はじめて当直に行った日のこと。


「ブラックジャックによろしく」を読んでいて、僕もはじめて外の病院に当直に行ったときの事を思い出した。
それはもう、7年も前のこと。

 はじまりは、その一週間ほど前。5月の連休明けに医者デビューしたばかりで、
まだ右も左もわからなかった僕に、指導医のM先生が宣告した。

 M先生「おい、お前今度の日曜日、何か用事あるか?」

 僕「いえ、とくに用事という用事は…」

 M先生「じゃあ、俺の替わりにA病院に行ってくれよ。あそこは給料いいし。
朝の9時から24時間だ。翌朝は、その病院の先生が来たら帰っていいからさ」

 僕「えっ?僕まだ、当直行ったことないんでけど…」

 M先生「だいじょうぶ、だいじょうぶ。どうせみんな一度は経験することだし、いい機会だよ、そんなに急患来ないしさ。
なんかあったら、大学の救急に送ればいいって。お前も金要るだろ?」

 僕「はあ…(ほんとは厭だけど、指導医相手なので何も言えない…)」

 というわけで、僕の当直デビューは、いきなり24時間の休日当直、しかも急患ありの病院に決まったのです。
今から考えると、もう無茶苦茶な話なのですが。

 そして、当日の朝。「救急当直医マニュアル」や「本日の治療指針」
「朝倉内科学」(いまから考えると、これほど非常用に向かない本はないと思う。重いだけだった…)
など、バックがパンパンになるほどの参考図書で完全武装し、僕は当直に向かったのです。

 まず、当直室に入り、荷物を置いて、椅子に座って待機。
 今だったら、まずパソコンの電源を入れてみたりするのですが、当時はそんな余裕もあるわけがなく、
「当直医マニュアル」「当直ご法度」などを読んでいたのです。
しかし、当直中に「当直ご法度」を読むと、かなりプレッシャーかかります。

 さて、最初の患者さんは、風邪みたい。ということで、先輩から習った風邪処方のメモの通りに処方。
次の人は、腹痛・下痢。う〜ん、そんなにきつそうじゃないし、とりあえず聴診では腸は動いているし、整腸剤を処方して帰ってもらう。
 でも、そのころはとにかく病気を知らなくて、何か症状があれば、とにかく、「これは風邪だ!」と思い込んでしまっていました。
「熱が出て…」う〜ん、風邪!
「お腹が痛くて…」う〜ん、これも風邪の症状!!
「元気がなくて」やっぱり、これも風邪だ!!!
 今から考えると、顔から火が出そうな話なのですが、
自分でエコーもカメラもできなかったし、何より病名そのものを知らなかった…

 そんなこんなで患者さんはひっきりなしに来ていたのですが、
「とりあえず風邪」攻撃でなんとか切り抜けて、部屋でつかの間の休養をとっていました。

 しかし、その夕方、最大の危機が!!
 入院中の、90歳近くの高齢の患者さんが「胸が苦しい」と苦しみ出したのです。
心電図を見てみたら、すごい頻脈なんだよこれが。
 まだ循環器をローテーションしていなかったし、
とりあえず「救急マニュアル」通りの治療をした記憶があるのですが、
それから、何時間かおきに同じ症状でコールされるのです。僕はもう、生きた心地がしませんでした。
大学に送ろうかと、何度思ったことか…

 それに、今度は入院患者さんが「血を吐いた」という連絡があり、
さらに泣きそうになりながら行ってみると、今のところは、ティッシュに少し鮮血がついているくらい。
「今度大出血があれば、どうにかする。絶食安静」という方針を立てたのですが、
まあこれは要するに「頼む!明日の朝までなんとか何も起こらんでくれ…」ということです。

 結局、電話の音がずっと鳴っているような感じがして全然眠れず、
交代の時間がきたときにまず思ったことは「助かった…もう2度と当直に行くのは厭だ…」ということでした。
病院の外は、ほんとうに明るかった…

 ちなみに、もらった当直料は8万円。
その札束は、確かにありがたくはあったのですが、なんだか申し訳なくて、しばらく使えませんでした。

 ちなみに、大学に戻って、胸痛の患者さんのことを他の上の先生に話したら、
「いやお前、そんな寝たきりで入院中の患者を大学の救急に連れてきたら、絶対怒られてたぞ。
もちろん、転院なんてとんでもない」と言われました。
 はあ、何が「大学に送ればいい」だよまったく。

 あっ、でも「ブラックジャックによろしく」で「どうせ死ぬなら腹をあけろ」と言われた患者さんは、
研修医が腹を開ける前に、他の病院に転院させるべきだよなあ、と僕は思いました。
だいたい、あんな大手術、麻酔担当医もなしで、ひとりでできるわけないじゃん。

 でもなあ、「転院させるべきか」すら判断できないのが、研修医というものなんですよね…