「救急蘇生をしなかった」医師の責任


毎日新聞の記事より。

救急蘇生講じず
 「何ら適切な救急蘇生措置を講じず、無為に時間を浪費した」――。宇治川病院(宇治市小倉町)で01年1月、城陽市の加藤美嘉さん(11)が心停止状態に陥り重度の障害が残った医療事故で、京都地裁(氷室眞裁判長)は13日、業務上過失傷害の罪に問われた元同院医師(72)=宇治市=の対応を厳しく批判。「医師として余りに基本的な注意義務を怠っており、過失は重大」として、禁固1年(求刑同1年6月)の実刑を言い渡した。一方、判決が「死亡事故に匹敵する重大な結果」と表現したように、美嘉さんは今も両上下肢機能全廃などの重い後遺症を負わされたまま。両親も「私たちは一生この状態と向き合わねばならない」と述べ、医師の怠慢がもたらした傷の大きさを改めてうかがわせた。
 判決によると、被告は同月15日、美嘉さんをじんましんで診察、塩化カルシウムの注射を指示したが、元同院准看護師(64)=同罪で禁固10月の1審判決を受け控訴中=が塩化カリウムを誤って注射。美嘉さんは直後に容体が急変した。堀被告は間もなく美嘉さんが心停止及び呼吸停止の状態と認識したが、駆けつけた別の医師が約20分後に人工呼吸と心臓マッサージを始めるまでの間、立って首をかしげ、考え込む様子を見せたり、美嘉さんの胸や腹を押すような動作を繰り返しただけ。判決は「被告人がすみやかに救急蘇生措置を開始していれば、重篤な後遺障害は生じなかった」とした。
 また、判決は「被告人が指示した塩化カルシウムは86年にはじんましんに有効とする根拠がないとされていた」「被告人があいまいな指示をしたことが注射液の取り違えを誘発した面も否定できない」とも認定。公判で無罪を主張した態度についても「医学的根拠のない独自の理論を展開して正当化を図り、反省する態度は見られない。厳しい非難に値する」と指摘した。
 判決後に記者会見した父嘉津緒さん(47)は「周囲でも医療事故は多い。医療関係者の危機感を強めるためにも、もっと厳しい判決が必要」と訴えた。母恵美さん(41)は「禁固1年で責任を果たせると思わないで」と話し、病院側に対しても「刑事裁判の傍聴にも来ず、謝罪の言葉も一切ない」と憤った。
 一方、被告の弁護人は毎日新聞の取材に対し「控訴を検討したい」と話し、病院側は「判決を真摯(しんし)に受け止める」とコメントした。
 両親と美嘉さんは堀被告ら2人と同病院側を相手取り、約2億6000万円の損害賠償を求める民事訴訟も同地裁に起こしており、7月12日に判決が予定されている。】

参考リンク:医療ミス、医師に実刑、蘇生術怠り障害 京都地裁(asahi.com)

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 各医療系サイトでもかなり話題になっているこの話なのですが、僕も「実刑というのは、やっぱり厳しいな…」と思ってしまいました。これは「偶然の悲劇の連鎖」という印象があったので。もちろん、この連鎖を断ち切るチャンスはあったはずだし、被害に遭った女の子や御家族には何の落ち度もないし、不幸な事件なのですが。

 この宇治川病院というのが、どのくらいの規模の病院かはわかりませんが、被告は60歳代後半でこの事件を起こしています。医者には定年はないとはいえ、普通、60代後半の医師が、手術をガンガンこなしたり、不眠不休で当直にあたったりするようなことはないでしょうから、おそらく、状態が落ち着いている患者さんを外来で定期的に診て血圧の薬を出したり、風邪の処方をしたりしていたのではないでしょうか。「医者なんだから、救急救命ができて当然」と言われるかもしれませんが、実際のところ、そういう「日常診療」を続けている医師にとっては、救命蘇生というのは、けっして身近な技術ではありません。この医師だって、30年前に同じ状況であれば違う対応ができたのでしょうが、やっぱり、救急の現場から離れて長くなってしまうと、すぐに対応できないのも致し方ないかな、という気もするのです。

