医療現場での、「譲り合えない」人々
<参考リンク>
「本当は、大丈夫だよって、言って欲しいだけなんだと思う。」 (by 日々の幻想)
「心強さ:診察室で差し上げる一服のお茶」 (by 空を歩く)
ある日の外来のことだった。ひとりの患者さんが入ってくるなり、「なんでこんなに今日は遅いんだ!」と怒鳴り散らしてきた。いつもはこんなに遅くないのに、自分はこれから人と会う約束があるのに……と。
そう言われても、僕だって困る。今週は祝日があったためにただでさえ外来予約はいっぱいいっぱいで、しかも、そういうときに検診異常で精密検査依頼の患者さんたちが、次々とやってくる。そして、いわゆる「悪性」の疾患について、デリケートな話をしなければならない患者さんもいた。
僕はその人に対して、大声で言い返したかった。
「こちらはちゃんと順番に診ているんだ。なんだったら、診察室をガラス張りにして、目の前のお茶にすら口をつけずに働き詰めの姿を見せてやろうか」
「だいたい、あなたは病気というのが、スケジュール通りに動くと思っているのか?外来予約の日は、余裕を持って予定を組んでおくほうが、むしろ『当然』じゃないか」
「そもそも、そんなに待たされるのが嫌なら、他所に行ってくれ!もっと早く診てくれる病院だってあるんだろうから」
僕たちからすれば、そういう患者さんは、文句を言うことそのものが目的なのではないかと思う。彼らは、医療関係者が「言い返せない」ことを知っていて、そんなふうに強い態度に出ているのではないか、と。
そりゃあ、僕だって自分が遊んでいて遅くなっていれば、罪の意識だってあるに違いない。でも、本当に真面目に朝から診察を続けているにもかかわらず、そんなふうに責められるというのは、悲しくて仕方が無い。行列している飲食店に自分から並んでいるのに「どうしてこんなに待たせるんだ、俺は客だぞ!」とか叫びまわる人がいれば、それはもう、単なるクレーマーなのではないのか。
まあ、サービス業というのは、常日頃からこういう「クレーム」にさらされているのだし、それも「給料のうち」なのかもしれないが……
もちろん、こんなことを実際に口にするわけもなく、僕は「ごめんなさい、頑張って診ているんですけど、今日は朝から急患の方も多くて…」などとなだめて、相手のオッサンは、「ヘン、今度から気をつけろよ!」とか言う態度で去っていったりするのだ。サービス業って、本当に悲しい。
田舎では、「早く診てくれ」という人ばかりなのだが、実際には、全員を「早く診る」なんてことは、できるわけもないのだ。
でも、そういうことを「わかってくれない」患者さんも、けっこう多い。
そして、そういう患者さんの大部分は、他の人のことはともかく「自分が大事にされていない」ということだけに、腹を立てて医療関係者に八つ当たりをする。
「ごめんなさい」と謝ったあとで、僕はとても悲しくなる。
自分はただ、順番に一生懸命診察していただけなのに、なんでこんなに責められて、謝らなければならないのか、と。
あるいは、何かをこちらがやるたびに「医療ミスじゃないのか?」と叫ぶ患者さんがいる。そういう人たちは、「医療ミス」という言葉を口にすることで、僕たちが緊張して真面目に診療したり、自分をVIPとして扱ってくれると期待しているのだろうか。こう言ってはなんだが、こういう人たちは、基本的に人としての想像力に欠けている。
「もし、あなたが医者という立場だったら、すきこのんで『医療ミス』とか『手抜き医療』とかをやりたいと思いますか?」
目の前で苦しんでいる人がいて、その人に格別の恨みも無い場合、普通の人間だったら、『この人を助けたい』『ラクにしてあげたい』と思うのではないだろうか?でも、そういう「一般的なメンタリティ」は、人が「医者」という職業に就いたとたんに雲散霧消し「患者のことなんて、どうでもいい」とか「手抜きしてラクしよう」とかいう暗黒面に支配されてしまうと考えている人が、けっこういるようなのだ。そんなの「治せるものなら治したい」し、「助けられるものなら、助けたい」に決まっているじゃないか。それが「普通の人間」の感情ってものじゃないかい?少なくとも、僕の周りの医療者たちは、あなたの想像力の枠外にいます。
ましてや、医者なんて、本当に「医療ミス」をすれば、レッドカードを出される職業だ。職業人としても、社会人としても、抹殺される危険もある。
「医療ミスなんて、やれと頼まれたってやらねえよ!何のメリットもないもの」としか、言いようがない。
