目でカイラスとわかるのが素晴らしい。

(カイラスのよく見える場所にはだいたい五色のタルチョが掲げられている)
左手にはナムナニ峰(7694m)が見える。1985年に日中合同登山隊で初登の山だ。こちらは真っ白な雪を頂いているなだらかな山である。

せっかく来たのでマナサロワール湖の畔に出てみた。シーズンオフということもあってひっそりとしており、ロッジはどこも閉まっていて
寒々しい景色だった。 この日の宿泊地タルチェンはいわゆるカイラス巡礼の登山基地と言ってもいい街である。タルチェンのホテルには
19 時 40 分着。 ホテルというよりは簡易宿泊所的な感じであるが、WiFi は使えた。20 時を回ってから近所の食堂へと出かけるが、
まだまだ明るい。同じ食堂に先日のばんだいさんがいた。だいたい外国人の宿泊所と食事場所は限られているようだ。

(写真 タルチェンの街の奥にカイラスが白く見える 食堂で出会ったばんだいさん パルスオキシメーター)
ここの食堂で食事のついでに血中酸素濃度を計測してみたら74、心拍数は少し動くだけですぐに100以上になる。

5/1 タルチェン⇒ディラプクゴンパ(5080m)
いよいよトレッキングのスタートである。8時半にパンケーキとお茶で腹ごしらえをし、近くの駐車場から登り口のタルボチェまでバスが
出るので乗せてもらう。他に何人か外国人旅行者も一緒に乗り込みスタート地点へと向かう。バスはほんの 10 分ほど走っただけで到着。
この街でガイドのニマがチベット人ポーターを雇ってくれ、4人でドルマ・ラ越えの巡礼旅となった。


ここからいよいよカイラス一周が始まる。歩き出していきなり五体投地で巡礼の人達に出会う。額が地面に着くまで祈って歩く姿は、
不思議を通り越して感動的でもある。 五体投地は一人ではなく家族など数人で行くのが普通のようで何組も途中で出会った。
まさしく映画「ラサへの歩き方」の世界とまったく同じである。

この日はディラプクゴンパまで 14Km 歩くという話だったが、高度があることとあまり食べていないこともあって思ったより早く進めない。
しかし、今まで写真でしか見ることの無かった世界が目の前に広がっていると思うと、気持ちだけが先走り、先へ先へと進みたくなる。

(カイラス巡礼の人達は誰にレンズを向けても快くOKしてくれる)

途中のタムディン・ドンカンというプレハブ小屋のある場所でカップヌードルの昼食にするが、ほとんど食べられなかった。自分で持参した
レーションで栄養補給することとする。 この昼食の場所でまたしてもばんだいさんに追いついた。高所順応がうまくいっているのか?私よ
りも遥かに元気そうだ。短い休憩時間だったが、この先どれくらいかかるのかわからない。重い体に鞭打って先に進む。このルートは
車道がずっとできていて、高山病の病人が出た場合などは US$100 で麓までランドクルーザーにてレスキューしてくれるとの話だった。
また、チベット人巡礼者達も途中に車を止めて、五体投地をしている。その日の宿泊場所を決めると車をそこまで移動させ、テントなどを
張って泊まり翌日そこからまた五体投地を始めるようだ。結構いろいろな場所に車は止まっていて、家族でハイキング気分?で巡礼に
来ているような雰囲気だった。16 時 15 分ディラプクゴンパ到着。とても長く感じた・・・疲労困憊。

(チベット人巡礼者の人達のテントが所々にある やっと見えたディラプクゴンパ ここまで来てようやくカイラスが見える)

(いつも写真で見かけるカイラス山 北面から眺めるとかっこいい!)

(現在大きなホテルを建設中 高台からゴンパ方向を眺める ゴンパにはラマが7〜8人いるらしい

(ゲストハウスの食堂ストーブがあって暖かい ゲストルームはベッドが3つあった)
ゲストハウス(招待所)のベッドに転げ込むように横になり休んだ。それでも、今後のことを考えると少しでも高い所を上がっておかなけれ
ば・・・と思い、招待所の裏山のチョルテンまでやっとの思いで上がった。このディラプクゴンパでは、ものすごく立派なホテルを建設中で
来年オープンの予定だそうである。しかし、厳しい自然環境の中での作業でもあり建設は大変そうである。しばらく景色を眺めてから下山。
夕食は日本から持ってきたレトルト食品を少しだけ食べ、早めに休むことにした。 この旅の中では最高高度の 5000m を越える場所
での就寝だったが、寒くもなく疲れていたこともあってよく眠ることができた。


