映画『チーム・バチスタの栄光』感想


映画『チーム・バチスタの栄光』公式サイト


 『日経エンタテインメント』という雑誌で、2007102日キャスト発表、同月7日クランクイン、1212日にクランクアップ会見、というのを読んで、「なんかすごい猛スピードで撮られた映画だなあ」と思っていたのですが(ちなみに公開は200829日)、観終えての感想は、「うーん、手術シーンのディテールはかなりリアルだし、キャストも主演が竹内結子さんと阿部寛さんと豪華ではあるけれど、基本的には『ちょっとお金をかけた2時間ドラマ』だよなあ」というものでした。

 僕は原作を「ミステリ」としては全然評価していないのですが、その理由は「謎解きに関して、あまりに読者に対して与えられた情報が少ない」からと、「犯人の動機があまりにもそれまでの流れと関係ないものだった」からです。

 ただし、『チーム・バチスタの栄光』というのは、小説としてはとても面白い作品で、あの小説の面白さというのは、謎解きにあるというよりは、医療の世界における、「脇役」たちの仕事のディテールがわかりやすく書かれている、ということに尽きると思うんですよね。

 世間一般のイメージでは、「手術」を左右するのは「ひとりの外科医の腕の良し悪し」なのではないでしょうか?

 でも、実際に現場で仕事をしてみると、医療、とくに大きな手術というのは、ひとりのスターの力だけでできるわけではありません(ひとりのスターのカリスマ性がチームを変える、ということも多いのですけどね)。「助手のフォローの巧さ」とか、「器材出しの看護師の力量」が大事なのだ、ということを、この作品ではじめて知った、という人も多いはずです。

 ところが、この映画版では、当然のことながら2時間にまとめなければなりませんから、どうしても削らなければならないところが出てきますよね。

 そして、そこで削られたのが、そういう「チーム・バチスタの各専門家のキャラクターのディテール」だったわけです。つまり、小説のいちばんの魅力だったところが失われてしまっているのです。

 ただ、僕はこの映画を観ていて、ものすごく痛感したことがありました。

 それは、当然のことなのかもしれませんが、「人は、『心臓が止まる』という場面を目の当たりにすると、思わず姿勢を正さずにはいられないのだ」ということです。

 僕は今まで映画館でたくさんの「人が死ぬシーン」を見てきました。その中には、この『チーム・バチスタの栄光』での術中死よりもはるかに残酷なシーンもたくさんあったのです。

 でも、この映画の「手術場で心臓が止まるシーン」で館内を満たした静寂と緊張感は、いままで僕が映画館で体験したものがないものだったんですよね。

 これだけ「残虐シーン」が満ち溢れている世の中でも「心停止」というのは、やっぱりちょっと特別な場面なのかもしれません。

 ちなみに、「2時間ドラマ」と割り切って観るとすれば、それなりに楽しめる仕上がりです。竹内結子さんの田口先生、阿部寛さんの白鳥は原作に比べるとはるかに「毒気に欠ける」ところがありますし、そもそも、原作の田口先生のような存在にならともかく、この映画での竹内さんのような立場の人に「内部調査」を依頼するわけがありません。もともとそういう専門職でもないのに、係長クラスが部長・重役たちを相手に「聞き取り調査」を遠慮なくできるとは思えませんし。そういう意味では、リアリティは決定的に欠けているんですよね。まあ、竹内さんのおかげで、この映画の「重さ」が軽減されている面はありますので、たぶん「観客を集める映画」としては正解だと思うのですけど。

 でも、白鳥はもっと「絶望的にヘンな人」であって欲しかったなあ。この映画のなかでは、「無礼な人」ではあるけれど、なんかこうあんまり原作で感じたような「嫌悪感」がわかないんですよね。

 というわけで、僕の評価は100点満点で70点、というところでしょうか。竹内結子さんがソフトボールをやっている姿が観たい人にはお勧めです。僕はこの映画を観ていて、自分がユニフォームフェチなのではないかと心配になってきましたよ。


以下はネタバレ感想なので、まだ未見でこれから観る予定の人は読まないでくださいね。


本当にネタバレですよ!


というわけで、ここからが本論なのですが、この映画の最大の難点は、犯人である麻酔科医の氷室の動機が「僕にも娯楽が必要でしょ?」だということだと思うんですよ。

ちょっと医療者的に深読みさせてもらうと、この「動機」の陰には、原作者の海堂尊さんの「1日に手術を5件も掛け持ちしなければならない」というような「多忙すぎる麻酔科医の現状への危惧」が隠されていると思うのです。ところが、それって全然「観客には伝わってない」んですよね残念ながら。観客は「こんなひどい医者もいるのか!」としか、たぶん、思いません。それで、麻酔医に「ちゃんと麻酔かけてよ」なんて言ったりするわけです。

 そして、Ai(オートプシー・イメージング)、亡くなられた患者さんへの画像診断に対しても、現在の病院で「これは生きている人が使う機械だ!」なんて激怒する放射線科医や技師はいません。彼らは、Aiで証拠を残すことが、自分の身を守ることにつながることを理解していますから。

 そうそう、鳴海先生、「手術中の心停止で解剖なんて遺族に頼めるわけないだろ!」って、病理医の言葉とは思えん……お前が率先して剖検をお願いしろよ……

 あと、もうひとつ。

 この「真相」がわかった後で、桐生先生が「メスを置く」というのは、一見当然の帰結のように思えます。しかしながら、もしあの「バチスタ手術」を行える施設が日本であそこしかなくて、今までの手術が「少なくとも術者のミスではない」とすれば……

 映画では垣谷先生が後継者としてバチスタを成功させますが、現実では冠動脈バイパス術がどんなに上手でも、いきなりバチスタ手術ができるとは想像しがたいです。

 そして、患者さんが「この手術をできるのは、桐生先生しかいないし、このまま死を待つよりは、一か八かでも桐生先生に手術してもらいたい」と望んだとしたら……

 それでも、桐生先生は「メスを置く」ことが正しいのかな?なんてことを僕は考えてしまいました。