そういう患者さんに限って、「待つのが嫌」とか言いながら、ちゃんと検査ができない夜中とかに「3日前の朝から痛かった」とやってきて、「どうして検査もできないんだ、医療ミスでもしやがったら、訴えるぞ」と騒ぐ。そんなに心配なら、そういう「リスクの高い時間帯」に来ることが、もっとも改善すべき問題点だと思われるのだが。
こういうときには、「じゃあ、もし医療ミスをしなかったら、あなたは僕を侮辱したことを謝罪するか、慰謝料として取るつもりだった金額の100分の1でも僕にくれますか?」と言い返したくなるのだ。「医療ミスなんて、しないのが当たり前だろ!」そう思うのなら、わざわざ「医療ミスするなよ!」とか騒ぎ立てる必要はないように思えるのだが。もしその人が「問題患者」でなければ、ラーメン屋で「ラーメン」と頼めば普通にラーメンが出てくるように、病院では「適切な医療」を提供することになっているのだ。
まあ、えてして人間というのは、自分を特別なものだと思わせたい意識があるのだけれど、その発露が「医療ミス」だと叫ぶことだというのなら、それほどバカバカしいことはない。
そして、医者というのは、ときにはある感情の「捌け口」にされる。例えば、末期ガンの患者さんのところに最後にやってきた身内は、病院にやってくるなり「先生、なんとか助けられないんですか!くそっ、こんなに酷くなっているなんて知らなかった…これは医療ミスじゃないのか!」と医者に不満をぶつけたりする。ずっと患者さんの傍にいた人たちは、現在の病状が一朝一夕のものではなく、一種の「寿命」であることを認識している。でも、こういう人は「自分がいかに身内思いであるか」をアピールするために、医者に食ってかかるわけだ。そして、「なんてことを!」と身内にたしなめられたりする。だいたい、「どうにかなる」のなら、聞かれなくても、もうやってるさ。
医者のサイトやブログで、救急外来などでの「悲しい出来事」についての記事を目にすることが、最近多くなってきた。もちろん、度重なる「医療ミス」に関する報道で、患者さん側も神経質になってきているというのはわかる。そして、今まで「患者さんよりも立派な椅子に座って、偉そうにしている」存在だった医者たちにも「サービス業」としての気配りが求められる時代になった。
最近、僕は思うのだ。患者側の「権利意識」と医者側の「危機意識」は、果たして、医療を良い方向に変えているのか、ということを。患者側は、自分の権利を主張しているようで、実のところはまったく効果のない示威行動を救急の現場でやっていたり、医者側も患者側の良心を信じられず、「とにかく訴えられないように」というようなことばかり考えてしまっている。相互不信は、高まる一方だ。
患者側も医療側も、もう一歩ずつ謙虚になれば、全然違うと思うのだけれど。
医療側も苦しんでいる患者さんに対しては、もう少し温かい対応を心掛けるべきだろうし(とはいえ、「問題患者」というのは、全然苦しんでいないからこそ、そういう酷いことを言えたりするものなのだが)、患者側も、恫喝なんかに頼らずに、疑問に感じることは冷静に尋ねてもらいたいし、自分の身を守るためにも、できるだけ診療時間内の受診を心掛けてもらいたい。夜間の救急診療をやっているすべての病院が、救命センターではないのだ。
患者さんたちが「大事にしてもらいたい」のと同じように、医者だって「信じてほしい」のですよ本当のところは。1日働いて、しかも睡眠時間を削って当直しているのに(しかも、翌朝からは普通に1日仕事!)、罵詈雑言なんて、浴びせられちゃあかなわないのです。そりゃあ、具合が悪ければ機嫌も悪くなるだろうし、日頃の生活のストレスもたまるに決まっています。でもね、医者にとって最大のプレッシャーであり、やりがいでもあるのは、「この患者さんは、自分のことを信用してくれている」という感覚なのですよ。
だいたい、自分のことを信じていない相手に「だいじょうぶ」なんて、言えないよ……
それにしても、昨今の「とりあえず文句を言っておかなきゃ損!」みたいな風潮って、どうしてこんなに一般的になってしまったのだろうか?医者と患者がお互いの権利を主張していがみあうことが「社会的な進歩」なのだろうか?
僕は古くて甘い人間なので、外来の時間が遅くなったら、医者は「診察が遅くなってすみません」と謝って、患者さんは「いいんですよ、忙しくて大変ですねえ」と答えてくれるような世界のほうが、お互いに気持ちよく付き合っていけるのになあ、なんて、つい考えてしまうから…