「患者は、わかってくれない」


参考リンク:弐式沿岸警備日誌改「善人たちの庭」


 僕がまだ学生で、病棟実習をやっていた頃の話です。
 実習ではいろいろな科(内科、外科、小児科etc…)を数週間ずつまわっていくのですが、初日の最初にはその科のオリエンテーション(日程の説明みたいなもの)があります。そのとき、僕たちの学生担当の先生が、こんなことを僕たちに尋ねました。

「お前たちは、どんな医者になりたい?」

 そういう質問というのは、僕たちにとってはごくありきたりなもので、脊髄反射で答えられそうなくらいなのですが、この場合は今後の実習の成否を左右する学生担当の先生相手ですから、僕たちは少し慎重になりつつこんなふうに答えました。

「患者さんに信頼され、愛される医者に」

 それに対して、先生は、苦笑しながら、僕たちにこんなふうに言いました。

「俺は、医者に評価されるような医者になりたいな。まあ、お前たちにもそのうち、わかるかもしれないし、わからないかもしれないけどね」

 そして、その「解答」について、それ以上の説明はありませんでした。
 正直、そのときの僕の感想は、「なんだか感じの悪い『解答』だなあ」というものでした。医者は「患者さんのために働く」職業なのだから、同業者の評価なんて、そんなにこだわる必要はないだろうし、ましてやそれが「目標」なんていうのは、不誠実なのではないか、と思ったのです。

 …あれから10年、僕は、あの先生が「言いたかったこと」が、よくわかります。それに全面的に賛同できるかどうかはさておき。
 上記リンクの文章で挙げられている例というのは、いわゆる「極端な例」ではあると思うのですが、医療の現場、それも一般病院や個人経営の診療所などの現実をみると、こういう類の話は、けっして珍しいことではないような気がします。
 この例に挙げられているのは、糖尿病の治療なのですが、僕は以前研修医時代に外来のバイトである診療所に行ったとき、そこで治療されている患者さんに、血糖のコントロールが悪い人があまりに多いことに驚愕した記憶があるのです。「どうしてこんな、いいかげんな治療をしているんだ!」と、そのときは内心憤りながら、「こんな医療は、不誠実だ」と一生懸命患者さんに食事療法や運動療法について説明しました。
 大部分の患者さんは、「そんな話は、もう聞き飽きた」というリアクションだったのですけど。

 その後僕も一般病院で働くことになり、外来をやることになったのですが、実際のところ、「大学病院での医療」とのギャップには、少なからず驚かされました。患者さんは大学病院に比べて、病院に「親しみ」を持ってくれている一方で、「マイペース」というか、「わかってくれない」人が多かったのです。かなり糖尿病が悪化していて、食事療法や運動療法を勧めても、その場では「わかりました」と言っても家では全然できない人や、ちょっと調子がよくなるとすぐに通院をやめて、またすぐに悪化して入院を繰り返す人、薬を処方しても内服してくれない人……
 医者からすれば「言う事を聞いてくれない、自分の体を大事にしてくれない患者さん」というのは、そんなに高い割合ではないにしても、やはり、少なからずいらっしゃるものなのです。
 医者として「厳しく指導」すれば、逆ギレして「そんならお前が食事療法とかやってみろ!」という捨て台詞を残して帰ってしまう人だっていましたし…
 「すべての人は、『理論上正しいこと』の前では、その正しさに従う」というわけではないのが現実だと、打ちのめされたことは一度や二度ではありません。
 でも、そこで思考停止してしまってはどうしようもありません。
 それでは「厳しいことを言ったら、嫌気がさして病院から足が遠のいてしまうような人」をどうすればいいのか?ということを、現場の人間としては考えざるをえないのです。

 「医学的に正しいこと」をプロとして貫く代わりに、患者さんがそれについていけずにドロップアウトしてしまうリスクが高くなることを受け入れるべきなのか、それとも、「優しく(甘く)接して、せめて病院で状況確認だけでもしておいて、最悪の状況からは少しでも遠ざけるようにする」という妥協をするべきなのか、それはいつも、ものすごく悩ましいことなのです。
 医者として「負け犬の発想」なのかもしれませんが、僕は後者の「妥協」寄りになってしまう機会というのがけっこう多くて、参考リンクのHarrityさんのように「今日は優しすぎた(甘すぎた)かもしれない…」という後悔の念にかられます。「(本当は病気には悪いけれど)少しくらいならやっていいよ」というのは、医者としては「ベストを尽していない」わけですから。
 個人病院レベルの話であれば、「あまり厳しく言うことによって、患者さんが離れてしまう」ことへの不安もあるでしょうし、やっぱり、なかなか「プロとしての正論」を振りかざすのは難しいのだろうなあ、とも思うのです。誰も患者さんが来なくなった病院の診察室で、いくら「正論」を叫んでみても、どうしようもないでしょうし。

もちろん、こういうのは「説明のしかた」というのがありますし、厳しく言っても患者さんに感謝される場合もあるし、こういう難しいことをうまく説明できる人というのも存在します。ただ、それとは逆に、どう説明しても受け入れてもらえそうもないような、「のれんに腕押し」みたいな状況も存在するんですよね…

 「やっぱり開業医は、技術だけじゃなくて口のうまさも必要」なんて話は、よく耳にするところです。そして実際のところ、説明技術というのも医者の大事な能力であるのですが、「厳しいことを言う医者は嫌われやすい」のは事実でしょう。誰だって「自分が聞きたくないことを言う人」を好きになるのは難しいですから。

 ただ、僕の経験上「医学的に正しいこと」を錦の御旗にしてしまって、「できない」患者さんを「どうしてできないんだ!」と一方的に責め立てるような医者も、けっして少数派ではないんですよね。それはそれで、本人は自分の正義に酔っていればいいのかもしれないけれど、「正しいこと」というのは、つきつけられる側にとっては、逃げ場がないだけに結構辛いだろうな、と感じます。「ほら、俺の言っていることは正しいだろ!間違っているのはどっちだ?(意訳)」というような状況に置かれたら、逃げ出したくなる人だっているよね、それは…

 とはいえ、やっぱり「プロとしての医者」に求められているのは、「専門家としての的確な状況判断」であり、「一時的な甘い言葉」ではないはずです。「好きなことやってていいよ」と言っていればいいのなら、こんなにラクな商売はないのだから。

 …というようなことを考えれば考えるほど、自分が「同業者から後ろ指をさされるような、いいかげんな医者」に近づいていくような気がしてならないのです。
 そして逆に、「良心的な医者」であろうとする人々が、「あの先生は患者の気持ちをわかってくれない」ということで患者さんから評判が悪くなり、「患者は『正しい医療』を理解してくれない」という患者不信を抱えてしまう場合がある、ということも感じるのです。
 結局は、どこかで妥協するしかないのでしょうけれど、そうすると、多かれ少なかれ、医者というのは「犯罪者的」である、と言わざるをえないのかもしれない。

 ドラマなどで「なかなかわかってくれなかった患者さんが、医師やスタッフの懸命な努力で、最後には医療者たちとわかりあえる」というのを観るたびに、「実際はそんなにうまくいくようなものではないよな…」と僕はボソッと呟きます。心の奥では、「でも、もっと優秀な医者であれば、『説得』することも可能なのかもしれないよな…」と自分の無力を嘆きつつ……