5/2 ディラプクゴンパ⇒ズトゥルプクゴンパ(最高高度 5660m ドルマ・ラ越え)

(朝7時だとまだ薄暗い 準備を済ませて登ると早くも五体投地で巡礼の人がいた)
この日は暗いうちからの行動である。何としても峠を越えてズトゥルプクゴンパ(4820m)まで降りなければならない。8 時に出発して長い
長い登りをゆっくりと進む。大きな荷物はポーターが担いでくれているのだが、いかんせん空気が薄いことと食べていないこともあって力が
出ない。時々ふらつくことがあるので、ポーターが横から支えてくれありがたかった。雪が 10pくらい積もっているが、五体投地の人達は
そんなことはおかまいなしに祈り続け歩いている。 ここはもうひたすら歩き続けるしかない。歩かなくては終わらない。

少し歩いては休みを繰り返して少しずつ高度を上げていく。そのうち誰か上から駆け足で降りてきた。
よく見るとあの坂大さんの雇っているポーターだ。話を聞くとばんだいさんは途中まで上がってきたものの、
やはり厳しかったようでガイドから下山することを勧められ、峠を登る途中から下ることにしたそうである。
そのため先行していたポーターも下ろされ一緒に下山することになったようだ。



簡単に思えたカイラスだが、やはり高度もあり一筋縄では登れない。 12 時ようやく峠に到着した。これまでの苦労が
報われた気分である。チベット人の巡礼者たちはみんな嬉しそうにはしゃいでいる。雪の中、五体投地をしていた青年は、
カメラを向けるとさっとポーズをとってくれた。みんな写真を撮ってくれと言ってくる。皆それほど登山をするような恰好ではなく
むしろ軽装な感じで登ってきているのにちょっと驚いた。チベット人にとってはやはりカイラス一周というのは遠足のようなもの
なのかも知れない。レンズを向けるとみんないい笑顔を見せてくれた。

(ようやく着いた峠 五体投地をしていた青年足元にここまでやった、というラインが引いてある 峠の記念写真ガイドとポーター)
あまり峠に長居はできない。この日はひじょうに長い下りも待っている。ドルマ・ラから急な下り坂を下りるが、途中に通過した
ヨクモ・ツォという湖は青く凍っていた。氷上を歩いて渡るが、ルートを間違えると滑り落ちそうになり危険である。私たちのガイドは
道を間違えた西洋人に一生懸命道を教えていた。14 時急な坂を下ったところにあるテント茶屋(5118m)で昼食休憩にする。


相変わらず何も食べる気が起きないので、コカ・コーラを頼んで自分の持っているレーションで栄養を摂る。
ここまで峠を越えて降りてくることができ、何となく今までの重圧感は無くなり気が楽になってきたのは確かである。

(坂を下り切ったところにあるテント茶屋 チベット人巡礼者たちはツァンパを食べていた)
これから先は川に沿って緩やかに下っていけばいいだけだ。それにしてもこの山の中にこれだけもの人がいたのか?と思うほど
たくさんの人が降りてくる。 チベット人の巡礼者がほとんどだが、中にポツポツと外国人トレッカーの姿も見える。 テント茶屋はちょうど
急な坂道を下り切った場所にあるので、休憩する場所にはもってこいである。次から次へとお客さんがやってきて休憩していくため商売繁盛だ。
テントで作られているが中はストーブが焚かれていて暖かい。テント茶屋から先はずっと車道が続いている。 体調不良の人が出た場合などは、
ここからレスキューのための車が麓へ向かって走る。道はほとんど平地を歩くようになだらかで、ひたすら歩けばいいのだがいかんせん遠い!

(チベット人巡礼者の一行は遠足気分?で巡礼を皆楽しんでいるかのようだった)

