割りばしを見つけられなかったのは「医療ミス」なんだろうか?


読売新聞の記事より。

【東京都杉並区の保育園児杉野隼三ちゃん(当時4歳)が綿あめの割りばしをのどに突き刺して死亡した事件で、業務上過失致死罪に問われた杏林大学付属病院(東京都三鷹市)の医師、根本英樹被告(34)の初公判が29日、東京地裁であった。罪状認否で根本被告は「死亡は私の過失によるものではない」と起訴事実を否認し、無罪を主張した。一方、検察側は冒頭陳述で、隼三ちゃんが数回おう吐したのを根本被告が把握しながら、詳しい問診をしなかったことなどを明らかにした。

 医師が適切な診察をしなかったという不作為が犯罪に当たるかどうかが問われた事件は、検察側と被告との全面対立で始まった。

 隼三ちゃんは1999年7月、割りばしをくわえたまま転倒し、救急車で同病院に運ばれた。根本被告は同病院の耳鼻咽喉(いんこう)科の当直医だったが、隼三ちゃんを診察した際、コンピューター断層撮影法(CT)スキャンで撮影するなどの方法で割りばしが頭がい内に残っているかどうか確認することを怠り、脳神経外科へ引き継がなかった、として起訴された。隼三ちゃんは頭がい内損傷が悪化し、翌朝、死亡した。

 検察側は冒頭陳述で、救急隊長は隼三ちゃんの様子が不自然なため、検査設備の整った同病院に搬送することを決めたのに、根本被告は母親の文栄さん(45)に「どうしました」と尋ねただけで、転倒時や救急車内での様子を知ろうとしなかったことを指摘した。

 文栄さんは公判後、「過失を認めると期待したが、大変残念。長い裁判になるかと思うと、不安な気持ちです」と話した。】

 

以下は、事件当時の毎日新聞の記事です。

【慶応大病院で行われた司法解剖で、脳内に長さ約7・6センチの折れた割りばしの先が残っており、死因は「頭がい内損傷群」だったことが分かった。杏林大付属病院側は事故後の会見で、CTスキャンなどの検査をしなかったことについて、「よくある症例で傷も小さく、脳に損傷が及んでいるとは考えも及ばなかった。仕方がなく、過失ではない」などと説明していた。

 今回の事故について、昭和大学藤が丘病院の高橋愛樹教授(救急医学)は「刺傷の場合、傷がどこまで深いか分からないので最悪のことを考えて検査をするとともに慎重に経過観察をする必要がある。刺さって残った割りばしを持参するなどして治療現場で見ていれば、はしが(脳内に)残っていることも推定できたかもしれない」と話している。

 一方、日本医大理事長の大塚敏文・前日本救急医学会理事長は「救急医療は慎重を尽くすべきだが、今回のケースは傷口が小さく、出血も少なかったことを考え合わせると、意識が薄れているのも泣き疲れているのか、損傷のためなのかを判断するのが難しかっただろう」と指摘している。 】

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 この事件を僕がはじめて聞いたときの正直な感想は「ああ、自分が当直医だったら、同じことをやっていたかもしれない…」でした。

 この当直の医師が、どうしていたらよかったのか、今なら僕にもわかります。診察時に詳しい話をお母さんから聞いて、割りばしが脳内に残っているかどうかを確認するためにCT検査を行い、脳外科の先生に相談すればよかったのです。病院によっては、脳外科の先生にすぐに相談できないところもあるでしょうが、大学病院ですから、それも可能だったでしょう。ただ、その場合に、果たして4歳の子供にすぐ開頭手術ができたかどうか?果たして、それを行っていたとして、この子供が救命できたかどうか?ということは、誰にもわからないことではあるのですが。