そして、この事故の悲劇は、「準看護師が、塩化カルシウムと間違って、塩化カリウムを注射した」というところにもあります。

この記事を読んで、僕は「塩化カルシウム」を手元の「ポケット医薬品集」で思わず調べてしまいました。少なくとも僕にとっては、その「塩化カルシウム」という薬は、そのくらい縁遠いものだったのです。そしてそこには「現在では、救命措置には使用されない」と書いてありました(たぶん、この事件のあとに書き加えられた記載なのではないでしょうか)。そこから推測すると、昔はこの「塩化カルシウムを救急蘇生に使っていた」ということなのでしょう。そして、この記事にはそう書いてはいないのですが、この医師は「じんましんに対して、塩化カルシウムを使った」わけではなくて、なんらかの「じんましんに対する、一般的な注射(強力ミノファーゲンとか?)を使用したのではないでしょうか。ところが、予測していなかったアレルギーによってショック状態になってしまったため、自分の知識の中をひっくり返して、あわてて塩化カルシウムの注射を指示したところ、さらにその指示を看護師さんに間違えられて塩化カリウムを注射されてしまった」という悲劇の連鎖が起こってしまったものだと思います。「塩化カリウムのワンショット(一度にビュッと注射すること)での静注は厳禁!」というのは、「研修医御法度」の一番最初に書いてあるようなことですから、正直、この看護師さんに対して「よりによって、なんでそんなことを…」と医者である僕としては考えてしまいます。もちろん、抗がん剤のようなデリケートな薬に関しては、医者が自分で調剤するようになっているのですが、一般的な点滴や救急時の指示などでは、そこにある注射の内容が、自分の指示した通りのもの(あるいは、ラベル通りのもの)であると信じるしかないのです。そういう相互信頼がないと、医療の現場というのはやってられません。強心剤を打つときに、いちいち看護師さんに「この薬、だいじょうぶなんだろうねえ?」なんてイヤミを言うような関係で、まともに救急医療ができるわけもなく。

この状況で、医師が「ボーっとして処置をしなかった」のは、「動転して何もできなかった」のかもしれないと思うし(いやまあ、そういうときに「動転して何もできないなんて、医師失格!」と言われればそうなのかもしれませんけど、そういう状況というのは、なってみなければわからないような気もするし)。それに、以前書いた「和歌山カレー事件」のときもそうなのですが、後付けで「それに見合った処置をしなかった」と責められても、僕だってリアルタイムでその場にいれば、その現代医学的な有効性はともかく「塩化カルシウムが注射された」と信じているに決まっているし、「塩化カリウムが注射された」なんて、看護師さんから直接報告がなければ、考えもしないと思います。「塩化カリウムをワンショットで注射しない」なんていうのは、そのくらい常識的なことだから。

ハッキリ言うと、この医師は時代遅れの医療をしていたし、救急対応もお粗末だったと僕も思います。医者として、そうだとしか言いようがない。でも、実際に日本の医療の最前線の一部が、こういうセミリタイアしたような、高齢の医師たちによって支えられているのも事実なのです。地方のごく一般的なお年よりの医療や施設の医療を担当するような仕事をするような医者には、「救急対応とかは(設備の問題もあって)できないけれど、日常診療のベテラン」がたくさんいらっしゃいます。一度こういう事故があったからということで、どんなに軽い病状の人でも、救急救命センターで診るなんてことができるわけもないし、実際にそうなってしまえば、日本の医療が破綻してしまいます。それこそ、医療費がさらに跳ね上がっても構わないのならともかく。

【「周囲でも医療事故は多い。医療関係者の危機感を強めるためにも、もっと厳しい判決が必要」】という御家族の言葉は、身に沁みます。僕もなるべく自分をアップデートしていかなければならないと思いました。

ただ、その一方で、「医療関係者の危機感」というのは、「自分の技術向上」という方向よりは「いかに訴えられないか」ということに向かっていると最近感じることが多いのです。この事件の場合には、被告の医師も「逃れられない状況」であったのですから致し方ないとしても、「小児のたらいまわし」などというのは、「何かあったら訴えられるから、自分のところでは診ない」という「自衛策」でもあるわけです。あの一関のたらいまわし事件でも「専門ではないから」と診なかった医師たちは、少なくともおおっぴらに非難されてはいないのですから。むしろ、胸をなでおろしているのではないでしょうか。

余談ですが、「命の価値」というようなものについて、最近の医療訴訟では考えさせられます。和歌山のカレー事件で亡くなられた子供にしても、「医療ミス」ということで民事で賠償が課せられましたが、ああいうのも含めて「悲劇の責任を医療者に対し、過剰にとらせている」ようにも思えるのです。この事件だって、亡くなったのがお年寄りだったら、果たして実刑になったのかどうか?とも考えてしまいます。

子供が亡くなったり、重い障害が残ったりするのは「悲劇」だけれど、「被害者がかわいそう」だから医者の罪が重くなるというのは、ちょっと不思議な話です。医療ミスは誘拐事件とは違うのですから、あくまでも、そのときの患者さんの状態と、そういう結果が予測可能だったかどうかに基づいて判決を出してもらいたい。亡くなったのが子供でも90歳のお年寄りでも、「ミスはミス」だし、「仕方ないものは仕方ない」のではないでしょうか。そういうのは、医療者側の「傲慢」なの?

 プロのタクシードライバーが(故意でなく)事故で人を撥ねて死なせてしまっても、たぶん、実刑にはならないでしょう。そう考えてみると、医者というのは、良くも悪くも「買いかぶられている職業」なのかもしれませんね……