道を歩いていると、完全装備でのモーターバイクの一団や、巡礼中の人達とよく出会った。みんな巡礼は心穏やかになれるのか?
笑顔で「タシデレ!」 と話しかけてくる。やはり家族や親戚同士で巡礼の旅をするのだろう(このあたりは映画「ラサへの歩き方」と同じ)
我々にも食べ物を分けてくれる家族もいた。 この下りの道路、横には所々茶屋や宿泊できる場所があるが、ガイドは一向に立ち寄る
気配がなくずっと歩き続ける。ようやく向こうに建物が見えた!と思っても素通りの繰り返し。さすがに疲れと空腹で力があまり出なiい。
ほとんど歩く屍状態である。空を眺めるとハゲワシが自分の頭の上を飛んでいたかも知れない。 またしても疲労困憊で 19 時ようやく
ズトゥルプクゴンパ(4820m)に到着した。朝 8 時に出発して 5660m の峠を越え延々11 時間の山旅だった。19 時とは言ってもまだまだ
明るい。このゴンパでも新しいホテルの建設が始まっていた。中国国内から、インドからそして今後増えてくるであろう外国人トレッカーに
向けての対応なのだろう。 ゴンパ(寺)の横にあった食堂で夕食にするがこれまた疲れすぎて食欲がわかない。持参したチューブ入り
ハチミツで栄養を補給。相変わらず水分だけは多くとるよう心掛ける。招待所は 5 人部屋のドミトリーだったが、私とN村氏の 2 人で
部屋を広く使わせてもらえ助かった。とにかく目標にしていたドルマ・ラ越えは終わった。

(このゴンパも新しいゲストハウスを建設中 我々はお寺の中にあるゲストハウス?に泊めてもらった)
これ以上高い所へ登らなくてもいい・・・と思うだけで、解放された気分になって気持ちよく眠ることができた。

(ガイドブック チベットに掲載されているカイラスマップ)

5/3 ズトゥルプクゴンパ⇒タルチェン ⇒一気にサガまで移動
この日は朝食をとらずに 7 時 45 分出発。天気は、カイラスに入ってから一番悪い。どんよりとした曇り空で時々雪がチラついてくる。
昨日降りてきた谷の上部を眺めると雲で見えない。ガイドの話では上部は雪で、これが昨日だったら恐らく峠越えは無理だっただろう、
という話だった。 歩き出してほどなくすると雪がしんしんと降り出し、本当の雪中行軍となった。誰も何もしゃべらずひたすら黙々と歩くのみ。

(朝8時前のストゥルプクゴンパ 振り返った峠の方から雪雲降りてきてやがて真っ白になった)
ふと先を見ると、この雪の中で五体投地をしながら進んでいる一行がいる。ここまでして祈るのか・・・
しんしんと降る雪は一向に止まない。9 時半に着いた村の茶屋に入る。ここで飲んだ一杯のミルク茶が腸に染み通るほどおいしかった。
この日は 6Km 歩いて 4 q車での移動という情報だったが、その通りここまでタルチェンへ移動するため車が迎えに来てくれた。

わずかな距離だったので 10 分ほどでタルチェンの街に帰ってくることができた。ここで朝食のため食堂に入るが、少し食欲もでてきたのか?
カレーとナンを食べることにした。もう歩かなくてもいいことと、高度的にも下がってきたこともあって少し元気が出てきた。

11 時タルチェンを出発して車で、元来た道を走りサガへと向かう。500 qもの道のりだが、もう車で帰るのみなので観光気分である。
帰り際 3 日間お世話になったポーターがストックを欲しい・・・と言うので、あわせていくらかのチップを渡したら車が見えなくなるまで
手を振り見送ってくれていた・・・中国と言う国はあまり好きにはなれないが、チベット人はいい人が多く、私としては好きになれる。
19 時 30 分サガのホテルに到着した。ガイド曰く5ツ星ホテルらしい。

(サガのホテルは新しくて大きくて建物は立派 料理も美味しかったが服務員は良くない)
確かに新しく建物は立派で部屋にも暖房装置があったが、服務員が全くできていない。寒いのにドアは開けっ放し、食事のオーダーを
聞きにも来ない。皿や箸といった小物の準備も全く行き届いていない・・・文句を言えばキリが無いが食べ物はそこそこ美味しかった。
調子に乗って久しぶりに缶 BEER も頂くが、やはり体調はまだまだ万全ではない。下痢になってしまった。高度の影響は内臓には結構
効いているようだ。それでも久しぶりに口にした鶏肉のスープは美味しく感じた。このサガのホテルでシャワーも浴びることもでき、やっと
リフレッシュすることができた。Netもつながり、家族とテレビ電話で話せるようになった。

2泊3日のカイラス巡礼の旅で大変お世話になったハチミツは、もうすっからかんになってしまった。
しかし、この旅でもうお世話になることはないからダイジョーブ。(買っておいてよかった!と思えるイッピンだった)

(どこまでも美しいチベット高原の道をひた走る)

