「研修医の待遇改善」の裏側で

 

 昨今の医療不信や研修医の過労死事件、マンガ「ブラックジャックによろしく」の影響もあってか、研修医の待遇改善が、来春から大学医学部で実施されることになった。
 おおまかに言うと、給与体系の変更とスーパーローテーション制度、外部での医療行為の制限、といったところだろうか。

 まず、給与体系の変更について。おそらく、国公立大学では1〜2年目の研修医の基本給(大学からもらっている給料)は、10数万円、といったところだろうと思う。これが、30万円くらいにまでアップするらしい。すごい給料アップになるのだ。

 しかし、その代わりに、研修医は保険医の資格がとれなくなるようだ。現在の日本の医療の大部分は「保健診療」であり(「ブラックジャックによろしく」の第6巻に書いてあったように、現状では「一部自費診療で、その他は保険診療」ということは、今の医療制度では不可能なのだ。全部自費診療だと莫大な金額になるから、大部分の患者さんは保険診療を選択する。特殊な薬を使ったりしないかぎり、日本の場合はそれで「ほぼベストの医療」が受けられる)、保険医の資格がない、ということは、薬の処方ができず、実質的な医療行為はできなくなる、ということだ。ちなみに、大学などでは指導医がチェックしてから処方するような感じになるらしい。
 つまり、指導医のいる、自分の所属以外の病院では、ひとりでの医療行為ができなくなる、ということだ。要するに、バイトで外来に行ったり、当直することができない、ということなのだ。
 月給30万円、というのは、要するに、そういうバイト収入が減ることに対する損失補てん、ということらしい。
 「お前らは基本給が安くて食えないって言ってるから、基本給を上げてやる。どうだ、これならバイトに行かなくても食えるだろ!」というのが、厚生労働省の思惑のようだ。
 確かに、30万も基本給があれば、彼らはバイトに行かなくても生活していける。

 「月30万なんて、高すぎる!」と思われる向きもあるだろうが、医師という仕事は、けっこう支出が多いのだ。ちょっとした参考書でも1万円くらい平気でするし、学会費、医局費、万が一の医療事故のための保険etc、そして、彼らの労働時間と退職金がないことを考えると、けっして「高すぎる」とは言えない(と僕は思う)。だいたい、生活苦でボロボロの医者よりも、金銭の心配をしなくていいの医者のほうが、少なくとも心に余裕はあるはずだし、診てもらう側にとっても安心なのではないだろうか?

 スーパーローテーションというのは、今までは、医者になった時点で自分の専門とする科を決めるというシステムだったのを無所属の状態でいろいろな科を数ヶ月ずつ研修してみて、その経験を踏まえて自分の所属する科を決められる、というシステムだ。

 今までも一部で取り入れられていたのだが、今回はそれが義務化される。あまりに専門バカになりすぎている現状への警鐘、といったところだろうか。
 これについては、僕は悪いことではない、と思う。例えば、小児科を少しでも研修していれば、「小学生の男の子が熱を出した」という夜間の診療以来の電話を「子供だから小児科に行って」と断る医者も少しは減るはずだ。逆に、自分の仕事の限界を知ることだってできるだろう。
 まあ、「数ヶ月じゃどうせたいしたこともできないんだから、一日でも早く専門を決めて、それをやったほうがいい」という意見もある。
 どちらが正しいかは、今の僕にはよくわからない。

 ああ、また説明が長くなってしまった。

 今回の研修医の待遇改善については、僕は基本的には賛成だ。
 自分がキツイ目にあったから、それが当然という発想は、あまりに短絡的というものだし。
 しかしながら、今の僕にとっては、良いことばかりじゃない。
 先日、上の先生から電話がかかってきた。今の研究の進行の具合を尋ねられ、正直「いや、それがその…」と答えるしかなかった。ようやく環境にも慣れたところだし、もう少し時間が欲しい、というのが本音。
 しかし、どうもその口ぶりからは、来年あたり臨床に戻って来い、というようなニュアンスだったのだ。まあ、二度と戻ってくるな、と言われるよりはありがたいことなのだけれど。

 あとでそのことについて考えてみると、その新しい研修制度との関連なのではないか、というのに思い当たった。もともと人手が足りない医局ではあるのだが(しかし、僕の知っている限り、人出が余っている医局なんて皆無なのだけど)、実際のところ、来年からの研修医の待遇の変更による余波は、少なくないようなのだ。

 まず、今まで研修医がバイトで当直に行っていた病院には、研修医は当直に行けなくなる。しかし、その病院での当直という行為が消滅するわけもない。
 
常勤の先生だって、まさか毎日病院で寝泊りするわけにもいかないだろう。

では、誰が行くのか?
 医局の若手〜中堅のスタッフ、ということだ。

そして、彼らは指導医として研修医の教育やバックアップをやらなければならないのだが、もし、他のスタッフが当直で不在の場合、緊急時には、他の医師が日頃指導している研修医のバックアップをすることも要求される。
 ひらたく言えば、運良く当直がない日でも、夜中に叩き起こされて相談されたり、病院に駆けつけたりせねばならない機会がさらに増える、ということなのだ。

しかしながら、若手〜中堅の医者の数が、劇的に増えるわけがない。
 そして、厚生労働省のお役人や教授が、彼らのかわりに当直をやってくれるはずもない。

 要するに、若手〜中堅の医者は、タダでさえ忙しい上に、さらに当直の数も激増し、研修医の指導の負担も増す、ということになりそうだ。

 うわあ、帰りたくない…

 ということで、多少なりとも大学内の人間を増やして対応しようとしているようなのだが、もちろん、焼け石に水だろう。ちなみに、「当直のバイト代が増えるから」という理由で、基本給は抑えられる可能性が高い。

 これは、イジメの対象が替わっただけじゃないんだろうか…

 もちろん、過渡期の矛盾という面もあるだろうけど、既に「大学内に人がいない」ということで、地方の病院から医者を引き上げてた医局の例も出てきている。
 その流れは、今後加速されていき、どんどん切り捨てられる病院が出てくるだろう。
 本店が人手不足で危機なら、地方の支店が潰れても社員を引き揚げてくるのは仕方あるまい。

 根本的には、今の日本には「当直医がいなくてはいけない、有床の病院」がまだまだ多すぎて、そこでのバイト収入がないと生活していけないようになっている給与体系に問題がある、としか言いようがない。そして、「医師」を指導する人間の多くが、医療のプロであっても、医学教育のエキスパートでない、ということにも。

 でも、結局「改善」されるのは、研修医のみせかけの給与体系と研修制度だけなのだ。

 そして、指導してくれるはずの指導医が当直に行ってしまった病棟で、研修医は今日も不安な夜を過ごすことになる。

 結局、問題は何も解決されてはいないのではないだろうか?