 でも、結果論だったら、どうだって言えるわけです。僕だって当直中に「子供がこうこうこうして転んで割りばしが喉に刺さって…」と説明されて、口の中を覗いてみれば小さな傷しかないという状況ならば、消毒だけして帰すかもしれないなあ、と思います。この場合は、意識が混濁していた、というのが、果たしてどのくらいのものだったのかが問題点。当時の記事で「意識がうすれているのも、泣きつかれているのか損傷のためなのか、判断が難しかったのだろう」という救急の先生の話がありますが、確かに、子供の場合は往々にして泣きつかれて寝てしまうということもありますから。何回も嘔吐というのは気になる症状ですが、どの程度のものだったかは、今後の裁判の経過をみないとなんともいえないところです。

 さらに、この事件が起こる前に「子供が転んで割りばしでのどを突いた」という説明を受けたとしたら、はたして「脳内に割りばしの先端が(しかも7センチも!)残っているかもしれない」なんて、すぐ思いつける医者って、どのくらいの確率なのでしょうか?

 僕は、たぶん即座には思いつかないなあ。確かに「折れた割りばしの残り」とかを持ってきてもらえれば「折れた先は?」と感じるかもしれないけれども。

 「とにかく、CT撮ってみればわかるだろ!」と言われそうですが、実際、夜間の当直時間では、放射線の技師さんは仕事があるとき以外は当直室で休んでいて、必要なときにCTの電源を入れて撮影してもらうという手順になっています。病院によっては、ポケベルで呼び出さなくてはならないところも多いはず。大学病院なら、放射線科の先生に、まず相談しなくてはいけないでしょう。脳外科の先生も、夜遅くならなるべく起こしたくないと考えるのも人情。

 

 要するに、大学病院でも(救急センターみたいに、常にスクランブル態勢のところは別です)やっぱり夜間の医療の質は昼間と同じというわけにはいかないんです。もし昼間だったら、耳鼻科の他の先生に相談することも簡単にできたでしょうし。

「病院がそれじゃ困る!」と言われるのは承知の上なのですが、実際に24時間同じレベルの医療をキープできるほどの人員の余裕は、どこの病院にもないのです。24時間たたかえますか、というコピーがありましたが、みんな日勤〜当直〜日勤(といっても、大学なら早くても20時とか21時でしょう)というスケジュールなのに、どうやってこれ以上働けというのか。

 もうひとつ、子供に検査をすることの難しさという問題もあります。4歳の子供で意識があったら、「CTの検査をするから、じっとしておいてね」と言っても、なかなかじっとしていられません。よく考えてみれば、当たり前ですよね。子供にとっては、明らかに異常な空間なわけですから。

 4歳というのは微妙な年齢なのですが、小さい子供のCT検査を行う場合には、全身麻酔をかけてからでないとできない場合も多いのです。全身麻酔自体が、けっして100%安全というわけではないですし。麻酔をかけると気道を確保するための管を入れたりしなければならない場合もあります。そう考えると、なんでも検査すればいいかというと、しなくていい検査は、なるべくしないほうがいい、というのが基本的な医者のスタンスだと思います。

 今回の事件に関しては、医者の力が足りなかった面もあると思う。何回も嘔吐していたり、意識レベルが落ちているというのは、明らかに異常なサインなわけですから。ただ、それを脳の障害と結びつけることができなかったということ。

でも、その夜に日本中で当直していた医者のなかで、同じ状況に置かれて、的確な判断ができた人が何パーセントいただろう?

 結果的に、不適切な治療をしてしまったわけですが、こういう、かなり特殊な状況に対応できないと「医療ミスだ!」というのは、あまりに医者を買いかぶりすぎているのではないでしょうか。

4歳の小さな子供の命が失われてしまったという事実の哀しみ、怒りを「医療ミス」として医者に転嫁しようとしている面もあるのではないかなあ。

どこまでが「医療ミス」で、どこからが「力及ばす…」なのか、それは、本当に難しい。

 

ただ、ひとつだけ確かなこと。

この事故以来、医者の大部分は、同じような転倒事故が起こった際に、「脳の中に何か残っている可能性」を考えるようになりましたし、親御さんたちは、「口の中に入れていたもの」を病院に持参してきてくれるようになりました。

 医療というのは、こうして少しずつでも前に進んでいるのです。

 それは、亡くなってしまった4歳の男の子にとって、慰めにはならないことかもしれないけれど。