カトマンズへ帰る
翌 5/4 はケルンへ移動。例によってどこまでもまっすぐに続くチベット高原の道をひた走り、5時間ほどでケルンのホテルに着いた。

(サガとケルンの間も標高の高い峠をいくつも越える)
ここまで来ると、標高は一気に下がり体もかなり楽になる。下痢気味なのはなかなか治らないが、体調が少しずつではあるが
いい方向へ向かっている実感はある。ケルンに一泊して 5/5 あの「地球の歩き方」を没収された憎き官憲のいる国境を越える。
国境を越えるまでに何か所もチェックがありそれに時間をとられる。国境手前は多くのトラックで渋滞だが、その脇をすり抜けて進む。

(写真左 奥は中国のイミグレーション手前左の掘っ立て小屋がネパールの荷物検査場 道路は狭い)
驚いたことにオートバイで国境を越える旅人が、何人もいる。しかもひとつのグループではなくいくつかのグループがあって、
バイクだけ止めてまず人と荷物が通関、その後引き返してバイクに乗って国境を越え、ネパールへ入っていくという段取りである。
中国国内の旅行手配業者が通関の手続きまで行い、これからこの国境の街はますます栄えるのではないか?という予感がする。
みんな楽しそうにバイクにまたがりカトマンズへ向け走っていった。 私たちもネパール再入国の手続きを行い(ネパールの VISA は
30 日間のマルチプルを取得)、来た時と違って今度は何の問題もなく国境を通過することができた。ネパールに入国してからも
チェックは多い。この日はネパール全土にバンダというストライキ指令が出されていたことによるのか?いたるところで止められ
もういやになってしまった。チェックしていた兵士に「中国から何回チェック受けとると思っとるんや〜」とあきらめ気味に言ったら、
そいつはニカッと笑ってチェックを止め、無罪放免してくれた。彼らもわかっているのだろう。 ネパールに再入国を果たしたことで、
私自身は17 回目のネパール訪問と相成った。ネパールに入国したとたん人々の目が優しく感じる。人間くさい雰囲気を感じる。
昼食の食堂では WiFi で Netに繋がりLINE も facebook も急に使えるようになった。中国という抑圧された国からネパールへ
入ると、自由の国に戻ってきた!という気がした。 カトマンズのホテルチベットには16時無事到着。

国境の街は面白い!トラックがイッパイ
ネパールと中国の国境の街にはトラックがぎっしり止まっている。しかも、中国側のトラックはネパールへは入らなくて、ほとんどが
ネパールのトラックで占めている。中国を走ってみるとわかることだが、中国国内の道路は幅が広くてまっすぐな道が続いており
トラックはトレーラーを中心とした大型のものばかり。大きすぎてネパールのガタガタ道かつクネクネと連続カーブの続く道を走る
ことは不可能に近い。そこで悪路に強いインドTATA製の中型トラックが、ガンガン走ってカトマンズまで荷物を運ぶという訳である。
そのネパールのトラックの車体に描かれている絵が個性を主張していて面白い。ケルンとネパール側の国境の街で写真を撮った。



これだけ個性を主張したトラックが、ネパールと中国の国境を越えてたくさん走っているのは面白い。
これらトラックを眺めているだけでも結構楽しいものである。


今回のカイラス巡礼日程表

当初の計画されていた日程 実際の日程
4/24  カトマンズ到着  カトマンズ到着
4/25  カトマンズ 中国大使館 VISA 申請  カトマンズ 中国大使館 VISA 申請
4/26  カトマンズ VISA 発給待ち  カトマンズ VISA 発給待ち
4/27  VISA 受領後カトマンズ→ケルンへ  VISA 受領後カトマンズ→国境へ(ネパール)
4/28  ケルン(2900m)  ネパール国境→ケルン(2900m)
4/29  休日 ケルン→ケルンシェング(3950m)  ケルン→サガ(4610m)
4/30  ケルンシェング→サガ(4610m)  サガ→タルチェン(4670m)
5/1  サガ→マナサロワール(4560m)  タルチェン→ディラプクゴンパ(5080m)
5/2  マナサロワール→タルチェン(4670m)  ディラプクゴンパ→ズトゥルプクゴンパ(4820m) 
5/3  タルチェン→ディラプクゴンパ(5080m)  ズトゥルプクゴンパ→タルチェン→サガ
5/4  ディラプクゴンパ→ズトゥルプクゴンパ(4820m)   サガ→ケルン
5/5  ズトゥルプクゴンパ→タルチェン  ケルン→カトマンズ
5/6  タルチェン→サガ
5/7  サガ→ケルン
5/8  ケルン→カトマンズ

結果的に当初の予定より3日も早くカトマンズに帰ってくることになってしまった。


カイラス巡礼を終えて思うこと
永年行きたいと思っていたカイラス、ようやく訪れることができた。
何とかドルマ・ラを越えて一周を果たすことはできたが、初めて訪れたチベットでは数々の問題点が浮き彫りになった。
◎高所順応のためのタクティクスができていない。当初の計画では予定表を見る限り問題なく高所順応できるかのように見えるが、
  実際に中国に入ってみるとその通りにはいかない。最後に事前の予定と実際の行動結果を示したが、ケルンからサガまでいきなり
2000m 近く標高が上がり普通の日本人では、高山病にならないほうがおかしい。                             
◎事前の予定ではサガの前にケルンシェングという 3950m の街に宿泊することになっているが、この街は非開放都市で外国人は
宿泊できない。こんなことは中国サイドはわかっているはずなのに、なぜ予定に入れるのか?結果的にケルンの次の街サガまで
行くしかない。もっとも、今回のチベット入国ルートは新しく開かれたばかりのルートでもあり、中国側の対応が間に合わなかった
ということがあるのかも知れない。もともと、カイラスを訪れるにはラサから入るのが一般的であり、ラサからカイラスへ向かう途中
何日もかかるので自然と高所順応できるようになっている。(日本の大手ツアー会社も大体ラサから入る)新たなケルンルートを
使って訪れるには、ケルンシェングをはじめとして手頃な標高に存在する都市を外国人に開放してもらう必要がある。       
◎また、今回宿泊できなかったマナサロワールもシーズンオフでオープンしていない。これも少し調べればわかることなのだがなぜ
  予定に入れるのか?中国サイドのやり方にはひじょうに不満が残る。結果的に3日早く旅を終えてカトマンズに帰ることとなったが、
短くなった分の旅の費用の払い戻しは全くない。こうなると短く旅を切り上げて、その分の儲けを増やすための作戦なのかと  
勘繰ってしまわざるを得ない。                                                             
◎ネパールからカイラスを訪れるのであれば、 旅の時期も考慮が必要だ。6 月になると雨期になり、カトマンズからケルンへ向かう
 道は崩れやすく行ける保証はない。雨期の終わる 9〜10 月がベストシーズンと思われるが、これ以上遅くなると雪に閉ざされ峠を
越えることはかなり難しくなってくる。 いい時期は 5 月、9〜10 月くらいか?                                
◎中国という国にとってチベットは非常に扱いが難しい存在である。そのためチベットを外国人一人で自由に旅をすることは難しい。
必ず旅行会社を通じ山の場合はガイドの同行が必須である。                                         
   ◎インターネットでの接続も制限がある。検索サイトも使えるところが少なくない。前にも書いた通り LINE や facebook は全く使えない。
     その他にも気が付かない点でいろいろ制限があるのかも知れないが、中国からネパールに戻った途端 自由さを感じたのは事実である。
     いつもは不便なネパールから日本に戻るとその良さを実感するのだが、こんな形でネパールの良さを発見するとは思いもよらなかった。
◎中国という国は好きになれないが、チベットの人たちはガイドのニマ含めみんないい人ばかりだった。                 
 巡礼の人たちは「写真を撮らせて」と言うとみんな笑顔でレンズに向いてくれる。一心不乱に五体投地を続けて祈る姿は感動的だ。
私は宗教にはあまり関心がある方ではないが、チベットの人達の心の中が少し見えたかな?という気がした。            
◎このケルンからカイラスを目指すルートは、ラサから行くより日程が少なく行けるため今後多くの人達が利用するようになると思う。
旅人の増加とともにルートの整備も進み、より多くの方がカイラスを訪れることを望みたい。しかしカイラスを舐めてはいけない!
できるだけ体力のある若いうちに挑戦されることを強くお勧めする。                                     
◎チベット人ガイドのニマと話していて驚いたのだが、チベット人というのはパスポートを発行してもらえないということだった。海外に
出る必要のある要人?は発給されるのだろうが、一般人は持っていない!ようだ。これは中国によるチベット対策の一環なのかも
知れないが、国境のロボットのような表情をした入国管理官の顔が思い浮かぶようだ。ダライ・ラマがチベットに戻ることができて
チベットの人達が自由にどこの国へも行き来できるようになる時代が来ることを祈りたい。                        



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